茂山影男 作:ピンチャンよ永遠なれ………
卒業も間近になってきた。影男は総合の授業で六年生の思い出を振り返ることになった。
一番楽しかったこと。あるいは、一番頑張ったこと。もしくは一番印象に残ったことでもいい。それを原稿用紙一枚以上を使って書き出し、みなの前で発表する。
この、“みなの前で”という行動が影男は昔から苦手だ。無数の視線が向けられると気が上がってしまう。緊張して言葉が出せなくなったり、極端に小声になってしまい、ヤジを飛ばされたこともある。
「思い出かぁ…」
灰色な影男の小学校生活も、六年生の時は多少は充実していたように思う。例の少年や助けた少女と同じクラスになり、共に校庭で遊んだり、図書室で並んで本を読んだりした。真希や真依以外の数少ない彼の友だちだ。
少女からは二年連続でチョコももらっている。「何チョコだと思う?」ともったいぶるように聞いた彼女に、影男は「友チョコだよね!」と目を輝かせて答えた。向こうは盛大にため息を吐き、「影男くんて本当に鈍いよね…」と言った。
彼はそこで気づいた。渡されたチョコが友チョコではなく、本命チョコをもらえない影男への“同情”チョコだということに……。
ジト目になった彼女は、それ以上何も言わなかった。この時点で影男は知らぬまま、恋のチャンスを逃したのである。
その翌年──今月ももらったが、今回は友チョコだった。この裏である少女が色々と察して胸を撫で下ろしたのは余談である。
ちなみに、年々真依からもらうチョコのクオリティーは上がっている。影男も磨いている料理スキルで今年ははじめての手作りチョコを作ろうか考え中だった。
(やっぱり修学旅行が一番楽しかったかな)
影男と友だちの計三人。それと数合わせで少女と仲の良い女子二人も加えて五人で班を組んだ。旅行する場所について調べ、どこを回るか事前に計画を立てる授業は楽しかった。
お小遣いは五千円だったが、夏油や真希と真依の分、それとミミナナや五条に家入──と土産を買おうとしていた。
自分の分より他人の土産を優先することは容易に想像がついたため、夏油は少々多めに金を持たせた。結果影男は大量の土産を買い、自分用にそこのご当地キャラが描かれたTシャツを買った。そのセンスは言うまでもない。
影男はノートに修学旅行での出来事を書き出していく。国語の授業で習ったアイディア出しの方法だ。マス目は気にせず大きくはみ出して鉛筆を走らせる。
2ページほど埋まったタイミングで授業が終わった。その次の時間はどれを作文に載せるか選ぶ。しばらく悩んでから印象深いものを三つ選び、赤ペンで丸をつけた。
一つ目を作文に書き終わったところでまた授業が終わる。残された時間はあと一時間。そして最後に二時間使って生徒が作文を発表する。
お次の授業の時に書き終わらなかった影男は、宿題として家に持ち帰った。悩みながらもさらに一時間ほどかけて書き、終わったらこたつの中に潜る。卓の上は消しカスが四方八方に飛び散っていた。
「……発表するんだし、練習として夏油さんに聞いてもらおうかな」
そうと決まれば影男は帰ってきた夏油に話し、夕食のあとにプチ発表会を開くことになった。
発表位置はリビングとキッチンの間。部屋の中央に立ち、ヨレヨレになった作文の紙を持つ。夏油の前だとしても、いざとなると緊張した。そんな彼にアドバイスが来る。
「何回か深呼吸をしてみるといいよ。または、手のひらに「人」の字を三回書いて飲み込むとか。それか眼前にいる人間が全員猿だと思うんだ。猿のくせによく一丁前に人語を話せるなぁ、ってさ」
「…今日何か嫌なことありました?」
「まぁ、ちょっとね。非常識な客で………いや、この話はよしておこう」
ゴホン、とわざとらしく夏油は咳ばらいする。一緒に暮らすにつれて、ひた隠しにされていた闇夏油の顔がのぞくようになった。なので影男もかなり夏油が腹黒いことを知った。
イイ笑顔で「ソルトスプラッシュ!」と言って客に塩をぶちまけている姿を見ると心配になってくる。夏油のストレスが溜まっている時ほど、この塩ぶちまけ技は威力を増す。
