茂山影男 作:ピンチャンよ永遠なれ………
体術面において真希がかけ算方式で強くなっていくなら、影男は0.01を地道に積み上げていく必要がある。はっきり言って壊滅的にセンスがない。
呪力操作は外部へ入力することはどれも一級品だ。夏油が操る二級呪霊を、生き物のようにツタを動かして追わせることができる。
反対に内部、つまり自分への呪力の入力が影男は苦手だった。自分に反転術式が使えないのはこれが原因だと考えられる。全身を呪力で強化するのは酔うため数分しか使えず、部分的な強化はそれなりである。
「まぁ、不得意なことは少しずつ伸ばしていこう」
「ハァ、ハァ……ハイ」
森の中で動き回っていた影男は大の字になって転がっていた。白Tの体操着は土ですっかり汚れている。
結果として、二級まではスムーズに祓うことができた。しかしあくまで倒した呪霊は夏油の操作下にある。実際の呪霊とはまた動きが異なる。
準一級以上を出さなかったのは夏油も手持ちが少ないのと、万が一の場合を考えてだ。だが、影男なら一級相当でも祓うことができるだろう。特級まで届くかはわからない。
なぜなら、茂山影男は本気の力を常に抑えているからだ。
「モブくんはさ、感情が昂って呪力が溢れ出す時に目が赤くなるよね」
「えっ?」
「あれ、気づいてなかったの?」
「はじめて知りました…」
五条はこの目が、特殊な目であることは間違いないと語っていた。特異体質で生まれ持ったものだろうと。影男は人から漏れ出す呪力を“オーラ”と思い認識していた。六眼ほど高スペックではないが、呪力が視える点ではやはり特異だ。
目は影男の感情が最高値に達したとき赤くなる。五条はこの目を嬉々として「写輪眼」と名付けようとしたが、当然保護者からボツを食らった。
「君が意図的に抑え込んでいる力を、“縛り”の形で抑える手もある。けどそうするとモブくんの自由な思考が大きく損われる可能性があるんだ」
「物へ干渉する力でしたっけ?」
「そうだ。その良さが無くなると、君は呪力が異常に多いだけの人間になってしまうかもしれない」
「…なるほど」
相変わらず影男は自分の力と地道に向き合っていくしかないようだ。まぁそれが一番の近道なのかもしれない。
地面に座り込んだ影男は、ハァ、と息を吐いた。
◇
個人事務所を作るにあたり、名前を決める必要がある。
人があまり寄って来ないネーミングがいい。影男と夏油は色々と候補を考えた。人が嫌厭するなら名前が壊滅的にダサかったり、信用しにくいものがいい。
そんな案で出たのが『霊とか相談所』だった。
名前に『霊』を入れておけば呪霊に悩む客が来る。そして『霊』の後に続く『とか』。この絶妙な投げやり感。人を寄せつけず、しかし後がない者(本当に救いを欲している人間)はこのような胡散くさい事務所の名前でも、一縷の望みをかけて訪れるだろう。
事務所の場所は街の外れに借りた。古めの二階建てで、一階に応接室やデスクがあり、一般的な事務所らしい備品が揃っている。小さなオフィスといったところだろう。
二階はプライベートスペースで、キッチンや風呂場も完備されている。トイレは一階と二階両方にある。マンションに帰るのが難しい時はここに泊まっていくこともできる。
家から事務所までは車で20分というところだ。夏油は車の免許も取ったので、自家用とは別に仕事用で使う黒いミニバンを買った。後者は最大で七人が乗れる。
はじめて夏油が運転する車の助手席に乗った影男は、終始落ち着きがなかった。トラウマは根深いようで、車が呪力でガチガチに強化されている。
衣装についてはスーツが却下された。「えっ?」と困惑した夏油に、影男は真剣な顔で話す。
「女性が集まって仕事どころじゃなくなると思います」
マイナス要素で固めているのに、そこに圧倒的なプラスがいたら意味がない。夏油にマイナスイメージを足す必要があった。
「ハゲのヅラをかぶるとか」
「普通に嫌だよ」
「バカ殿の格好をするとか」
「モブくん……」
影男は色々と考え、夏油の塩顔から滲み出る胡散くささに着目する。昨今、糸目キャラが出たらそいつは確実に裏切ってくるぞ! ……と言われている(?)
ならば、この胡散くささを活かせる服装を考えるべきだ。
そんな経緯で選ばれた服が坊主の着る袈裟だった。これならば『霊』=坊さんの図式も成り立つ。袈裟はかなり重い。「似合わないだろ…」と思っていた夏油は、意外に着こなしている自分に驚いた。下の袴もボンタンチックで、ふと懐かしい気分になった。
──いや、そもそも、自分は養子に胡散くさい男だと思われていたのか?
