茂山影男   作:ピンチャンよ永遠なれ………

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姉妹高戦あたりから再構成する形で進めていきます。それ以前の話はほぼ同じです。話によっては小話も追加していきます。


1話

 小さい時から僕にはお化けが見えていた。寝ない子どもをお化けの世界へ連れていく、絵本で見たあんな姿のお化けじゃない。

 もっと異形で、おぞましい。

 ただ僕にとっては当たり前の光景だったから、怖いと思うことはなかった。

 

 

 “視”えることは普通じゃない。普通じゃないということは、集団の中から爪弾きにされる。僕もそうだった。

 

 はじめは両親や先生に「おばけがいるよ」と言っても、返ってくるのは苦笑いばかりで、誰も話を信じてくれなかった。

 

 でも僕が指をさした場所の電灯がいきなり消えたり、異音がしたり、そういったことが続けば周囲の反応も変わって、僕を不気味な目で見るようになった。

 

 お化けが見えることは秘密にしなくちゃいけないと、親から教えられた。僕は幼いながら、理解しているのか理解していないのか、曖昧な返事を返したような記憶がある。

 

 

 みんなはでも、知らなかった。僕が見えると知って、ちょっかいをしてくるお化けを僕が消してるってこと。

 

 僕だけならいいんだ、別に。でも父さんや母さん、それに先生だったり、関係のない人にまで悪さをしてくるのは許せなかった。

 

 お化けは自分から出てくる気の流れ(オーラ)のようなものをぶつけると、簡単に消すことができる。オーラは応用性が高くて、盾のようにしたり、体に纏って空を飛んだり、逆に物に纏わせて浮かしたりもできる。

 

 他の人はこのオーラを操ることができないのか、いつも垂れ流しにしていた。感情によって流れるオーラの大きさも変わる。

 不特定多数の人間が集まると、協調性のない音楽会が始まったようで面白かった。

 

 

 みんなにはこの力を見せなかった。また先生や両親に何か言われると思ったから。でもアカネちゃんにだけは見せたんだ。僕の力。

 

 こっそりとおもちゃを動かして見せたり、蕾のお花を咲かせてみせたり。その度にアカネちゃんは笑った。僕が「ないしょだよ!」と言うと、こくこくと頷いた。アカネちゃんはいつもキラキラしていた。笑うと口の端にへこみができる。幼稚園のマドンナで、みんなアカネちゃんに夢中だった。僕も夢中だった。

 

 

 そんな僕はある日、心臓をバクバクさせながら、勇気を出してアカネちゃんを遊びに誘った。

 お休みの日にいっしょに遊べないか──と(この時の僕は噛みまくっていた)。

 

 断られるかもしれないと思ったけど、アカネちゃんはいつものへこみを口の端に作って、「いいよ!」と言った。

 

 まさかのアカネちゃんと遊べることになった僕は、いじめっ子タケシくんの悔しそうな顔に少し不安な気持ちになりながらも、ものすごく喜んだ。

 タケシくんにはその後、おもちゃを取られて泣いた。そんな時も優しいアカネちゃんは、「けんかはめっ!」と間に入ってくれた。

 

 

 

 

 

 時は流れ、休日。お互いの母親に連れられて、僕らは公園で遊ぶことになった。

 

 中にはいくつもの遊具があり、休みの日は子連れの親子や小学生たちがよく遊んでいる。今日は珍しくほとんど人がおらず、貸切状態だった。母さんたちは時折僕らに視線を向けるけるものの、()()()の話で忙しそうだった。

 

 

「かげおくん、あっちであそぼ!」

 

「う、うん!」

 

 

 アカネちゃんに手を引かれ、滑り台に向かった。途中まで築いていた砂の城が中途半端に残される。今、僕の世界に映るのはアカネちゃんだけだ。握られた手に胸がドキドキした。

 

 滑り台はジャングルジムと繋がっていて、下から侵入した僕らはどちらが先に滑り台にたどり着けるか、というゲームを始めた。

 

 ここでズルは使わない。そんなことをしたら、アカネちゃんに嫌われちゃうからね。

 すでに遊びでバテていた体を動かして上を目指す。上がることに精一杯でアカネちゃんがどこにいるのかは分からない。

 

 中程まで来た時に「わたしのかち!」と聞こえたから、僕は負けたんだろう。それでもアカネちゃんは先に滑らず、応援しながら僕のことを待ってくれていた。

 

 ゼェハァと息をついて、必死によじ登る。僕には壊滅的に体力がない。というか、運動能力がない。

 特別な力がある代わりに、運動も勉強も苦手なんだ。絵本の文字もあまり読めない。だから、幼稚園生なのにスラスラと読めるアカネちゃんはすごいと思う。

 

 

「もうすこしだよ! がんばれ〜!!」

 

「ハァ、ハァ……」

 

 

 上を見たら、アカネちゃんが手を伸ばしていた。後ろの太陽に照らされて姿が黒く見える。眩しさに目を凝らしながら見ると、朧げにアカネちゃんの花のような笑顔が見えた。自分の頬が赤くなっていくのを感じながら、全身の力を使ってその手を掴もうとする。でも掴めなかった。不思議に思ったら、アカネちゃんの姿が後ろに下がっていく。そのまま滑ったら、頭から落ちちゃう。

 

 アカネちゃんの後ろには何かがいた。

 

 黒い。黒くて、笑っている存在。

 

 

「アカネちゃん!!」

 

 

 とっさに力を使った。掴んでいる鉄の部分が大きくひしゃげる。死にかけの蝉みたいだった体が嘘みたいに動く。これが僕の力。

 

 そのまま一瞬のうちに上へ登って、アカネちゃんの顔を見た。目を丸くして何が起きているのかわからない顔をしている。子供の体が何体もくっ付いたようなそいつは、ニタニタしながらアカネちゃんの背中にしがみついている。

 

死ぃネェ(クるしメ)

 

 手をかざして、そこから伸びた力がアカネちゃんの体を掴む。その拍子に異形の体は跡形もなく吹き飛んだ。そのままアカネちゃんは滑りながら一回転をして見事な着地を決め、体操選手のように両手を天に向けた。

 

 未だぼーっとしているアカネちゃんに近づく。ハッとしたアカネちゃんは、「わたし……たいそうせんしゅになれるかも!!」と話した。

 

