──神々廻颯は”転生者”である。
『呪術廻戦』というコミックがある。
人の負の感情から生まれる”呪い”との果てなき戦いを描く少年漫画。テーマがテーマなだけあって全体的に陰鬱な雰囲気で残酷な描写も多いが、見応えのあるバトルシーンと緊張感のある作風が読者から高く評価されている。何を隠そう、”彼”もその一人だった。
それ故に残念でならないのは、『呪術廻戦』という作品がこの世界の何処にも存在しないことだ。否、
──”彼”は『呪術廻戦』が
この世界で二度目の生を受けて早十五年。前世の記憶などとうに薄れてしまったが、それでも尚微かに残る
それを自覚したときの彼の絶望は計り知れないものであった。何せ『呪術廻戦』は呪いをテーマに据えているだけあってか、
生き延びるためには、自分自身が強くなる必要がある。幸いにも彼は「持っている側」だった。死に物狂いで努力し、己の身を守るに足る最低限の力を手に入れた彼が次に望んだのは──。
「これから向かうのはとある寂れた神社です。今回はその神社に巣くっとる呪霊の
郊外へと向かう車にて、颯はこれから向かう任務についての
呪術師、呪霊に関わらず”呪い”というものにはその力の強弱に応じた等級が割り振られる。本来呪力を介さない攻撃が通用しない呪霊に通常兵器が有効であると仮定した場合、木製バットで倒せるものが四級。拳銃があれば安心して対処できるものが三級。「散弾銃でギリ」なのが二級。戦車を持ち出しても尚不安が残るレベルで一級。そして最上位である特級はクラスター弾による絨毯爆撃でトントンといった具合だ。それに対して術師の等級の基準は「同等級の呪霊を祓うことができる」こと。わかりやすくてとても助かる。
何度も任務を共にし、颯にとってはもはや見知った仲である補助監督、
「窓*1の報告によれば対象は術式を
「勿論、油断するつもりはないっすよ」
一級術師である颯から見れば準一級呪霊はやや格下。とはいえ相手が術式をつかうとなれば一筋縄ではいかないだろう。
念には念を。術式によるわからん殺しがあり得る以上は万全を期すべきだ。そう考えた颯はスラックスのポケットから手のひらサイズのやや草臥れた箱を取り出す。
「……あ、やべ」
「どないしました?」
「ああいや……南方さん、
そう言われた南方がちらと助手席を見やると、そこには紙巻き煙草を咥えたまま申し訳なさそうに頬を掻く颯の姿があった。
「……未成年喫煙の幇助が犯罪になるん知ってて言うてはります?」
「え、そうなんすか? まあでも油断しないために必要なんだから大目に見てくださいよ」
前線に立つ術師を徹底的にサポートすることこそ、補助監督の務め。常々そう考えている南方は術師に対する細やかな気配りを忘れない。当然、喫煙をする術師のためにライターも常備している。
渋々ドアポケットから使い捨てのライターを一つ取り出し、颯へと差し出す。
「……はいどうぞ。ストックあるんで返さんくてもええですよ」
「やった、ありがとうございます」
「窓は開けてもろてええですかね。煙が籠ってまうんで」
「そりゃ勿論」
すぐさま颯は助手席の窓を開け、咥えたままの煙草に火をつけた。
深く息を吸って口腔内に煙を溜め、それを肺に入れる。一度煙草を口から離して窓の外に向けて紫煙を吐き出す。たちまちバニラのような甘い香りが車内に充満し、開いた窓からゆっくりと外へ流れ出す。そして再び吸い口を咥える。その繰り返し。
颯の乗る車が目的地へと辿り着いたのは、彼が三本目の煙草に火をつけた後だった。
「ほな、”帳”を下ろします。──『闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え』」
南方が呪詞を唱えると、青空に墨のような”黒”が広がっていく。
その正体は”帳”。最も一般的かつ簡単に張ることの出来る結界であり、主な効果は外部からの視線や侵入を防ぐことと、内部にいる呪霊を炙り出すこと。
