「は……っはぁ……っ!」
白く雪の積もった山道を、少女がただひたすらに走っている。
疾うに体力を使い果たした彼女を突き動かすのは、惰性と恐怖から湧き上がる気力のみ。そしてその気力もまた、終わりの見えない
否、鬼ごっこなんて生易しいものではない。何しろ彼女を追っているのは人間などではなく、文字通りの鬼──”怪物”なのだから。
「ォにさンこチら テのなルほゥへ」
悍ましい声でナニカを呟きながら追いかけてくる
しかし、捻じれて曲がった一対の角と醜悪に歪んだ顔貌、剝き出しの乱杭歯は少女に恐怖を齎すには十分すぎた。
(どうして私がこんな目に……っ!)
ソレに追いつかれたとき、果たして自分はどんな目にあってしまうのか。ふと、そんなことを考えてしまった。
取って喰われるか、はたまた──。いずれにせよきっと碌な目には合わないのだろう。
「ォにさンこチら テのなルほゥへ」
背後から聞こえる声に少女は慄く。音の発生源が先程よりも明らかに近づいている。
彼女は恐る恐る後ろを振り返り、思わずゾッとする。
(ッ!? 距離がだんだん縮まって……! このままじゃ……!)
──追いつかれる。そんな最悪を想像して、思わず足が竦む。
とはいえ、今足を止めてしまえば怪物に追いつかれてしまうのは必定。少女は痛む足と震える体に鞭を打ち、走り続けるしかないのだ。
生命に危険が迫ったことによる火事場の馬鹿力だろうか、徐々に少女と怪物との距離が開いていく。このままの勢いを保つことができれば、怪物から逃げ切ることすらできるだろう。
しかし──。
「きゃっ!?」
逃げることに意識を取られて走る速度を上げれば、それだけ足場の確認が疎かになる。
故に今、少女が雪に埋もれた木の根に足を取られて転んだのは単なる偶然ではない。
偶然であろうとなかろうと、少女が絶体絶命の状況に追い込まれたことに違いはないのだが。
「ォにさンこチら テのなルほゥへ」
「ひッ……いや──」
怪物から放たれた濃密な
一度止まってしまった足は恐怖に屈し、もう動かない。腰を抜かしてへたり込んだ少女にはもう、迫りくる
──その時だった、冬の空に似つかわしくない”雷鳴”が轟いたのは。
目を閉じた途端に襲い来る轟音に少女の肩が跳ねる。数瞬の後、痛みや衝撃が来ないことを不思議に思った少女は恐る恐る目を開いた。
「えっ……?」
するとそこに怪物の姿は無く、代わりにあったのは羽織を靡かせる一人の少年の姿だった。
線は細く中背。黒い学ランの上から灰色の羽織を羽織り、腰に大きな刀を提げたその格好は何処か浮世離れした印象を与える。亜麻色の長髪を片側だけ三つ編みにした独特な髪形もそれに拍車をかけているように少女には思えた。
そして何より際立つのは、
そんなことを考えていた少女に、少年は不意にその目を向ける。
「もう大丈夫。……でもこんなトコ、夜中に一人で来るもんじゃないぞ」
「は、はい。すみませんでした……?」
妖しい目に射竦められ、少女はそう言って頷くことしかできなかった。
少年はポリポリと頭を掻くと、ポケットから携帯電話を取り出した。「悪い」と一言断ると彼は山奥にいるにも関わらず何処かへ電話をかけ始める。
程なくして携帯に向かって話し始める様子を見るに無事に繋がったようである。
「あ、もしもし
「え、あ、はい!」
ジュレイとは何のことだろう。ひょっとして、先程まで自分を追いかけてきていたあの怪物のことだろうか。などと考えていると、またしても突然話を振られ、少女は咄嗟にそう返事をする。
「今から補助監──スーツを着た関西弁の男の人がアンタを家まで送ってくれるから、その人が来るまでここで待っててくれ」
「は、はい。わかりました!」
「ま、すぐ来ると思う。それじゃ、俺は次の用があるからこれで」
少年はそう捲し立てると足早に去っていく。
これを逃したら、もう会えない気がする。そう直感した少女は考えるよりも早く口を開いた。
「あ、あのっ!!」
「ン?」
怪訝な目で振り返る少年に、少女の頭は真っ白になる。
(や、やっちゃった! 咄嗟に声をかけちゃったけど、こういうときって何を言えば……!?)