 僕が助けたことは内緒にして、そのあとも遊び続けた。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 僕とアカネちゃんの仲はさらに深まった。でも、アカネちゃんは僕のことを友達として好きなんだ。彼女の好きな男の子は運動ができるサトシくん。僕も運動ができたらなぁ。でもやっぱりズルはしない。

 

 最近はいじめっ子のタケシくんに絡まれることが増えた。もう過ぎ去った僕の『お化けが見える』問題を掘りかえして、数人でいじめてくるんだ。

 

 先生に怒られてもタケシくんはまったく反省しない。すぐに僕を睨んで、「おぼえてろ!」な顔をする。嫉妬するなら僕じゃなくて、サトシくんにすればいいのに。

 

 タケシくんが僕ばかりいじめるのは、サトシくんが人気者で、いじめにくいからだろう。

 その一方で僕はアカネちゃん以外に友達がいない、暗くて地味なやつ。まさにタケシくんにとっては格好のマトだ。

 

 

 

 その日はあいにくの雨で、僕はアカネちゃんと本を読んでいた。僕としょっちゅうアカネちゃんが遊んでくれるのは、「かげおくんはひとりでかわいそうだから!」という理由もある。アカネちゃんはね、本当に優しいんだ。

 

「おい、かげお! そのえほんかせよ!!」

 

 今日もまたタケシくんがいじめにきた。僕も言われっぱなしではいけないから、「よみおわったらいいよ」と言う。しかし、今貸せ、とタケシくんは僕の絵本を掴み引っ張り出した。僕は奪われないように足を踏ん張るけど、タケシくんの力には敵わない。

 

 振り回された衝撃で僕の手が離れ、そのまま体が後ろに倒れた。ガツン、と頭の後ろに衝撃が起こる。ぶつけた部分からじわじわと熱い感覚と痛みが広がっていく。頭を触ってみると、生ぬるい感触がする。見たら自分の手のひらが真っ赤だった。

 

「ぅ、あ………」

 

 次の瞬間、僕の意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 真っ暗な中で、何か音がした。ぶつかる音、割れる音、悲鳴。

 

「悲鳴?」と首を傾げようとしたけど、体が動かない。意識はあるのに、指を一本も動かせなかった。

 

 どれだけの間そうしていたのか。目を覚ますと、部屋の中がまるで台風が過ぎ去ったように荒れていた。カーテンはビリビリに破け、窓ガラスも割れている。本や荷物も床に散乱していて、他の子が泣き叫んだり、先生の腕の中で震えている。タケシくんは僕の側でへたり込み、おもらしをしていた。アカネちゃんは……と思った僕は、彼女の姿を探す。

 

 

「こないでよ、ばけもの!!!」

 

 

 アカネちゃんはケガをした手を押さえて、僕を睨んでいた。花瓶で切れた肌から血が流れ、床に赤い斑点を作る。

 

 何が起きたのか、最初わからなかった。でもみんなの視線が僕に向いていて、さらに黒い霧のようなものが僕を中心にかすかに蠢いていたから、理解せざるを得なかった。

 

 この状況を作り出したのが僕で、自分は好きだった女の子を傷つけてしまったんだと。

 

 頭からつま先まで、一気にサァァッと血の気が引いていく。頭はなおも脈に合わせて痛む。けれどそれ以上にみんなから向けられるその視線が恐ろしかった。

 

 

 

 それから僕は引っ越すことになった。あんなことがあったのだから仕方ないのかもしれない。後から知ったけど、あの件は「突発的に庭で起こった竜巻が──」というふうに報道されたらしい。

 

 新しい幼稚園では友達を作らなかった。お化けがいたら相変わらず消して、絵本を読む日々が続く。

 

 僕の力は誰かを傷つけてしまうものなのだと知った。みんなにジッと向けられた視線が忘れたくても忘れられない。

 

 だからこそ、二度と人を傷つけないと誓った。僕は自分の力が暴走しないように、我慢するようになった。特に怒らないように気をつけて。

 

 元々名前の「影」みたいに暗かった僕は、さらに暗くなった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 茂山影男(しげやまかげお)。それが少年の名前だった。

 

 影男は年長になってから幼稚園に行くことを嫌がるようになった。その理由を両親はわかっており、無理やり連れて行くことはしなかった。その代わり母親は家事の合間に時間を作り、影男と散歩に行くよう心がけた。

 

「あそこに鳥さんが飛んでるよ。何の鳥さんだろうね?」とか、「小さいお花がいっぱい咲いてるねぇ、影男」──とか。

 母親は息子の手を繋いで他愛のない会話をする。影男は来年から小学生だ。それを考え、外の刺激に慣れさせようと少しずつ努力している。

 

 そんな母親の甲斐もあり、事件からずっと暗かった影男は母や父の前だと以前の笑顔を見せるようになった。それでもやはり、どこかぎこちない。まるで自分の感情を表に出さないように無理やり押し込んでいるようだった。

 

 

「今日はちょっと遠出してみない、影男? お弁当も持って」

 

「……うん、いく」

 

 

 母親はペーパードライバーのため、ママチャリの荷台に息子を乗せ、駅に向かった。

 それから駅に着くと、自転車を駐輪場に止める。ホームに向かう途中、影男はエスカレーターの脅威に怯え、母の手を握りしめる。

 さらに普段より人がたくさんいる駅内は、影男からすると無数の怪獣がウロウロしているように感じられた。

 

「大丈夫、影男?」

 

「……うん」

 

 しかし電車に乗ると次々と移り行く車窓の景色が新鮮で、人の恐怖も和らいで行った。座席に膝立ちになって足をバタバタさせる影男に、母親は胸を撫で下ろす。

 

 

 何駅か過ぎたところで下車し、今度はぶらりバスの旅。数十分ほど揺られ、うとうとしていた影男は母親に揺り起こされ目を覚ます。

 

 着いたのは自然豊かな公園。息を吸うと、都会とは思えぬ清涼な空気が肺をいっぱいに満たす。

 

「ほら、影男もやってみて!」

 

「…こう?」

 

 母親に勧められ、影男も深呼吸を繰り返す。

 

 吸って、吐いて。吸って、吐いて。

 

「ここではね、水辺で珍しい鳥さんが見られるかもしれないんだって」

 

「ほんとう?」

 

「運が良かったら、だけどね」

 

「そっかぁ。あえたらうれしいね」

 

「えぇ、そうね」

 

 

 公園内は中々に広く、途中で影男がバテてしまったため、トイレの近くにあったベンチで休むことになった。お昼にはまだ少々早い。

 