呪術師及びその関係者は呪術規定第8条により非術師に呪術の存在を明かすことができない。故に彼らにはその力を行使する際、事前に帳を下ろす義務があるのだ。
「いってらっしゃい、ご武運を」
そう言い残すと南方は帳の外へと避難する。ここからは呪術師の仕事だ。
紫煙をくゆらせながら、颯は腰に佩いた太刀を抜き放った。
本来、肉体が資本である呪術師にとって、喫煙によって将来
そして今日これまでに颯が吸った煙草の本数は15。縛りによって呪力出力は本来の実力から凡そ2割程底上げされている。準備は万全、慢心こそせずとも、彼は何処か余裕すら感じる立ち振る舞いを見せる。
「んじゃまあ、パパッと祓いますかっと」
太刀を肩に担ぎ、参道を悠々と歩く。この太刀もただの武器ではない。呪いが込められた、呪いを祓うための武器──所謂”呪具”と呼ばれるものである。
呪具を持つ術師の数は多い。特に”生得術式”*2を持たない術師にとっては生命線になり得る。世の中には「術師が得物を持つのはダサい」なんて思う輩もいるらしいが、それはあくまでも少数派。一から十まで呪具頼りでそれを失ってしまったら何もできなくなる、というのは流石にどうかとは思うが、使えるものは使っておいたほうがいいというのが颯の見解である。
「うおっと。危ねーなオイ」
突然石灯籠の陰から飛び出してきた数匹の呪霊の群れを、しかし危なげなく太刀の一振りで祓う。手応えから恐らく等級は三級程度。まず間違いなく
颯は刀身に付着した血を軽く振るい、太刀を鞘に納めて独り言つ。
「ったく、何処だよ標的。さっさと出て来やが──ウッ!?」
突如、颯の腹部に衝撃が襲い掛かった。咄嗟に呪力で防御を張ったものの威力を殺しきることはできずゴロゴロと石畳の上に転がされ、颯は前方を睨みつける。
「ウキキキッ!!」
颯の視線の先、数メートル先の拝殿から嘲るような声と共に現れたのは、毛深い身体に長い手足、そして醜悪な笑みを顔に張り付けた一匹の大猿だった。
肚の奥が熱くなるのと対照的に、颯の頭は冷静に状況を分析し始める。
(これだけ距離が離れた場所から攻撃を当てられた? 呪力の塊みたいなモンを飛ばしたわけじゃない、受けた感覚からして実体のある何かなのは間違いない。呪力で作った岩か何かをぶつける”術式”か……?)
今の一撃から予想できるのはこの程度。後は戦いを通してすり合わせていき、術式が割れたところで弱点を突いて倒す。これが準一級以上、術式持ちの呪霊を倒す際の定石だ。
だが、しかし──。
「さっきから黙って聞いてればキィキィキャアキャアと……。汚ねー声で人様を
神々廻颯は非常に
颯が怒りを顕わにするとたちまち髪が逆立ち、
石灯籠が砕け、石畳が捲れ上がるその様に猿の呪霊もその顔から笑みを消す。
「ウキッ!?」
「──呪霊如きの知能で理解できるとは思わねーが、俺の
パリパリと体から紫電を迸らせながら、颯は言った。
呪術に関する特性の一つに「術式の開示」というものがある。
己の持つ術式の情報を敵対する存在に明かす──手の内を晒すことと引き換えにその効果や出力を強化するという一種の”縛り”だ。開示する内容は術者に委ねられ、その内容によって強化幅が変わる。
そしてその成立に「相手がその言葉を理解できるかどうか」はなんら影響しない。
「俺の術式は呪力を電気エネルギーに変換し、その上で操ることができる『
にわかに左手を向けられた猿の呪霊が警戒を強めたのも束の間、その掌から迸った青白い稲妻が回避の隙すら与えぬ速度を以てして呪霊に襲い掛かる。喫煙の縛りと術式の開示によるバフ。二つを重ねがけした雷撃は例え相手が準一級以上の呪霊であろうとも決して無視できないダメージを与える──
「……ウキッ?」
──ハズなのだが、放たれた雷がその呪霊の体を焼き焦がすことはなかった。
