茂山影男   作:ピンチャンよ永遠なれ………

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14話

 両親の死や、養い子の植物状態。精神的な疲労は溜まり続け、それを他人に話さず抱え込んでしまったのが、さらなる悪手となった。

 

 症状も重く、家事などさせている場合ではない。ゆっくりと休ませることが重要だった。

 

「僕に任せろ」と言ったのは五条で、親友の力になるべく行動に移そうとした。しかし「頑張って治していこーぜ!」と、気晴らしに外へ連れて行こうとするこの男はそうであった。デリカシーがなかった。

 

 生活は大きく変えず、信頼できるスジから家政婦を雇うことになった。大柄でがっしりとした体格の人物で、寡黙にテキパキと家事をこなす。悪人ではないが、影男はなぜ男が女の格好をしているのか疑問だった。宿題のわからないところも尋ねれば、分かりやすく教えてくれる。しかしやはり服装が気になる。一度女装の件を聞いた時は恐ろしい目で見られたので、それからこの話はしなくなった。

 

 

 影男は心の病気について、あまり理解していない。

 

 治すには何が大切かは聞いた。本人のペースを大切にして、見守ることだという。相談があれば影男でもいいし、他の人間が話に乗る。夏油にとって頼れるのは夜蛾や五条だった。時折電話で話しているのを聞く。

 

 五条は家入に「お前は親友を殺す気か?」と言われたのが相当に効いたようで、言葉を覚えたばかりのロボットのように慎重に会話している。

 

 

 時間は過ぎて夏休みになり、8月になった。夏油の症状は多少改善し、ぼんやりする時間は減った。食欲はまだ完全には戻っておらず、隈も消えていない。夕陽に沈む空を眺めている時は、影男も隣に座ってカラスの歌声を聞いた。小さな黒い影が、遠くの赤くて丸い星に向かって飛んでいく。

 

「……公園に、行きたい」

 

 ポツリと呟かれた言葉に、影男は「じゃあ、行きましょう」と頷いた。

 

 

 

 最寄りの公園はマンションから歩いて15分ほどの場所にある。開けた周りには木々が生い茂っている。空を見上げると、高い建物がニョロニョロのようにたくさんいる。

 

 エアコンの効いていた部屋から出ると、たちまち汗が吹き出す炎天下の余韻がジリジリと肌を焼く。影男はしっかり腕時計とピン留めを付けてきた。時折腕を大ぶりに動かして、時間を確認する。

 

「あっ、あそこに自販機がありますね。何か飲みたいものはありますか?」

 

「……影男くんのおまかせでいいよ」

 

「わかりました。そこのベンチで待っててください」

 

 影男は炭酸を買って、夏油には少し悩んで新発売だというオレンジを買った。ガコンガコンと音が鳴る。二つを手に持ち、小走りで走った。

 

 夏油に飲み物を渡し、影男はベンチに座る。深く腰かけると足が付かないため、浅く座ってつま先を少し伸ばした。最近身長が真依や真希と差が開くばかりだ。牛乳は毎日飲んでいるというのになかなか伸びない。

 

「うわっ」

 

 プシュッとプルタブを開けた瞬間、傍若無人な振る舞いによって反乱を起こそうと画策していた者たちが、一気に缶の中から溢れてきた。こぼれるそれを影男は呪力で戻し、すぐさま口を付ける。何度か飲むとようやく反乱が終わった。

 

 

「…昔ね」

 

「え?」

 

「夏の公園に来たんだ」

 

 なぜ来たのかはイマイチ覚えていない。当時の夏油は片手で数えられる年齢だった。泣いていたので、まぁ何かはあったのだろう。

 

 母親と手を繋いで、赤い世界の中を歩いた。アスファルトも壁も、電信柱や家も、何もかもが夕陽に照らされて、異世界の如き色をしていた。

 

 泣いている夏油をブランコに乗せ、母親は背を押した。最初は低かった景色もだんだんと高くなり、鎖を握る手に力がこもる。後ろから「何が見える?」と声が聞こえた。

 

