茂山影男 作:ピンチャンよ永遠なれ………
一学期に行われる最初の授業参観日。夏油は20代後半に見える格好を考えた。
服はスーツにするとして、あとは髪型だ。高専時代のようなマンバンの髪型は野郎感が出てしまう。かといって、下すとハネ気味な髪質の問題でスーツの清潔感を台無しにする。悩んだ末、彼は後頭部で一つ縛りにすることに決めた。ピアスも流石に外していく。
老け顔メイクなんてできたらよかったのかもしれないが、化粧の知識はあいにくとない。あるとすれば、マニキュアの知識くらいだ。
「さて、行くか」
◇
授業参観は五時間目にあり、科目は国語だった。授業が終わった後は保護者会があり、親と帰る生徒は図書室で待っていることもできる。
授業の内容は長い物語を句点ごとに交代して読むもので、授業が始まる前から影男はそわそわしていた。彼の席はちょうど真ん中にある。
「では、五時間目の授業を始めましょうか」
日直が「きりーつ、れい。ちゃくせき」と話す。それにワンテンポ遅れて影男は立ち、お辞儀をして、着席した。今から夏油が入ってくるのだと思うと、嬉しさやら緊張やらで胸がバクバクする。
教科書の当該するお話の場所には、漢字の隣に先生と読んだ際につけたひらがなが振ってある。これならば今の影男でも噛んだりしなければ読むことができる。
そろそろと教室の後ろから保護者たちが入ってくると、子どもたちも後ろを振り向いたりと忙しない様子になった。影男も何度か見たが、まだ夏油の姿はない。「もしかしたら来ないんじゃ…」という気持ちも一瞬よぎったが、すぐに頭を振る。
(大丈夫。何度も先生と練習して、家でも練習したんだ。自信を持たないと…)
その時、教室がザワッとした。扉の場所で片手を上げるスーツ姿の夏油を見た影男の瞳が輝く。
すみません、と影男が見やすい位置に移動する青年の姿を、奥様方はぼんやりとした顔で見つめていた。無論担任も。いや、それどころか7、8歳の少女たちまでも顔を赤くして見入っている。小声で「だれのお父さんかな?」や、「塩顔イケメンだわ…」など、淑女諸君の黄色い悲鳴が聞こえてくる。
「そ……………れでは、保護者の皆さまもそろった様子なので、音読会を進めていきますね」
我に返った教師は、軽く咳をして授業を始めた。
◇
影男は途中で少し噛んだ場面もあったが、どうにか読み切ることができた。目の前の子どもが着席して、自分の番だと立ち上がった時の手は教科書ごと震えていた。
夏油は内心で応援しながらその様子を見守った。読み終わった後、座る直前にチラリと夏油を見た影男の目は「僕、頑張ったよ」と言っていた。夏油もこっそりとピースを返した。
良い気分になっていた夏油に待っていたのはしかし、保護者会。
参加しなくても問題はない。しかし影男のことを考え夏油は参加した。学校の教育方針や行事について担任から聞くことができ、設けられた時間で質問することも可能だ。親の顔も知ることができる。
中には夏油の両親の年齢に近い保護者もいる。
淑女方の視線は当然、スタイリッシュにスーツを着こなす塩顔の男に向けられている。派手なスーツというわけではないが、見る人が見れば高級な生地だとわかる。右手に巻かれたカジュアルな腕時計は、スーツには少しアンバランスだった。
ひとまず挨拶することになり、担任から始まって、次に「××の保護者の◯◯です」と親御さんたちの自己紹介が続く。男性の参加率がただでさえ一割にも満たない中、夏油の存在は当たりくじの一等だった。
「私は今年度転校してきた影男の保護者、夏油と申します」
この場で実際の親ではなく親戚であることは明示しておく。同時に「それ以上探ってくんなよ」と暗意に伝えておいた。果たしてぼんやりしている奥様方にその意図が伝わったかは不明であるが。
保護者会自体は時間通りに終わった。夏油も子供用の携帯の持ち込みが可能なのか担任に尋ね、学校に許可を取れば問題ないという話を聞いた。高専に今回の件で借りを作ってしまったため、その対価に任務を受ける必要性が出てきたのだ。もちろん頼るときに「依頼何回分」という形で限度は設けている。
そのため今後影男とやり取りをスムーズに行うためにも、夏油は影男の分の携帯の購入を検討している。
「あの〜すみません」
もらった資料を持ってさっさと影男が待つ図書室に行こうと思っていた夏油は、廊下で女性たちに捕まった。彼のスマイルに隠された、プライベートに踏み込んでくんな、という意図は全く伝わっていなかったのだろうか?