ふわふわしてうまく働かない頭をフル回転させ、少女の口から出力されたのは──。
「え、えと、その……助けてくれてありがとうございます! えと……な、名前! あなたの、お名前は!?」
しどろもどろで、どもりまくった感謝の言葉だった。これでは後々、重めの自己嫌悪に陥ってしまうかもしれない。
少女が肝心なところでうまく働かない自分の頭と活舌を呪っていると、少年は不意にふわりとした笑みを浮かべて言った。
「
次の瞬間、眩い光が少女の目を焼いたかと思うと、少年の姿は何処にも無くなっていた。
東京都立呪術高等専門学校。
表向きは私立の宗教系の全寮制学校とされているが、その実態は名の通り”呪術”を学ぶための専門学校である。
学校とは言えど、卒業後もここを活動拠点とする多くの呪術師達に任務を斡旋し、サポートを行う役割も担う超重要施設である。
尚、学生も立派な呪術師であるため、各々の等級に合わせた任務が回ることもある。呪術業界は万年人手不足なのだ。
「うわーっ!? オマエら何てことしやがる!! 俺の物件たちがあッ!!?」
そんな高専の敷地の一角に構えられた学生用の宿舎で、神々廻颯はコントローラーを握りしめながら悲痛な叫び声を上げた。
彼の眼前にあるのはプレイステーション2を接続したテレビ。プレイしているのは皆大好きすごろくパーティーゲームの決定版、『桃太郎電鉄』である。
「うっわ……高い物件ばっか壊されてやんの。ドンマイ、颯!」
「オマエが『
首位を独走していたところに水を差され、額に青筋を浮かべた颯はその下手人たる白髪サングラスの同級生、
「いやでもこのカード、一位以外のプレイヤー全員の賛成がないと使えねーし。てことは賛成した
「そうだよ全員ノータイムで『はい』押しやがって! オマエらに人の心ってもんはねーのか、あァ!?」
「私にはあるけど、
「悪いね、颯。あまりにも差をつけられたものだからカッとなってつい。反省はしてるよ、後悔はしてないけど」
「オマエらなあ……!」
全く悪びれない二人──お団子ヘアに前髪だけ垂らした”変な髪型”の偉丈夫、
新年早々任務に駆り出され、やっと帰ってこれたと思えば
「そういえば、悟は実家に帰らなくて良かったのかい?」
「おい傑、話を逸らすなよ!」
「別にいーでしょ。どうせ帰った所でかたっ苦しい恰好で親戚に挨拶させられるだけなんだし。傑は? 親御さん元気だったか?」
「いつも通りさ。相変わらず呪術のことはいまいちよくわかっていないみたいだ」
露骨に話を逸らされ、颯は憤然とした表情を浮かべる。しかし二人は対照的に涼しい顔を浮かべて実家トークを繰り広げ始めた。
五条家といえば
ちなみに夏油は呪術師とは何ら関係のない一般家庭出身である。彼が高専に入学してから一年間、終ぞ呪術について深く理解することはなかったらしい。まあ、因習やらなんやらが渦巻いて煮詰まって焦げ付いている呪術界のことなど知らないでおくに越したことはない、というのが颯の意見ではあるのだが。
「ていうか、俺達もう三ヶ月後には二年だぜ? 早えーのなんのって。後輩とか来るのかね」
「どうだろうね。呪術師の世界は万年人手不足だし。流石に後輩ゼロ人というのはちょっと味気ない気もするけれど、そうなったとしても仕方ないんじゃないか」
「来るさ、きっと」
五条と夏油の言葉に颯は答えた。必ずそうなると確信しているかのような彼の言葉に家入は怪訝そうな表情を浮かべる。
「なんでそう思うの?」
「ま、何となくな。その方が面白そうだろ?」
「はは、言えてる」
「じゃあ、新入生が来たら俺達で歓迎会開いてやろうぜ! 題して、『超☆新入生歓迎会』!」
「うわー……バカのネーミングじゃん。だっせー」
「ま、いいんじゃないか? 面白そうだしね」
そんな他愛もない会話をしているうちにも夜は更けていく。しかし彼らのいる部屋には煌々と明かりが灯され、賑やかな話し声は一晩の間絶えることはなかった。
そして翌日無事に大寝坊をかました彼らは、四人揃って担任の