(まずは深呼吸……それと、手のひらに人の字を三回)
「あとは猿だね」
そう言い、夏油はスマホで検索し、画面いっぱいに映したゴリラの顔を見せる。いざ読もうとした影男はそれを目にし、吹き出してしまう。
「ほら、緊張が解けただろ?」
笑う夏油に、影男は思い出し笑いを堪えながら作文を読んだ。
そして本番もふとこの件を思い出し、紙で顔を隠しながらどうにか読み切った。友だちの少年からなぜ震えていたのか聞かれた影男は、「ゴリラがね」と話し、相手に疑問符を浮かばせた。
◇
櫻のつぼみがほころぶ頃。茂山影男は卒業式を迎えた。
教壇に立った教師は「最後に何か言いたいことがある人は、手を挙げて発表するように」と促す。すると次々と手が上がり、中でも「誰々くんは誰々ちゃんのことが好きだった!」と暴露話が出て、教室が大いに盛り上がった。
そこで影男は手を挙げた。意外な人物の発表である。
「あの……トイレに行っていいですか?」
ズコッ、と皆がずっこけた。
式は午前中に体育館で行われた。前列が卒業生で、中央が在校生。後ろが保護者席になる。来賓席は左側で、教師陣は右側の席だ。保護者の中にはハンカチで目尻を拭い泣く人が見受けられた。しかし子どもたちは割とドライなもので、涙を流す者はほとんどいない。校長先生や来賓の祝辞、それと寄せられた手紙の代読にかかる時間で彼らの心は白けていくのだ。
影男は生徒の呼びかけの言葉に全集中していた。在校生や卒業生、卒業生の親や先生が勢ぞろいしたこの空間。ここで自分が言うセリフを間違えたり、噛むわけにはいかない。
(ここにいる全員猿なんだ。猿……)
夏油式のリラックス方法で心を落ち着かせようと試みるうちに、いよいよ卒業生の呼びかけになった。賞状を持った子どもたちが壇上に上がる。これが終わったら歌って、卒業生退場だ。
(ダメだ……!!)
こういう時に空気の読めなさが発揮されればよかった。そうすれば緊張せずに済む。ガチガチになっていた影男はその時、保護者席にいたスーツ姿の夏油を見つけた。バッチリと目が合う。向こうは微笑んでいた。
「………っ」
一気に、これまでの思い出が彼の中でよぎった。
両親が亡くなり、禪院家に引き取られ、不遇な目に遭いながらも真希や真依と出会った。それから夏油に引き取られ、一緒に暮らすようになった。時間にしては約五年間。長い時間だった気もするし、あっという間だった気もする。
辛いことや悲しいこともあった。今でも夏油夫妻の死は影男のトラウマになっている。
それでも、それ以上に楽しいことがたくさんあった。一つ一つを挙げたらキリがない。
本当に、本当に、かけがえのない思い出だ。
「っう、ゔうっ……!!」
影男の番が来た。彼は涙を拭い、まっすぐに前を見て自分のセリフを口にした。その後歌い終えたら退場だ。真ん中にできた道を通って卒業生が歩いていく。溢れんばかりの拍手が体育館にこだまする。
教室に戻っても、しばらく影男の涙は止まらなかった。
◇
家に帰った影男は、夏油と着替えてから出かけた。真希や真依、美々子と菜々子たちを加えて卒業祝いをすることになっているのだ。
ちなみに真希と真依は私立の女子校に通っていた。美々子と菜々子は公立で、卒業式の日にちは影男と同じだ。普段は忙しい夜蛾も二人の卒業式には参加しており、今回のパーティー(飲み会)にも出席する。
話を聞きつけた歌姫も駆けつけた。五条と家入もいる。
和風な料亭のお座敷に通され、大人たちは飲み出した。子どもたちは出された料理を食べていく。ミミナナと久しぶりに会った影男はパンダが元気にしているか尋ねた。
「パンダも来たがってたけど、パンダだから」
「うん、仕方ねぇよ。パンダだし」
パンダはもうすっかりジャイアントパンダになってしまったそうだ。上に乗っかって眠るとちょうどいいらしい。「いいなぁ…」と影男は思った。美々子と菜々子はスマホデビュウしているようで、菜々子が手慣れた様子で操作している。影男は中学生になったらスマホに変える予定だ。アプリゲームばかりして、勉強が疎かになるようだったらガラケーに戻される。
