茂山影男 作:ピンチャンよ永遠なれ………
どこまで逃げたのかわからない。
影男は見知らぬ土地にたどり着くと、路地裏に座り込んだ。エクボも空を飛びながら何とか後を追った。
『……シゲオ、悪いことは言わねぇ。早く肉体に戻ったほうがいい。お前さん、魂まで持ってきちまってるぞ』
『…付いてくるな』
コイツはあまり刺激をかけない方がよさそうだ、と判断したエクボ。
彼からして、今の影男は不安定である。刺激して呪霊の方に引っ張られてはまずい。影男は現状、生き霊に近い。そこに精神(魂)まである。肉体の方は生きていたとしても、戻らなければ植物人間のままになる。
(最上の時の幽体離脱が原因で、
エクボは夏油が影男の呪霊の件を知っていることも、今は言わない方がいいだろうと判断した。
『…わかった。ひとまずこれだけは言っとく。なるべく気持ちをフラットにしろ。でないと呪霊の方にお前の自我が引っ張られる』
『………』
人を傷つけてしまった。夏油にこの姿を見られてしまった。自分はもう呪術師ではいられないかもしれない。もしかしたら秘匿死刑になる。周囲に迷惑をかけてばかりだ。仲間は自分をどう思うだろうか。真依に拒絶されるかもしれない。
『シゲオ、軽い家出気分で行こうぜ?』
『……家出?』
『人生な。なーんにも考えたくなる時があるもんよ』
『お前は人じゃなくて呪霊だろ……僕もか』
『まあ、ちょっくら屋上にでも行って、空でも見ながらぼーっとしようぜ』
ふた呪霊は周囲にあった中で一番高い建物の屋上に行き、寝転がった。
夜の今は星が覗いている。指を差して星座に知識を披露するエクボに、影男は「なんかコレちょっと違う」感を覚えた。
もっとこういう……寝転がって星を眺めるのは、友人とか、恋人と一緒に行うようなものの気がする。
何気にエクボも博識だった。影男は星の知識など、「ナントカの大三角」くらいしか知らない。あとは「北極星」とか。
(……でも、夜の空も悪くないかな)
普段は青空に浮かぶ雲を眺めるのが好きだった。あの白い濛々としたものが、空をブルーのキャンパスに見立てて白い色を滲ませていく光景がいつまでも見ていられる。心を奪われて、授業が一時間過ぎてしまったこともあった。
『エクボはどうして星座に詳しいの?』
『あん? 星はな、宗教的な絡みにもよく用いられるからだよ。覚えておいて損はねぇと思っただけさ』
『……せっかくなら真依ちゃんと見たかった』
『なら──いや、何でもねェ』
そう言えば中学生の頃、テントから狗巻やパンダと流星を見たことがあった。
もし今流れ星が落ちてきたら、自分は何を願うだろうか。
次第に、夜が過ぎていく。
◇
呪霊は「眠る」という感覚がなかった。ぼんやり空を見ていたらいつの間にか空が白み始め、朝日が昇った。
木の枝に止まった鳥の囀りが聞こえて、街の中に少しずつ人の息吹が吹き込む。
サラリーマンや学生が出かけて行き、賑やかな時間になった。
『……お腹も空かないね』
『人間の三大欲求はまずねぇからな』
『でも、エクボって呪霊を食べてるでしょ? それは「食欲」に入るんじゃないの?』
『別に腹が減ったから食ってるわけじゃねぇさ。まあ、でかい獲物を食べれば呪力が漲る感覚はあるな』
『……不思議なもんだね』
『お前も食べてみっか?』
『いらない。吐瀉物を処理した雑巾を丸呑みするような味でしょ、絶対』
『そりゃあ呪霊玉の味が、ってことだろ』
『…エクボはどう感じてるの?』
『あー……味って言われるとあんまピンとこねぇな。だったら人間に取り憑いて食う方が味覚は感じるな』
