茂山影男   作:ピンチャンよ永遠なれ………

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54話 此岸と彼岸の間に浮かび

 

 ────私は、あなたの声を聞く。

 

 


 

 

「高菜ァ!!」

 

 場所は東京。『爪』の雑兵を拘束していた狗巻は、突然頭を押さえ倒れ込んだ真希の元へ駆け寄った。

 何か敵の能力にやられたのか。狗巻はひとまず、真希を抱え救護班のところへ向かった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 海が広がっている。

 

 浜辺で目を覚ました真希は、周囲を見渡した。彼女は先ほどまで雑兵を次々とぶちのめし、気絶させていたはずだった。

 

「起きたの、真希」

 

「………真依!?」

 

 京都にいるはずの真依が、なぜか真希の目の前にいる。お互いに高専の制服を着ており、仲良く浜辺に座っていた。

 遠くから海鳥の声が聞こえる。

 

「アンタも薄々分かってるでしょ? ここが私たちの精神世界だって」

 

「せい……神?」

 

「いやね、真希が釣りにばかり行ってるから海になっちゃったのかしら」

 

 ハァ、とため息をついた真依は砂の上に寝転がった。

 

 

「お姉ちゃん、私ね、死んじゃうみたい」

 

「…………ハァ!!!??」

 

「分かるの。心臓がね、無くなっちゃったの。私…………なんて、生まれなきゃよかっ、……」

 

「おい、泣くな。そんなこと言うな!! 頼む、から……」

 

「私のせいよ………全部、私が弱いから……」

 

 真依はボロボロと泣き出した。人目も──と言っても真希しかいないが、大声で子どものように泣く。

 真希は堪らず抱きしめ、背を叩いてやった。真依は縋るように姉に抱きついた。

 

「………お前が敵に攫われたって情報は、私もついさっき聞いた。モブのやつがお前を助け出そうと、単身で結界が破れた京都校に向かったって話も…」

 

「……そう、だったの」

 

 ザザアと、海が引いては押して、引いては押す。

 

「…声が聞こえたの」

 

「声?」

 

「影男くんの声だった。私の名前を必死に呼んでいた。私……私、どれだけ影男くんやお姉ちゃん、霞や幸吉たちに迷惑を掛ければいいんだろう? きっと………私きっと影男くんの目の前で殺されたんだわ。私、わたし……」

 

「………まいっ」

 

 

 真希は唇を震わせ、強く、強く真依を抱きしめる。

 妹がどうなるのか──そしてどこへ行くのか、彼女は分かってしまった。

 

 潮がだんだんと高くなり、二人の膝まで濡らしている。

 

 

「……ごめんね、お姉ちゃん。でも、死んじゃう前にお姉ちゃんと会えてよかった。私……私ね、お姉ちゃんの妹でよかった。もちろん、「どうしてアンタが姉なのよ」って思ったこともあったけど」

 

「………反っ、抗期が」

 

「あら…ふふっ、言わなかった? 真希にはずーっと反抗期だって」

 

「……ばかやろー」

 

「お姉ちゃん、笑って。真希に泣き顔なんて、似合わないんだから」

 

 海の嵩は座る二人の臍下まで届いている。油断すれば波に合わせて体が倒れる。

 真依はそれでも離そうとしない真希の手の触れ、優しく外させた。

 そして手のひらを開かせ、何かを握らせる。

 

 

「私は影男くんに「私の命をあげる」って約束しちゃったから」

 

「……ハ? ンなの聞いてねー…」

 

「命をあげるってことは、『私の全部をあげる』ってことなの。だから、私のものじゃないこれは、あなたに返しておくわ」

 

「……まっ、真依!!!」

 

 

 一際大きな波が、二人にぶつかった。一瞬目を閉じた真希は、次に目を開けたときに妹の姿が無くなっていることに気づく。

 真依はすでに、海の中にいた。

 

 

「真依!! 待てよ……真依ッ!!!」

 

「その代わり私も、『返して』もらうから」

 

 

 真希は走った。懸命に走った。しかし、海はどんどん引いていき、また真依の姿も水中へと消えていく。

 

 真希は何度も妹の名を呼んだ。人生で一番泣きながら、必死に手を伸ばした。

 

 

 

「もう、妹離れする時間よ。────じゃあね、禪院真希(お姉ちゃん)

 

 

 

 真依は微笑んで、水の中へと消えていった。

 

