茂山影男 作:ピンチャンよ永遠なれ………
世はまさに大バレンタイン時代。食べ物の持ち込みが禁止されている学校でも、この日はこっそりと持ち込む者も多い。先生がいない隙を見計らい、教室では女子同士が友チョコを交換している。影男もいくつかもらっていた。
夏油宛のチョコを………。
おまけで彼の分もあるが、とても複雑な気持ちである。
帰る頃には両手の数では到底足りないチョコを持って帰った。仕事終わりの夏油も段ボール数箱に及ぶチョコを持って帰ってきた。中学時代はもっと大量にもらっていたそうだ。
「モブくん、この箱に入っているチョコは食べないでね。捨てるから」
「………えっ!!?」
「中に何が混ざっているか分からないからだよ。とにかく食べないでね。いいかい?」
「分かりました…」
毒でも混ぜてあるんだろうか? 本当はバレンタインとは恐ろしいイベントなのかもしれない。学校でもらったチョコを影男が渡すと、夏油は目を丸くした。まさか小学生にもらうとは思わなかったらしい。このチョコは普通に受け取った。
それから週末のこと。影男は夏油と真希・真依姉妹の自宅に向かった。最近は週一で夏油監督の下、真希と手合わせを行っている。
はじめは受け身しか取れなかった影男も、攻撃の手を加えられるようになってきた。二人が組んで戦っているのは、夏油が一対一で見る時間が取れなくなってきたからだ。それにこういうのは年齢の近い者同士で競り合った方が伸びる。学生時代の夏油と五条のように。
手合わせはこれまで真希に白星が上がっている。影男は勝てたことがない。終わるといつもボロボロになる。
「顔面に拳が入っちまったけど、大丈夫かモブ?」
「うん、大じょ…」
「あっ、鼻血出ちまった」
ティッシュティッシュ、と真希が取りに行く前に一陣の風が吹いた。その正体は真依で、姉の前を通り過ぎた彼女はティッシュを箱から取りながら影男に駆け寄る。
庭で手合わせをやる時、真依は縁側に座って二人を見守る。真希がケガをしても影男が治せるが、影男がケガをした場合は治せない。だからせめていち早く治療ができるように彼女は膝に救急箱を抱えている。
本当は影男にケガをして欲しくない。何だったら呪術師にだってなって欲しくない。それでも影男自身が決めたことだからと、真依は唇を結んでその背を押そうと決めた。
「大丈夫? 影男くん…」
「だいひょうぶ」
鼻を押さえた影男は真依に引っ張られて縁側に座った。
次は夏油と真希が手合わせすることになった。真希の攻撃は彼女の性格もあって猛々しい。殴る、蹴る、殴る。一つ一つのコマンドが常に攻めの姿勢だ。
影男は逆に防戦が多い。攻撃に出るとしても彼の素の力まだまだ弱い。鋼のような真希の体に当たっても傷一つつけられず、かえって殴った自分の手が痺れる。
呪力を手や足に纏わせる方法は人には使っていない。大怪我をさせる可能性があるからだ。その代わり防御には使っている。
……が、瞬時の判断で打撃が迫る部位に呪力を纏わせるのは非常に難しい。鎧のように常に呪力を全身に纏わせる方法はすぐに酔ってしまうから使えない。
「本当に夏油さんって強いわね…。真希の攻撃が当たらないんだもの」
「前髪がすごく揺れてるね」
「モブくん、別のことに意識を取られ出してるわよ」
夏油は真希の攻撃に合わせて受け流したり、一歩踏み込んだりと多彩な芸を見せる。鍛えられた真希の体から繰り出される攻撃は当たればかなり痛い。それを流れる水のように避け、夏油は足を引っかけ真希を転ばせた。「どわっ!」と声を上げた彼女は顔から派手にいく。とっさに両手を前に出した。長袖だったため、傷は手のすり傷だけだった。
「今回はこのくらいにしておこうか。アドバイスは休憩してから話そう」
「ハァ〜……いつかゼッテー、負かしてやる……」
「真希ちゃん、手」
鼻にティッシュを突っ込んだ影男が真希の手を治す。その顔をじっと見ていた真希はだんだんと面白くなり、あさっての方向を向いて堪えた。
そして帰り際、影男は真希と真依からチョコをもらった。真希はスーパーで買った既製品のチョコで、真依はラッピングされた四角い箱のチョコだった。影男は瞳を輝かせる。
「私のは義理チョコだぜ。ホワイトデーは2倍返しでよろしくな」