「うわぁ、すごく信用ならない感じです! 夏油さん!!」
「両手をあげて私はその言葉を喜ぶべきなんだろうか?」
「今度真依ちゃんと真希ちゃんにも見せましょう!」
楽しそうな影男の様子を見て、もう一度鏡に映る自分を見た夏油は、苦笑いしながら「まぁ悪くはないかな」と思った。
以降フリーの特級術師、夏油傑の服は袈裟の草履姿で固定されることになる。
◇
事務所の営業が始まった。用件のある際は先に連絡し予約を入れ、相談の日時を決める。ちなみに相談料は無料だ。
建物の外観にある小さな看板が唯一の広告塔である。当然電話はなかなか来ない。仕事の数は高専からの方が多かった。
霊の依頼が入るようになっても、肩が重いだの、心霊写真をお焚き上げしてくださいだの、地味なものが多い。
肩や腰が重いのは単純に凝っているだけか、実際に取り憑かれていても低級呪霊だ。祓う際はブルーシートの上に移動してもらう。夏油は呪霊玉にするついでに塩をぶちまけて、「お清めですよ〜」とイイ笑顔で言う。
当然客は怒るが、体の重さは消えているので狐につままれたような顔をする。呪霊玉をゲットできて金もゲットでき、おまけに猿どもに合理的なストレス発散ができる。まさに一石三鳥である。
生臭坊主でもしかし、リピートで塩浴びに来る女性客が多い。そこが最近の夏油の悩みだった。ストーカーに発展した場合は
そして時は夏休みになった。影男は事務所がある日は夏油について行く。基本的に宿題をして、客が来たらお茶を出すこともある。
呪術師の繁忙期は初夏であるが、人の動きが活発になる長期休みは呪霊のトラブルが起こりやすい。その手の話が霊とか相談所にも来た。
呪霊絡みの件は窓を通して高専に伝えられるが、中には身内だけで解決をしようとする者もいる。その結果事件の発覚が遅れ、巻き込まれた人間がすでに手遅れになっていたケースもある。
今回のケースは大学生数名が廃トンネルに肝試しに行ったものだ。中を探索中に悲鳴が聞こえ、急いで外に出たあと仲間の一人がいなくなっていたのだという。それが昨日の夜のことで、メンバーはすぐに一人が戻ってくるだろうとトンネルの前で待っていたが、30分経っても戻って来ない。仕方なくもう一度中へ入ったが、片方の靴が落ちているのみで、いくら探しても見つからなかったのだそうだ。その人物は呪霊の生得領域に引きずり込まれた可能性が高い。等級もおそらく準一級以上だ。
「けっ、警察に行った方がいいんだろうとは思ってるんスけど、怖くて……。それで悩んでたら偶々ここの看板が目に入ったんス」
「その怖い…というのは、ご友人がどうなっているかわからないから“怖い”んですか? それとも、肝試しを軽はずみに行った自分たちが警察や家族から好奇の目にさらされ、最悪大学を退学になるかもしれないことが“怖い”んですか?」
「それっ、は…」
「今の現状は、あなたやご友人が取った行動の結果、つまり“
「……お、お願いします! こんなことバレたら、親に学費を払ってもらえなくなる!!」
「警察に行くことをお勧めします」
胡散くささが板についた笑みで夏油は客に帰るよう促す。身勝手な猿どもを助ける道理はない。
「助けてあげたらどうですか?」
ちょうど二階から降りてきたのは青いアイスを頬張る影男である。「子供!?」と大学生の男は驚いた。今日の客は耳にたくさんピアスの付いたいかにも柄の悪い男だったので、影男は教育に悪いと上に追いやられていた。
「でもねぇ……」
「お願いします! 金は仲間と用意しますから!!」
「こんなにお兄さんも頭を下げているんですから」
「いや、まだ足りないかな」
「へ?」
ニコニコ笑う夏油は影男に、後ろを向いて目をつむるように言う。首を傾げた影男は言うとおり壁と対面して目を閉じた。それを確認してから夏油は人さし指を出す。着物の袂が動きに沿ってゆらりと動いた。
指が示した場所は床。男は唖然とした顔をする。つまり土下座を要求されている。男の手は震え、顔を真っ赤にした。こめかみに青筋が浮かぶ。「この生臭坊主!!」と内心で怒鳴り散らした。しかし睨むのみで言葉に移せない。彼は本能的にわかっているのだ。このエセ坊主が自分ではケンカにならない相手だと。