『……改めて考えると、お前って変な存在だね』
『「変な」じゃなくてよ、「特別な」って言ってくれよ』
彼らは街の中を散策した。時折見つけた呪霊は影男が捕まえてエクボに差し出す。
エクボはトカゲの尻尾切りならぬ頭のしっぽ切りを行ってしまったため、また呪力が著しく減っている。
やはりというか、周囲の人間は影男のことが見えていない。
『シゲオはやっぱ呪力操作が卓越してるな。気配を極限までに抑えられてるぜ』
『……もし術師の人に見つかったら嫌だからさ』
『あー…心配なら格好も変えとけ。お前ならイメージすればできる』
『イメージって……』
『普段の感じでこう、ちゃちゃっとやればいいんだよ』
『うーん…』
影男は試しに、ショップに並べられたぬいぐるみから連想した。ボフンと音がした直後、煙の中から●ッキーが現れた。
『ダメだッ!! そいつは色んな意味でダメだ!!』
エクボに叱られ、一度戻る。それからまた考え、「あっ」と思いついた彼は、マスクに赤文字で『夜露死苦』と書かれたヤンキー姿に変身した。
エクボは半目になりつつ、「まあ、それでいいんじゃねぇの」と投げやりに言う。
『……結構便利だね、呪霊って』
『そりゃあ呪力を自在に操れるシゲオだからできる芸当よ。普通は格好を自由に変えられねぇさ。呪霊にも基本的には
真人の場合は特殊だが、とエクボは思った。
ぶらぶらしているうちに、昼になった。たこ焼き屋の前で立ち往生していた影男は、先ほどとは正反対に「呪霊のどこが便利なんだッ」と叫んだ。
エクボは背を丸めて歩く影男を慰める。
影男は目をしょぼしょぼとさせていたせいか、途中で人とぶつかった。見えはしないが、当たり判定があるのが呪霊の不思議なところだった。エクボ曰く、これは影男の想像が存在の定義に反映されているかららしい。人間の感覚で動いているからぶつかってしまうとのこと。
『あっ、すみません…』
「痛ッテーな! ──って、あり? 誰もいねぇ…」
男は立ち上がり、不思議そうに首を傾げた。それから腕をさすって「まっ、まさかな…」と去って行った。
『気をつけて歩かなきゃ…』
『あの髪色でスーツか。珍しいやつだな』
この街は少し、寂れた印象を受ける。都会にはない田舎の味と言うべきか。
任務の後でこうして街巡りをするのもかなり楽しかった。等級の違いであまり三輪や真依たちと任務を共にする機会が少なかったが、まれに一緒の際はよく街を散策した。三輪なんかは、ご当地の白猫ちゃんをいつか制覇してみたい──と熱く語っていた。
『……えっ?』
『どした、シゲオ? ……んん?』
二人はある建物の前で足を止める。
いや、止めざるを得なかった。何せそこの看板には、こう書かれていたのだから。
『霊とか相談所』────と。
◇
彼はそろそろ“この仕事”を辞めようと思っていた。
飽きたからと会社勤めを辞め、霊感商法に手を出した。それから約一年。この仕事にも飽きてきた。
元々霊感がゼロな以外は多才な彼は、取り憑かれて体が重いと相談してきた客に整体療法をやったり、心霊写真が撮れたと訪れた客には画像編集ソフトで霊を
価格も詐欺師とは思えぬ良心的価格。トラブルもこれまでほぼ経験がない。
(次は探偵……いや、占い師あたりでもいいかもな)
コンビニに昼メシを買いに行った彼は、カップ麺とおにぎり、ジュースを買った。お湯はコンビニで入れて、事務所に戻り始める。二月の気温は昼間でも寒かった。「おお寒ッ」と白い息を吐く。
それから事務所に帰り、いざ昼メシを食おうかと思ったタイミングで事務所の扉が叩かれた。
(何だ? 飛び込み客か?)
