茂山影男 作:ピンチャンよ永遠なれ………
影男は混乱していた。夏油がいきなり現れたかと思えば、サングラスの男とケンカし出したのだ。
はじめは『悟』と呼ばれた男が弁明した。自分は何もしていないと。しかし泣き腫らした顔の子供の前では、夏油の感情はヒートアップするばかりだった。
「どうせデリカシーなく彼の心にズカズカと踏み込んで、泣かせたんだろう」
「だから、俺は何もしてねぇよ!!」
「信じられないね。君のデリカシーの無さは本物だから」
「こいつが泣いてんのはお前のせいだろうがッ!」
「ハァ?」
「ア゛ァ?」
方やポケットに手を突っ込み、方や首を斜め45度に傾ける。顔を近づけ睨み合う様は闘犬の取っ組み合いを想起させる。ピリつく空気に、影男は思わず後ろに下がった。すると、そのまま緩やかな斜面になっている土手をコロコロと転がった。とっさに呪力で体を浮かす。あともう少し遅ければ川の中に落ちていただろう。
(あのサングラスの人、夏油さんの知り合いだったんだ…)
五条はかなり口を滑らせていたが、影男は気づいていない。ケンカはさらにヒートアップし、とうとう術式を使った争いに発展する。
だが五条の絶対防御を誇る無下限の前では、呪霊の攻撃も夏油の体術も意味をなさない。腹に蹴りを入れられ派手に吹っ飛んだ夏油は、川の中に落ちた。バシャンと大きな水飛沫が立つ。
「夏油さん!!」
影男が引き上げる前に、夏油は立ち上がる。ジーパンやシャツがびしょ濡れになり、長い髪が顔に降りて片目だけがのぞいている。頭を冷やすどころかさらに血が上った。夏油はバシャバシャと音を立て、川から上がる。
影男は声をかけようとしたが、とても話せる雰囲気ではない。怒り一色に染まった保護者の目をはじめて見た。
サングラスの男の言うとおりなら、二人は友人だったはずだ。何がきっかけで仲違いしたのかは影男は知らない。
「構えろよ、悟」
「ボコボコにされてもギャーギャー喚くなよ?」
河川敷で殴り合う二人。まさしく、ヤンキー漫画のテンプレである。相手にはブランクがあると考えていた五条だが、夏油の動きのキレは全く衰えていない。それが嬉しく思う反面、やはり「なぜだ」と思ってしまう。
なぜ、高専を辞めたのだ。その“呪術師であるための大義”を見つける旅は、自分たちの青春よりも大切なものだったのか?
つい漏れた五条の本音。夏油は血の混じった唾を吐き、口元を拭う。
「君は最強だから私の苦悩は分からないさ。何でもできる力がある悟とは違う。守ろうと思った者も守れず、自分が掲げていた大義すら失った」
「それでも去る必要はなかっただろ」
「ハァ……非術師の、猿どものために戦えって言うのか? 奴らの平和のために無数の術師の骸が積み上がっていく。術師だというだけで差別され、虐待を受ける子供だっていた。私はもう以前のように純真な気持ちで人を救うことはできない」
おまけに呪術界までクソだった。影男の件を知った時、夏油は頭が真っ白になったのを覚えている。家の都合で不幸の中で生きなければならない者たちがいる。
非術師も術師も等しく加害者ばかりで、ひと握りの被害者は助けを求めることすらできない。できたとしても、救われる人間はごく一部だ。
「少なくとも悟があの子供を助けなければ、影男くんは両親を失わなかった」
「ッ……」
「今頃、父親と母親と、幸せに暮らしていた」
夏油の言葉が隙になったのか、五条の頬に拳が入った。続けて夏油は反対の拳で顎めがけて振るうが、避けられ低い体勢から脛をねらわれる。両者は一度後ろに下がり、構え直す。
激しい攻防の中、荒い息が上がる。五条も夏油も互いの感情をぶつけ合う。高専時代にケンカした時、二人はこうして何度も殴り合った。それが彼らの青春の一ページだった。
「……違うよ」
空に雲がかかる。風が捨てられたゴミ袋を舞わせながらうなり声を上げた。水面が風に吹かれて波紋を作る。その中心で、一人の少年が拳を握りしめている。