 遠くに浮かんでいたのは沈みかけの夕日。雲に隠れようとしても、その姿は全く隠れられていなかった。

 

「マンションからは見えたけど、ここからは流石に見えないね」

 

「……なら、見に行ってみましょうよ」

 

「え?」

 

「一番の特等席で」

 

 影男に手を引かれるまま、夏油は公園を出た。着いたのは自宅のマンションで、エレベーターで最上階に降りてから階段に移って屋上の扉にたどり着く。影男は手をかざし、施錠されていた鍵を外して外に出た。風が勢いよく吹いている。

 

 影男を中心に柔らかな風が起こった。黒い瞳は赤く染まり、髪が緩やかに逆立つ。手を差し出された夏油は一瞬ためらい、手を伸ばした。

 

「飛びます!」

 

「────えっ!?」

 

 二人を影男の呪力がシャボン玉のように包む。宙から足が離れた夏油は思わず空いた手で影男の肩をつかむ。感覚で例えるなら、無重力状態が近いのかもしれない。力を入れようとすると、別の方向へ体が動いてしまう。

 

 高度はみるみるうちに上昇していった。足場のない高所の恐怖も、地平線に溶けていく夕陽を見るとどこかへ消えていく。

 

「真っ赤ですね、夏油さん」

 

「…あぁ、そうだね」

 

「卵の黄身くらいまんまるですね」

 

「影男くんは結構、物事を食べ物で考えてるよね」

 

 ゆっくりと降りていった二人は元の場所にたどり着く。エレベーターの浮遊感が地面に足がついた瞬間に起きる。「どうでした?」と尋ねる影男に、夏油は「驚いたよ」と答えた。

 

 まだ心臓がバクバクとしている夏油は、プルタブを開け少し温くなったオレンジジュースに口をつけた。中に粒々とした果肉が入っている。

 

「にしても…屋上の鍵を外すなんて、影男くんもかなりのワルになったね」

 

「中学時代の夏油さんよりは……」

 

「何か言ったかい?」

 

「いえ、ナニモ」

 

 ははっ、と笑った夏油に影男も笑った。久しぶりに二人でこうして笑った気がする。

 そこでふと夏油は、夏休みだというのにまだどこにも行っていなかったことを思い出した。

 

「モブくんはどこか行きたい場所はあるかい?」

 

「夏油さんと行くならどこでもいいですよ。どこでもきっと、楽しい思い出ができますから」

 

「……そ、っか」

 

 夏油の中で、色々なものが込み上げた。

 母親との記憶や、茂山少年の成長。親友とバカをやった思い出や、それから……。

 

 脳みそが熱くなった。外の暑さも加わってショートを起こす。辛い思い出もあったが、楽しい思い出もたくさんある。一つ一つが今の夏油傑を構成するなくてはならないパーツだ。

 

 

「いつも僕のわがままを聞いてもらってばかりだから、夏油さんも遠慮しなくていいんですよ。家族なんだから、僕は僕のままでいていい──って言ったのは、あなただ」

 

「……そうだったね」

 

「大人だから我慢することは必要かもしれないけど、ずっと我慢している必要はないですよ」

 

「…………じゃあ、湘南に行きたい」

 

「海ですか?」

 

「バカみたいに悟や影男くんたちと泳いで、夏を楽しみたい」

 

 次々とやりたいことが出てくる。予想以上に願望が出てきた夏油は驚き、それを聞いた影男も驚いた。量からして到底ひと夏では終わりそうにない。

 

「ハハッ……とりあえず、最初は海に行こう。君からもらった柄シャツの出番がまだなかったからね」

 

「真希ちゃんや真依ちゃんも誘っていいですか?」

 

「もちろんだよ」

 

 影男が真依たちのセンス力を借りて選んだシャツは、猫がフレーメン反応を起こしそうな珍妙なものではない。数か月遅れの誕生日プレゼントだった。

 

 

 後日、湘南にサングラスをかけた柄の悪い集団が砂浜を練り歩くことになるが、それはまた別の話。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 秋が来て、冬が来た。

