ヤンデレ短編1   作:空田空

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その日の食卓には、千影の好きな白い花を飾った。メニューは彼が好む、野菜中心の簡素なポタージュと、焼きたてのパン。私が彼の為に作る食事は、彼の肉体を維持するためのものではなく、彼の魂を清めるための儀式だった。不純なものを一切含まない、完璧な栄養。それこそが、私の愛の表現の一つだった。

 

「美味しいよ」

 

スプーンを口に運びながら、千影が微笑む。その笑顔だけで、部屋の隅々にまで光が満ちるようだった。この瞬間が永遠に続けばいい、と何度願ったことだろう。だが、永遠は静寂の中にしか存在しない。生きている限り、予期せぬ「ノイズ」が入り込む。

 

「このポタージュ、なんだか懐かしい味がする」

千影はそう言って、カップの縁を指でなぞった。

「昔、姉さんとよく通ったブックカフェの味に似ているんだ」

 

――姉さん?

 

私の指先が、ほんのわずかに冷えた。思考が、一瞬だけ停止する。

姉。その単語は、この完璧に閉じられた世界には存在しないはずの言葉だった。私の知らない千影の過去。私以外の誰かと共有された時間。それは、美しい絵画に飛び散った、醜いインクの染みのように感じられた。

 

「…そう。お姉さんがいたんだね」

私は、声が震えないように細心の注意を払って尋ねた。平静を装うことは、私の得意とするところだ。

「どんな人だったんだい?」

 

「優しくて、少しお節介でね。いつも僕の心配ばかりしていたよ」

千影は、遠い目をして窓の外に視線を向けた。その視線の先に、私の知らない風景が広がっているのが、私には分かった。丘の上のカフェ。姉という名の女。そこで交わされたであろう、無価値な会話の数々。

 

それは、不純物だ。

 

千影の魂にこびりついた、過去という名の不純物。

私はこの世界から彼を守っているつもりでいた。だが、本当の敵は外にはいなかった。敵は、千影自身の「中」に潜んでいたのだ。思い出という名の、亡霊として。

 

「そのカフェでは、どんな話を?」

「大した話はしないよ。僕が読んでいる本の話とか、姉さんの仕事の愚痴とか…」

 

愚痴。なんと醜い言葉だろう。この世界には、賞賛と肯定しか存在しないというのに。

彼の魂は、そんなもので汚されるべきではない。

 

私は静かに席を立ち、千影の後ろに回り込んだ。そして、彼の肩を優しく揉む。驚いてこちらを見上げる彼の瞳に、穏やかな笑みを返しながら。

 

「疲れているんだろう。君は、少し考えすぎるところがあるから」

「そうかな…」

「そうだよ。過去は幻だ。今、ここに私と君がいる。それだけが、唯一の真実なのだから」

 

私の指が、彼の首筋をゆっくりと滑る。この温かい肌の下に、まだ私の知らない思い出が眠っている。姉、友人、あるいは、かつての恋人。それらが彼の夢の中に現れ、彼の意識を私以外の場所へ連れて行ってしまうのかもしれない。

 

許せない。

それは、完璧な愛に対する冒涜だ。

 

千影を真に救うためには、物理的に隔離するだけでは不十分だったのだ。彼の精神をも、過去から解放しなくてはならない。彼の記憶という名の図書館から、私以外の全ての蔵書を、一冊残らず燃やし尽くさなければ。

 

「大丈夫だよ、千影」

私は彼の耳元で、甘く囁いた。

「君を悩ませるものは、私がすべて消してあげる。君の頭の中を、空っぽの、美しい静寂で満たしてあげる」

 

彼は私の言葉の意味を理解できず、ただ心地よさそうに目を閉じた。無垢な信頼。それこそが彼の美しさであり、同時に、私を駆り立てる罪でもある。

 

その夜、眠りについた千影の傍らで、私は一冊の古い医学書を開いていた。そこに記されているのは、肉体と精神の繋がり、記憶が脳のどこに宿るのかという、無味乾燥な記述。

 

だが、私にはそれが、愛の聖典のように読めた。

 

彼の魂を浄化するための、甘美な死への道筋。

それはただ彼を殺すことではない。彼の内なる世界を一度「無」に還し、そこに私という存在だけを再構築する、聖なる儀式だ。

 

大丈夫、千影。

その「姉さん」という名の染みも、すぐに美しい白に塗り替えてあげるからね。

私たちの世界に、二人以外の登場人物は必要ないのだから。

 

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