閃光が消え、現れたのは無傷のままの猿呪霊の姿。自らも困惑したように首を傾げている。
「……あ?」
(雷撃が全く効いていない……? それに加えて遠距離物理攻撃ができる術式……ははーんなるほど、大体読めてきたぜ。俺の予想が正しければ──)
瞬間、呪霊を睨みつけていた颯の金瞳が妖しく輝いたかと思うと、彼は
タイヤを思い切り殴りつけたかのような感触。そんな彼の目に映ったのは彼の手によって軌道を曲げられた「長く伸びた毛むくじゃらの腕」だった。
「キ?」
「──やっぱりな。オマエ、さては”ゴム”だろ?」
「自身の身体に”ゴム”の性質を付与する」、それが颯の考えた猿呪霊の術式の正体だ。
電撃と打撃に耐性を持ち、弾性があって長く伸ばすことができるといった特性はまさにゴムそのものである。
「常日頃からジャンプ読んでて助かったぜ。要は”
しゃらん、と音を立てながら再び抜き放たれたのは一振りの太刀。銘は無く然程名の知れた品でも無いが、
刀身に手を翳すと途端に呪力が漲る。高密度の呪力を湛えた刃は切れ味を増し、ただの太刀を岩をも切り裂く名刀へと変えるのだ。
「折角だ。
左手で掌印を結び、天高く突き出す。瞬間、放たれた稲妻が空を裂いた。颯の身体の所々には罅割れたような紋様が浮かび上がり、断続的に紫電を迸らせる。
「先々月あたりからずっと温めてた新技、『
颯は石畳を踏み砕きながら勢いよく跳び出した。呪力による強化と『雷気溌溂』による強化の重ね掛けが彼に人外の膂力と速度を与えた結果である。
瞬きをする間もなく颯の姿は間抜け面を晒す猿呪霊の懐の中へ。そして──。
「ウキッ!?」
「──遅ェよ」
斬撃。袈裟懸けに振り下ろされた太刀が呪霊の胸を切り裂く。
しかし。
(浅い──ギリギリで反応しやがったか!)
斬った手応えがイマイチ弱い。この程度の傷ではヤツを祓いきることはできないだろう。
強く踏み込みながら返す刀で斬り上げる。が、今度の一撃は剣先が掠ることすらなく避けられてしまう。それどころか呪霊はひらりと身を翻し、伸びる足で回し蹴りを放った。
咄嗟に刀身で防いだものの颯はまたしても大きく吹き飛ばされてしまう。受け身を取って顔を上げた颯の目にはにたりと悪辣な表情を浮かべて嘲笑う猿呪霊の姿が映った。
「ウキキキッ!!」
「テメエ……ブッ
再沸騰である。その速度には瞬間湯沸かし器もさぞ驚くことだろう。
颯は怒りに任せ、『雷気溌溂』の出力を制御できるギリギリにまで一気に引き上げる。たちまち紋様が広がり、身体の
太刀の柄を握り締め、颯は文字通り「消え失せた」。
「──ギッ!?」
次の瞬間、突如として目の前に現れた颯の姿に呪霊は目を丸くする。その両の
しかし呪霊もやられてばかりではない。光を失っていても呪力を探知することで颯の居場所を特定し、反撃の拳を放つ。だが。
「そう何度も喰らうかよ!」
ばつん、と音を立ててその腕が半ばから断ち切れた。
おかしい。颯との距離は至近、咄嗟に反応できる距離ではなかったはずだ。
「──ンな風に考えてんだろーな、足りねー頭でよォ!」
そう叫ぶ颯の眼はまるで獲物を狩る獣の如き、爛々たる金色の輝きを放っていた。
「冥土の土産に教えてやる……と思ったけどやっぱめんどくせーからナシ! 目も見えねー
先程とは打って変わって満面の笑みを浮かべながら太刀をぶん回す颯。一振りごとに呪霊の身体に赤い線が走り、あっという間に四肢すべてが切り落とされる。
「ゥギィ──ッ!?」
悲鳴を上げながらも何とか手足を再生させ、破れかぶれになって拳を振り回す呪霊だったが、狙った場所にはもう颯はおらず。
「これで終いだァ!」
上空に跳び上がった颯は呪霊目掛けて落下しながら太刀を大上段に構え、一閃。その一撃は呪霊の脳天から股下までを一刀の下に断ち斬るのだった。
石畳を踏み砕きながら着地した颯は、太刀を納めながら一言。