「わ、私のは、そのっ…あの……」
「“友チョコ”だよね? ありがとう!」
「……………えぇ、そうよ。友チョコよ!!!」
真希は夏油にも渡す。「傑サンは10倍返しな」と言い、夏油を苦笑いさせた。真依も影男のと比べれば10分の1ほどスケールダウンしたチョコを渡す。また夏油は苦笑いした。
影男が家に帰って食べた二つのチョコは美味しかった。特にココアパウダーのかかった生チョコレートの真依のものは、口の中に入れるとすぐに溶けて、しつこ過ぎない甘さが素晴らしかった。小粒が複数入っており、彼は一つ食べては幸せそうに頬を緩めた。
五年生になった影男は宿泊学習に行くことになった。山の施設に泊まりレクリエーションやキャンプファイヤーを行う。
ちなみに、この施設には“出る”という噂があった。キャンプ写真に映り込んではいけないものが映っていたとか。または夜中に廊下でハイヒールを履いた女が歩いていた──なんて話もある。
宿泊学習は一泊二日だ。当日、バスの中は子供たちの楽しそうな声で溢れかえっていた。こういった席決めの際、影男はいつも最後に残ってしまう。彼と隣の少年は沈黙のままだった。
レクリエーションでは班ごとに分かれて宝探しをする。キャンプも同様の班だ。
初日はまず宝探しである。班の構成は基本的に男子三人、女子三人。人数によって男子の数が二人のところもある。
影男の班は男子が二人の班で、地図を見ながら女子が行動を決め、そのあとを影男ともう一人が付いていく形になった。影男の体力のなさはここでも出て、ゼェハァと息の荒い彼に「早くしてよっー!」と不満の声が上がる。お宝探しの結果はビリから三番目という微妙な結果だった。
一日目はそうして過ぎていった。夕食を食べて風呂に入り、自由時間になる。トランプなどの持ち込みは許可されており、同部屋の少年たちは早速遊び始めた。
枕投げをやっている者もいれば、すでに寝ている猛者もいる。就寝時間になると最初は話す声が聞こえていたが、次第に一人、また一人と眠りに落ちていった。影男は布団に入って羊が10匹飛び越える前に寝た。
異変が起きたのは夜中のこと。廊下から聞こえる教師の声に数人の子供が目覚めた。影男もまた目をこすりながら時計を見る。時間は夜中の2時だった。
「女子が急に一人いなくなったんだと」
「え? でも廊下って、先生が見張ってるじゃん」
夜中でも交代で教師が張り込んでいる。トイレは部屋にあるため、生徒がわざわざ廊下に出る必要はない。部屋自体、四方は壁で窓がない造りだ。
「……!」
再度眠りに落ちかけた影男は呪力の気配を感じて完全に目を覚ます。気配は外からしている。
この呪力と女子生徒がいなくなった件が結びつく。攫われた生徒は一人だけ。大学生がトンネルで消えた時も一人だった。
『────そして二つ目が“遊び”だ。ゆっくりと人間を痛ぶり、苦しめ、その絶叫を楽しむ……』
影男がその時思い出したのは夏油の言葉である。息を飲んだ彼はすぐに行動に移すことに決めた。女子生徒を救うには外に出て、呪力の残穢を追う必要がある。
(でもどうやって外に出よう? 廊下には先生がいるし…)
頭をひねった結果、出た案は仮病を使うことだった。三文芝居な咳をして廊下に出る。彼に気づいた先生の一人が険しい表情で駆け寄ってきて、部屋に戻るように言う。その際に他の先生が話していた情報によると、いなくなったのは別クラスの女子のようだ。
「おでこを触った感じ熱もない。早く戻りなさい」
「でも…ゲホゲホ! 一応ゲホッ、熱を測ゲホ」
「ハァー……分かった。測ってやるから熱がなかったらすぐに戻れよ?」
「はいゲホ」
「………」
会議室らしき小部屋に連れて行かれた影男は体温計で熱を測り始めた。教師は温度が出たら見せにくるよう言い、慌ただしく部屋を出ていく。
ここまで来れたら「催した」と言って廊下のトイレに行くつもりだった。そこのトイレは上部に小窓があり、子供一人なら通れる大きさがある。ただ大人が手を伸ばして届く位置にあるそれは、子供ならまず届かない。しかし影男なら飛んで外に出ることができる。
窓の存在を覚えていたのは、トイレに行った時に少年たちがその小窓から幽霊がのぞいてきそうだと、騒いでいたことが記憶に残っていたからだ。
