茂山影男 作:ピンチャンよ永遠なれ………
茂山影男は純朴な少年だ。そこだけ切り取れば、夏油が知る中でトップを独走する。
当時、父親に売られそうになった伏黒恵のことも心配していた。そして姉がいると知ると、「ひとりぼっちじゃないんですね」と安堵の表情を浮かべた。
夏油は意図してこれまで伏黒恵について触れてこなかった。触れれば自ずと影男の
それに夜中に声が聞こえると思ったら、自分のベッドで「父さん、母さん…」と泣いていた少年の傷を、どうして掘り返すことができようものか?
だからこそ、特に五条にキツく注意しながら過去の話題は避けてきた。
しかし、避けて通れない道に差しかかった。これはきっと受験勉強のような、人生における重大な分岐点になりうる。
いくら茂山影男が善人でも、根は普通の人間だ。伏黒恵に対し、思うところはそれこそ溢れんばかりにあるはずだ。
京都校に行くことを提案してからというもの、あからさまに影男の元気がなくなった。難しい顔をして悩んでいる。そこに大人の夏油が介入しようとも思った。だが出しかけた手を引っ込めた。
悩みには自分で解決すべきものと、他人の力を借りて解決すべきものの二つがあると夏油は考えている。
今回は前者だと思った。少年が悩み、自分の足で踏み出そうとする力を信じることにした。それでも自分で解決することが難しいと頼ってきたなら、慎んで力を貸す。
「夏油さん…僕、伏黒くんに会ってみたいです」
自分で出した影男の答えに、夏油は危うく持っていた鍋を落としそうになった。
◇
『優しいやつ』の実績を持つ少年でも、どうして、と思うことはある。特に両親の死に関しては。
影男は両親が死んだことを真っ先に自分のせいにした。自分の力が暴走したから、それが回り
しかし、伏黒恵が禪院家に引き取られ──いや、売られていたら、起きなかった悲劇でもある。
五条や恵に向く一片の「どうして」。
どうして五条は恵を助けたのだろう。
どうして伏黒恵が助かる代わりに、両親が死ななければならなかったのだろう。
悩んで悩んで、暗い感情ばかりが少年の心に巣食う。そんな時、周りに夏油や真希と真依、エクボがいてくれた。
時期はすっかり秋になり、葉が落ちはじめた。長い長いお悩み期間が終わる。影男は休日を使い伏黒恵に会うことになった。
向こうも五条伝いに影男の件は知っているらしい。伏黒恵が何を言うかは分からない。
ただ何を言うか、という点においては影男も同じで、彼はこの驚くべき行動に対し保証書を持っていない。時間をかけて悩んだ割に、行き着いたのは突発的な行動。航海中に雨雲が広がる方角へ舵を切る海賊の如き命知らずな行動だろうか?
それでも会う以外にきっと選択肢はない。でなければ影男はずっとこの件に悩み続けることになる。
「…はじめまして。伏黒恵です」
「僕は茂山影男です」
出会いの場は公園になった。初手の笑顔で小学生男児をビビらせた夏油はというと、五条に連行された。
二人はブランコに一つ分の間を空けて座る。一歳差(厳密に言うと今の時点では二歳)の彼らは恵の方が少し大きい。こうして対面するのはお互いはじめてだ。天気の話をしてから降りた沈黙に、恵は鎖を握りしめる。気分はひどく重く、姉の津美紀からも心配されていた。
「……どうして、俺に会おうと思ったんですか?」
自分は恨まれて当然だと伏黒は思っている。逆の立場だったら恵は絶対に影男を呪う。
「………僕もよくは分からないんだ」
「……ハ?」
会ったら何か劇的な変化があると思った。他人に責任転嫁して、そんな自分を嫌いになる。
しかし影男の中で大きな革命は起こらない。結局感情はグチャグチャのままだ。
「殴らないのか?」
「えっ、何で?」
「……だって、俺を恨んでるんだろ?」
思わず、と恵の方を向いた影男が見たのは真っ黒な目だ。
会った最初から思い詰めた表情をしていたが、今はさらに歪んでいる。辛そうだった。
事実、恵は苦しんでいる。
『────僕が君を助けた代わりに、とある少年の両親が殺されたんだ』
白髪の不審者は幼かった恵に事実を話した。オブラートに包みもできない男の発言は、恵に呵責の念をもたらした。
それから伏黒恵は時折、自分の幸せとは、と考えるようになった。
義姉と二人で暮らす生活。姉であると同時に保護者ヅラをする津美紀の存在は、歳をとるにつれ鬱陶しく思うようになった。これぞザ・反抗期。しかし、そのやり取りが嫌いなわけではない。姉に叱られることは恵にとって日常の当たり前にあるワンシーンで、それが幸福の証左であるから。
その幸せは、自分と一つしか変わらない──それこそ、姉と同年代の子どもを犠牲にして得られた。
恵はそのことを思うたびに歯を噛みしめた。
だからいっそのこと、「お前のせいで僕の両親は死んだんだ!!」と激昂された方がマシだった。そうすれば恵は罰を受けた気持ちで、これ以上罪悪感を感じずに済む。
だが、影男は無表情を崩して困ったように笑う。
「絶対に…とは言えないけど、僕は君を恨まないよ」
「なんで……!」
「伏黒くんも五条さんも悪いわけじゃないから。…うん。僕だって、悪くないんだ」
悪いのは禪院家の一部の連中だった。過去のことをどれだけ掘り返しても、今さら影男の両親が蘇るわけでもない。
「伏黒くんも苦しんでたんだね」
「ッ……」
「……ごめんね」
「何でお前が謝るんだよッ!!」