 これまたトイレの近く、ただし二人とは逆方向の場所に自販機があることに気づいた母親は、影男に何か飲みたいものがあるか尋ねる。影男は少し悩んで「なんでもいいよ」と答えた。

 

 母親の背を少しの間見つめていた影男は、木々の隙間から差し込む光から逃げるように、ベンチの日陰に移動する。まだ半袖の時期ではないと言っても、直射日光を浴びているとうっすらと汗をかく気温だ。

 

 

 額に滲んだ汗を袖で拭って、影男はベンチの背もたれに体重を預けた。足は身長のせいで地面に届かない。手持ち無沙汰…いや、足もち無沙汰に所在なく足を揺らす。

 

 サァサァと、まるで呼吸をしているような木々の音。鳥の囀りもメロディーとなる。森の演奏会である。

 

 自然と一体となった気持ちでいた影男は、そこでふと、トイレの後ろから何かが顔を覗かせていることに気づく。

 

 にゅっと、女の子の頭が出ている。にっこりと笑っている少女の歳はおそらく影男とそう変わらない。

 しかし天井に近い位置にその顔がある以上、人間でないことは明白だった。

 

 

『と、ととっ、とととと、トモモ』

 

 

 長い腕が影男に伸びてきた。普通なら絶叫待ったなしの光景は、彼にとってはやはり日常茶飯事のこと。手を払う動作ひとつで、鈍い悲鳴をあげて異形は消えた。見えるとこうして絡まれるのだから厄介である。

 

 ため息をついた影男は、正面に向き直ろうとして今度は別の存在が自分を見ていることに気づいた。

 

 身長は自分の父親よりもうんと高い。運動の最中だったのか、汗が光を反射してキラキラとして見える。目をパチクリさせてその人物は影男の元に近づいてくる。相手が長身ということもあり影男はビビったが、それを察してか、いくらか距離の猶予を残して男はしゃがみ込んだ。すると、影男と男の目線がほとんど一緒になる。

 

 

「さっきの呪霊、君が祓ったんだよね?」

 

「じゅれい? ……おばけのこと?」

 

「おばけ? ────ははっ! 可愛らしい表現だね」

 

 影男にもわかる。この顔はサトシくんの追随を一切許さないイケメンだと。全国でイケメンの総選挙なんてあったら、目の前のこの男はトップ10に食い込むに違いない。

 

 しかし待て、この男は影男が見えているものを「呪霊」と言った。相手の様子から、影男以上に「呪霊」について詳しい様子だ。

 

「おじさんもじゅれいが見えるの?」

 

「おじ……私ってそんなに老けて見えるかい?」

 

「あっ…じゃあお兄さん?」

 

 影男の問いに男は微笑みながら頷く。ちょうどそのタイミングで母親が戻ってきたため、「うちの子に何近づいてんだ不審者ァ!!」となりかけた。…が、しかし、男の丁寧な対応とその顔面偏差値の高さに、影男の母親は懐柔されてしまった。まぁこれは影男が男に興味を示していた影響も大きい。

 

 

 

 はじめて同じものが見える存在に、影男は興味を抱いた。その日は軽く会話をして別れ、時折同じ時間帯に母親に連れて来てもらい、男と話すようになった。

 

 彼の名前は「夏油」と言うらしい。この公園をよくランニングコースにしているのだとか。足の筋肉を触らせてもらったこともあったが、やわこい影男の足とは全く違った。これが本当に人間の足なのかと疑いたくなるほどだ。

 

 影男は夏油と話すのが楽しかったが、イケメンに乙女を見せてしまう母親の姿はあまり見たくなかった。それを指摘されると、母親は「オホホ…」と笑う。二人きりで影男は夏油と話したかったため、母親を移動させる(と言っても、保護者の目が届く距離)のが常となった。

 

「影男くんはまだ6歳か。若いね」

 

「げとうさんはなんさいなの?」

 

「何歳に見える?」

 

「……………24さい?」

 

「影男くん、一般の高専生は15歳から20歳までなんだ」

 

 夏油は高専生の3年生で、17歳だった。ちょうど年齢で考えると、影男と一回り離れている。

 

 二人の会話は「どうやったらそんなに大きくなれるの?」やら、異形についてやら、多岐に渡った。影男と夏油はいい感じに空気感が合ったのだろう。歳が離れていても会話をする上での気苦労があまりない。

 

 

「僕もしょうらい、ふくろうがまほうの手紙をもってくるみたいに、こーせんから手紙がくるのかな?」

 

「あぁ…どうだろう?私の場合はスカウトだったから。影男くんは呪術師になりたいのかい?」

 

「べつになんとも」

 

「そっか…」

 

「でも、この力がわるいことじゃなくていいことに使えるなら、じゅじゅちゅ…じゅじゅつしになってもいいのかな、って思います」

 

「……うん、言いにくいよね。呪術師」

 

「じゅじゅちゅし!!」

 

 

 

 

 

 不思議な逢瀬はそうして、何度も続いた。

 

 

 影男は自分が起こした事件についても夏油に話した。自分の力が暴走し、他の人や好きな女の子を傷つけてしまったことを。

 夏油はその話を眉を寄せて聞いていた。彼が握った手は白くなっている。影男が話し終わると夏油は長い間を置き、「君は悪くないだろ」と話す。

 

「その女の子のことだって、君は前に助けたんだろ? だがその仕打ちが化け物扱いなんて、到底許せないじゃないか……!!」

 

「でも、アカネちゃんをきずつけたのは僕なんです」

 

 確かに化け物と言われて、影男は傷ついた。どうしてそんなことを言われなければならないのか、とも思った。しかし何より影男が傷ついたのは、アカネちゃんのことを自分の力が傷つけたことだった。

 

「僕は力がある人です。それはじゅじゅつが使えるげとうさんも同じです。この力は誰かをまもることもできるけど、傷つけることもできる」

 

「だからって、君が我慢して傷つく必要があるのかい?」

 

「がまんはほかの人だってしてます。僕や父さんも、母さんも、みんな。僕は力をもって生まれたから、それをどうにかしなくちゃいけない。みんな同じだったらいいけど、僕はちがうから、ちがうなりに工夫するんだ」

 

「………」

 

「ちがうからケンカもするし、なかなおりもする。ちがうからきらいな人やすきな人ができる。もった力でぜんぶどうにかしようとするのは、()()()

 