 あともう少し経てば夏油夫妻の一周忌になる。

 

 夏油の症状はまだ波があるが、ほとんど以前のように戻った。影男は今でもあの日の夫婦の様子を思い出してはうなされ、夜中に飛び起きることもある。完全に元通りに戻ったわけではないし、直るわけでもない。それでも二人三脚で歩いてきた。

 

 今年の冬はこたつを買い、影男はすっかりだらしなくなっている。完全に潜っていることもあり、油断して足を突っ込むと中にいたこたつ小僧を蹴ってしまうこともある。こたつ潜りは子供の特権だ。

 

 夕飯が終わった後、二人はこたつに潜った。足を惜しげもなく伸ばす影男に対し、夏油は膝を曲げている。

 

「早いものだね。君も後もう少しで2分の1成人式を迎えるのか」

 

「2分の1成人式?」

 

「20歳の半分は10歳。私の時は確か、将来の自分に対して作文を読んだかな」

 

「どんなこと書いたんですか?」

 

「覚えてないよ。流石に昔のことすぎて」

 

 影男は将来の自分について思いを巡らせる。将来の茂山影男は何をしているだろうか? 真希や真依のように明確なやりたいこともない。

 

 真希は言わずもがな禪院家の当主になることで、真依は華のJKになり、それなりの大学に行ってそれなりの企業に就職することだそうだ。まだ明確ではないが、デザイン系に興味があるらしい。

 

 一方で影男はサッカー選手とか、野球選手とか。これといったなりたいものはない。

 ただ、やりたい事はおぼろげだがある。彼は自分の力を他人のために活かしたいと思っている。

 

 

「そう言えば…影男くん、前に自分のやりたいものが決まったら、教えるって話をしただろう?」

 

「え? あぁ…しましたね」

 

「まだ確定ではないんだが、来年からボチボチフリーの呪術師として活動しようと思っていてね。大学の方も単位が少なくなるから」

 

「フリーの呪術師ですか?」

 

 呪術師は基本的に五条や家入のように高専に所属している。ただ、中には高専や個人から依頼を直接受けているフリーの呪術師もいる。その例が冥冥である。

 

 夏油は高専に所属する気はない。きな臭すぎるからだ。しかし完全に関係を断つよりは、最低限の繋がりを維持した方が自分の立場や向こうの利益にとってもいいだろうと考えた。

 

「事務所も構えるつもりだ。規模は小さくするけどね」

 

「大きくしないんですか?」

 

「あくまで個人経営にするからだよ。規模が大きくては単純に仕事量が増える」

 

 夏油は誰でもかれでも救う気はないし、救ってやる気もない。彼が助けたいのは当時のミミナナや影男のような、本当に助けが必要な人間だけだ。

 

「………」

 

「難しい顔をするね。モブくんはきっと、困っている人がいるなら全員助けようとするだろう。驚くことにそんなことができる奴もこの世にはいる。でも、私にはできないんだ。自分が大切に思うものを守るだけで手いっぱいなのさ。……見損なったかい?」

 

「…いえ、ただ、やっぱり納得するのは難しいなって」

 

「それでもいい。人の考えは千差万別だから」

 

 救えない命が目の前にあった時、影男は絶望した。それでも、その苦しみを味わっても、彼は目の前に苦しむ人がいたら、たとえその人間がどんな人物であれ救いたいと思うだろう。

 

(救う……か)

 

 影男は自分の手を見て、強く握りしめる。この小さな手でできること。

 

「………夏油さん。呪霊退治があったら、僕も一緒に行ってもいいですか?」

 

「…なぜだい?」

 

「経験を積みたいんです。僕自身、自分の力を100パーセント操れるわけじゃないから。それと、夏油さんの手伝いがしたい」

 

「でも危ないからなぁ…」

 

「お願いします」

 

「……まぁ、考えてみるよ。…影男くんは将来呪術師を目指す気なのかい?」

 

「まだ…よくはわかりませんけど、僕の“この力を誰かのために役立てたい”って気持ちは、呪術師になることが一番近いんだと思います」

 