 崩れ落ちた真希はしばらくそのまま、呆然と海を見つめていた。

 それからどれだけ時間が経っただろう。ふと、妹に渡されたものに気づいた。

 手のひらを開くと、一本の葦があった。それをじっと見つめた彼女は、唇を噛みしめ、立ち上がり投げ捨てようとする。

 

 しかし、できなかった。

 

 自分の両手でその葦を握りしめ、胸に押し当てる。

 それからまた座り込み、空を見上げて大声で泣いた。

 

 

 海鳥が飛んでいる。

 

 

 

 目覚めた彼女は、そして────。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 京都校の周辺。そこに呪術師や補助監督などが集まっていた。

 

 現在、高専の周囲は黒い渦のドームに覆われ、それに少しでも触れようものなら一気に呪力を奪われ倒れてしまう。

 何名かがすでに触れてしまい、失神していた。

 

『爪』との戦闘は雑兵が無力化されたことで、呪術師側はいくらか余裕を取り戻した。

 しかし、またこうして別の問題が発生している。

 

「参ったわね……この渦は電波障害も引き起こしてるみたいだし…」

 

 歌姫は頭をかいた。中にはまだ一般の職員もいる。仮に呪力を奪うこの渦にさらされ続けた場合、遅かれ早かれ命の危機に陥る。

 

 

「────退けッ、歌姫!!」

 

 

 ちょうどそこに、空から袈裟姿の男が降ってきた。呪霊を使い空路をかっ飛ばして来たらしい。

 歌姫はすんでで横に避ける。一歩遅ければ生臭坊主に殺生されるところだった。

 ワナワナと体を震わせた彼女は「何ッ考えてんのよ!!」と叫んだ。

 

「呪霊が黒い渦に触れたら消失したんだ」

 

「アンタ、この得体の知れないものに突っ込んで行こうとしたの!? 正気じゃないわ…」

 

「影男くんは……それに真依ちゃんもまだ中か」

 

 夏油は頭をガシガシかきながら、大きなため息をつく。

 

 この事象を起こしているのは茂山影男で間違いない。おそらく領域展開や領域展延、簡易領域が使えたとしても、この「呪力を奪う」という術式由来ではない特性の前では無に帰すだろう。

 通れるとしたら五条悟くらいだ。しかし彼は海の上で消耗線をやっている。鈴木を倒すまでにどれほど時間がかかるか分からない。

 

「………」

 

 夏油は一瞬躊躇してから、素手で渦に触れた。

 指の先から一気に呪力が吸い取られる感覚。とっさに離し、指先を見つめた。

 

 

 ────何か。

 まず間違いなく、影男と夏油の周りで動いている「何か」が。

 この事態を、作り出したのだろう。

 

 

 ギリッと歯を噛みしめる。だがすぐに思考を切り替え、考えた。

 

 

(この中に入る方法…。電波障害が起きているなら、ドローンといった偵察機を使うのも難しい。それに……この黒い渦。見覚えがある……)

 

 

 最上啓示を倒した後、暴走した影男。その時に彼の周囲で渦巻いていたものと似ていた。

 

 どうすれば────。

 

 どうすればいい?

 

 夏油は考えた。考えて────考えて。

 脳内に突如生じた緑色のやつが、「こういう時は()()しかねぇだろ!」と告げる。

 いやきっと無理だと思った。なぜなら、最上の時に一度試しても影男は正気に戻らなかったからだ。

 だが、その時無理だったからと言って、少しでも可能性があるなら諦める理由にはならない。

 夏油は大きく息を吐き、吐いた分だけ酸素を取り入れる。

 

 

 

「────私だ!! 影男くん!! 夏油傑だ!!!」

 

 

 

 歌姫が目を丸くして夏油を見つめる。周囲をぐるっと回って戻って来た三輪も、「え?」と驚いていた。

 辺りがしんと鎮まる。

 

 その直後、渦に通り道ができた。

 

 夏油はその中へ一歩、足を踏み出す。歌姫も後に続こうとしたが、その前方を遮るように復活した渦に慌てて後方へ下がる。

 

 

 こうして夏油は、黒いドームの内部を進んで行った。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 黒い渦の中は、さながら濃霧のようだった。

 

 夏油の周囲だけ黒い霧が避ける。歩くたびにパキッと木の棒が踏まれる音がする。

 不気味なまでに内部は静かだった。

 