「……私はじゃあ、ずるいかな?」

 

「何がズルいのかわからないけど………たぶんズルい?」

 

「ははっ、そうか。……ずるいか」

 

 最近、夏油が悩んでいるのは影男も気づいていた。この少年は妙なところで勘の鋭さを発揮する。

 

 心なしか変な前髪も萎れている。水をやったら花みたいに元気になるかもしれないと思い、影男はミネラルウォーターを頭にかけたこともあった。夏油はさすがに幼稚園の年長さん相手に怒らなかったが、その時は絶対零度の笑顔をしていた。

 

 

 そうして、また日が過ぎていく。

 

 

 

 

 

 影男からの相談が多かった関係性は、いつの間にか夏油から相談することが増えた。

 

 一回りも歳下の子供になぜ私は…とは、夏油も思う。しかし影男という少年は、不思議と人の本質を突いてくる。夏油の話の半分も理解できていなさそうな反応をする割に、返ってくる内容は的を射ている。そしてその言葉は、不思議と彼の心に沁みた。

 

 天内理子のこと。呪霊がいない世界のこと。話すうちに夏油は自分が自覚している以上に人間(猿ども)を嫌いになっていることに気づいた。

 

「……その守れなかった女の子は、しんじゃったの?」

 

「いや、守れなかっただけで、死んだわけじゃないよ」

 

「そっか。よかった…」

 

 否、天内理子は死んだ。夏油はまだ14歳だった少女を救うこともできなかった。彼女は夏油の手を掴む前に、目の前で殺された。あっけなく、簡単に、死んだ。

 彼女が死んだ原因は、天元との同化を阻んだ猿どもたちだった。

 

「情けないな。私は彼女を守ってあげられなかったんだから…」

 

「………僕もアカネちゃんをあの時助けてあげられなかったら、すごくかなしくなったと思う」

 

「君はすごいよ、私と違って。まだ小さいのにね」

 

「げとうさんもすごいですよ」

 

 身長が高くて、前髪が変で、顔がかっこいい。おかしいね、影男くん。一つ悪口が入っていたぞ? 

 

「たすけようと思っても、きっとたすけられないこともあると思います」

 

「……そうだね」

 

「全部はきっとたすけられない。手からこぼれ落ちちゃう」

 

「でも私は、みんなを助けたかったんだ」

 

「どんなにすごい人でも、みんなをたすけるのはきっとむずかしいよ」

 

「私の親友にできそうな男がいると言ってもかい?」

 

「その人は神さまなの?」

 

「いや、むしろ「クズ」と呼ばれる人間の部類だよ」

 

「その人がどんなにすごくても、神さまじゃないならまちがうことは絶対にあるよ」

 

「それは君も、私もかな?」

 

「うん。僕もげとうさんも、そうりだいじんも」

 

 そっかそっか──とうわ言のように夏油は呟く。この少年と話していると、本当に何が正しいのか悪いのか、よくわからなくなってしまう。

 呪霊がいない世界については流石に小難し過ぎたようで、影男はフリーズしてしまった。「ごめんごめん」と夏油は小さな頭を撫でる。子供だからか、なんとも柔らかい髪だ。

 

「よくわかんないけど、じゅれいがいなくなったらいいねって話?」

 

「そうだよ。呪霊がいない世界にするためには…ってことさ」

 

「ぜんぶ無くすのはむりだよ」

 

「頑張ったらできるかもしれないよ?」

 

「人からじゅれいが生まれるなら、むりだよ」

 

 

 呪霊が見えても、見えなくても、みんなおんなじ人間なんだもん。

 

 そんなふうに言った影男の顔を、夏油は見ることができなかった。まるで自分の心をその真っ黒な目が見透かしているような気がしてしまったから。

 影男は夏油の手を握る。「一人でなやんじゃだめだよ」と。

 

「……そうだね」

 

 かすれた声でそう話した夏油は、影男の小さな手を見つめた。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 夏油の後輩が死んだ。そして、彼はある村で双子の少女が村人から不遇な目に遭っている現場を目撃してしまった。

 

 異常な力を持っているがゆえに、異常が起こっている理由をその子供になすりつける。虐待され、監禁された少女二人は明らかに衰弱していた。平然と彼女たちに暴言を吐いているこの、人の形をした物体はいったいなんだろう? ほうぼうに罵る声が飛び交う。呪いの原因はこの少女たちではない。

 

 だのに、

 

 

(嫌いだ。非術師は唾棄すべき猿だ。嫌いだ……!!)

 

 

 夏油の握られた手が真っ白になる。ギリ、と噛んだ唇からは血が流れた。かつて自分たちのような存在は、弱者たる非術師を守るためにあると思っていた。それが夏油が掲げた呪術師としての大義で、在り方であった。

 

 しかしもう嘘はつけない。彼は非術師の猿どもが嫌いだ。このような人間たちを助ける意味などない。

 

 殺そうと決め、夏油は呪霊を出した。村人全員を抹殺する。しかし次の行動に移せない。それはなぜだろうか?

 

 

『────もった力でぜんぶどうにかしようとするのは、()()()

 

 

 ズルい、か。ズルい? 然るべき報いを与えるだけなのに、何がズルいのだろうか?

 夏油は考える。一瞬の中で頭を回す。

 

 夏油は生まれながらに力を持っていた。今。それを有効に使おうとしている。

 

 力を持つ者の大義を考えてもみた。だが色々と考えても、どれも引っかからない。夏油はいったい何に引っかかってしまったのか。

 

 

「……あぁ、そうか」

 

 

 今、自分が力を使って少女二人を救おうとしていることを、夏油は「ズルい」と思ってしまったのだ。

 

 そう思えた時点で、彼はブレーキをかけることができていた。

 

 

 

 任務後、夏油傑は補助監督に無理を承知で少女二人を預かり、高専に戻った。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 最近夏油と会うことができず、影男は落ち込んでいた。一方で友達はできていないが、幼稚園に通うことができるようになった。これも両親や歳上のお兄さんのおかげだろう。

 

 すっかり寒くなってきた時期に、久しぶりに母親と例の公園を訪れた影男は、マフラーを首に巻いてベンチにぼんやりと座っていた夏油に出会った。

 

 服はジャージではなく、制服を着ている。長い足を開いてポケットに手を突っ込んでいるその座り方は、なんともガラが悪い。

 