ただその必要もなくなった。会議室の部屋には窓がある。
(先生、ごめんなさい…)
外に出るなら今がチャンスだ。影男は辺りの様子をうかがい、タイミングを見て鍵を開ける。
二階から見下ろす地面は暗く、一瞬めまいがした。残穢はやはり外に続いている。外に出たあとは少し考え、呪力で内側から鍵をかけた。これで教師も影男が外へ出たとは思わないだろう。少女を見つける時間がこれで少しは稼げる。
屋根から見た残穢は山の方角に続いていた。
それは少女のほんの出来心だった。レクリエーション中、彼女の班は地図に載っていない細道を発見した。担任からは地図以外の道は決して行かないように口酸っぱく言われていたが、リーダーである彼女はためらう班を説得してその道を通った。
しばらく歩いて出たのは見晴らしのいい高台だった。下には山々と、密集した街並みが見える。彼女以外もその光景に見入っていた。
だが今は宝探し中。心吸い込まれるような景色を名残惜しく思いつつ、班のメンバーは来た道をまた歩き出した。そこで彼女は隅の木々に埋もれるようにしてあったボロボロの祠を発見する。祠は屋根が斜めになっており、今すぐにでも崩れ落ちてしまいそうだった。扉の暗い隙間に彼女の心は不思議と吸い込まれた。
「……何か、光った?」
触れてはいけないと思いつつ、彼女は扉の隙間に手を伸ばし、中のものを手に取った。それは赤いビー玉のような玉だった。光に透かしてみるとその中がまるで波のように揺らいで見えた。
「キレイ……」
「班長、どうしたのー?」
「あっ、ごめん! すぐに行く!!」
先を歩いていた仲間の声に気づき、彼女は反射的に赤いビー玉をポケットに入れて走り出した。
それがいけなかったのだ。
夜中、彼女の意識が唐突に浮上した。声を出すことも動くこともできない。視線は扉で固定されていて、眠る他の女子の姿が見えた。今自分に起きている状況が金縛りだと彼女はわかった。
『……シテ』
扉からすり抜けるように少女が現れた。背は小さく、もしかしたら幼稚園ほどの年齢かもしれない。真っ赤な着物の色が薄暗い部屋の中で鮮やかに映る。一歩一歩と少女は近づいてきた。
『…シシ…テ』
彼女の心は恐怖で震え上がる。幽霊など、これまで一度も見たことがなかったというのに。この施設は幽霊が出る噂があるとは聞いていたが、なぜ自分が見なければいけないのか。
少女は真っ黒な長い髪を垂らし、うつむき気味に歩く。ザリ、と畳のすれる音まで聞こえた。
『カエ シテテ テテテ』
少女の顔が持ち上がった。前髪の隙間から見えた片方の目にぽっかりと穴が空いている。そこにあるべきはずのものがない。
彼女はそこで気づいた。あぁ、私はこの子供の目玉を持ち帰ってしまったのだと。
その子供がグッと顔を近づける。暗闇は彼女の目と鼻の先にあった。
『カエセェヨ』
機械で作られたような低い音が脳に響いた時、彼女は意識を失った。
次起きた時、彼女は外にいた。辺りは森で、その場所に見覚えがあった。あの祠の前だ。
鬱蒼とした森の中は異様なまでに静まりかえっており、虫の声一つしない。ガチガチと彼女の歯が震えた。あの着物の少女が祠から出てきたからだ。ない方の片目は長い髪に隠れている。
『オニゴッコ、シヨ? オネエチャン。ワタシ、オニ。ツカマッタラ、オマエノメダマモラゥ。アサヒガノボルマデガショウブ? ダ! ヨヨ!?』
いーち、にー、とカウントダウンが始まる。動けなかった彼女は地上の光景を見てゾッとした。そこには山も密集した街の景色もない。あるのはただ真っ黒な海のような暗闇だ。
『ジュウ』
振り返った少女の手には包丁があった。彼女はそこで絶叫し、山の中を駆け出した。月明かりを頼りにしようと思えど、雲ひとつないそこには月どころか星がまったくない。
裸足の足が切り傷だらけになる。暗い中では何度も根っこに足を引っかけ転んでしまう。それでも彼女は逃げ続けるしかなかった。
笑いながら、首を左右に振り乱して駆けてくる少女から。
そして、ついに捕まった。走り続けた肺は酸素をうまく取り込めず、コヒューと変な音を立てる。手足は傷だらけで服は土で汚れていた。
上に乗りかかった少女が片手で彼女の首を押さえる。もう片方の手には鈍く光る包丁が握られている。彼女は泣きながら謝った。「勝手に持っていってごめんなさい!!」と。しかし少女は笑うだけだ。
