剣技教官アッシュの随想   作:nocomimi

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幼少期・都上り編
「自己紹介」


私の名はアッシュである。職業はハイラル軍の剣技教官である。

 

アッシュという名は古語で「幸せ」を意味する言葉からとって母がつけたという。その母の深い情愛を私はありがたく思うが、残念ながら彼女は私がその感謝の気持ちを伝えられる年齢になる前に世を去った。それで私は城の剣術指南役であった父と二人で暮らすようになり、彼から剣技をはじめとするあらゆる武技を叩き込まれて育ったのである。とはいえ、私自身はと言えば父のような目覚ましい勲功を挙げたわけでも、人並外れた力量でその武勇を世に知らしめたわけでもない。しかしその私が今、父と同じような職についているというのもまた不思議なめぐりあわせである。

 

なぜ私がこのようなとりとめのない随想を書き始めたのかということについて少々説明申し上げたい。ことの発端は、新聞の記者が私の執務室を訪れてきた事にある。応対した私に対し、彼は何か新聞に書いてくれろと依頼してきた。

 

しかし私はたかだか齢二十を過ぎたばかりであるし、他人に自らの知識を提供できるほど学を積んだわけでもない。ましてや世人を広く楽しませる書き物など到底書けるわけもない。そう思い、私は丁重に断ろうとした。ところがその記者氏は活躍する女性を紙面に取り上げたいという希望を口にし、短くとも構わない、貴女の生い立ちや思い出、日々思う事などなんでも良いから書いてくれろと熱心に頼み込んできたので、それで良いのならと私は引き受けたわけである。

 

私の職業は軍に関わることであるから、職務について多くのことは書くことができない。守秘義務があるためだ。従って、私は私の幼い頃の思い出から今に至るまでの経緯を中心に書いていこうと思う。

 

とはいえ、そのようなことを書き連ねたところで、忙しい読者の興味を引くことができるかについては私には甚だ自信がない。世の中にははるかに重大な事件が溢れているからである。城下町内で発生した火事や泥棒の話、あるいは北部の僻地に魔物が出現したといった知らせだけではない。人によっては、歓楽街に立てられた天幕に新しい呼び物が入ったとか、占い師が宝物の場所を言い当てたといったことが極めて大きな関心事かも知れない。そのような出来事を扱った記事の数々の間に私のこのささやかな書き物が顔を覗かせたとき、果たして読者はどのような印象を持つだろうか。引き受けてはみたものの、私は今後相当な恥をかくことになるやも知れぬと半ば諦念を感じながらこの不慣れな仕事に手をつけた次第なのである。

 

* * * * * * * * * * * * * 

 

私は剣を自らの職としている。だが、いつ剣士になったのかと問われると、いささか答えに窮するところがある。

 

言葉を覚えたくらいの頃には既に私は父の稽古を受け始めていた。そして父は私の背たけが伸びるにつれ、単なる稽古にとどまらず魔物を相手とした実戦に私を連れ出すようになった。そうして私は、あくまでも父の保護と監督のもとではあったが、成人するよりだいぶ前から剣もて魔物を打ち払うをこととしてきたのである。

 

そう書くと、読者は驚くべき神童のような私の姿を想像するやも知れぬ。だが、実際はそうではなかった。私は何度も何度も失敗を重ね、自らの技が通じないという歯がゆい経験をして、その悔しさを糧に稽古に励むのが常であった。その体験談を書いてゆけば、読者諸氏にもいわゆる剣士という者がどんな者たちなのかをご理解いただけるやも知れぬと私は期待する。剣士ももとよりただの人間である。私もまた、それまでのたゆまぬ地道な鍛錬と、巡りあわせと、そして少々の幸運によって生き残り、今の地位にあるに過ぎないのである。

 

ここで、私を剣士に仕立て上げるために父が私に対して行った訓練について少し書こう。それは、以下のようなものであった。

 

私が三歳くらいのときであっただろうか、彼は木を彫って造った小さな木剣を私に授けてくれた。幼い子にとっては玩具のような木剣であっても剣は剣である。私は大いに喜び、誇らしげにそれを帯に挟んでどこに行くにも持ち歩くようになった。