 ただ不良の姿も影男を見るなり好青年に変わり、「久しぶりだね」と片手を上げる。白い息の先で顔が赤くなっている。一瞬くらっとした母親を置き去りにし、影男は一目散に夏油の元へ向かった。そう言えば、いつも頭上で縛っている髪を夏油は下ろしている。

 

 

「おっ、身長が伸びたんじゃないかい?」

 

「いつか夏油さんより大きくなりたいから、たくさん牛乳をのんでるんだ」

 

「伸びるといいね、そこまで」

 

 フラフラの母親は、そのまま夏油の分も含め温かい飲み物を買ってくると言い、自販機の方へ行った。自販機は前と場所が変わり、かなり遠い位置にある。

 

「最近会えなかったけど、どうしたの?」

 

「うーん………。色々と、悩むことややることが多くてね。来られなかったんだ」

 

「大人はたいへんなんだね」

 

「私に会えなくて寂しかったかい?」

 

「…別に」

 

「影男くんって、結構素直じゃないよねぇ」

 

 ぶらぶらと揺れる小さな足を、夏油は微笑ましそうに見た。

 

「実は学校を辞めて旅に出ようと思ってね。自分探しの旅ってやつだ」

 

「呪術師にならないの?」

 

「旅に出て、いろんなものを見て、考えて。それでもなりたいと思ったら、呪術師になるよ。だが、今の私には呪術師であるための理由がなくてね……。どうなるかは、正直今はわからない」

 

「……また当分会えなくなっちゃうんだね」

 

「いつかは会えるよ。君が中学生になる前には、きっとさ」

 

「本当に?」

 

「あぁ、約束しよう」

 

 影男は、もしかしたら自分に会うためにこうして夏油が公園で待っていたのではないかと思った。差し出された大きな手に、自分の小さな手を絡める。

 

 指切りげんまん。嘘ついたら針千本のーます────、指切った! 

 

 影男は物騒な歌を明るい口調で歌い、夏油と別れた。かれが元気いっぱいに手を振ると、それに少しの寂しさを覚えながら夏油も手を振り返した。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 影男が小学生になる前に、両親が亡くなった。事故死だった。

 

 身寄りのなくなった影男を引き取ろうとしたのは、「禪院」を名乗る家。どうやら影男は禪院家の分家血筋に当たる子供らしい。

 

 影男に会った人物は、なぜか彼が幼稚園の年中の時に起こした事件を知っていた。「術式はなんだ」とか聞かれが、影男は自分の術式については知らなかった。夏油のような呪霊を操ったりと、そういう力が「術式」なのだとは知っている。

 

「フム…まだ君は6歳だったね?」

 

「………はい」

 

「ならばまだ、目覚めていないのかもしれないな」

 

 相伝の可能性とか、呪力量の調査とか、身体の検査とか。次から次へと話が流れてくる。だが全く理解が追いつかない。まだ影男は、両親の死から立ち直れてすらいないのに。

 

 ランドセルを買ってもらい、つい先日まで喜んでいたのだ。背負ってくるくると回る様子を両親もまた、影男と同じくらいに喜んでいた。そのランドセルはしかし、捨てられてしまった。

 

 影男に残ったものは、何もなかった。

 

 

 

 

 

 影男には異常なまでの呪力量と、それをコントロールする力があった。それこそその点を挙げれば五条悟すら上回る才が。

 

 しかし彼は術式を持たなかった。これには禪院家も落胆した。幼稚園で起きた事件を知り、それから調べ、その子供が分家の血筋だと知り期待したはいいが、その期待はかけた分だけ無駄だった。

 

 どれほど他の才能があろうとも、術式を持たなければ落伍者の印を押される。天与呪縛を持って生まれた禪院甚爾がその最たる例である。誰も敵わぬフィジカルの才能を持って生まれたものの、呪力のなかった彼は、禪院家で最底辺の扱いを受けていた。

 

 

 影男は雑用ばかり任されるようになった。大人には打たれ、歳上の少年たちからいじめられることもしょっちゅうで、生傷が絶えない。

 

 影男は力があっても、それを他人を傷つけることには使わなかった。そんな影男を見て下手に優越感を刺激された連中は、こぞって彼をストレスの捌け口にした。

 

 また呪力でとっさにガードし、その硬さで相手の足が折れてしまったこともあった。そのため守る手段も使えなかった。

 

 

 

 “なおす”のはできるが、治るのは人並み。時折自分と似た境遇の少女たちの怪我を治すこともあった。最初は彼女たちとの距離は遠かった。何せ影男はいきなり連れて来られたよそ者だったからだ。

 

 しかし影男が少女たちのケガを治したのを機に、彼らの距離は近づいた。しかし姉の方からは「その力は絶対に他人に使うな、私たちにも」と言われたため、渋々受け入れている。

 

 こっそりと盗んだおやつを食べたり(影男は断った)、掃除をサボったり(影男は断った)、遊んだり。陽キャの少女二人と陰キャな影男では、まぁ性格が違かった。

 

 

「お前も運がないな、モブ。こんなクソみてぇな場所に連れて来られちまって」

 

「そ……そのモブって何?」

 

「だってあなた、暗いじゃない。名前も「影」の「男」だし。モブっぽいから、「モブ」よ」

 

 少女二人に挟まれ、影男はどんどん小さくなる。彼はしかしリバーシではないため、陽キャに挟まれても陽キャにはなれない。むしろ一層陰キャに磨きがかかった。

 

「お前には力があんだから、こんな連中のために使うんじゃなくて、もっと別のことに使えよ」

 

「真希さん…」

 

「あら、真希に惚れちゃったのぉ、モブくん?」

 

「いえ、全然」

 

「殴るぞテメェ」

 

 影男のタイプはやはりアカネちゃんである。清楚で、可愛くて、誰にでも優しい女の子。真希は溌剌な体育系という感じで違うし、真依も男の子をからかってくるタイプなので違う。可愛いとは思うが、それがイコールで好きにはならない。

 

 つまんないやつ、という顔をした真依を見た真希は、ため息をついた。

 

 

 そしてある日、モブは通りかかった襖の隙間からとある話を聞いてしまう。

 

 夜、トイレが近くなり音を立てないよう、静かに廊下を歩いていた時だった。

 

 

 

「渡すのを渋ったためあの二人を殺したが………名前に「影」こそあれ、相伝どころか術式も持たないガキをもらってしまったとは…」

 

 

 

 影男の意識が、真っ黒に染まった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 茂山影男──改め、禪院影男という少年を、禪院真依と真希は嫌ってこそいないが、近づこうとも思わなかった。