『オマエノメダマ、モォライ』
たすけて、と彼女は叫んだ。
『────ッ!?』
直後、赤い少女の顔色が変わった。視線は彼女ではなく上に向けられている。そこには一部分だけ星が見えていた。空からパラパラと黒いカケラが降ってくる。
人がいる。自分と同じ体操着を着た少年だ。その闇に浮かぶ白Tが彼女の印象に強く残った。はっきりした顔までは見えない。涙で視界がぼやけているからだ。
『イ………イイナイィナ!! ソォノメダマ!!』
少女の姿をした呪霊は彼女から離れ、地面に降り立った少年に向かって駆け出す。その
「欲しいならくれてやる。いくらでもな」
呪力を纏った影男の拳が呪霊の顔面にぶち当たる。呪霊はそのまま吹き飛び、木々を薙ぎ倒していく。すかさずその後を追い、影男は何度も殴った。『怒り』をもてあますことなくぶつける。
「人を傷つけて愉しむような奴が……僕は一番嫌いなんだッ!!」
呪霊の悲鳴が響き、殴る音も続く。それが終わった頃には呪霊の血で影男の体操着は真っ赤になっていた。
糸が切れた彼はその場に座り込む。血は呪霊の消滅とともに消えていった。
「ハァ……ハッ…」
怒りがおさまると途端に手が震えてくる。先ほどの呪霊は知能が高く、もしかしたら準一級、あるいは一級相当だったかもしれない。
だんだんと冷静になってきた頭が、「まず夏油さんを呼んだ方がよかったのでは?」と思ってきた。高専に繋がる五条や家入の電話番号は覚えていないため、これはパスだ。
「………あ、あの」
「!」
攫われた少女が茂みから出てきた。影男は慌てる。この言い逃れできない状況をどうすればいいのか。
「……たっ、助けてくれてありがとう…!!」
「い、いや僕は、その…トイレに行ったらいつの間にかここにいた……と、いうか…」
「でもさっきあの幽霊を殴ったのってあなたでしょ?」
「う、うぅ……」
どうしようどうしようと焦り出した影男に、少女は吹き出した。あの涙の膜の先にいたのはとんでもないイケメンだった気がしたが、実際は根暗なジミーであった。
ひとまず影男は傷だらけの足を治し、疲労困ぱいな彼女を背負って歩き出した。山道とプラスの重さで死にかけたが、気力で頑張った。自分で歩けるよ、と少女は言ったがこれ以上無理をさせるわけにはいかない。後ろの彼女の顔が少し赤くなっていたことに、影男は気づかなかった。
「なんかカラスの声がしない?」
「うん。やけに聞こえるね」
二人はその後、呪術師らしい白髪の女性に保護された。高専にこの話が伝わり派遣されたそうだ。突然のお姉さん(美女)に影男は思考が停止した。
少女は検査のため病院に行くことになり、影男は事情を話すことになった。今回の宿泊学習は中止になり、翌日の午前中に学校へ戻ることになるそうだ。
「……つまり、君が呪霊を倒したんだね?」
「…は、はい。それで、これがあの子が持っていた物です」
影男は呪物と思しき赤い玉を白髪の女性──冥冥に渡す。近辺に偶然いた彼女は、緊急で高専からこの仕事を任せられた。
「フム…『茂山影男』くんか」
「………?」
「私は夏油君の先輩…といったところかな?」
「夏油さんの?」
特級術師の夏油傑が高専を辞めた理由について、「子持ちになったから」という話はそれなりに広まっている。実際に血のつながった子供…というわけではないが。その子供が禪院家で騒ぎを起こしたのもまた知れた話である。
呪力暴走を起こせば特級レベルの力があり、そうでなくとも現段階で準一級以上と推測される呪霊を祓う力を持つ。
冥冥は影男を見ながら、まだ幼い自分の弟のことを思い浮かべた。
「一人で動いたのは賢明な判断ではなかったかな」
「……ごめんなさい」
「私としてはラクをして金が入ったからよかったけれど」
夏油にもすでに連絡が回っているため、急いで来るだろう。反応見たさに連絡を買って出た冥冥は、「!?」「!!?」ばかりな男の反応を面白がった。
「はたして彼はどんな“顔”で来るかな?」
彼女の予想は“親”だったが、それは外れた。
扉を蹴破る勢いで現れた夏油は、袈裟姿のまま影男に駆け寄る。
まず一番に心配をされた影男はそのまま帰ることになり、翌日長々と説教されることになった。