 

すると、次に父は細い木の棒で隙を見ては私を軽く叩くことを始めた。もちろん折檻としてではない。あくまでも軽くではあるが、私の頭をコツンとやり、「アッシュ、隙があったぞ。実戦ならお前の負けだ」と宣言する。生来負けず嫌いの私は地団太を踏んで悔しがる。すると父は悔しければこれを避けるか剣で受けるかしてみろと言う。そこで私はいつ撃ちかかられても絶対に避けてやると意気込む。ところが、遊びに没頭していたり何かに気を取られていたりすると、またコツンとやられる。

 

こんな日々が続くと、人とは慣れるもので、私はいつしか何も考えずとも父の「攻撃」を避け、あるいは自らの玩具の剣を抜いて受け流すことを覚えた。そしてそれに成功すると父は「ふむ」と短く言って立ち去り、私も無事に自分の遊びに戻ることができたのである。

 

ところが相手もさる者で、私が新しく買ってもらった絵本に夢中になっていたりすると、気取られぬように背後から忍び寄ってきてまたコツンとやってくるのであった。

 

「父上、背後から不意打ちとは卑怯ではありませんか」

 

私が抗議すると父は平然と答えたものである。

 

「戦さに卑怯も糞もあるか。敵は全部で何人いるかも、いつどこから撃ちかかってくるかもわからぬものと思え」

 

最終的に私は、何をしているときでも父が近くにいるときは常に視界の端で彼の動向を観察する癖がついた。そうやって構えていると、相手はそれを心得ているのか撃ちかかってこない。そして私が例えば寝呆けて目をこすりながら洗面所に向かっているときや、水汲みの最中に水桶をひっくり返して床を濡らしてしまい動転したときなどに限ってまた忍び寄ってきてコツン、とやってくる。結局、全ての父の攻撃をことごとく躱すことは記憶の限り私にはできずじまいであった。

 

この一風変わった修行はしかし、その後大いに成果を発揮したのである。私の背丈が伸びると、父は今度はやや長い木剣を私にあてがい、案山子を相手とした斬り方の稽古や、さらには面甲と胴巻きを着用させての打ち合いを覚えさせた。それで、私は、私にとって、単純な縦斬りや横斬りといった斬撃を躱し受け流すのは何の苦も無くできる業であることを発見した。

 

私は大いに喜んで稽古に励んだ。ところが、その段階からしばらく進むと、父はただの斬撃を繰り出すのをやめてしまった。今度は、動きを偽って私に反応させたあとがら空きになった個所を撃ってくるようになったのである。

 

「アッシュ、お前の負けだ」

 

宣告されると私はまた酷く悔しがった。しかし、上段に撃ち込まれそうになったとき剣を掲げて防ごうとするのは人の本能のようなものである。そこにすかさず父の横斬りが私の胴を払い、敗北を申し渡されるのである。私はやがて、相手の太刀筋を自分に当たる寸前まで見続けることを心がけるようになった。相手が剣を振り上げてきただけで反応するのはある意味臆病の証拠でもあると子供ながらに段々理解し始めてきたのである。それで六つの歳になるころには、父の斬撃を紙一重で躱すことが十回中七回くらいはできるようになってきた。

 

一方、手放しで楽しいと思える修行もあった。徒手格闘術である。剣を失いあるいは奪われても戦い続けられるようにと父が教授してくれたのである。もっとも、拳、掌底、肘打ちや蹴りをいくら覚えたところで、父のような偉丈夫相手に繰り出しても家の壁を叩いているようなものでしかなかったのは仕方がない。それより何より楽しかったのは投げ技の稽古である。父がわざとかかってくれているとはいえ、自分の力で六尺にも及ぶ大男を地面に転がすのである。私は楽しくて仕方がなく、父がうんざりして終了を告げるまで何度も練習した。

 

そうこうするうちに幼い私は一通りの斬り方と防ぎ方、さらには剣の使えない間合いでの組み打ちの仕方を覚え、自分ではいっぱしの剣士に仕上がったつもりになった。ところがそんな私の高くなった鼻柱を見事に挫くような出来事が起こったのである。それを次回に書こうと思う。

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