 

 分家家系の子供だということで、影男は本家に連れて来られた。禪院家は呪力暴走で起きた事件を知り、強い力があると期待していたようだ。すなわち相伝の術式を持っているかもしれないと。

 彼らとしては十種影法術を望んでいたのかもしれない。安易な考えだが、名前も「()男」だ。

 

 どの道可哀想だと二人は思った。このような場所に連れて来られたところで、明るい未来はない。仮に相伝の術式が覚醒しても、家に使い潰されるだろう。

 

 

 話はしかし、さらに悪い方向に転んだ。なんと影男には相伝どころか術式すらなかったのだ。少年の立場は一気に双子の姉妹と同等にまで転がり落ちた。

 

 それでも真依は「関係ない」と思った。自分たちのことで手いっぱいだったからだ。

 一方で真希は影男のことを気にするようになった。

 

「あんなやつのこと放っておこうよ!」と真依が言う。手を引っ張り、見ないフリをしようとする。

 真希はしかし、まっすぐな目で「放っておけない」と言った。

 仕方なく真依は姉と協力し、腹を殴られ気絶していた影男を運び、手当をした。

 

 影男はそのことを後で「誰か優しい人が治療してくれたみたいなんだ」と頬をかいて言っていた。ほれ見ろ、真依たちがやったことはただの偽善だった。

 ただ、真希が「そーかよ」とぶっきらぼうに言った姿を見た真依は、悪くない気持ちになった。

 

 

 それに影男が二人を助けてくれたこともあった。

 偉い連中の、鼻を高くしてる年上のガキどもが真依と真希を痛ぶって笑っている時、影男が間に入ったのだ。

 彼の足は、生まれたての子鹿の方にプルプルと震えていた。結局影男はそいつらにボコボコにされた。

 

 傷は痛かったが、真依も真希も嬉しかった。自分より小さな背中のヒーローは、どんなヒーローよりもかっこよかった。影男へ向ける真依の気持ちを、真希は知っているだろう。だってお姉ちゃんだ。

 

 小さなヒーローは二人の傷も治した。純粋な呪力コントロールだけでスチールの空き缶を宙に浮かせ、しかも一円玉より小さくできるくせに、反転術式まで使えるとかバグってないか? 呪力コントロールのヒントを得たかった真依は知見を影男に求めたが、「ひゅーひょい」な完全な感覚派だったので役に立たなかった。

 

 

「いいか、反転術式が使えると知れたら、お前は絶対に禪院家に利用されるだけ利用される! 骨までしゃぶりつくされて、棺桶には何も残らないからな!!」

 

「絶対に使うんじゃないわよ!! 聞いてる!?」

 

「はんてんじゅつしきって何?」

 

「「そこからか!!」」

 

 影男は途中まで()()()をしていたが、座学は嫌いだったのでほとんど聞いていなかった。御三家の知識も「禪院家と、なんとか家と、なんとか家……」くらいにしか覚えていない。

 

 

 

 

 

 ともあれかくもあれ、同年代三人はこうして仲を深めていった。

 

 影男は強いくせに、その力が人を害することを恐れて使わない。けれど誰かを守ろうと立ち上がる勇敢さと優しさを持っている。

 臆病なヒーローを真希も、それとは少し違う感情で真依も好きだった。

 

 

 だからこそ、その力を傷つけることに使っている影男の姿を見た時、二人は息を飲んだ。

 

 理由はわからない。なぜ影男が暴走してしまったのか。夜に騒ぎが起きていることに気づき、気になった二人は渦中へ向かった。廊下を歩いていた二人は驚愕で固まる。廊下が続いているはずの場所は途中で無くなり、地面が丸見えになっていた。禪院家の建物が大きく破損している。顔に風が当たって、二人の短くも長くもない髪が揺れた。

 

「何が…起こってるの?」

 

「……わかんねぇ。とりあえず私の後ろにいろよ、真依」

 

 現場は騒然としていた。宙に浮かぶ黒い球体と、その中にいる影男の姿。おどおどした気弱そうな普段の姿はそこになく、髪は逆立ち、荒れ狂う呪力に合わせて乱雑に揺れる。瞳に正気はなく、激しい感情が見て取れた。球体の中にはもう一人男がいて、影男に首を掴まれたまま口の端に泡をつけている。

 

 

「よくも、よくも父さんと母さんを殺したな!!!」

 

 

 吹き飛ばされた男は壁にめり込み血を吐く。許さない、許さないとうわ言のように影男は呟く。

 

 現場に駆けつけた禪院家の者は、早急に事の対処を行った。中には一級術師もいる中で、複数人を相手に影男は一歩も譲らない。それどころか禪院の者はその球体の壁すら壊すことができない。

 

 ある者は放出された呪力によって地面にめり込み、またある者は吹き飛ばされて池に派手に落ちる。惨たらしい状況ができあがっていく。

 

 この場に駆けつけた真依と真希の親でもある禪院扇もまた、抜刀して斬りかかる。超高速の剣技はしかし、影男の手の動作ひとつで刀が折られる。全身を呪力の手で掴まれた扇は、身体中に広がる骨の軋みに血を吐いた。

 

 

「このような蛮こ……ぐっ、決して許されぬぞッ!!!」

 

「黙れ。父さんと母さんを殺したこと、僕は絶対に許さない。お前たちを全員、殺────」

 

 

 そこでコツ、と黒い壁に石が当たった。コツコツと、それは何度も続く。

 

 視線をそちらに移した影男の目が、正気を取り戻す。赤い目がとらえたのは泣きながら石を投げる真依の姿だった。

 

 そうだ、と影男は思い出す。このポニーテールの男は確か、二人の父親だった。真依と真希は「クソ」呼ばわりしていたが、それでも彼女たちにとっては父親のはずで……。

 

「あっ……」

 

 影男の頭が真っ白になる。あたりをよく見れば、無数の人間がケガをしており、まるであの時、幼稚園で見たような視線で自分を見ている。途端に胃酸が込み上げた。

 なんてことをしてしまったんだろう。自分の力で人を傷つけないと誓ったのに、影男は。

 

 

「ぼくは、人をころそうとしたの……?」

 

 

 ボロボロと涙がこぼれる。ゆっくりと地面に落ちた影男は、その場に膝から崩れ落ちた。全員が呆然としている中、駆け足が近づく。小さな手が影男の頬を打つ。涙をいっぱいに流して、真依は叫んだ。

