茂山影男   作:ピンチャンよ永遠なれ………

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41話

 自分の力で、また人を傷つけてしまった。

 乙骨くんを気絶させてしまったせいで、あの呪霊は暴走して、僕を襲った。

 

 そしてその末に、夏油さんが右腕を失った。意識だって、まだ回復していない。このまま意識の回復が遅れると、大きな後遺症が残る可能性もあると言われた。

 夏油さんは場所を移され、現在は高専と関わりのある病院で眠っている。

 

 きっと僕が事故に遭った時、あのひとは今の僕と同じ気持ちだったんだ。

 ──いや、僕だけでなく両親が亡くなっていたんだ。

 

 本当に、自分が嫌になる。

 

 

 

 脳については手立てがない。

 なら、腕だけでも治したかった。専門の家入さんに「無理だ」と言われてしまったけれど、諦められない。

 乙骨くんが呪霊の力を借りた上で、失敗に終わった話を聞いても、諦めきれなかった。

 

 まず、必要な知識を調べた。図書館に行き、本を借りて人体についての勉強を始めた。スマホも使うけど、正しい情報を学ぶなら、本が一番正確だった。

 

 正直最初はまったくわからなかった。一つの単語を調べるために、五つも六つも新しい単語を調べては、さらにその単語を理解するためにいくつもの単語を調べることになる。

 

 頭が痛くなった。それでも一日中、ノートに意味を書きながら勉強した。左手でカップラーメンを啜りながら右手でシャーペンを動かす。容器をノートに倒して、汁まみれにしてしまったことも何度かあった。

 

 一般人向けの本を一冊読むのに一週間。専門書は読破した本の五倍くらいの厚さがある。

 それでも、四の五も言ってられない。

 

 合間合間で任務や治療を行いながら、勉強を続けた。夏油さんのお見舞いにも、できるだけ毎日行った。

 

 五条さんとは何度か出会した。一度目は驚いた。扉を開けたと思ったら、椅子に座っていたものだから。五条さんは長い足を開いて、その上に指を交差させた手を置きながら、天井をぼんやりと眺めていた。目隠しをしていたから、その目は見えなかった。

 声をかけると、「おー」とだけ返ってきた。帰り際、「ちゃんとメシ食えよ」とも言われた。

 

 帰る前に、病院のトイレに寄った。

 僕以上に思い詰めているのは、五条さんかもしれない。

 そう考えるだけで、気持ち悪さが止まらなかった。

 

 

 一日だけ、ベッドから動けず、見舞いに行けなかった。

 

 

 

 おおよそのざっくりとした知識を身につけたら、骨や肉、神経や血管を頭の中で意識するようにして欠けた腕に反転術式を試みた。使う際には傷が塞がっているとできないから、少しだけ傷を作った。

 

 結果は失敗した。のれんに腕押しで、うんともすんとも言わない。

 ほかの傷は治せるのに、どうして欠けた腕を元通りにすることができないんだろう。

 

 日を改めて、試行錯誤を繰り返してもダメだった。僕のイメージが足りないんだろうか? それとももっと、家入さん並みの専門な知識がないとダメなんだろうか?

 

 夜寝るたびに、真っ赤な夢を見る。

 誰かを傷つけて、あるいは守ることができなかった自分の夢。

 

 寝覚めはひどく悪い。そんな状態で毎日のように訪ねてくる真依ちゃんに、顔を見せることもできなかった。

 

 今はなるべく、誰とも会いたくなかった。

 

 ごめんね、真依ちゃん。三輪ちゃんや与くんにも、迷惑をかけているってわかっているのに。

 

 僕は────今の僕にできるのは、一つだけなんだ。

 それをやり遂げなくちゃならないんだ。

 

 じゃなきゃ僕は、目覚めた夏油さんに顔を見せられない。

 

 

 

 だからこそ

 

 

 

 なのに

 

 

 

 どうして────

 

 

 

 

 

 ケガは一向に治せない。わからなかった。どうやったら、腕を治せるのだろう。

 

 自分の無力さが腹に重たく積み重なる。

 何のための力なんだよ、と思った。

 人を傷つけるためじゃなく、人を助けるために僕はこの力を使おうと誓ったのに。

 

 なのに、人を傷つけて、助けるためにも満足に使えない。

 

 

「何なんだよ………僕って」

 

 

 通う病院には、いつも渡る歩道橋がある。そこの手すりをつかんで、ズルズルと座り込んだ。頭上にはいつか見たような真っ赤な夕日がある。車の走行音や、カラスの声、通行人の声も聞こえた。

 

「……帰って、勉…」

 

 一陣の風が吹く。もうすっかり秋の雰囲気だった。落ち葉が自分の顔に当たり、その拍子に目をつむる。

 

 その時ふと、聞き覚えのある関西弁が聞こえた。それは、僕の名前ではなかったけれど。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

()()()しとるなぁ」

 

「……こんばんは、禪院先生」

 

「名前で呼んでエエって言うとるのに」

 

 直哉はわざとらしく肩を竦める。

 今の茂山影男は、いつもの無機質に感じる瞳とは違う。赤くなっているわけでもないのに、光を宿さない黒い瞳にはさまざまな感情がにじみ出ていた。

 

「かなり窶れたんとちゃう? 目にも隈があるやん」

 

「アンタには関係ない」

 

「随分とツレない態度やんか。──真依ちゃんにも」

 

「………」

 

 影男は直哉に視線を向けた。かつて、特級呪術師のコンビが結成し、ある意味で伝説となったあの日。その時と比べ、今は少し顔を上に向けるだけで直哉の顔が見れる。

 

「悟君でもできないもんはある」

 