「………そうか」

 

 大きく息を吐いた夏油は頭をかいた。その可能性が一番高いと思っていたが、やはり影男は将来呪術師になるのだろう。なんだか自分と同じ道を突っ走っている気がして、夏油は気が気でならない。

 

「それならまず、あとで私の呪霊でどの程度まで祓えるか試してみようか。それから体術も仕込んでいこう」

 

「タイジュツ……」

 

「モブくんは呪力を纏って自分の運動能力を上げることができるけど、あれは酔うから短時間しか使えないんだろう?」

 

「………」

 

「やはり肝心なのは基礎だよ」

 

「ウウン…」

 

 課題は多そうだ。影男はコダックになった後、そのままこたつの中に消えて行った。

 

 


 

 ・某所にある家政婦紹介所

 表の顔は家政婦紹介所。裏では呪術師専門の家政婦も請け負っている。契約時に、万が一家の秘密を知っても他言しないよう家政婦は縛りを結ぶ。男性も所属する中でなぜか一人だけ女装をしている人物がいる。呪詛師を家事道具で倒したという噂まである。彼────いや、『彼女』はいったい何者なのか。謎多き“家政夫”は影男と夏油に「なぜ女装をしてるんだ…?」な疑問を残したまま深々と頭を下げ、去って行った。

 

 


 

【俺たちゃ湘南ブラザーズ】

 

 夏といえば海。

 そして海といえば──格好のナンパスポットである。

 

 休日、ナンパに勤しむ男たちはその日、自販機の前に立つ女を発見した。

 セミロングの茶髪に、サングラスの下からのぞく垂れめがちの目と、目尻にあるホクロ。

 パーカー越しにわかる胸は大きく、ジュースを取ろうとした時にムチッとした太ももと尻が強調された。

 男たちは息を飲む。そして顔を見合わせて頷き、他にもあの女を狙う男を牽制しながら近づいて行った。

 

「ねぇお姉さん、もしかして一人?」

 

「……ん?」

 

 湘南の海に唐突に舞い降りた美女は、気怠げな様子で声をかけてきた男たちの方を見た。

 近くで見るとさらにその美貌が顕著になる。芸能界なら10年に1人……いや、100年に1人と謳われるであろう逸材だった。

 

「んー…」

 

 少し考え込んだ女は、口もとを手で隠した後、目を伏せた。

 

「えっと……一人ってわけじゃ、ないですけどぉー…」

 

「何か事情がある感じ? お姉さんみたいなかわゆい子がさぁ、一人でいるなんて変だと思ったんだよねぇ」

 

「良かったら俺たちと一緒に遊ばない?」

 

「え、えっと……」

 

 女は子うさぎのようにおどおどとした態度を取る。そこがまた、男たちの劣情を誘う。

 男の一人がそして、女の腕を握ろうとしたその時。

 

 

「俺のツレになんか用?」

 

 

 男たちの前に、突如として長身の男が割って入った。長身とは言ったが、明らかに世間一般の日本人が想起する「長身」のサイズではない。

 190センチはあるだろうか。開いたパーカーの下の四肢は素人目でも鍛え上げられているとわかる。さらに目を引くのはハネっ気のある白髪と、その美貌。そしてサングラスの下から一瞬覗いた、吸い込まれるような蒼い瞳だった。

 

「「……な、何でもないです…」」

 

 男たちはそそくさと、その場を後にした。

 

 

「プッ、くくくっ……」

 

「性格(わり)ぃー」

 

「それ、お前と夏油に言われたくない言葉ランキング1位かも」

 

 

 

 湘南の海に訪れた『さ』と『し』と、『す』が連れた子どもたち。

『さ』が差し入れたサングラスと柄シャツを身につけ、一団は湘南の砂浜を練り歩く。

 

 もしかしたら、指パッチンの音が聞こえてくるかもしれない。

 

 そうしたら、メロディーに合わせ、こう歌うのだ。

 

 

 ────俺たちゃ湘南ブラザーズ、と。

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