召喚師が危機契約に挑む話   作:暇人のアキ

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ヤム

 シャロンを刺し貫いた獣は、次にエクラへと額を向ける。そして、そのままの勢いで突進した。

 だがその突進はエクラには当たらなかった。ペガサスより飛び降りたアンナが、斧の一撃で獣の体をそらしたのだ。落下の勢いを利用したその一撃は、獣の鱗を叩き割った。獣は雄叫びをあげると、再び地面の中へと潜っていく。

 

 シャロンの消滅を目撃した一同は、呆然としていた。特にぺぺとエクラが激しく狼狽している。

 

「なっ……そんな、シャロンは……」

「シャロン……」

「大丈夫よ。死んだわけじゃない。召喚英雄が倒れたところで、元の世界に戻るだけよ。今まで何度も見てきたでしょう?」

「そうです、けど……」

 

 その説明を聞いたペペは、一応の安心を見せた。だが、エクラは違う。

 アスク王国において、シャロンは召喚英雄ではない。なにせ、アスクの住人なのだから。彼女が召喚英雄として現れたのは、今回が初めてだ。ゆえにエクラは、彼女が消失する瞬間を見るのは初めてだった。

 

「エクラ、地上は危険だ。早くペガサスに乗ろう」

「あ、ああ」

 

 そしてその動揺が行動にでた。背後から、ハンマーで地面を叩いたかのような音がする。そしてエクラは、その音に注意を向けなかった。既に獣は撃退していたし、音のした方向は獣が去った方向とは別だったからだ。

 

「エクラ!」

 

 凶獣が地中より飛び出し、ペガサスに乗ろうとしていたエクラに牙を剥く。アンナがエクラの前に飛び出し、それを斧で防いだ。

 そんなアンナの前に、もう一体の獣が現れる。獣は飛び出すことなく地表を掘り進むと、その足を刺し貫いた。アンナが斧を何度も振り下ろすと、獣はきびすを返して逃げていく。

 

「アンナ隊長!!」

「行って、ペガサス!」

 

 周囲から、音がする。ハンマーで地面を叩いたような、あの音だ。それは一つや二つではなく、無数の音が重なり合って響いていた。既にここは、獣の狩り場の中だ。

 ゆえにアンナは、部下の生還を優先した。既にエクラたちは全員ペガサスに乗っている。ペガサスはアンナを置いて、空へと駆けていった。

 

「ふー……エクラ! 前を向きなさい! ここは戦場よ! クヨクヨしてる暇なんてないわ! まだ目的は達してないでしょう!?」

 

 たとえ召喚英雄であっても、その痛みは本物だ。彼女は、穴の空いた足の痛みに耐えながら、エクラに檄を飛ばす。

 

「隊長……!」

 

 ペガサスが高度を上げ、地上のアンナは見えなくなっていく。だがその姿が、獣に覆い隠されたのが見えた。

 地上の様子が砂嵐に掻き消える。エクラは自分の両頬を叩いた。

 

「……まだ、やるべきことが残ってる」

 

 アンナとシャロンは、既にこの世界にはいない。だが、死んだわけではない。ここで自分が目的を果たせなければ、体を張った彼女たちも浮かばれないだろう。ゆえにエクラは、気持ちを入れ替えた。

 

「ペペ、あの獣はなにか分かる?」

「……遊砂獣、だね。本来、あいつの生息域はもっと西のはずなんだけど。まさか、天災と共に移動したとでも……?」

 

 天災とは予測不能なものだ。その中で、なにが起こるかは分からない。本来はあり得ないことでも、今目の前で起きていることが真実だ。

 

「とにかく音に注意するんだ。奴らは地面の中を移動するから、目で見ることはできない。それと、意外に頭が良くて社会性も高い」

「分かった」

 

 あの、地面をハンマーで打ち鳴らすような独特な音。あの音が遊砂獣が近づいている特徴だ。

 

「あの男が建物の下敷きになったくらいで死ぬとは思えない。まだ生きているはずだ」

「ああ。下に降りて探そう!」

 

 エクラたちは、ペガサスに下降するように指示する。この黒い砂嵐の中では、低空飛行しなければ地表は見えない。

 

「エクラ、あとどれくらい召喚できそうだい?」

「……オーブはもうない。一応()()()は用意してるけど、ぶっつけ本番でできるかどうか……」

 

 これまでの戦いですでにオーブは使い切っている。今後通常の召喚はできないだろう。

 

「くっ、風が強いな。ペガサスが思うように動いてくれない!」

 

