茂山影男 作:ピンチャンよ永遠なれ………
夏休みだ。影男は宿題でわからない部分を真依や真希に聞き、順調にノルマをこなしている。
家事については分担している。影男は料理だけはさせてもらえなかった。ただでさえドジなのに、包丁や火で大怪我をされたらたまったものではない。影男は洗濯物を干したり、縁側の廊下を雑巾で拭いている最中にスリップして障子に首を突っ込んだりした。
今日もまた午前中から勉強である。客間にある大きなテーブルの横に座布団を二つ敷いて、横に並ぶように真依と影男は勉強を進める。
すぐ側の縁側では真希が鍛錬に励んでいた。姉の方は日記以外すでに宿題を終わらせ、禪院家の当主になるべくこうして毎日鍛えている。日に日に筋肉が付いていく真希の体はプニプニの影男とはまったく違った。
「影男くん、ここの問題間違ってるわよ」
「えっ? …あ、本当だ」
「……何、真希のこと見てたの?」
「うん。筋肉がカッコいいなって」
「ふぅーん。真希みたいに筋肉がある女の子が好きなの?」
「好きっていうか、憧れるかな」
「じゃあどういう女の子がタイプなの?」
「うーん……可愛くて、優しくて、笑顔がすてきな子かな」
「他には?」
「あとは髪が長い方が僕は好……」
「おいお前ら、勉強進んでねーぞ」
タオルで汗を拭いながら呆れた様子で真希が話しかける。彼女に視線を向けた影男の後ろで、真依は唇を尖らせていた。この少年、まったく人の好意に気づいていない。
「そう言えば真希さんて、最近メガネをかけたね」
「禪院家からかっぱらって来たんだよ。これをかけてれば呪霊が見えない私でも見れるってわけ」
「へぇー」
「格闘術も基本は独学で勉強して、傑の時間がある時にはアイツに教えてもらってんだ」
「夏油さんって強いの?」
「バッカお前! 今の私じゃ手も足もでねぇよ」
夏油が鍛えているところをよく見かける影男だが、格闘術もできるとは知らなかった。運動能力のない影男じゃ、真希相手なら片手で簡単にいなされてしまうだろう。おそらく真依にも負ける。
「………真希さんは将来呪術師になるの?」
「んあ? まぁ禪院家の当主になろうって考えてるんだから、まず呪術師にはならないとだろ。真依は知らねぇけど、私は中学を卒業したら高専に入るよ」
「私は行かないわよ。華のジェーケーを謳歌するんだから!」
「そっか……」
影男も将来呪術師になるのだろうか? 夏油は影男が呪術師になることに乗り気じゃないのは、反応を見ているとわかる。
呪術界の暗い部分はとことん腐っている。両親の一件で、影男はそれを実感した。夏油もまた過去に少女を守れなかったり、辛い経験をしたのだ。だからこそ今の彼は最低限呪術界から距離を置いている。
(……僕はこの力を正しいことに使いたい)
影男が手をかざすとノートが一枚破け、それが宙に浮く。形を変えていく紙はやがて鶴になった。それがまるで生き物のように空を飛ぶ。一連の光景を見ていた真依と真希は口を開けて呆けている。
「……本当にお前ってすげぇわ。ドジだけど」
「ねぇ影男くん! うさぎさんも作ってよ!!」
「うさぎの作り方は知らないんだけど…」
「私が教えてあげるわ!」
待っててね、と部屋を後にした真依は数分して折り紙を持って来た。ノートや教科書の上に色とりどりの紙が広げられる。すっかり勉強そっちのけで折り紙をし出した妹に真希は苦笑した。彼女も休憩ついでに折り紙大会に混ざった。
綺麗な出来栄えのうさぎは真依作。別の生命体になったのが真希作。そしてボロボロのウサギのようなものが影男作。
その後も次々と動物が生まれていった。最後はそのすべてを影男が動かし、客間に小さな動物園が出来上がる。真依も真希もその光景に目を輝かせていた。
影男も口角を上げて、動物のサーカスを続けた。
◇
夏油が高専へ“貸し”を返す頃には八月の半ばになっていた。連続で高難易度の任務を入れられ、ああやっと終わりかというタイミングで気が少し緩んでしまったのだろう。腕に軽い怪我を負った。
「よっ、夏油。随分と辛気臭いツラしてんじゃん」
「…やぁ硝子、久しぶり」
片手を上げ、医務室に入って来たのは夏油のクラスメイトの家入硝子。いや、元クラスメイトと言うべきか。
家入は相変わらず煙草を咥えている。副流煙が──と考える夏油は、自分の思考の変化に気づいた。前まではそんなこと気にもしなかったというのに。
「呪霊に不意打ちを食らったんだって? 体は鍛えてるみたいだけど、平和ボケしてんじゃないの?」
「そうかもね」
家入は夏油のシャツの袖をまくり、包帯を解いて患部を診た。うっすらと包帯に血は滲んでいたが、報告通りそこまで大きい傷ではない。