 

 それからしばし歩き、霧が晴れた。高専の内部は霧がかかっていないようだが、月明かりさえ遮られているようで真っ暗だった。

 

 夏油は試しに人魂の呪霊を出す。あの霧にさえ触れなければ呪力は吸い取られないらしい。

 

 人魂を光源代わりにして、残穢を探る。ただ周囲の黒い渦(ノイズ)が凄まじく、ハッキリ言って何もわからない。

 

 ピンポイントの捜索は難しい。ならばと呪霊を出し、内部を捜索させる。

 

 感覚を研ぎ澄ませて歩いていくと、途中で職員の死体もいくつか発見した。頭部が巨体化し、目玉が飛び出ている者。巨大化した内臓が腹を突き破り、地面にぶちまけられている者。そのどれもが凄惨で、死体の表情も苦痛に満ちていた。

 

「………」

 

 弔いは後だ。呪霊に死体を一か所に集めさせる。

 この分だと、中の人間は全滅していそうだった。

 

「────!」

 

 そこで呪霊が祓われる感覚があった。

 

 場所を確認し、駆けていく。寂しくなった窓を飛び越え、ジャリ、とガラス片を踏みつけながら呪霊の消えた方角へ向かった。

 

 そして、そこに。

 

 

 

 

 

「………影男くん」

 

 

 黒い、一度見たことのある存在が、倒れている真依の側に座り込んでいた。

 

『まい、ちゃん……』

 

「………影男くん、私だ。分かるかい? 夏油だ」

 

『……げ、とー』

 

 首だけぐるりと180度回る。人間の可動域ではなかった。夏油は猛烈な違和感を感じながら、それでも「影男くん」と呼ぶ。

 

「近づいてもいいかな? 君も、彼女のことも傷つけないから」

 

『………』

 

「……お願いだ、影男くん」

 

 首がまたぐるりと回り、最初の位置に戻った。

 夏油は拳を握りしめてから一歩近づく。攻撃も覚悟したが、特に何も起こらない。

 

『まい、ちゃん……』

 

「……!」

 

 近づいたことで分かった。真依の制服の胸元の部分が、大きく破れている。ちょうど左胸の部分。肌は青白く、胸元が上下していない。

 脈を確かめようとした夏油は、黒い手に腕をつかまれた。黒い指が腕を加減なしに強く握りしめる。

 夏油は表情を歪めつつ、もう一度影男の名前を呼ぶ。

 

 

「わかった。もし少しでも彼女を傷つけたら、殺しても構わない」

 

『………』

 

 手がスッと離れた。

 夏油は真依の脈を確かめた。そして、すでに死んでいることを悟った。

 

『…しんぞうつくったのに、どうして?』

 

「………」

 

『どうして、まいちゃんはおきないの?』

 

「彼女は、もう──」

 

『まいは死んでないッ!!!!!』

 

 黒い両手が、夏油の首をつかんだ。ぐっ、と彼は呻き声をあげる。

 影男の目と思しき場所から、黒いものがぼたぼたと流れて地面に落ちる。

 足袋が地面から離れる。「ああ、大きくなったなぁ」と、こんな状況でそんなイかれたことを夏油は思っ──いや、子どもの成長を感慨深く感じるのは、何も特別なことではない。

 その思いを言葉にしたかったが、うまく発声ができない。

 

『まいちゃんはっ……』

 

「か、…げお、くん」

 

『────あ、ああっ、ああアアア!!!!』

 

「かげお、……くん!!」

 

 影男の形をしていた姿がブレ、歪む。夏油は自分の首を絞める腕を強く握った。

 

 

「ろくじ、かんっ、はん!」

 

『ア………?』

 

 

 首の締め付けが緩む。その隙間で夏油は赤くなった顔で酸素を取り入れ、叫ぶ。

 

 

「六時間半のッ、新ぱい、蘇生記録がある!!!」

 

 

 夏油の体が地に落ちた。彼は勢いよく咳き込む。

 

 六時間半の心肺蘇生記録があるとは言ったが、これは特殊な環境下や偶然が重なり起こったことだ。

 心肺蘇生のタイムリミットは、一般的に心停止してから四分以内とされている。

 長い心肺蘇生の記録は、いずれも山といった寒い環境で低体温になり、脳みそが守られたことが蘇生に大きく役立っている。

 京都の冬は日中でも10度を下回ることがあるとはいえ、極寒の環境下ではない。

 