 この砂嵐には、源石が混じっている。そして源石というのは通常の砂より重く、あまり高くは舞い上がらない。ゆえに、ここでは下方ほど激しい砂嵐に晒されることになる。

 

 さらに、低空飛行にはもう1つリスクがある。

 地面の下から例の音が鳴り響き、遊砂獣が飛び出してくる。

 

「こいつらっ!」

 

 大きく口を開けてペガサスを食おうとした遊砂獣を、アルフォンスが魔法で迎え撃つ。その鱗に弾かれて大したダメージにはならないが、多少ひるませることはできた。

 だが、それで終わりではない。2体目、3体目の遊砂獣が次々と飛び出してきた。どうにか叩き落したが、この不安定な足場で戦うのは厳しい。

 

「そう何度も凌げそうにないね! 低空飛行は難しいか……!」

 

 このままでは遊砂獣に食われてしまう。どうにか別の方法でヤムを探すしかない。

 そう考え始めた一行だったが、幸運にも、彼らの目的は果たされる。エクラがヤムを発見したのだ。

 

「ヤムッ!」

 

 エクラはいてもたってもいられず、ペガサスから飛び降りると一目散に走り出した。

 

「私もついてく! アルフォンスはペガサスを頼む!」

「分かった! いったん上に翔んで、すぐ戻ってくる!」

 

 そんなエクラを、ぺぺが慌てて追いかける。アルフォンスも本音では追いかけたかったが、ペガサスを守ることを優先した。御者に命じて、ペガサスを高く飛び上がらせる。

 

 エクラとぺぺは、ヤムのそばまでやってきていた。この砂嵐の中で、ギリギリ声が届く距離だ。

 ヤムは天災防護装置の類は付けていない。すでに感染者とはいえ、この天災の中では症状が悪化する恐れもある。そう時間をかけてはいられない。

 ヤムはエクラに背を向けているが、その接近には気づいているはずだ。エクラは、もう何度目かも分からない説得を、もう一度試みる。

 

「……帰ろう、ヤム」

「お前は帰れ、エクラ」

 

 振り向きもせずに、ヤムは答える。その声はひどく冷たい。

 エクラは一歩、足を踏み出す。

 

「くるな!」

 

 近づこうとするエクラに、ヤムは顔だけを振り向いてボウガンを構えた。その顔は、これまで見たことがないほど険しかった。

 なにかを憎んでいるような、恨んでいるような、羨んでいるような、そんな顔だった。

 

「……なあ、ヤム。あの家、お前の妹の死に場所だったんだな。ごめんな。不用意に近づいて。お前にとって、自分は敵だから、あそこに近づかれるの、嫌だったよな」

 

 ロングスプリングに来た日、エクラが見た感染者の成れの果て。おそらくあれが、ヤムの妹なのだろう。

 あの時のヤムにとって、エクラは任務達成の邪魔者だった。そんな人間が自分の妹に近づいた。だからヤムは、あの場から遠ざけようとして石を投げたのだ。

 

 エクラには、ヤムの気持ちは分からない。どれだけ妹のことを大切に思っていたのか、分からない。本当にエクラに心をゆるしてくれているのか、分からない。

 分からないなりに精一杯、言葉を紡いだ。その言葉が響いたのかは、分からない。ヤムは怒りと悲しみが入り混じった顔で、絞り出すように言葉を吐き出した。

 

「……俺には……俺にはもうなにもねえ! 村も家族も妹も! 全部、ぜんぶ天災が持ってちまった……! もう、未来なんて、ねえんだよ!」

「ヤム……」

 

 そんな時、闖入者がやってくる。メイソンだ。

 彼は遺跡の下敷きになったせいか、頭から血を流しており、服もかなりボロボロだ。身につけていた外骨格はすでに失われて、その目は興奮で血走っている。

 

「ハァ、ハァ……貴様ら、随分と、邪魔をしてくれたな」

「今忙しいのが分からないかな? 君はお呼びじゃないんだ」

 

 メイソンは簡易パラソルを左手に持っており、彼の周辺数メートルだけが、砂嵐の影響を逃れていた。ぺぺの苦言も無視し、メイソンは狡猾な笑みを浮かべる。その姿は、この場から完全に浮いていた。

 

「ふっ、だが最後に勝つのは私だ。これを見ろ!」

 

 そして、右手には瑠璃色に輝く石を持っていた。サルゴン南部に生息する、晶瓏獣と晶玲獣という生命体から取れる鉱物だ。

 

「この共生晶獣の宝石は、この地の獣を従える! これさえあれば、やつらも私の味方となる!」

 