 

 

「こんな奴ら、殺す価値なんてないんだから!! だからあんたが手を汚す必要なんてないのよッッ!!!」

 

 

 泣いて泣いて、後ろから駆けてきた真希に背中をさすれらながら真依は号泣した。冷静になった影男はその言葉の意味を少しずつ理解し、白い顔をさらに白くする。下を向いた彼は、「ごめん……」と小さく謝った。

 

 起こったこの事態は、現れた当主によって一旦保留とされることになる。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 此度の茂山夫婦殺害の一件は、禪院家の一部によるものの犯行であることが内部の調査でわかった。

 

 事は相伝持ちの禪院甚爾が息子、伏黒恵の禪院家入りを五条悟が介入したことによって防がれたことを受け、気を急いた連中が偶然幼稚園で呪力暴走を起こした茂山影男の存在を知ったところから始まる。彼らは夫妻に息子を売るように迫っていたが断られ続け、とうとう事故死に見せかけた殺害に至った。

 

 

 この件を当主である禪院直毘人は影男の非をお咎めなしとし、事件に関わった者たちに厳重な処罰を下すと約束した上で、直々に謝罪した。

 

 直毘人が頭を下げたのは、この少年が一人で禪院家を滅ぼせると先の一件で理解したからである。当主である自分でも勝ち目はない。あるいはあの最強に手が届くやもしれんと思った。

 

 似た存在で禪院甚爾がいた。しかしアレは首輪のついたライオンだった。一方この子供は首輪がついていない。その気になればその敵意をもってして、あっという間に皆の首を畳の上に並べることができるだろう。

 

 当主の謝罪を影男は青い顔で受け入れた。暴れ倒したのが嘘のように震えている。

 

 

「お前が何か望むのであれば、それも聞き入れる所存だ」

 

「………それなら」

 

 

 影男は自分が禪院家と縁を切ること。また禪院家が今後一切自身の生活に関わらないよう願い出た。

 

 ただ少し考え、もう一つ条件を出す。

 

「真希さんと真依さんのことも、自由にしてあげて欲しいです」

 

「ホォ……もしや惚れているのか?」

 

「いえ、二人は可愛いですけど、僕のタイプではないというか……。あっ、そうじゃなくて、二人の今後の立場を考えて…と言うか」

 

 真依は激情に任せて禪院家の者を「こんな奴ら殺す価値もない」と発言してしまっている。ただでさえ禪院家で肩身の狭い彼女たちは、今まで以上に冷遇されるのは想像にたやすい。

 

 それにここにいても、二人が幸せになれないことは影男にもわかった。親と子の在り方はそれこそ家族の数だけ違うだろう。影男はしかし真依と真希が「クズ」呼ばわりする父親がどれだけクズなのか、その現実味を持っていなかった。

 

 

「子供を殴って、そして「出来損ない」と罵ったあの人が、僕は二人の父親だとは思わない。仮に親だとしても、それは血でしか意味をなさないものだ」

 

「ッフ、そうか」

 

 

 落伍者二人が消えたところで、禪院家としては何も問題ない。むしろいざという時のこの少年の弱みとなりうる。

 直毘人は計算しながら影男に“縛り”を設けることを提案した。お互いに今後の介入をしないというルールで。彼はしかし見誤っている。影男が力があるだけの小僧だと。

 

「ほかの人を使って、僕らを傷つけることができないようにもしてください」

 

「信用ならないか、そこまで?」

 

「はい」

 

 空気がピリつく。無表情になった影男に、直毘人は重苦しい圧を感じた。何ともまぁ「禪院家に非ずんば呪術師に非ず…」と謳っておきながら、ホイホイと毛色の違う怪物を生み出しているものである。禪院甚爾や、この少年然り。

 

 

「此度の件、改めて申し訳なかった」

 

 

 最後にもう一度、直毘人は当主として頭を下げた。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

「お前が勝手に私らの未来をテメーが決めてんじゃねぇよ!」

 

 

 現在、モブは双子姉妹の部屋で正座させられていた。真希も善意から影男が二人を禪院家から離そうとしていることはわかった。「ったくコイツは…」と皮肉な口を聞きながらも、内心は嬉しかった。しかしその決断は真希が望むものとは違う。

 

「私はな、影男。いつか散々私を見下してきた禪院家の連中を見返して、当主の座を奪ってやりたいんだ」

 

「………ごめん」

 

「…さっきから謝ってばっかだな。別に叱ってるわけじゃねぇんだよ。先にそういう話は相談しとけ、って言ってんだよ」

 

「真希、モブくんだって悪気があったわけじゃないんだから、それくらいにしときなよ」

 

「……ごめんね、真依さん、真希さん」

 

 影男は自分が人を傷つけてしまった件を含め、また自責のスパイラルに陥る。真依と真希は顔を見合わせ、影男の背を思いきり叩いた。天与呪縛でフィジカルが高い分、真希の張り手は威力がある。思わず影男は「い゛っ!?」と叫び、涙目になった。

 

「完全には禪院家と縁は切らねーけど、この家からは出てくつもりだよ、モブ」

 

「そう、私と真希でね。保護者の責任うんぬんは禪院家に任せて、二人暮らしするつもりよ!」

 

「そ、そうですか…」

 

「せっかくお前がくれた自由のチャンスだしな。最大限に使わせて(利用させて)もらうさ」

 

「………と、ところで、モブくんはどうやって暮らすつもりなの?」

 

「僕? ……特に決めてないよ」

 

「「え?」」

 

 影男は禪院家と縁を切るから、名前は元の茂山影男に戻ることになる。しかし彼は頼れる親戚のツテがなかった。よくお正月やお盆に両親の実家に帰省して、というイベントを経験したことが一度もない。

 

「施設とかに入ることになるのかな?」と、影男は今になって考え始めた。そして「あれ、どうしよう………」と漠然とした不安に襲われる。普通だったら影男はすでに小学校に通っている年齢だ。

 

「お前は……ったく。じゃあ私たちと暮らすか?」

 

「えっ?」

 

「い、いい考えね、真希!! モ……モブくんがどうしてもって言うなら、一緒に暮らしてあげてもいいわよ?」

 

「でも……女の子と一緒に暮らすのは…」

 

