茂山影男   作:ピンチャンよ永遠なれ………

5 / 60
5話

 茂山影男という生徒は、いわゆる空気の読めない男の子だった。両親は他界済みで、親戚の青年に引き取られる形で日本へとやってきた。そのため勉強の進みも遅れている。

 

 斯様な生徒を受け持つことになった教歴三年目の女は頭を悩ませた。一、二年目に残業やモンスターペアレントの影響ですっかり病みきっていたところに、難しい問題を抱える生徒を任されたのだ。

 

 それでも「NO」とは言わなかった。一人一人の生徒と向き合い教えていくこの職業に、彼女は誇りを持っていたからである。

 

 

 影男は基本的に無表情で、何を考えているかわからない。じっと見ていると、ハニワのような不気味さも感じられてくる。

 

 根はしかしいい子だった。荷物運びをさり気なく手伝ったり、同級生に面倒な仕事を押し付けられても断らない。

 

 勉強も丁寧に教えると、苦戦しながらも少しずつ覚えてくれる。「頑張ってるな」と担任は思っていた。同時に、なかなか友達ができない様子が心配でもあった。

 

 

 

 ゴールデンウィークが終わり、家庭訪問の時期がやって来る。

 

 女教師は忙しさに目を回しながら、影男の番が来た時ため息をついた。

 

(影男くんの保護者さん、怖いんだよなぁ…)

 

 最初に会ったのは新学期開始前に学校に来てもらい、色々と説明した時だ。あの時も、そしてこの間の授業参観の時も目つきが冷たかった。他の奥様方のようにその容姿にボーッとしても、あの目を見ると冷や水を浴びせられたような気持ちになる。

 

 

 影男の家は高層マンションの最上階。彼女は「ヤーさんかもなぁ…」と思っている。約10分の話を五・七・五で終わらせたいくらいである。

 

 それでも児童のことは伝えなければならないので、覚悟を決めてインターフォンを鳴らした。中から歩いて来る音がして、扉が開かれる。「どうぞ」と言った影男の保護者は相変わらず目の保養だった。

 

「あっ、お話は玄関で大丈夫ですので、お気になさらず…」

 

「いえいえ、中へどうぞ」

 

 夏油の目つきは彼女が想像したよりも柔らかかった。彼女は内心で首を傾げる。雰囲気は影男を見ている時と似ている。無表情がデフォの影男も、この保護者のことになると年相応の表情を見せることを、観察していた女教師は気づいている。

 

 

 

 話はリビングのテーブル越しに行われた。彼女もスイッチを変え、日ごろの影男の様子について伝える。

 

 勉強が苦手ながら頑張っており、今は一年の範囲の漢字を練習していること。算数の学習は国語より少し遅れていること。休み時間はアリを観察したり、池のおたまじゃくしを観察していることが多かったこと──。

 

「他の子と遊ぶのは苦手みたいなんですが、一人の場合でも自分なりに楽しく遊んでいました」

 

「そうですか…」

 

 女教師はチラッと、うっすら開いている扉の方を見る。盗み聞きしている者がそこにいる。家庭訪問をしているとよく見られる光景だった。

 

「いつも連絡帳に細かく書いてくださっていますよね。とても助かっています」

 

「いえ……! いえいえ…!!」

 

 ヤーさん(仮)に頭を下げられると心臓が保たない。向こうからの質問にいくつか答えた後、彼女はわざとらしく時計を見て「おっと、そろそろ次のお宅が…」と立ち上がる。その動きに驚いたのか、扉がバタンと閉まった。

 

「モブくーん?」と夏油が言うと、犯人は渋々と投降する。玄関で二人に見送られる中、女教師はお辞儀した。

 

 

「保護者会の時」

 

「えっ?」

 

「私以外の親御さんたちの質問にも真摯に答えられていて、連絡帳どおりの人なんだと思いました」

 

「あ、はい……?」

 

「これからも影男のこと、よろしくお願いします」

 

「……は、はい!」

 

 相手の意図はよくはわからなかったが、ひとまず悪い印象は持たれていないのだと判断した女教師は、影男にも「また明日ね」と小さく手を振り退室した。影男も「うん。また明日ね、先生」と頷いて同じように手を振り返す。閉まった扉から視線を移した影男は夏油の顔を見た。

 

 

「授業参観の前の時も、時間を作って先生が音読の練習をしてくれたんだ」

 

「……ああいう人間ばかりいたら、いいんだけどね」

 

「まるで悪い人ばかりいるみたいに言うんですね」

 

「君と私が見えているものは違うんだよ。汚い部分ばかり見えてしまうんだ、私は」

 

 ポンポンと影男の頭に手を乗せた夏油は、廊下を歩いていく。その後ろ姿を影男はじっと見つめた。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 六月。プール開きの季節である。子供たちは大はしゃぎである一方、影男の心は憂鬱だった。家のお風呂場でも真希の教えを思い出して練習してみたが、上手くいった試しがない。というか、バタ足でお湯を減らしすぎて夏油に怒られた。