 確かにその宝石には、他の生物を従わせるという効果があった。メイソンは、こういった事態を想定して念の為持ってきていたのだろう。

 

「……まだ戦う気か?」

「当たり前だ! 私は負けん!」

 

 傭兵部隊はどこにもおらず、目的の遺跡は倒壊。ましてや天災の最中だというのにまだ戦おうとするメイソンに、エクラは呆れと苛立ちの眼差しを向ける。メイソンは、血走った目でそれに応じた。

 

「私には、兄がいた。優秀な兄だ。私はいつもあいつと比較されてきた。だが、やつは愚かだった! 感染者支援などに傾倒し、最後には天災の中で野垂れ死んだ! 私は兄とは違う! こんな天災など、打ち破ってやる! ヤム、手伝え!」

 

 ヤムの言葉の間に、エクラは切り札の準備を始めていた。エクラは切り札を準備してきた。切り札と言っても、やることは変わらない。英雄召喚だ。だが、ここにオーブはない。ゆえに、別の方法が必要だった。

 それは源石を利用した英雄召喚。まだ思い付きの段階でしかなく、危険は未知数。魔法陣の構築にどれだけの時間がかかるかもわからない。しかし成功すれば、安全にこの場を脱出できる可能性はぐっと高まる。

 

 そしてもちろん、天災はエクラの準備など待ってくれない。魔法陣を構築する前に、遊砂獣が砂を掘り進む音が聞こえてくる。

 

「またあいつらが来る!」

 

 その音を聞いて、メイソンは意気を昂らせる。宝石を掲げて叫ぶ。

 

「遊砂獣よ! 私に従え! やつらを殺せぇ!」

 

 そして、そんなメイソンを遊砂獣はあっさりと刺し貫いた。

 

「──あぇ?」

 

 呆然とした顔をするメイソンを遊砂獣は振り回して地面に叩きつける。メイソンはかろうじて息があるようだが、到底動ける状況ではなかった。

 あり得ないものでも見ているようなメイソンの目が、ヤムを映す。掠れたような力無い声で言う。

 

「……ヤ、ム、なにをしている? わたしを、たすけろぉ」

 

 無慈悲にも遊砂獣はメイソンに噛みつき、そのまま地面の中へと引きずり込んでいった。

 あの宝石の効果は、かの共生晶獣を恐れている獣にのみ効果のあるものだった。生息域の違う遊砂獣があの宝石を見たことあるはずもなく、宝石にはなんの効果もなかった。

 

 砂の中へと沈んでいったメイソンを見て、ヤムはなんとも言えない表情をしていた。嘲笑か、同情か、あるいは。

 

「ハッ、カスみてえな雇い主だったが、1個だけ共感できるぜ──天災(こいつ)をぶち殺さなきゃ、気がすまねえ!」

 

 ヤムは、天災そのものを睨むように遊砂獣を見ると、とたんに駆け出した。

 

 ボウガンを取り出し、遊砂獣に向かっていく。メイソンをくわえた遊砂獣は、矢を避けることもなく地面を泳いでいる。矢はその鱗に簡単に弾かれるが、ヤムは己を二の矢とし、その手のハンマーで鱗を叩き割った。

 

 その一撃で、遊砂獣は絶命したようだった。だがもちろん、それで終わりではない。仲間が殺されたことで、遊砂獣の警戒が増す。これまではまるで狩りを楽しむように、一匹ずつ飛び掛ってきた。だが今は違う。簡単には仕掛けず、周囲を取り囲んで旋回きている。その包囲網は徐々に厚みを増し、十数匹が取り囲んでいるようだった。

 

「こいよ、遊砂獣(天災)。ケリつけようぜ」

 

 エクラとぺぺは、そんなヤムを止められずにいた。彼をどうすれば止められるのか、まるで分からなかったからだ。そんな中で、上空から声がした。

 

「エクラ! ぺぺ!」

 

 二体のペガサスを連れたアルフォンスだ。アルフォンスが遊砂獣に囲まれた二人を助けるために降りてきたのだ。

 ペガサスは下降の勢いのままエクラたちの下へ突っ込んでくる。減速している暇などない。一度立ち止まれば、たちまち獣たちのエサとなるだろう。

 

 だが相手が悪かった。遊砂獣は知能が高い。どの獲物が弱く、どの獲物が面倒か。誰が、誰を助けようとしているかなど、すでに理解していた。

 遊砂獣は地中から飛び出すと、真上のペガサスに食いついた。

 

「くっそ!」

 