 気恥ずかしい、というか。影男は口をもごもごとさせて下を向いてしまう。完全にその絵はギャルに絡まれてどもる陰キャオタクの図だった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 一時期だけ真依と真希とともに暮らしていた影男は、事を知りすっ飛んできた夏油に会うことになった。まだ旅の途中だったというのにマッハで日本に戻って来たらしい。

 

 両親の死の真相を知ってから溜め込んでいた影男の心は、夏油に力いっぱい抱きしめられたことで爆発した。感情を抑え込まないとまた暴走し、夏油をケガさせてしまうかもしれない。

 

 震えて涙を堪えようとする影男に、夏油は頭を撫でながら言った。

 

 

「大丈夫、君は私を傷つけないよ。君が誰よりも優しいことを、私は知っているさ」

 

「────っ!!」

 

 

 あああっ、と叫ぶように影男は泣いた。

 彼を中心に荒れ狂う呪力は部屋の中のものを次々と壊したものの、夏油や、二人の様子を見守っていた真依と真希を傷つけることはなかった。

 

 夏油の優しさが、暗闇の中でうずくまっていた影男の腕を引っ張り、明るい方へと導く。そこは目も眩むようなまばゆい太陽が差している。温かいそこには双子の姉妹に、変な前髪の男もいる。

 

 泣いて泣いて、泣き疲れるまで泣いて。すっかり眠ってしまった影男の頭を撫で、夏油は決意を固める。

 

 自分が、この少年を引き取ろうと。

 

 

 

 夏油は中退したが、高専のコネを使って高卒の資格は取っている。辞める時も五条と揉めに揉めて、無理を押し通した経緯がある。あの時親友は捨てられた子犬のような顔をしていた。

 

 自分が呪術師として在るべき大義はまだ見つかっていない。非術師を救うことに意味があるのか。術師の命を犠牲にして成り立つ非術師たちの平和とは何なのか、夏油は悩み続けている。

 それでも己の力を使い、自分の理想を無理やり作り上げていくことはしまいと決めた。

 

 

「真依ちゃんと…真希ちゃんだったね。影男くんのことはどうして「モブ」と呼んでるんだい?」

 

 

 すっかり寝入った影男をソファーに寝かせ、その横で夏油は姉妹に尋ねる。天内理子を殺した禪院甚爾と同じフィジカルギフテッドを持つ真希をとらえる夏油の目は、笑顔に反して冷たい。あの男の面影が目の前の少女にはあった。

 

 特級術師の力量を持つ男に睨まれた真希は、冷や汗を流して固まってしまう。

 

「お茶、どうぞ」

 

 すると横から入った手が、少々乱雑に湯呑みを置いた。盆を持つ真依は負けじと笑顔を返し、影男と夏油との関係性を尋ねる。

 

 そう。まだ彼らはお互いのことを知らなかった。それもこれも、唐突に影男の居場所を知った夏油が家を訪ねて来たからである。

 

 

 

 それから話してみると、お互いすぐに打ち解けた。影男に“助けられた”という繋がりが、両者の垣根を低くしたのだ。

 

 夏油が影男を預かる件に真依は渋っていたが、そちらの方がいいだろうと最後は納得した。

 問題は影男の意思だが、彼は起きてから夏油の提案を聞くと目を丸くして、嬉しそうに笑った。

 

 

「よろしくお願いします、夏油さん!」

 

「……あぁ、よろしく、モブくん」

 

 

 かくして、二人の共同生活が始まる。

 

 

 

 

 

 やがて影男と暮らすうちに「自分が助けたいと思った者を救う呪術師になろう」と決めた夏油は、フリーの呪術師を始めることになる。

 

 高専に属さないのは、連中と肌が合わないとこれまでの経験で十分に理解したからだ。ただ完全に向こうと繋がりを切っているわけではなく、状況に応じて大金をもらう代わりに高専の依頼を受けることもある。猫の手も借りたい高専側は、特級のご相伴に預かりたいのだ。

 

 事務所を構えて、スーツは影男曰く「(女の人に)集られますよ」ということで、坊主の袈裟を着ての仕事。拭いきれない胡散臭い笑顔で夏油が出迎える。そこにお手伝いの影男も加わり、本当に救いが必要な人のための依頼が引き受けられる。面倒な客(夏油が嫌いなタイプ)には「ソルトスプラッシュ!!」を食らわせることもままある。

 

 

 事務所の名は『霊とか相談所』。

 

 

 そこで今日も、ソルトスプラッシュが舞っているかもしれない。

 

 


 

 ・ドブカス兄やん

 影男を蹴ったら足が折れて近づかなくなった。そんで後日真希をいじめに行った時、例の奴がスチール缶を「バキベキボキバキィィ」ってダンゴムシサイズにしていたのを目撃し、さらに近づかなくなった。アレ絶対に人間とちゃうやろ。

 

 ・ミミナナ

 夏油について行きたかったし、夏油も連れて行きたかったけど、最悪ニュースで夏油の名前が出る可能性があったため、旅の同伴は断念。紆余曲折を経て夜蛾の養子に。最初はビビっていたけどすっかり懐いた。パンダをもふもふするのが好き。あとお父さんの圧倒的父力がすごい。パンダに影響を受けて「まさみち!」って言うようになるけど、たまに「パパ!」と言ってしまう。ニコニコが止まらない周囲。

 

 ・影男(モブ)

 容姿はモブそのままな感じ。ただし覚醒したり前髪を上げると急に甚爾方面の美少年に変わる。はじめてこれを見た真依は「!!?」となった。身長は真依と真希の方が高い。将来は夏油どころかこの二人を抜かせるかもわからん。

 

 ・真依と真希

 ケンカをするという理由で高校は別に通う。モブが京都校に行く話が出たから真依が京都校で、真希が東京校に行くことになる(かも)。

 真依が言葉で「好き」って言わない限りは、その思いがモブに伝わることはない。妹の恋路を応援する真希お姉ちゃん。

 

 ・夏油

 一番救われたかもしれない人。嫌いな奴には悪人間退散(ソルトスプラッシュ)。非術師のことは未だ「猿ども」と思ってるし、好きになったわけでもない。ただ非術師でも術師でも等しく良い奴や悪い奴がいるし、また等しく救わなければならない人間がいるという事を学んだ。中学生デビュウを目論んで前髪を上げたモブの顔が、あんまりに忌々しき男の遺伝子を感じさせたので止めた。頼む、そのままのモブでいてくれ。顔目当てで来る客に最近困ってる。モブが高専に通うようになったら先生になるかもしれない。

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