「またどういう風の吹き回し? 自分探しの旅に行ってたんじゃなかったっけ」
「しばらく前に戻って来て、今は通信で大学の勉強をしているよ」
「何それ、超ウケる」
「悟には黙っててくれよ」
「えぇー、どうしようかな」
傷はあっという間に治った。はい終わり、と家入は夏油の背を叩く。以前は前髪の一部を残して後頭部でお団子にしていた髪も、今は前髪はそのままで、小さなお団子を残して後ろ髪は下ろしている。
髪型の変化と同様に、夏油の雰囲気も変わった。家入からすると、五条や自分よりも何歩も先にその背中があるように感じられる。
「一人で大人の階段を駆け上がっちゃってさ。帰って来たなら連絡くらいあってもよかったじゃん」
「夜蛾先生には話したよ。こうして驚かせたかったから黙ってたのかもね」
「わざわざ情報を制限させて、やりたかったことがソレ?」
「さぁ」
「アイツもまだ引きずってるけどさ、夏油も引きずってるんじゃないの?」
「引きずってないよ、私は」
「顔に「メチャクチャ引きずってます」って出てるよ」
高専を辞める時、夏油は親友と喧嘩別れをした。そのため影男の件で高専の手を借りる必要が出た時、どうしても五条と出会ってしまう可能性があった。
考えても見てほしい。気まず過ぎる。大学の合コンで高校時代の彼女に偶然会った時以上の気まずさだ。だから夏油は情報が広まらないように、夜蛾などに頼んでおいたのだ。
「私にまで黙っておかなくてもよかったじゃん」
「絶対悟に話すだろ、硝子は」
「おぉ、よく分かってるね」
「ハァー……」
どの道任務に行けば、今の硝子のように五条の耳にも入るだろう。無駄な時間稼ぎだとは夏油もわかっている。
だが理由は他にもある。向こうが夏油に近づいてくると、イコールで影男との距離も近くなる。
影男が禪院家に目をつけられたのは、相伝持ちの伏黒恵の本家入りが五条によって防がれたのが原因の一つにある。
しかもその子供は天内理子を殺した伏黒甚爾の息子だと言う。息子が父親に売られそうになっていたとはいえ、あの男の息子であるという事実が、夏油に悪感情を抱かせる理由になってしまう。息子に罪はないとわかってはいてもだ。
「ところで、夏油が言ってた“呪術師であるための大義”って見つかったの?」
「……まだ見つかってないよ」
「なら何で高専の仕事を受けてるの? もしかして金……金なのか? ギャンブルにハマって地下で強制労働させられそうになったから、依頼を引き受けたのか?」
「牛丼も食えやしないって?」
「まぁ、夏油の顔なら余裕でヒモになって女に貢がせられるか」
楽しそうに笑う家入に夏油はため息をつきシャツの裾を戻した。懐かしい空気だ。
「たまには飲みに行こーよ」
「まだ未成年じゃないか、私たち」
「何を今更」
煙草を口でピコピコ動かしてみせた家入に笑いながら、夏油は部屋を出た。影男と仕事の間に連絡のやり取りはしていたが、向こうは真希・真依姉妹と楽しく過ごしているようだ。
最近はスイカの種を飛ばして遊んでいるらしい。ちなみに影男はスイカを急成長させることもできるようで、永久機関が庭にできあがっているとのこと。何だソレは。
しかし帰る前に上層部に捕まった。上は禪院家で起きた騒ぎを持ち出して、影男の件を匂わせた。
あの一件は禪院家に非があったと当主自身が認め、影男に謝罪している。ゆえに彼に罪はない。
だというのに、お上は影男のことを“御三家に手を出した不届き者”のように話すのものだから、夏油の呪詛師メーターが一気に上がることになった。
禪院家がこのちょっかいをかけてきたわけではない。影男やその周囲、また禪院姉妹にも害をなせないよう縛りがされている。ただ影男が意図的に禪院家に手を出した場合、この縛りは無効になる。後半の内容は一方的に禪院家が危害を加えられてしまうと直畏人が指摘した上で提案し、影男が了承したことで追加された条件だ。
これは夏油への遠回しな脅しだ。特級術師の力を高専の勢力下に置きたいという、上層部の思惑が透けて見える。
現在特級の力を持つ人間は九十九由基、五条悟、そして夏油傑の三名。九十九は首輪がついておらず、高専に所属している五条も最強であるため首輪が付けられない。残る夏油は弱みさえ握れば首輪をつけることができると判断したのだろう。
この弱みには夏油の両親も入るが、流石に脅しには使ってこないだろう。というより、できない、と言うべきか。
夏油のように一般の出の呪術師は一定数存在する。それが家族をダシに使われるなんて事例が起きたら、彼らから反発が起きる。またこの件が尾を引き、一般からのスカウトが難しくなる可能性もある。