「……夏油さんの腕の治療を、諦めろって言う気ですか?」

 

「知っとるで。影男君が、高専の書庫に行ってたんは」

 

 書庫と言っても、高専生なら許可を取れば入れる場所だ。そこで影男が借り出したのは、『縛り』に関する書物だった。

 

 

「縛りを設けて夏油傑の腕を治す気か、お前」

 

「…治せなかったらの話です」

 

「ハッ! ……阿呆(アホ)やろ、自分を犠牲にしてすることが腕の治療て」

 

「………アンタは何? 僕の機嫌を損ねて、それを笑いにでもきたの?」

 

 影男の瞳が夕焼けの色よりも、もっと赤く染まった。風が彼を中心に生じ、側溝のゴミが風にさらわれ吹き上げられる。建物や木々を超え、やがて粒のようになり、見えなくなった。

 

 直哉は息を飲む。この青年が禪院家で暴れた時は、()()()ではなかったのだ。あいにくと彼はその時現場にいなかったが、その惨状は後から目にした。

 感情の発露にも純度がある。その中で『殺意』とは、人間の感情の中で飛び抜けたものである。

 何せ「人を殺す」ということは、人間の倫理を破ることなのだから。

 

「そないに大事なんか、血もつながっていない養父が」

 

「『家族』に血のつながりは関係ない。それを教えてくれたのは夏油さんだ」

 

「分からん……分からんなぁ。血縁上の家族でさえクソだと思うことだってあるやろ」

 

 直哉にとっての『家族』とは特に価値もない。実父の直毘人が死んだとしても、涙は一切出ないだろう。出たとしたら、それは目薬の水滴だ。

 

「……禪院家は確かに特殊かもしれないけど、一般的に育てば、家族の愛情は生まれるよ」

 

「──影男君にとって一番大切なんは、血のつながらない親ってことか?」

 

「「一番」って言葉は好きじゃない。その言葉を使うと、優劣を付けることになるから。僕は夏油さんも…真依ちゃんも大切なんだ」

 

「ヘェ」

 

「それに、真希ちゃんや三輪ちゃん……与くんたちも大切だ」

 

 直哉の笑顔が、「真希」が出たところから固まる。

 

 

「選べないくらい、みんな大切な人だ。僕が生きてきた中で結ばれた『出会い』なんだ」

 

 

 そしてその上で、影男は縛りの方法を考えている。

 ひどい矛盾だった。

 自分が犠牲になればその人たちが傷つくと、わかっているのに。

 

 

「……分からんわ、ホンマ」

 

 ポツリと直哉が呟く。

 

 

「博愛主義者ってわけでもないやろ。手前は基本、人に興味を持つ人間性(タイプ)やない。常に無関心や。

 そのスタンスはガキの頃の呪力暴走が原因で生まれたんやろ。

 ただ、懐に入れた人間はその例とちゃう。今みたいなさぶい博愛主義者のような事も本気で言ってのける。

 一方で敵対した者には容赦ない。人間性のバランスが悪いやろ。そんなんやから、爆発することになるんやで?」

 

 

 影男は思わず目を瞬かせた。あまりにもその発言が、的を射ていたからだ。

 

 その時彼ははじめて、禪院直哉という人間を『禪院家の人間』ではなく、一人の人間として見た。

 

 

「……僕勉強したいので、もう帰っていいですか?」

 

 

 ────しかし、そこは茂山影男。空気を読まない青年である。

 

 

 

「……あと、似ているらしいから仕方ないとは思いますけど、名前を何度も間違えられるのはいい気分がしないです」

 

「影男君、今ボクの名前言うてみ?」

 

「……………ゃ先生」

 

「声が小さ過ぎて聞こえんかったわ」

 

「………」

 

「さっきの発言をするなら、まず先に人の名前を覚えるのが筋とちゃうん?」

 

 直哉のこめかみは若干ピキっていた。影男と彼は、元来の精神面では相性が悪いのだ。それもかなり。

 

 

「それこそ────だったらアンタはまず、名前以前に、僕を伏黒甚爾(僕じゃない人)と重ねるのをやめたらどうですか」

 

 

 直哉の狐目が大きく見開かれた。何か言おうとして、適切な言葉を考える。

 しかし出てこない。思考をしないまま発言をした場合、おそらく「お前が甚爾君なわけないやろ」になる。

 

「僕は僕だから……誰かの代わりになることはできない」

 

「……そんなこと、分かっとるよ」

 

「僕のままでいいなら、僕はアンタの名前に「先生」を付けて呼びますよ」

 

「……………お前は」

 

「はい?」

 

「お前は…………()()()側や」

 

「…そっち?」

 

 影男は首を傾げ、周囲を見渡してから直哉の顔を見る。

 

 

悟君や甚爾君(あっち)側でも、こっち側でもない。──────何なんや、お前」

 

 

 直哉の寸分違わぬ物差しではかった時、茂山影男という少年はなぜか「そっち」側になった。

 そっち側ってどっちやねん、と彼自身が思った。

「そっち」はしかし、五条や甚爾と同じように彼に鳥肌を立たせる。

 

「僕は……」

 

 少し逡巡した影男は、ふと懐かしい記憶を思い出した。

 

 

 

 

 

 ────『茂山』は、君の大切な名前だからね。

 

 

 

 

 

 

 

「僕は、茂山影男です」

 

 

 

 

 

 

 

 影男の中でこの時、一つの覚悟が決まった。




 ────………このこと、真依ちゃんたちに黙ってもらえませんか?

 ────まぁ、ええで。君が養父の腕を縛りで治そうとしてることは言わへんわ。
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