ヤンデレ短編1   作:空田空

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私にとって、世界は二人で完結している。

 

窓の外で、移ろいやすい季節が何度巡ろうとも、この部屋の空気は常に一定だ。古い本の匂いと、彼の肌の香り。そして、私の腕の中で眠る千影(ちかげ)の、穏やかな寝息だけが世界の法則だった。

 

「…きれいだ」

 

吐息と共に漏れた言葉は、祈りに似ていた。眠っている彼を眺める時間は、私にとって至福であり、同時に耐え難いほどの苦痛を伴う。彼の存在そのものが芸術であり、その完璧な造形は、神が犯した唯一の過ちだとさえ思う。なぜなら、神は彼に「生」という、あまりにも脆く、不完全な時間を与えてしまったからだ。

 

彼の睫毛が、白い頬に刹那の影を落とす。その一本一本を、その影の落ちる角度さえも、私は永遠に留めておきたいと願う。だが、次の瞬間にはもう、彼の寝返りと共にその完璧な構図は失われてしまう。この世のすべては、かくも無常に流れ去っていく。

 

彼が存在するから、私は存在する。彼の価値を理解できるのは、世界でただ一人、私だけだ。他の人間たちは、彼の表面的な美しさや才能に惹かれるだけ。彼の魂が内包する、痛みや孤独、その揺らぎの繊細な輝きに気づく者はいない。彼らは無遠慮な視線や言葉で、彼を汚し、削り取っていく。

 

だから私は、この部屋に鍵をかけた。

彼を汚す全てのものを、この扉一枚で隔てたのだ。

 

「千影」

 

そっと頬を撫でると、彼が身じろぎ、薄く目を開けた。まだ夢の微睡(まどろみ)の中にいる彼の瞳が、ぼんやりと私を映す。

 

「…ん…」

「起こしてしまったかな」

「ううん…いい匂いがする」

 

彼はそう言って、私の胸に顔をうずめた。私が淹れた紅茶の香りだろうか。それとも、この部屋に満ちる愛の香りだろうか。

 

「お腹は空いていないかい?」

「うん…まだ、大丈夫」

 

彼は、この静寂を、この完璧な愛の形を、まだ完全には理解していないかもしれない。時折、窓の外を眺めては、寂しそうな瞳をすることがある。外の世界の雑音や、無価値な人間関係を、彼はまだ「自由」なのだと勘違いしている。

 

だが、それでいいのだ。いずれ、彼は気づくだろう。

この檻こそが、真の自由なのだと。

 

私は、彼の哲学書を開くのが好きだ。彼が赤いペンで線を引いた箇所を、指でなぞる。

 

『我々は、他者の意識の中にしか存在し得ない』

 

その一文に、彼は特に深い感銘を受けていた。そう、その通りだ、千影。君は私の意識の中に存在し、私は君の意識の中に存在する。それ以外の世界は、すべて幻影に過ぎない。

 

けれど、この肉体という名の檻は、あまりにもどかしい。

どれほど強く抱きしめても、皮膚一枚を隔てて、私たちは別々の存在だ。彼の見る夢と私の見る夢が、寸分の狂いもなく重なり合う、そんな完璧な一体化を私は渇望しているのだ。

 

その渇望を癒す方法を、私は知っている。

 

死は、終わりではない。

それは、最も純粋な形での結合だ。

 

肉体という境界線が溶けてなくなり、魂と魂が混じり合う、究極の愛の成就。

彼の温かな血が、私の内側で永遠の河となる。彼の最後の吐息が、私の魂に吹き込まれ、私たちはようやく一つの存在になる。

 

それは、想像するだけで全身が打ち震えるほど、甘美な誘惑だった。

 

「ねえ、千影」

「…なに?」

「永遠を信じるかい?」

 

彼は、私の突拍子もない問いに、少しだけ驚いたように顔を上げた。そして、子供にするように、私の髪を優しく撫でた。

 

「君が信じるなら、僕は信じるよ」

 

ああ、なんて愛おしいのだろう。

彼はまだ知らない。私が彼に贈ろうとしている「永遠」が、どのような形をしているのか。

 

その日は、そう遠くないだろう。

世界から二人だけが消える、その完璧な一日。

それはきっと、この世のどんな芸術品よりも美しい、甘美な死の味がするはずだ。

 

私は、彼の首筋にそっと唇を寄せた。トクン、トクンと刻まれる、有限の命の音。

この音が、私の手によって永遠の静寂に変わる瞬間を、私は静かに待ち焦がれていた。

 

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