剣技教官アッシュの随想   作:nocomimi

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「身一つ」

城下町は広大な都市である。少なくとも山育ちの私にとってはそうだ。乳飲み子と言えるような歳の頃の薄っすらとした思い出と、物心ついてから二、三度、ごく短期間滞在した経験を除いてしまえば、私にとってそこは未知の場所と言って間違いはなかった。

 

驢馬を引いて東の城門をくぐり町に入った私は、まず人通りの多さに圧倒された。時はまだ日没前であったから、商売や仕事に勤しむ町民が右へ左へと行き来し、家畜を引いた私などは他人にぶつからないようしょっちゅう小休止しなければならなかった。

 

とはいえ、私は行くあてもなく通りを彷徨っていたのではなかった。父の遺言に従って会うべき人物が二、三いた。まず私は東通りの裕福そうな邸宅から苦労して目当ての住所を探し当て門の呼び鈴を押した。すると下女らしき女が戸口から顔を出した。私は彼女に対し、父の指名したある銀行家(彼は今も多額の資産を預かる身であるので実名は容赦していただきたい)に会わせて欲しい旨申し出た。主人は不在だと彼女は答え、その執務所のある場所を大雑把に教えてくれた。

 

礼を言って私は女に暇を告げ、彼女に教えられた場所に向かった。中央噴水広場から目抜き通りへ抜ける入り口の丁度右側にその建物はあった。私は住所に間違いがないことを確認すると、近くに驢馬を繋ぎ戸を叩いた。初老の紳士が出てきて、私の名を聞くとすぐに上げてくれた。

 

応接室に通された私は念のため、父の遺言書とか、家紋の刻まれた剣の鞘とか、母の似顔絵の入ったロケットとかいった品々を彼に見せた。だが彼は赤ん坊の私に会ったことがあるらしく、私の身元には全く疑いがないと保証してくれた。そして彼は生前の父から頼まれていたというあることを私に告げた。

 

すなわち、彼は父の遺産を預かる管財人を務めるよう指定されているというのだ。驚いたことに父は軍時代の俸給に殆ど手をつけずため込んでおり、それを私に残してくれていたのだった。またその運用により些少ではあるが私に年に一度の手当てが支払われることも知った。

 

私は彼に重々礼を申し述べた。だがその時、表で驢馬が嘶く声がしたので、私は立ち上がって執務室の窓から外を見た。なんと、二人組の男が私の驢馬を繋いだ縄を解き連れ去ろうとしている。私は窓を開け放ってそこから飛び降りると長剣を抜いて誰何した。

 

「やべっ....逃げるぞ!」二人組は何も答えずにほうほうの体で立ち去った。私はあまりのことにやや呆然としながらも驢馬をもう一度繋ぎ、今度は少しの事で解けぬよう結び目を何重にも重ねた。

 

再び銀行家の執務室に上がり、種々の書類に署名をして面談を終えると、私は今度は城に向かった。衛兵の守る回廊の入り口を入ろうとすると、家畜を連れて行くのは特別な場合を除き禁じられていると制止されたので、私は後ろ髪を引かれる思いで驢馬を残し先に進んだ。そして城の門前にいた衛兵に用向きを告げた。軍の顧問であるラフレル・ソルレントス元少将に会いたい旨申し出たのである。

 

ところが元少将は既に退職され、その住所も知らないと衛兵は言う。私は困り果てた。だが兵士というものは商売人のように交渉次第で対応を変えてくれる人種ではないと私も知っていたので、私は引き返した。

 

幸いなことに私の驢馬は元の場所にいた。流石に兵士の前で盗みを働こうという不届き者はいなかったのだろう。私は再び歩き始めたが、今度は文字通り行く当てがなかった。既に日は暮れていた。私は差し当たり住む場所を探す必要があると思いついたが、これほど人の多い城下町でそれは簡単なことではないと未熟ながら直観ですぐにわかった。人が多ければ住む場所を求める者も多い。そうなれば家の値段は上がる。買うのは論外として、借りるにしても難儀するのではという予感が胸の中で膨らんできた。

 

予感は当たった。私は下宿屋周旋の看板を掲げた店に入り、片付けを始めようとしていた中年の主人に相談を持ち掛けた。だが一か月千二百ルピーの家賃を提示され絶句したのである。安い物件はないかと尋ねると、彼の弁はこうであった。

 

「でもねえ、女性の一人暮らしならこれくらいは出さないと。門衛もいるし呼び鈴を押せば管理人が来てくれるんだから、安いもんでしょうお嬢さん?」

 

私は門衛も管理人も要らないと言い張った。そうすると安いは安いが、治安の悪い西町になるという。それでも家賃は五百ルピーと出た。そして敷金礼金として二か月分、初月の家賃と合わせ千五百が入居に必要と提示された。

 

私は頭痛がしてきた。父がどれほどの財産を残してくれていようと、こんなことではみるみるうちに費消してしまうのは明らかだった。私は一旦店を出て、驢馬を引いて歩き始めた。その時私の心に去来していたのは、この驢馬を売り払うしかないのでは、という考えだった。幼少期から私に仕えてきてくれた驢馬だ。愛着もあった。だが自分の住む場所もないのに彼を養い続けることなどできようはずがない。

 

私は結局、目抜き通りにいた馬丁に声をかけて馬喰を紹介させた。値は五百ルピーと出た。私は涙を流しそうになったが辛うじて堪え、彼を引き渡し代金を受け取った。

 

こうして私は、山から伴って来た伴侶も失ってしまった。本当に身一つになってしまったのである。

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