「夏油さんは若そうに見えますけど、おいくつなんですか?」やら、「影男くん、帰国子女なのに頑張って読んでて感動しちゃいましたぁ」やら。
「すみません。影男くんが待っているので…私はここで」
さりげなく「保護者の繋がりうんぬん」と、携帯の番号を聞いてくる者や、断りを入れてなお、もう少し話そうと誘ってくる者もいた。夏油の『猿どもめ』メーターが上がっていく。
少なくとも、今彼に群がっている
失礼、と間をすり抜けるようにして、夏油はその場を後にした。ネクタイを緩め「ハァー…」と苛立ちの混じったため息を吐くその顔は、完全に呪詛師のものだった。
まぁそれも図書室で勉強を頑張っていた影男が、彼を見るなり表情を明るくして、慌てて荷物を片付け始めた様子を見ると嘘のように消えた。図書室に残っている子供は思ったよりも少ない。
「保護者会、どうでした?」
「……参加する有用性よりも、終わった後の心労が勝ったよ」
「あぁ…」
やっぱり群がられたか…と思った影男は、いつか自分にもモテ期が来るんだろうかと淡い妄想をした。
◇
帰り道はタクシーを使わず、徒歩30分ほどの道を歩いて帰った。夏油は影男の歩幅に合わせてゆっくりと進む。歩行者に合わせて時折影男の後ろに移動すると、ふと懐かしい気持ちになった。
「今は新品のランドセルだけれど、そのうち傷が増えていくんだろうね」
「傷がつかないよう大切に使います」
「いや、むしろドンドン傷ついた方がいいかな」
「えっ…?」
影男の顔はショックに染まっている。夏油としては傷はイコールで、それだけ年月を重ねたことになる。つまり思い出が刻まれていくということだ。ヘルメットな髪型の上にかぶっているヘルメットだって、脱ぎ捨てて床に転がったり物にぶつかったりすれば傷は増えていくだろう。
横歩きできるようになったら、並んで手を繋いだ。まだまだ影男の手は小さい。しかしはじめて会った時よりは大きくなっている。
「8年前は私も、こうしてランドセルを背負って歩いていたんだと思うと、不思議な気分になるよ」
「夏油さんは小学生だったんですか…?」
「モブくん、大人になるのが子供だよ」
自転車が来たからまた少し避けて、横に広がる。懐郷の念に浸っていた夏油の記憶はさらにもう少し遡る。手を繋いで歩く母と子。そんな姿を思い出した。
手を握って、あの頃夏油は歩いた。
「………あぁ」
商店街から香る揚げ物のいい匂いに気を取られていた影男は、止まった夏油の歩みに「ん?」と声を上げた。首をそのまま真上に上げる。
夏油は少し口を開け、片方の目から涙を流していた。影男の目が丸くなる。
「ど、どうしたんですか?」
「………」
「夏油さん!!」
影男が全身を使って揺すると、遠くを見ていた夏油が我に返った。夏油は目をこすり、手の甲についた水滴をじっと見つめる。
「……泣いてるみたいだ」
「どこか痛いんですか?」
「…あぁ。心臓が……とても痛いな」
夏油の心臓が、心が痛む。慎重に息を吸わなければならなかった。おっかなびっくりそうやって息を吸って、吐く。彼は恐ろしい事実に気づいてしまった。
「君と出会っていなければ、私はきっと自分の両親を殺していた」
自分を嘲笑するように夏油は笑い、下を向く。唇を噛んで、これ以上子供に情けない姿を見せないようにと堪える。それでも体の震えは止まらなかった。
「………」
影男は前を向いて、力強く大きな手を握りしめる。迷子にならないように親が子供の手を引くように。この人生のだだっ広い迷路で立ち往生しそうな男を、帰るべき場所へと導く。
何も言わず歩き続ける影男に、後ろから掠れた声で「ありがとう」と聞こえた。
【TIPS】
・携帯
最近「次世代型携帯」として話題のスマホに買い換えようか検討中の夏油。影男の分も買うとして、ガラケーの方がいいのかスマホの方がいいのか。
学校の緊急連絡先は非プライベート用の携帯。