 だが、やる意義はある。

 

 夏油は五条袈裟を脱ぎ捨て、直裰をもろ肌脱ぎする。それから襦袢の袖をまくり、呆然と突っ立っている影男に向かい一喝した。

 

 

『最善』を尽くせ(DO MY BEST)!!!」

 

 

 イビツに歪んでいた姿が戻っていき、元の──影男を黒く染め上げたような姿に戻る。真依の心臓の上に手を置いた夏油は、「フゥ」と短く強い息を吐いた。

 

 教師ならAEDの場所は知っている。呪霊の一匹が疾風迅雷の勢いで飛んでいった。

 

 夏油が心肺蘇生法を実際にやったのは高専──ではなく、車の免許講習での授業だった。

 対人形にこうやるんですよと習った。その方法を思い出す。

 

 手の位置は救護者の胸の真ん中。片方の手のひらのつけ根を置いて、その上にもう片方の手を重ねて指を絡める。

 そして腕をまっすぐに伸ばすようにして、重心を置く。

 その間に影男にも指示を出す。「アア……」という彼は狼狽しつつも気道の確保をした。

 

 成人の場合、胸を5cmほど沈み込むように圧迫する。速さは一分間に100〜120回。

 圧迫したら胸が元の位置に戻るようにして、圧迫を続ける。

 

「30回の胸骨圧迫に対して人工呼吸は2回!!」

 

『う……』

 

 息の吹き込みは、救護者の鼻を摘んで、大きく口を開けて倒れている人の口を覆う。

 そして胸が上がるくらいの、約1秒かけてゆっくりと2回吹き込む。

 

『………っ』

 

 いのちを、たすける。

 

 

 ────そうだ。

 

『彼』は、真依を助けにきたのだ。

 

 真依を助けるためにここまできて、しかし呪霊に心臓を貫かれて絶命した。

 真依を助けなければならないから、心臓に呪力を注いで()()なおした。

 真依を守るために、呪力の防壁を作った。

 

 黒い顔が真依の顔に近づき、口を覆う。

 

 

『死、なない、で」

 

 

 

 

 

 クリスマスイブの夜は、うんと寒い。

 吐く息が白かった。夏油は体から茹っている。

 

 真依の体は冷たい。ひんやりとした温度は死体の温度で。

 

 ただ、渇望する。

 

 これは呪いだ。

 

 彼女の魂に呼びかける、呪いである。

 

 

 

「『──────生きろ/いきて!!!』」

 

 

 

 それから、AEDの呪霊便が届いた。

 

 二人の呪いは続く。

 

「生きろ」と願う。強く、強く願う。

 

 そうして、時間が一時間、二時間と過ぎ────。

 

 

 

 

 

 

 

 ハァッ、と音がした。その音はこの世に生を受けた赤ん坊の産声のようでもあった。

 

 まつ毛が震え、黒い瞳がのぞく。

 

 うろうろと視線がさまよい、その瞳が黒い『彼』をとらえる。『彼』の瞳からはボロボロと、黒い涙が溢れていた。まだ青白い手が、黒い顔を包み込む。

 

 

 

「────影男くん」

 

 

 

 愛おしげに真依は笑った。

 

『彼』の体を覆っていた黒い呪力の本流にヒビが入り、パキパキと音を立てて割れていく。

 ぐったりと倒れ込んでいる夏油は、「ハハッ」と笑う。

 

 

『………真依」

 

 

 影男の体はいたるところが、まるでヒビが入ったようにうっすらとした線が走っている。そこから赤い血が流れていた。

 

 真依は影男に抱きつく。彼の胸元に顔を埋めて、強く──強く抱きしめた。

 

 

「……ありがとう。ただいま、影男くん」

 

「うん……」

 

「それに、夏油さんもありがとう」

 

「あぁ………疲れたよ、さすがに」

 

 

 夏油はAEDが使えなくなってからずっと胸骨圧迫をしていた。途中で襦袢も暑くなり、もろ肌脱ぎして今は半裸である。

「水飲みたいな……」と彼は呟いた。

 

「………」

 

「……影男くん?」

 

 影男の顔が青白い。唇は紫で、彼はポツリと「さむい」と口にし、その場で倒れた。

 

 

「影男くん!!? ────影男くんッ!!!!」

 

 

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