真希と真依もスマホになっており、ミミナナとラインを交換していた。その様子はまさしくJC。気後れした影男は双子コンビから離れてジュースを口に含む。
横目で大人たちの方を見ると、五条に絡まれた歌姫がキレていて、それを酒のつまみに家入が飲んでいる。夜蛾は相変わらず見た目が怖い。その隣で何か話しながら夏油はハイペースで飲んでいた。
「何を話してるんだろ…」
ここで居場所があるとしたら、夏油の側だろう。ススス、と影男は近づく。
「ン?」
「ッ!!」
夜蛾に気づかれ、彼は視線を彷徨わせた。ひっきりなしに汗を流す子どもに夜蛾は少しの沈黙ののち、サングラスを外した。威圧感はそれで少しは軽減された。しかしやはり怖い。
「いつも美々子と菜々子と仲良くしてくれてありがとう」
「……あ、はっ、はい」
優しく笑ったその顔に、影男の恐怖ゲージがゼロになった。夏油と次元の違う父属性を味わった気がする。
「来月から、影男くんが中学生……」
ボソリと夏油が呟いた。細めの目がさらに細くなっている。歌姫ほどではないが顔が赤い。かなり飲んでいる。
「飲み過ぎだ、傑」
「中学生………!!」
「ほら、水だぞぉ、夏油」
家入がコップを差し出すと、夏油はそれを勢いよく飲み干した。直後固まる。
「おっと、間違えた。水じゃなくて焼酎だったみたいだ」
「硝子……」
酔いが一気に回った夏油は思いを吐露し出した。その大半は影男の成長についてである。途中から我慢していたのか泣き出し、その様子を五条と家入がいい笑顔で撮っていた。そこにミミナナも交ざって連写で撮り出す。
「モブ、私たちも撮ろうぜ」
「え? あぁ、いいよ」
「その次は私のでも撮るわよ!」
影男を挟んで真希と真依が並ぶ。三人でピースをして映った。
◆
夜景が一望できるレストランに少女の姿がある。身なりのいい服装で、眼下に広がる光景を退屈そうに見つめていた。客は彼女だけだった。そこにえんじ色のスーツを着た老人が現れる。手には杖を持ち、ハットを外して少女に会釈した。
「お久しぶりですね、おじさま」
「あぁ、久しぶりだね」
出されたフルコースのディナーを食べ進めていく二人。肉になった途端ペースが落ちた老人に、少女は口元に手を当てて微笑した。
「老体の身に肉は合わないんですね」
「若い体は羨ましいな」
「なら、体を変えればいいじゃないですか」
ねぇ? ──と、少女は続ける。ハットを取った老人の額には横一直線に縫い痕がある。
「別のプランを考えてるそうですが、そちらは上手くいってるんですか?」
「ボチボチといったところだな。加茂家の分家筋から見つけた素材を少し調整している最中だ。夏油傑の肉体を入手できれば一番良かったんだが……現段階では難しいだろう」
「五条悟との関係は良好ですし、もう一つ地雷がありますからね」
「イレギュラーだったな。あの少年の登場は」
────茂山影男。
感情が爆発した時に見せる力は目を見張るものがある。夏油を利用した場合、その力の不安定さは本人の変幻自在な呪力も相まって、何が起こるか予測できない。老人の一番嫌うタイプだ。自分の計画を想定外の方向からぶち壊してくる奴は特に。
「茂山影男の件は君に任せたつもりだったが、見事に失敗していたね」
「あの少年の体を乗っ取ろうとはしたんですよ? けど弾かれちゃったんです。アホみたいに精神バリアが硬すぎて無理でした。それに、私自身の呪力の特徴も五条悟に覚えられちゃいましたし」
「下手に呪力を使えば、バレる可能性が高まったわけだ」
「指名手配された逃走犯の気持ちですよ」
二人の当初の目的は一致していた。老人は夏油傑の肉体を。少女は茂山影男の肉体を求めた。しかし現状はかなり詰みの状況で、老人が少女に任せた一件が失敗した時点でさらに詰みが進んだ。この時老人が少女を使ったのは自分の痕跡を極力残さないためだ。
それでも老人はまだ諦めない。ジャンプだって、努力・友情・勝利を謳っている。
「あの事故の時、私は感じたんだ」
少女の声色が変わった。男の、低い声だ。
「彼の内側に潜む、強大な何かを」
うっそりと笑った少女を、老人は静かに見つめた。