 アルフォンスは、真下の遊砂獣の接近に気付かなかった。すでに音は頼りにならない。周囲には大量の遊砂獣がおり、その特徴的な音はそこら中から響いていた。

 ペガサスに食いつく遊砂獣をフォルグファングで殴りつける。だが、新たな遊砂獣が次々と飛び出してくる。まるでエサを取り合う雛のようだった。

 

「こいつら……!」

 

 二体のペガサスは、数多の遊砂獣に耐え切れず、落とされる。その飛行の勢いのまま、地面に激突した。

 

「うああああ!!」

 

 アルフォンスの叫び声が聞こえる。遊砂獣の群れが、その叫び声の元に群がっていく。

 

「アルフォンス!」

「こっちは任せてくれたまえ! 君は彼を!」

 

 ヤムとアルフォンス。遊砂獣と相対する二人、どちらの方に向かうべきか迷いを見せたエクラに、ペペが声をかける。ペペは砂の大地を踏みしめ、アルフォンスの元へと駆け出す。

 

 当然、遊砂獣ともかち合うが、ハンマーで蹴散らしては前へと進む。

 

「このおおおお!」

 

 凶獣の群れの中を必死でかき進みながら、その先へと向かう。

 そして、その先ではアルフォンスが戦っていた。一体のペガサスを守りながら、剣を振るっている。おそらく、もう一体のペガサスは失われてしまったのだろう。そして、失われていたのはそれだけではなかった。

 

「アルフォンス! 大丈夫かい!?」

「……ぺぺ。この遊砂獣の群れの中で扉まで戻るには、空を飛ぶ必要がある。でも、ペガサス一体で4人は運べないんだ」

「こんな時にいったいなにを──」

「ぺぺ。エクラを、僕の半身を、どうか守ってくれ」

 

 失われたのは、ペガサスだけではなかった。アルフォンスの右足が食われていた。この砂漠で片足は致命的だろう。

 アルフォンスの顔を見る。決意を秘めた顔だ。すでに己の死地を悟った、戦士の顔だ。

 ペペは知っている。彼がどれだけエクラを想っているかを。どんな時もエクラのことを考え、なるべくそばにいようとした。

 そんな彼が、エクラを自分に託すと言ったのだ。

 

「……分かった。君の歴史(想い)は私が繋ごう!」

「頼む!」

 

 ペペはペガサスにまたがり、手綱を握る。こんな異界の生物にまたがったことなどないが、そんなことを言っている場合ではないだろう。

 ペガサスは羽ばたき、宙に浮かび始める。それを見逃してくれるほど、目の前の獣たちは甘くはない。遊砂獣はペガサスへと狙いを定め、牙をむく。

 だがアルフォンスがそれを許さない。片足をものともせずに的確に動き、遊砂獣の動きを牽制する。そしてそのまま、ペガサスは再び空へと舞い上がっていった。

 

 一方で、ヤムは天災と戦っていた。砂の大地を味方とし、多くの武器を持ち替えながら柔軟に戦う。その高い戦闘能力により、すでに数匹の天災を殺していた。

 だが天災は狡猾だ。仲間が数匹殺されたとみるや、時間をかけてゆっくりと体力を奪っていく方針に切り替えた。逃げられないように周囲を囲みながら、隙を見逃さずに徐々に削られていく。今はまだ戦えているが、やがて体力が尽きて食われるのが目に見えていた。

 

 エクラは、そんな未来を許すわけにはいかない。ヤムに飛びつくと、その体に抱きつくようにすがった。ヤムは振りほどこうとするが、エクラは必死に食らいついて離れない。

 

「邪魔だっ!」

「ヤム! お前だって迷ってんだろ!? 地図のコピーは初めて会った日に終わってたはずだ! それでも何日もあの町にいたのは、あそこの居心地が良かったからだろ!?」

「離れろよ……!」

「お前には未来がある! お前の帰りを待ってる子供たちがいる! 一緒に帰るぞ!!」

「おれ、は……」

 

 エクラの言葉に、ヤムが初めて迷いを見せた。だが、状況は彼らを待ってはくれない。隙が見えたとみるや、遊砂獣が再び襲ってくる。

 

「くっそ……また来るのか」

 

 彼らは未だ天災の中だ。この状況下で、いつまでしのげるか。

 エクラはずっと切り札の用意をしている。だが、それはまだ間に合わない。時間が足りない。

 その時、天から声がした。ペペの声だ。

 

「エクラ! 乗れ!」

 

