ラフレル翁の紹介によりテルマ嬢の知己を得た私は、居候の身ではあっても、晴れて屋根の下に住むことにあいなった。私は清潔な寝床で寝、滋養のある物を食べ、服を洗い身だしなみを整えることができるようになった。これはひとえにテルマ嬢の厚意のお陰であった。
しかし、私は何の働きもせず無為に他人の世話になることがどうしても落ち着かなかったので、家賃がわりにテルマ嬢がやっている店で下働きをさせてくれと申し出た。
「本当にいいのかえ?」
彼女はそれを聞いて非常に驚いたようだった。
「あんたみたいないいとこのお嬢さんが居酒屋で働くなんて聞いたこともないよ。まあどうしてもって言うんならこっちも助かるからいいんだけどねぇ...」
働き口があるならそれ以上有難いことはない。私は彼女の提示した時給を二つ返事で了承し、前掛けを身に着け、客が入る前の店で一通りのことを教わった。
そうして私は働くことになった。ところが、私が注文をとり給仕をしていると、飲み物やら片付けやらの要求に留まらず、男たちが色々な声をかけてくる。
「よう可愛い子ちゃん、どっから来たんだい?」
「今夜空いてないのか?田舎から出て来たばっかで寂しいだろ?俺の部屋に来いよ」
私は最低限の言葉でそれらに答え、あるいは誘いを固辞し、あるいは忙しい振りをして無視していた。だが、ある時帰った客が食べ散らかしていった食器を片付けていると、私は誰かが私の腰から臀部にかけてに触れたことに気づいた。振り向くと、酔いで顔を赤らめた太った男が席についたままこちらを見てにやにやと笑っている。
「今私に触れられたのは貴殿か?」
私は問うた。
「減るもんじゃねえし、構わねえだろ?綺麗なお姉ちゃんよ」
彼はそう答えて笑った。私は自分にされたことの意味を悟ると、すぐさま更衣室に直行し、長剣を携えて男の前に戻ってきた。そうしてそれを抜き放ち、剣先を相手の胸に向けて言った。
「貴殿に決闘を申し込む。場所は店先の広場。五分だけ待つ。それまでに武器を用意されよ。立会人はそちらの好む者でよい」
その男は理解できたのかできなかったのか、しばらく目を丸くして私を眺めていた。周囲の客は明らかな異状を感じたのか静まり返った。やがって数人が互いに囁きかわし始め、そのうちの一人が男に近づいて何かを耳打ちした。すると男はみるみるうちに顔面蒼白になり、額に脂汗をかき始めた。
「い...お....そ....そんな..つもりじゃあ...」
言葉にならない言葉を発する男に私は続けた。
「貴殿は婦女に許されざる行為を働いた。命をもって償うは当然ではないか。だが、ただ復讐され倒れるのみでは貴殿の男子としての体面が潰れよう。それを慮って私はこのように提案したのだ。さ、支度を急がれよ」
すると、客席の異様な雰囲気に気づいたテルマ嬢がこちらにやってきた。
「アッシュ、いったいどうしたってんだい?剣なんか抜いて」
私は事の次第を彼女に説明した。すると彼女の顔がみるみるうちに真っ赤になった。テルマ嬢は厨房にとって返すと、大きなデッキブラシを手にして戻り、おもむろに件の男の頭頂部に思い切りその先端を振り下ろした。
「このっ...!このっ...!このっ...!よくもうちの女の子に手を出してくれたね!」
彼女はそう喚きながら何度も何度も男の頭を打ち据えた。男は目の前に置かれたトマトスープの皿に顔を突っ込んだ後、両手で頭を抱えて立ち上がり出口に向かって駆け出した。それでもテルマ嬢は男の背中といわず肩といわず滅多打ちにする。とうとう相手は転がるように戸を開けて出ていった。
「もう二度と来るんじゃあないよ!」
テルマ嬢は相手の背中にそう怒鳴ると叩きつけるように戸を閉めた。それを見ていた客席に失笑と安堵が広がったが、まだ怒りの収まらない様子のテルマ嬢はこう宣言した。
「いいかいみんな、店の女の子に手を出したら料金三倍で永久出入り禁止。それからツケがある奴はその場で一括請求するよ。わかったね」
客の中にはツケ払いをする者が多く、後段が相当効いたようで、それ以降客は私に余計な言葉をかけてくることさえしなくなった。
だがテルマ嬢はその日最後の客が帰ると私を客席に座らせ改まった様子で謝罪してきた。
「あんたをこんな目に遭わせてお詫びの言葉も見つからないよ。本当にあたしといえば店主失格さね」
私は驚いた。なぜ彼女が謝罪する必要があるのかが理解できなかったからである。
「ああいう奴らが出てくるのは目に見えてたんだ。最初から心づもりしとくべきだったよ。ああもう、本当にあたしとしたことが...」
「テルマ嬢、謝罪はあの男が私に対してするべきこと。私には貴女に責があるとは思えぬ」
私は口を差し挟んだ。だが彼女は続けた。
「いや、そういうわけにはいかないのさ。人を雇ったら雇った責任ってものがあるんだよ」そう言うと彼女は溜め息をついた。
「あたしは実はね、この店で若い子を雇うのは初めてだったのさ。あんたみたいな若くて綺麗な子を入れたらどうなるかわかってて当然だったのに、なんてうっかりしてたんだろう」
私には今一つ理解ができなかった。なぜ私が店に入っただけで当然に男どもが劣情を催すのだろう?私は剣士であって踊り子や何かではない。私はそうとしか思わなかった。要は、あまりにもうぶで男女の機微を理解するには未熟に過ぎたのである。
テルマ嬢はその日の給金を倍額にしてくれた。私は何度も固辞したがどうしてもということだった。私はこれを、あの男をそれ以上追及し復讐を遂げようとするのを思いとどまらせるための慰藉料だと考えることにした。
また、この事件は私に対してもう一つの教訓になった。剣で撃ちかかられたならいつ何時でも避けられると思っていた私だったが、あの男の手を避けることができなかった。すると、例えば後ろから忍び寄って毒針で刺すといった方法で敵から狙われていたらどうだろうか。そう考え始めると、やはり私の鍛錬はまだまだ足りていなかったとしか結論せざるを得ない。
ともあれ、スープで真っ赤に染まったあの男の顔を思い出すと、あの時の嫌な思いはとうに失せ、今は可笑しみしか湧いてこない。彼はテルマ嬢の制裁により受くるべきものを受けた。それでよいではないか、と私はいつしか思うようになったのである。