「ケッ、雑魚が。数発当てたくらいでチョーシこいてんじゃ──」
ねえよ。と、そう言おうとしたところで颯の体内に異音が鳴り響く。すぐさま全身に猛烈な痛みを感じ、声を出す間もなく彼の意識は闇へと溶けていくのだった。
「……アンタさぁ、ホントにバカなんじゃないの?」
高専の医務室にて、ベッドに横たわる颯を触診しながら家入はそうぼやいた。
彼女は世にも珍しい反転術式*3のアウトプットを行える逸材。それ故に任務で負傷した術師の治療を請け負っているのである。
「全身に過剰な電流を流したことによる神経のショート。今回はアンタの身体が電撃に耐性を持ってたからギリギリ助かったけど、それでも一歩間違えれば麻痺が残ってた。下手すれば即死しててもおかしくなかったんだよ?」
「返す言葉もございません……」
神経がショートしたと言われて颯は内心合点した。道理でまるで鉛に置き換わったように全身が重く、力を入れようとしてもピクリとも動かないわけである。辛うじて口が動かせるだけまだマシだろうか。
そう思案する颯に、家入は深い溜息を吐きながら手を翳す。白い光が彼の身体を包み込み、次第に全身の感覚が戻ってくる。
「はい、おしまい。手、ちゃんと動く?」
颯は上体を起こし、ぐっぱと手を握って開く動きを繰り返す。しばらく続けても特に違和感はない。
「大丈夫そうだ。いつも悪ィな、硝子ちゃん」
「悪いと思うなら、毎度毎度仕事増やさないでよね。いつも新技の実験で大怪我してるじゃん」
「はい、それは本当にその通りです……マジでスミマセン……」
溜息。
椅子に腰かけた家入はどこからともなく煙草を取り出し、口に咥えて火を点けた。深く息を吸い込むと同時に煙草の先がチリチリと赤く輝き、口を離してふうと紫煙を吐き出す。途端に颯の吸っている銘柄とはまた違う微かに甘い香りが医務室の中に充満した。
「ま、アンタが何をそんなに焦ってるのか私にはわかんないけど。……もう少し自分のことも大切にしたほうがいいよ」
「……っ、硝子ちゃ──」
普段はダウナーでドライな家入のデレ(諸説あり)に感極まった颯が何かを口走ろうとしたその時。
医務室の扉が勢いよく開け放たれ、騒がしい二人が中に飛び込んできた。
「颯、オマエまた任務中にブッ倒れたんだって!?」
「おい悟、仮にも医務室なんだ。ちょっとは静かにしないか」
怪我人を労わる気持ちというものを
五条はつかつかと医務室を進み、勢いよく颯のいるベッドのカーテンを開け放った。そしてサングラスを指で押し上げながらその
「はぁ……このクズ……」
また溜息。家入はムッとした表情を浮かべて煙草をふかした。
きっと、やにわに医務室が騒がしくなったのが気に食わないのだろう。
「治療は済んだけど、神々廻はまだ絶対安静。わかったらとっとと出ていけ、クズ共」
「はーっ? こっちは心配して来てやってんだぞ、その言い草はねーだろ!」
「うるさい、出ていけ」
ぎゃーぎゃー言い合う家入と五条を横目に、颯と夏油は顔を見合わせて苦笑を浮かべた。うるさいったらありゃしない。
(まあでも、これはこれで俺達らしくていいか)
「おい夏油、俺ァ疲れたから寝るぞ。二人のことはオマエに任せた」
そう言い残し、颯は布団を深くかぶって瞼を閉じた。夏油の溜息と二人を仲裁する声を子守唄に、彼はゆっくりと微睡みに身を委ねるのだった。
──家族と師、そして友に恵まれたある少年は彼らが正しく幸せに死ねるように
一級呪術師 神々廻 颯
東京都立呪術高等専門学校一年。
何の因果か、五条・夏油・家入と同期の世代に転生した元『呪術廻戦』読者。呪力を電気エネルギーに変換して操る『神鳴呪法』の使い手。
”強さ”を追い求めるあまり、高専に入学してから一年足らずで一級にまで駆け上がったド級の努力家。
本人は忘れているがキレ症で煽り症なのは前世からの名残。