横目でカップ麺を見る。すでに麺はかなり伸びている。
しかし飯よりは目先の金だ。彼は笑顔を取り繕い、速やかに食事をどかしてから窓を開き、扉を開けた。
「はーい、ウチにご相談ですか?」
そこに立っていたのは、今時マジか? と思う一昔前のヤンキー姿をした少年……いや、青年だった。おそらく歳は高校生くらいだろう。目線が男でも高身長の部類に入る彼とほぼ同じだった。
(いやいや、一昔前にもいねぇよこんな不良。それこそ漫画の世界の話だろ)
内心では斯様なことを思いつつ、頷いた客を通す。扉を手で支えていた時に妙にヒヤッとした感覚がした。コンビニに行く前にも感じた妙な寒気に似ている。思わずまた腕をさする。きっと風邪だろうと思いながら。
「それで、ご相談内容は何ですか? 相談料は無料ですよ」
「えっと……その…看板が気になったというか…」
「あのぉー…失礼ですがね。冷やかしとかならこちらとしてもご遠慮願いたいんですが」
「あっ……いえっ、冷やかしじゃなく」
「では、いったい」
「えっと………じ、人生相談を」
「ホォ、人生相談………
「……いえ、進路相談でもなく……学校にも言いにくいっていうか」
「失礼ですが──ご両親にも?」
「………はい」
なるほど、と彼は思った。
この手の年頃は確かに、他人に相談しにくい部分もあるだろう。
ついでに話していて感じたが、声のどもり具合や視線の動き方、それに体の力の入れ具合から総合して、明らかに陰キャだ。何故にそんな男がヤンチャな格好をしているのか。もしや漫画知識で得た格好で高校デビューをしてしまったとか? そしてそのままこのキャラを演じ続けなければならなくなったとか。
「……実は、親に見られたくないものを見られてしまったんです」
「その物をはっきりおっしゃっていただくことは?」
「…すみません」
「いえ、大丈夫ですよ」
エロ本が母親にバレたか────。
そりゃあここまで深刻にもなってしまうだろう。彼にもその手の経験がある。
だが
「心中お察しします…。まあ、人には一つや二つ、隠し事があるものです。むしろ裏がない人間の方が珍しいでしょう」
例えば今、良心的に相談に乗っているフリをしながら、コイツは金にならなさそうだなと金勘定をしている彼のように。
「僕はげ……父親と、どうすればいいでしょうか? それに………故意ではないにしろ、人を傷つけてしまった。僕はきっとこのままじゃ……」
「……そうですね、まず父親の件からお話ししましょうか」
ブツはエロ本ではない。父親ならバレてもそこまでダメージにはならないからだ。いやまぁ、そこは人にもよるかもしれないが。
ならば、この外見と内面のチグハグさがきっと鍵になる。彼の中で、いかにも真面目な父親が想像された。
「父親にバレたのはいつ頃でしょうか?」
「……昨日です。それで…そのまま家出? をしてしまって…」
「そうですか…あなたは父親とどうなりたいんですか?」
「どう……」
「自分の隠していたものを、受け入れてもらいたいのか」
「……受け入れて、もらえるでしょうか? そもそも受け入れてもらえたとして、僕は人を……」
「(人を傷つけた内容にも関わってくるのかよ…!!)」
彼は頭の舵を切る。別個で話を聞いていこうとした自分も悪かった。総合して相談内容を考えるべきだった。
(ヤンチャして人を傷つけてしまい、その姿を父親に見られてしまったってとこだな。それで逃げて家出した。それにヤンチャすること自体、コイツは望んじゃいない。「人を傷つけた」だけでメチャクチャ罪悪感を感じてるみたいだしな………。自己の在り方にも悩んでる感じか)
彼はフゥ、と一つ息を吐く。腹は減っているのでなるべく手短に終わらせたい。
「あなたは故意に傷つけたかったわけではないんですよね?」
「……はい」