 

 スイミングスクールに通う手もある。ただそこまで影男は泳ぐことに情熱を燃やしてはいない。泳げたらカッコいいだろうな、というマインドである。

 

 夏油からはしっかりと水泳帽をかぶるように言われた。しっかりかぶらないと、将来女性にだらしない人間になるらしい。夏油の言っている意味はよくわからなかったが、影男はマトモな人間でありたいのできっちりとかぶった。

 

 

 そして、六月が過ぎれば子供たちの楽園が始まる。夏休みだ。

 

 子供たちはこの楽園で天国でいられるか、それとも地獄に落ちてしまうのか。すべては如何にして計画的に宿題を遂行するかにかかっている。影男は溜め込まずに、毎日コツコツとこなそうと決めている。

 

「夏休みか、楽しみだな…」

 

 事前にもらった宿題の一部である日記を机の上に置く。毎日何を書いていくのか想像するだけで、不思議と冒険に出たようなワクワクした気持ちになる。

 

 真依や真希とも遊びたい。まだ会ったことはない美々子と菜々子という双子の少女や、パンダ(?)にも会って遊んでみたい。一年前はこんなに胸が躍る想像なんてできなかった。

 

 幸せだな、と影男は呟いた。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 少年少女諸君! 通知表なる特級呪物により、彼らがどんな結末を辿ったのか────それは、それぞれのご家庭次第だろう。

 

 影男は体育はほとんどCで、あとはBが多めのAが少しという結果だった。優しさや頑張り屋さんのところには二重丸がついている。

 

 恐々としながら提出された影男の通知表を見た夏油は、まず第一に「懐かし……」と思った。この厚い紙を折り曲げただけの紙は、見た目にそぐわない付加価値がある。

 

「よく頑張ったね。体育は要努力義務かな」

 

「ハァ……」

 

 ソファーに沈んだ影男は顔だけ動かし、「夏油さんの通知表も見たいです」と話す。ニッコリ笑った夏油は夕飯の話にすり替えた。回転しない寿司を食いに行かないか、とのことである。

 

「寿司は回るものじゃないんですか?」

 

「回らないところもあるんだよ。行ってみればわかるさ」

 

「ところで、夏油さんの通知表…」

 

「影男くん、夏休みだからって浮かれすぎないようにね。宿題は計画的にやろう」

 

「………」

 

 ピアスを開けてボンタンを着こなしていた男は、果たしてどんな伝説を作り出していたのか。影男は想像するしかない。雨の日、段ボールに入った捨て猫を見つけて、傘を差し出してそうではあった。

 

 

「あぁ…あと、それでね……。言いにくいんだけれど、仕事が入ってしまってね」

 

「もしかして呪霊退治ですか?」

 

「そうなんだ。私が家を空ける間、真希ちゃんたちのところに泊まってもらってもいいかな?」

 

 禪院姉妹が住んでいるのは築40年ほどの一軒家だ。庭付きで、田舎の実家風な趣がある。その感覚は影男には今イチピンとこないものだが。

 

「……僕もそのお仕事に同行ってできないんですか?」

 

「ダメだよ。危険だし、君が思うようなそこら辺にいる呪霊とは格が違う」

 

「あ…確か呪霊にはレベルってあったんでしたっけ?」

 

「私が相手取るのは特級、もしくは一級が多い。──ともかく、同伴はできない。いいね?」

 

「………はい」

 

 影男なら一級の呪霊も倒せるだろうと夏油は考えている。あるいは特級の任務もこなせるかもしれない。呪力暴走を起こしていたとはいえ、一級相当の術師もいる中で、禪院家の者たちは影男に歯が立たなかったのだ。

 

 

 影男は強い。それは認める。しかしそれは力の話で、心自体はいたって普通の子供だ。腐った呪術界や猿どもの闇を夏油は影男に見せたくはない。もし将来呪術師になりたいと思うなら、それを応援する気持ちはある。しかし今はまだ色んなものを見て心を育み、すくすくと育ってほしい。

 

 それに影男が力を制御するために必要なのは頑丈な肉体ではなく、強い精神だ。

 

 

「モブくんに将来の夢はあるかい?」

 

「夢? ……特にはないです」

 

「そうか。もしなりたいものが見つかったら、私に教えてね」

 

「じゃあ夏油さんも、夢が見つかったら教えてください」

 

 夢か、と夏油は考える。大きな大志を抱いていた高専時代の自分が、彼には眩しく感じられた。それに──親友と過ごした時間も。

 

 あの頃が楽しかったと思えてしまうのは、大人になったという証拠なのだろうか? それとも目の前の子供を前にして、大人振っているだけの子供なのだろうか?

 

 

「大人ってなんだろうね」

 

「………僕に聞かれても」

 

 

 名探偵影男でも解けない問題はあるようだ。

 

 大人とは何か。この問題は二人にとって、一夏の宿題より難しい難題だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。