恵は感情のまま影男の襟首をつかむ。勢いよく降りた拍子にブランコがギィギィと、不快な音を立てて揺れた。
彼の脳裏によぎったのは姉の顔。「ああ、そうなのか」と。この少年もまた津美紀のように善人なのだ。それこそ、恵が一周まわってキレてしまうくらいに。
「僕はずっと君のことを考えないようにしていた。父さんや母さんのことを思い出すから」
「………」
「でも、もっと早く向き合うべきだったんだ。そうすれば伏黒くんは苦しまずに済んだんだ」
「……っ」
「だから、ごめんね」
パッと影男の襟首をつかんでいた手が離れる。恵は袖で目尻を拭い、下を向いてしまった。身長の割に華奢な体が震える。
「俺の、方こそ……いきなり胸ぐらをつかんで悪かった」
影男は「大丈夫だよ」と言おうとした。しかしそれは遮られる。
「恵をいじめるなぁ────!!」
後頭部で長い髪を結った少女が、怒涛の勢いで走ってくる。二人は目を点にした。
◇
喧嘩をしていたわけではないと知った津美紀は、ホッと息を吐いた。ここ最近思い詰めた表情を弟がしており、今日五条とともにどこかへ行ったとなればその心配はさらに高まる。経済的支援をしてくれる五条を信頼していないわけではないのだが……。
悶々としたまま彼女は夕食の買い出しのため、自転車を走らせていたところで弟の姿を偶然発見した。津美紀はコンクリートにタイヤ痕を残すように急ブレーキをかける。AKIRAな止まり方だった。
「恵が泣いてる………!!?」
年上に殴られても泣かないあの弟が、一見すると貧弱そうな少年を前にして泣いている。この一大事に彼女は決然とした意思をもって場を治めに向かった。
そして現在、流れで三人は商店街を歩いている。自転車を押す少女の隣に影男が。さらにその横に居心地の悪そうな恵が歩く。
「恵の遠い親戚なんだ。私は恵の姉の伏黒津美紀っていいます」
「ぼ、僕は茂山影男です…」
「影男くんか! 私と同い年なんだね〜」
「………」
恵は徐々に空気になった。隣の少年の頬が赤らんでいるのは気のせいではない。口調だって津美紀と会話する時だけやたらと噛む。
「肉体改造部って部活があるの?」
「う、うん。それで体を鍛えてるんだ……」
「へぇー。私のお父さんも筋肉がすごかった覚えがあるなぁ……ねぇ影男くん。ちょっと触ってみてもいい?」
「えっ!!!??」
しどろもどろになりながら、影男はどうにか頷く。長い黒髪に、さっき会ったばかりでもわかる優しい人柄。おまけに笑顔がかわいい。もう思春期の心はドキドキしっぱなしだ。アカネちゃん以来の恋のスナイパーが現れた。
「じゃあ失礼します」
袖がまくられた二の腕に津美紀の手が触れる。真希や肉体改造部の先輩ほどではないが、影男の筋肉も多少は付いた。
「すごい! 本当に硬い!!」
「ウ、ン………」
「恵も触ってみてよ!」
「そのくらいにしてやった方がいいぞ」
「え?」
プシュウ、と音を立てて影男は膝をついた。隠しきれないほど真っ赤な顔を見て、体調が悪いのではないかと津美紀は彼の背をさする。泣きっ面に蜂の攻撃だった。
そのあとは無事に買い出しを終え、影男は津美紀と連絡先を交換した。
少年の恋の一幕は今日の影男と恵の出来事を帳消しにするほどでかかった。
五条に今日の件を聞かれた恵は「いい奴でしたけど………」と言葉を濁した。一方で夏油はお花畑に迷い込んだ影男に色々と吹っ切れたのだった。
以降、津美紀からたまに連絡が来るようになった。たいてい「恵が」という内容が多い。対してピュアボーイに好きな女子に自分から連絡をする勇気はないのだった。
◇
スマホを見ては花を飛ばす。この異常事態にいち早く真依は気づいた。まさか、という考えは「でもあの影男くんよ?」という考えに遮られる。というか、信じたくない。
「茂山の奴、前はどこか暗かったが、最近急に雰囲気が変わったな」
練習中の部長が汗を輝かせながら言う。
『だから早く思いを告げた方がいいって、俺様は言…………イタタタタッ!! ギブギブッ!!!』
頭をつかまれて壁に叩きつけられる呪霊がギブアップを申す。
「真依……影男の野郎…!」
お姉ちゃんは何でも妹のことはお見通しだ。
「付き合ったわけじゃないよ。
胡散臭い格好の袈裟男はそう言った。
「愛ほど歪んだ呪──「黙 っ て く だ さ い」………」
やがて真依の眼光は、最強の男もひと睨みで黙らすものになった。
どこまでも鈍感で、あからさまにアピールをしても気づかない男。
この恋は禪院真依の初恋だった。しかし嫌なことに、「初恋は実らない」なんて言葉もある。
真依の焦りは日に日に募っていった。
それから、冬の寒い時期だった。部活帰りに真依ははじめて自転車の荷台に乗せてもらった。彼女は器用に荷台に手をついて目の前の背中には触れない。
「寒いわね」「そうだね」と、お互いに白い息を吐く。
「私、影男くんのことが好き」
男の人としてよ──と続けた真依。
長い長い、悠久に感じられる間を置いて、自転車が止まる。錆びついたおもちゃのように振り向いた影男は、「え?」とトナカイの鼻より顔を真っ赤にして答えた。真依の顔もまた寒さではない理由で顔が真っ赤で。追い討ちをかけるように彼女は顔を近づける。
「………本気だから」
ファーストキスの味がどんな味かなんて、二人とも記憶にないインパクトだったのは間違いない。