「お父さんはきっと、ショックを受けた部分もあったかもしれません。しかしこれまでの、あなたが父親と過ごした記憶を思い返してみてください。お父さんはあなたの“裏”を、否定するような方ですか?」
「…………いえ」
でも、と青年は続ける。自分は────捕まってしまうかもしれないと。
「……それほどのことを、あなたはされたんですね?」
「っ…はい」
「ならば、もし捕まった場合は、受け入れるしかありません」
「………」
「ですが、そこで終わりじゃない」
「えっ?」
18歳以下と仮定して、もし暴力沙汰で捕まったなら内容によっては少年院に送られる可能性もある。
さすがに人を殺したわけじゃないだろう。だったらニュースになっているはずだし、彼が気づいているはずだ。
「あなたは自分自身と向き合う必要がある」
「……!」
「人を傷つけてしまったことを踏まえ、一度あなたは自分という自己を考え直すべきだ。「自分とは?」と考えると難しいですが、「なぜこの道を選んだんだろうか」とか、些細なことから考えていけばいい」
「………はい」
「それを積み重ねていき、己の弱さや、嫌う部分も出てくるでしょう。それらをひっくるめて……」
「引っくるめて?」
「君は君自身を────認めてあげるべきだ」
青年の目が、真っ赤に染まった。それに驚いた彼は瞳をこする。もう一度見ると、その目は元の黒色に戻っていた。
青年は何度か「自分を認める……」と呟く。どうやら心に響くワードは渡せたらしい。あとは帰ってもらうだけだ、即刻。
「あのっ……あ、ありがとうございます!」
「いや、いいんだよ。多感な時期には悩みが多いだろうからね」
青年は手を伸ばし、彼の手を握った。その瞬間、彼はその手の冷たさにゾクリとしたものを感じた。この悪寒はコンビニへ行った時や、青年を中に通した時に感じたものと似ている。というか、同じだ。
(……いやいや、ただの風邪。ただの風邪…)
「自分を受け入れる……そうですよね。どっちも僕なのに、どうして、否定していたんだろう…」
「悩みは解決できそうですか?」
「…それは、まだわかりません。でも、前進はできたと思います。僕は『僕』と、向き合ってみようと思います」
「そいつは良かったです」
「………あの、すみません。それで、今は持ち合わせがなくて…」
「いえいえ、構いませんよ。あくまで相談料は無料ですから」
彼は立ち上がり、扉の方へ向かう。青年も遅れて立ち上がると、頭を深々と下げた。
出て行く前に、青年は「あっ」と声を上げる。
「最初にもらったこの名刺って、本名なんですか?」
「よく言われますけど、本名ですよ」
「ヘェ……何だか、霊能者になるべくして与えられた名前ですね」
「親がねらって付けたんですよ。改名してやろうとも思ったんですが、何だかんだでこの名前だったら、生きてるうちにご利益もあるんじゃないかと思いまして」
「僕も名前が少し特殊なので親近感が湧きました」
「どんなお名前で?」
「し………禪院甚爾です」
「何か……強そうな名前だ」
話しているうちに、彼もつい事務所の外に出ていた。やはり二月の冬は寒い。
彼はもう一度頭を深く下げる青年に手を挙げる。自分にもこんな風に悩む時期があったんだろうなぁと思いながら。
「さようなら、
ヒュウと、強い風が吹く。思わず目を瞑った霊幻は、次開けた時に「ハ?」と声をもらした。
つい一瞬前まで目の前にいた青年が消えている。おまけに、彼が持っていた名刺が霊幻の革靴の上に落ちた。
「………まさか、幽霊?」
途端に、霊幻の顔が真っ青になった。
それから、少しして。
『霊とか相談所』に、一人のランドセルを背負った少年が訪れることになるのだが────、
それはまた、別のお話。
同じ世界かもしれないし、いっときだけ別の世界に行っていたのかもしれない。
姿は見えるように少しいじってる。