「自分の尊厳とご友人の命。どちらを選ぶかはあなた次第だ」
「………ッ!!」
綺麗な土下座がフローリングにできあがった。震える声で男は「お願いします…っ」と言う。夏油は目を細め、「お気持ちはわかりました。どうぞ顔をお上げになって」と優しい声で話した。
「夏油さん、もういいですか?」
「あぁ、いいよ。土下座までされてしまってはね。助けないわけにはいかないだろう」
「エッ!?」
男がギョッとしているが、影男の肩に手を置いた夏油が「何か?」という顔をすると、「何でもないです…」と返した。
◇
今回、影男が強く申し出たこともあり、はじめて夏油の仕事に同行できることになった。相談があったその日の午後のうちに、二人で現場に向かう。
森で鬱蒼と囲まれたその場所に、見た者が吸い込まれるような闇があった。不気味なほどに辺りは静かだ。
「友人はおそらくまだ生きている可能性が高い。影男くんは守りに徹しつつ、その人を見つけたら保護しておいてくれ」
「…生きてるんですか?」
「だって呪霊はわざわざ一人だけを捕まえたんだよ? なぜ全員捕えなかったのか疑問に思わないかい?」
「あっ! ……確かに」
「生得領域に人を引きずり込める時点で強さは申し分ない。それでも全員ではなく、一人だけを捕まえた。ここで問題になってくるのは、
「遊び?」
「ゆっくりと人間を痛ぶり、苦しめ、その絶叫を楽しむ。覚えておいてね、影男くん。呪術師は今私が語ったような現実、あるいはそれ以上の凄惨な光景を目の当たりにする」
「………」
「その覚悟がないなら、君はトンネルの前で待っていてくれ」
影男の手が強く握りしめられる。夏油は真っ直ぐに彼の目を見ていた。
今もこの中で、捕まった人間が苦しんでいるかもしれない。
「行きます」
その一歩は、茂山影男の呪術師としての第一歩だった。赤い夕焼けの色をした目が爛々と輝く。
どこか諦念の混じった笑みを浮かべた夏油は、「わかった」と言い、影男の背を軽く押した。
────そしてその後、意識を失っていた男一人を保護した。呪霊は一級相当だった。男は体のいたるところに切り傷があり、影男がすぐに治した。
倒された呪霊が黒い玉になる。額の汗を拭った影男は、呪霊玉が大きく開かれた口の中に入り、喉仏が上下する光景を見た。よく平気であんな得体の知れないものを飲み込めると思う。
「治療は終わりました、夏油さん」
「ありがとう。じゃあ戻ろうか」
「………」
「あれ? どうしたんだい?」
男を担いだ夏油を影男はじっと見ている。長い沈黙は、まるで取り調べ中の容疑者と警察の間のようだ。ぴちぴちな肌の眉間に小さな皺ができる。
「……また何か、無理してますね」
「無理してないよ」
「いいえ、僕にはわかります」
言わないとダメらしい。観念した夏油は呪霊玉がクソまずいことを話す。ゲロ以下な代物だと。
「そのこと五条さんや家入おね……家入さんは知ってるんですか?」
「悟は知ってるよ」
「……一人で抱え込んでないんですね?」
「あぁ。君に黙ってたのは、心配すると思ったからだよ」
「…そうですか」
ゆっくりとした足取りで、いつの間にか外に出ていた。入ってからまだ一時間も経っていない。最初の静寂が嘘のように鳥の鳴き声や木々の会話が聞こえてくる。森の呼吸が戻った。そんな音だ。
気絶している男は荷台に押し込まれた。夏油は携帯で高専に連絡する。被害に遭った者の精密検査などを任せるためだ。やり取りの後、事務所に補助監督が送られることになった。
主に事後処理が夏油一人では難しいと思った場合も、補助監督の手を借りることがある。仕事によってその辺りは柔軟に対応している。
「夏油さん、今日はありがとうございました」
車のガタガタした走行音の中、影男は今回の仕事につき合わせてくれた夏油にお礼を言った。
運転する横顔は、その輪郭だけ差し込む光を受けて明るい。
「………君の成長には、必要だと思ったんだ」
揺れた夏油の瞳に影男は目を丸くして、吸っていた呼吸を止める。それから恐る恐る吐いた。
そして自分がいかに大切にされているか、改めて自覚した。
・「
食塩を客に向かってぶちまける夏油傑の必殺技である。