「違うよ、夏油さん」
影男の目が赤く染まった。髪が逆立ち、普段は前髪に隠されたおでこが露わになる。
五条はサングラスをずらし、少年の顔を見て、その次に漏れ出る呪力を見て、もう一度顔を見た。激しく流れ出た呪力は影男の周囲を覆っていく。やがて空からポツポツと雨が降り出した。
「僕の両親が死んだ理由を、その子のせいにするな。誰かが代わりに不幸になっていればよかったなんて、思ったらダメだ」
それは“怒り”だった。同時に、“哀しみ”でもあった。
「僕は父さんや母さんの死を受け入れて、今を生きてる。僕が立ち直れたのは夏油さんや真希ちゃんたちがいたからだ。だからこそ、そんな言葉アンタから聞きたくない」
「モブ、くん……」
「ケンカだってそうだ。いい年した大人が二人そろって殴り合って、恥ずかしくないの? ひとこと言えばいいだけなのに、どうして謝ることができないの?」
「「………」」
「……僕は言うよ。ちゃんと聞いてて」
夏油の前に降り立った影男は、唇を噛みしめて頭を下げた。うっすらと目尻に涙を溜めながら。
「────嘘ついて、ごめんなさい!!!」
影男は手の震えを抑えるように短パンの裾を握りしめた。次第に荒れ狂っていた呪力が別の感情と衝突し、ゆっくりと収まっていく。怒りや哀しみの感情が沈んでいき、「うぅ……」と泣き声が聞こえはじめた。
「……影男くん」
「ぼくのことすてないでぇ……!!」
「捨てないよ。悟にそんな酷いこと言われたの?」
「だから言ってねぇってば」
「もう、うそはつかないから……」
その時である。
遠くから、「リンリン」とベルの音が鳴った。青年二人が視線を向けた先から、お盆中でもお仕事を頑張っているお巡りさんが笑顔でやって来た。
「ちょっといいかな、そこのお兄さんたち?」
夏油は影男を抱え、五条とともに驚きの速さで逃げていった。
◇
濡れ鼠になった二人と、無下限の雨具を身につけた一人はどうにかマンションに着いた。辺りは夕立によってまだ夕方だというのに薄暗くなっている。
夏油は影男に服を着替えさせ、その後川のにおいがする自分もシャワーを浴びて着替えた。その間、五条は影男が買っていた菓子をむさぼり、ソファーに横になっていた。テレビまで付けるくつろぎっぷりである。
雨に濡れた影男の髪を拭きながら、夏油は改めて話を聞いた。
「──つまり、私に迷惑をかけたくなかったから、黙っていたんだね?」
「…うん」
「それで…嘘を重ねてしまったのか」
「……ごめんなさい」
正直に言って、夏油は怒る気がなかった。むしろこの子供に気を遣わせ、大泣きさせたのは自分の責任である。しかし同時に、母親が怒っていた姿を思い出す。
夏油の母親はどういう経緯で息子が幼い子供を引き取ったのか、大まかには知っている。そんな子供を知人に預け、傑だけ帰省したことを怒っていた。彼の母親はきっと、夏油以上に影男がどんな気持ちでいたのか分かっていたのだろう。
甘やかすだけではきっと、影男のためにはならない。
「……いいかい影男くん、今から怒るからね」
「っ!!」
影男は強く目をつむった。トンと、額を叩かれる。
「………?」
「はい、おしまい」
「えっ?」
影男が目を開けると、夏油が人差し指と中指を合わせた手で彼の額を小突いていた。困ったように笑う夏油を見て、影男も困惑した。
「もう許したよ。私こそごめんね。君の気持ちに気づいてあげられなくて」
「………」
「はじめに一緒に暮らす時、私が「君の家族になっていいか」と尋ねて、影男くんは頷いてくれたよね? 家族に気を遣う必要なんてないんだ。笑ったり、泣いたり、怒ったり。時にはぶつかることもあるだろう。でもそれでいいんだ。君は君のままでいていい」
「……はい゛っ!!」
「うん。元気な返事だ」
影男の頭を撫で、立ちあがろうとした夏油の肩が一瞬跳ねた。「なんだ?」と思った影男は夏油の後ろから顔をのぞかす。扉の隙間から誰かがこちらを見ていた。