「脳みその腐った老害連中どもが……」
ストレスマックスで夏油は帰ることになった。笑顔で対応したはいいが、今後どうすべきか。はっきり言って並の奴らでは影男に敵わない。
ただ、意図的に影男に呪力暴走を引き起こさせ、彼を危険人物に仕立て上げることはできる。最悪秘匿死刑になるかもしれない。影男の心の弱さは上層部もすでに知っているだろう。
五条のように、絶対に手出しできない強さが自分にあればよかった。頭を押さえ、夏油は自販機でコーヒーを買う。
影男を引き取ると決めた時、自分がこの子供を守ると決めた。ならば今の夏油には力が必要だ。
しかし高専と繋がりを持つのはなるべく避けたい。大多数がクソを占める猿どものために奉仕労働もしたくない。
(昔の自分に言ってやりたいな。術師も非術師も、人間はみな等しくクソばかりだと)
やはり影男に必要なのはフィジカルよりも、メンタルの強さだ。また、夏油も高専の上層部と折り合いをつけた在り方を模索していく必要がある。力がある以上、それを
飲み終えた缶をゴミ箱に捨てる。振り返るとそこに、壁に寄りかかるようにして人が立っていた。夏油は笑顔を作る。
「やぁ、悟」
「………」
返事はなかった。肩をすくめた夏油は、五条の前を通り過ぎる。
「……高専に、戻んのか?」
「戻る気はないよ。今のところは」
「ッハ、じゃあ何で任務を引き受けてんだよ」
「悟がそれを知る必要があるのかい?」
「ハァ!? だって、俺たち…」
親友じゃないんだから。夏油は立ち止まり、そう言った。
後ろへ視線を向けると、怒っているような、今にも泣きそうなような、唇を噛む五条の顔が目に入る。
「高専を辞めたら親友を辞める──と、そう言ったのは君だ」
「……すぐ」
「だから私たちはもう、親友じゃない」
「………」
コツコツと、廊下を歩く音が響く。
夏油が五条を振り返ることはなかった。
【ウォーターメロン】
近くのスーパーに買い物に行った子どもたち3名。そこで買ったスイカを早速冷やし、夕食の後に食べることになった。
縁側に座りまだ薄明るい外を眺め、風鈴の音を聞きながらしゃくしゃくと食べ進める。これぞ夏だった。
「見てろよ、真依、モブ」
「「?」」
あ、と大口を開けて一気に赤い身にむしゃぶりついた真希は、頬をもごもごとさせ、口の中にあった種を庭に向けてマシンガンのように飛ばした。
「ちょっと! 行儀が悪いわよ!」
「お前もやってみろよ、モブ」
「わかった」
「影男くんまで!?」
スイカを頬張った影男は、口の中で種と身を分けるのにしばし苦戦してから、プッと種を飛ばす。
真希と比べ、あまり距離は飛ばなかった。
「真依ちゃんはどうするのかなぁ?」
「わ、私はやらないわよ!」
「じゃあ私とモブでよろしくやるか」
「…ッ! ……!!」
真依は新しいスイカを手に取り、身を睨むように見つめた。種を飛ばすなど行儀が悪すぎる。これだから
しかしそれ以上に、姉と影男が二人で、という事実が気に食わなかった。自分だけ取り残されたような気分になる。
「見てなさい!!」
真依ははじめてスイカの種を飛ばした。距離は影男の種を軽く超え、姉に並ぶ。
「ふん、ざっとこんなものね」
「へぇー結構やるじゃん」
スイカを美味そうに頬張る影男を尻目に、姉妹のバトルが始まった。飛行距離が更新されていくごとに切り分けられていたスイカが減っていき、ラス1を影男が取ったところで無くなった。勝敗は真希である。
「次は絶対に勝つわ…!!」
「またスイカを買ってこないとだな」
「………」
影男はふと、庭に落ちている種に目をやった。
スイカ一つでも、結構値段がする。もしこの種を育てることができたら、無料で大量のスイカをゲットできるのではないだろうか?
そう考え、種に手をかざした。成功するかはわからなかったが。
「「えっ」」
種がうごめき、地に根を張る。一連の様子を姉妹が呆然として見ている間に、庭一面にスイカ畑が生まれた。何十……下手したら100個以上あるかもしれない。
「………ど、どうしよう」
「本当ッ、お前なぁ……」
「……夏の間は、スイカに困らなさそうね」
後日、3人には食べきれない分のスイカをご近所に配るミッションが発生した。
・数年後の夏にスイカの件を思い出した真依が気づいた真理
(影男くんが飛ばした種から成長したスイカを食べていたなら、もしかしてアレって間接キスだったんじゃ…?)
↪︎スイカを買ってきた真依。下心を隠して過去の再演を目論む。
↪︎ただし、手間暇かけてスイカを作った生産者に悪いだろう──と考え直していた影男に断られる。
↪︎スイカは美味しかった。