 ペガサスに乗ったぺぺが、天から突っ込んでくる。先ほどと同じ状況、当然遊砂獣も同じ行動をとる。

 遊砂獣がペガサスに飛びつく。だがそこを、ヤムの槍が襲った。ヤムは、ペガサスを狙う獣たちを次々と叩き落していく。

 

 ペペは身をよじり、手を伸ばす。エクラもまた、手を伸ばした。二人の手が重なる。そして、エクラはもう片方の手をヤムに伸ばした。

 

「ヤム、手を取れ!!」

 

 いくらヤムといえど、ここから脱出する手段は空路を除いて他にない。おそらくこれが、彼が生きて帰る最後のチャンスになるだろう。

 だが、彼は生きて帰る気などなかった。彼は天災の中で生きる者(レッドラベル)。天災への復讐以外に、生きる意味などない。

 

 ──そして、その手を取った。

 ヤムは、驚いた顔をしていた。まるで意図せぬ動きをしたように。まるで手が勝手に動いたかのように。

 彼は、手を取るつもりはなかったのだろう。未来を見るつもりはなかったのだろう。それでも彼は、手を取った。

 

 ペガサスは天を駆ける。二人がペガサスの背に乗る時間などない。ヤムとエクラは、垂れる一本の紐のように、ペガサスの下にぶら下がった。

 二人の体重と、ペガサスが飛び上がる重力が、ぺぺの腕にのしかかる。

 ぺぺはけしてひ弱ではない。成人男性二人分の体重くらい、すぐにでも引き上げられる。だが、そのわずかな時間すら、足りない。

 遊砂獣が、ヤムの足に食らいついた。そして、そのまま地中へと引きずり下ろそうとする。ヤムはボウガンで応戦するが、多勢に無勢だ。一匹追い返しても、すぐに別の獣が追いすがってくる。

 

「ぐ、ぐううううう!」

「あ、がれえええええ!」

 

 上下から引っ張られ、エクラの全身が悲鳴を上げる。それでも手だけは絶対に離すまいと、力を込める。

 遊砂獣は、決して獲物を逃がすまいとヤムの足を食いちぎらない程度に引っ張り続ける。そのせいで、ペガサスは思うように飛べていない。打開策をとろうにも、二人の手はふさがっている。空いているのはヤムの右手だけだ。

 

 ヤムは上を見上げる。そこにはエクラがいる。自分のために必死になってくれる人がいた。自分のために命を懸けてくれる友がいた。

 

「──エクラ。俺はもう、天災の中でしか生きられねえんだ」

 

 ヤムは右手でエクラの手を取ると、その指をむりやりに外していく。

 

「ヤム、やめ──!」

「──嬉しかったぜ。ありがとな」

 

 そして、二人の両手は離れた。

 ヤムは遊砂獣に引かれ、大地へと落ちていく。鎖から解き放たれたペガサスが飛翔し、大地との距離が離れていく。

 ヤムはそのまま地面にたたきつけられる。そのはずみでついに右足が限界を迎えたようだ。彼の足は遊砂獣の口の中へと収められた。そして、次にはその体も。

 

 エクラは、空いた右手で腰に下げたブレイザブリクを触る。これまで、エクラは切り札を準備してきた。それでも魔法陣は未だ不完全。だがやるしかなかった。

 

 ブレイザブリクの引き金を引く。カチリ、と音が鳴る。それだけだった。

 カチリカチリと、音が鳴る。何も起こらない。

 ヤムの体に、遊砂獣が近づく。まだだ。まだ待ってくれ。もう少しで魔法陣が完成するはずなんだ。あと少しだけ、時間が欲しい。まだ、もう少しだけ時を──

 

 遊砂獣が、ヤムの体に食いついた。

 ヤムは抵抗することなく、(天災)を受け入れた。

 そしてヤムは、遊砂獣に食われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鐘が鳴る。蛇が這いずる。光が満ちる。──世界が、黄金に染まる。

 世界は反転し、因果は逆転し、時間は狂う。

 全ては、()()の意のままだ。

 

 不完全な魔法陣が完成し、源石を──否、天災そのものを吸収していく。その莫大なエネルギーは世界の理を造り替え、神の一角にまで届いた。

 

 そこにいたのは、美しき女神だった。

 時の神、円環の蛇、黄金の魔女。

 かつて黄金の蛇に侵され、九つの世界を静止せんとした女が、そこにはいた。

 

『神階英雄』グルヴェイグが宣告する。

 

「──時を司る私は定めた。あなたたちに、未来はない」

 

 そうして、テラは静止した。

 

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