「さっきのデコツンってナルトじゃん」
覗き魔は夏油によって成敗された。
◇
精神的も肉体的にも疲れたのか、影男は五条がくつろいでいたソファーで寝てしまった。その上にタオルケットをかけた夏油の姿を、五条はまじまじと見つめる。なんとも優しい顔をするようになった。
「こいつってさ、本当は伏黒甚爾の隠し子なんじゃねぇの?」
「…顔は似てるけど違うよ。血筋は禪院家の血が流れているが、分家筋の子供だ」
「はぁー……遺伝ってどうなるかわかんねぇな…」
眠る少年の前髪に手を伸ばし、五条はその顔を観察した。やはり似ている。父親と瓜二つな伏黒恵と兄弟と言われても全く違和感がない。まぁこちらの顔の方が愛嬌はある。
「で、どうするんだい」
「……いいか、同時だぞ」
「…オーケイ」
約一年と数か月。長い喧嘩の末、大人な子供の二人は仲直りを果たした。
それから夕飯時になり、起きた影男はなぜか帰っていないまつ毛バサバサ男に首を傾げることになる。
「夏油さん、何でこの人がまだいるの?」
「私が料理をしていると知ったら、厚かましくご相伴に与ろうとしてきたんだ」
「ふーん」
まつ毛バサバサ男は影男が寝ていたものと別のソファーに座り、テレビを見ている。時間は6時半になっていた。ちょうど夕方のアニメの時間である。リモコンを独占する男の手から、影男は呪力を操り奪い取った。蒼い目が何度も瞬いている。
「どうなってんだよ、その呪力操作」
「えっ?」
「あっ、悟の六眼で見た感じ、モブくんの呪力ってどうなってるんだい?」
「キショい」
「え……?」
呪力が雲散霧消して、浮いていたリモコンがフローリングに落ちる。
五条から見たその操作は呪力を己の手足のように変幻自在に操っていた。影男の力に興味を持った彼は、色々と実験を始める。キッチンから「怪我はさせないでよ」と声がした。
一つのものを動かしてみたり、複数のものを同時に動かしてみたり。影男自身が浮くこともできる。また破かれた紙を元の形に戻したり。
一連の実験を見る六眼の目は真剣そのものだった。他人限定で反転術式が使えることを知ると、五条は「俺と逆じゃん」と語った。
「お前って術式がないんだよな?」
「はい」
「あぁー……なるほどな。逆にかえってそれが物質への干渉能力を高めているのか」
「………?」
「要はお前は術式がない方が、自由に脳が使えて強いってわけ」
例えばポルターガイストの例を挙げよう。呪霊が呪力を用いて物体を動かす。呪術師ならばできないことはないかもしれないが、自分の手足ではない力を動かすのは難しい。人体と違って呪力に神経は繋がっていないのだから。その代わり呪力でできている呪霊はこの力の操作が人より器用に行えるだろう。
また現実に干渉する力において、領域展開がある。術師の中にある生得領域を“結界”の形で現実世界に顕現させる。これは無に有を生み出すことに等しい。
これらを踏まえれば、影男の驚異的な現実世界への干渉能力も可能だと証明できる。だからといって、些か度が過ぎている。これもまた“才能”なのだろう。
「俺より呪力量も上っぽいな〜。ちょっとさ、俺のこと浮かしてみてよ」
「……なんか壁みたいなのがあるんですけど」
無下限には流石に干渉できないようだ。オート防御を解いた五条は、宙に浮きヒーローポーズで飛んだ。少年のようにはしゃぐ大人こどもの姿を影男は真顔で見る。「お腹空いたなぁ」と彼は思った。
「夕飯ができたよー」
「スパゲッティ!!」
「あでっ!」
床に顔から落ちた五条は鼻を押さえた。人道に反する鬼畜の所業を受けたぞ今。
「あっ………結局この人って何なんですか、夏油さん?」
そう尋ねた影男に、夏油は落とされた男を見ながら苦笑して言う。
「私の親友、五条悟だよ」
・夏休み明け
近隣の学校で不審者情報が生徒たちに告げられる。一人は白髪のサングラスをかけた男で、もう一人は黒髪のロン毛男。モブは「不審者か、僕も気をつけなきゃな…」と思った。