剣技教官アッシュの随想   作:nocomimi

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「礼拝所」

麓村に押し入ってきた全ての鬼どもを父と私が退治したあと、父は私をしばらく休ませてからこう言った。

 

「アッシュ、ついて参れ。残党がおらぬか見回りに行くぞ」

 

疲労しており気だるくは感じていたが、父の言わんとすることはよく分かった。戦さにおいては兵を二手に分け、敵が片方との交戦に気を取られていたりあるいはそれを退けて油断している時に襲うというのは定石である。鬼どもにそんな知能があるとは思えなかったが念のためである。

 

「父上、二手に分かれましょうぞ。そのほうが早く済みますし一匹や二匹であれば私一人で十分ですゆえ」

 

私は父にそう申し述べた。この頃の私は、実力も伴っていない癖に知恵だけは妙に発達し、しばしば父に向かってそのように意見具申するようになっていた。

 

「よかろう。手に余るようなら私を呼べ」彼はまた苦笑したが私の意見を聞き容れた。私は自分は南側半分を見回ると申し出た。

 

私は広場から南下して街路を一つひとつ点検し、鬼が隠れられそうな物陰を覗き込んだ。私がこう申し出た理由は単にこれである。折角の初陣なのに、たった三匹しか戦果を挙げられなかったのでは口惜しい。しかもそのうち一匹は同士討ちに倒れたものであり、もう一匹は父に譲ってもらったものだ。功名心に逸った私は、どうせ父が傍に居たら鬼を見つけても立ちどころに片付けてしまうに相違ないと思い、出来ることならもう一匹分でも功を挙げたいと願ったのである。

 

しかし予想通り鬼どもに伏兵を配置する知恵などなかった。私は何の異状にも出会わないまま、村の入り口の脇ににある礼拝所の小さな尖塔が見えるところにまで近づいてきた。普段私と父が泊まっていた建物である。そこで私は妙な臭いに気づいた。焦げ臭い。さらには、パチパチと木が爆ぜる音もする。その上、かすかではあるが赤子の泣く声が聞こえた。

 

私は走って礼拝所に近づいた。すると見よ、その建物の壁には火が点けられ、屋根にも火矢が刺さっている。礼拝所とは言えども粗末な木組みの建物である。鬼どもは村に入ると同時にそこに火を放ったらしく、既に炎は壁の大部分を包み込んでいた。(彼らは神族に敵対する魔族であるからなのか、人間の礼拝の対象をことのほか憎む。礼拝所や神像とあらばこれを汚し、破壊しあるいは燃やさずにはおれないのである。)

 

私は大通りに走り出て呼びかけた。

 

「各々がた、礼拝所に火がかけられておるぞ」

 

義勇兵として鬼どもと戦った村の男どもが走ってきた。さらにはこれまで屋内に退避していた年寄りたちも、幼子たちの手を引いて出て来る。

 

「あたしの....あたしの赤ちゃん......!」

 

その時である。体格が良いのを見込まれ男どもに混じって義勇兵団に引き抜かれた若い女が転がらんばかりの勢いで走ってきた。

 

「赤ちゃんがまだ中に...!」女は狂乱状態であった。傍らに走り寄ってきた夫らしき男が怒鳴った。

 

「馬鹿野郎!なんでこんなところに置き去りにしたんだ!」

 

「だってよく寝てたし...それにここなら女神様に守って頂けると思ったんだよ!」

 

思い余った女は息を大きく吸うと、燃え盛る礼拝所の扉に近づいていった。だが夫が慌てて羽交い絞めにしてそれを止めた。

 

「離しておくれよ!まだ生きてるじゃあないか!」

 

「もう無理だ!お前ぇまで死んだら元も子もねえ!」

 

その時、私の脳裏に礼拝所の内部の配置が絵を見ているかのように浮かび上がった。参拝者が儀式中に座る長椅子が並べられ、突き当たりに石の祭壇がある。その後ろには浸礼槽だ。数日間泊まり込んでいたからはっきりと思い出せた。

 

私は剣を投げ出すと、近くにいた村の男が武器がわりに持っていた杭打ち用の金槌を奪い取り、礼拝所の扉に近づいてこれを叩き壊した。そして息を大きく吸い、手で口を覆うと身を低くして中に這入っていった。

 

「お...お嬢ちゃん!無茶しちゃいけねぇ!」男の声を背中に受けたが、私はもう覚悟を決めていた。これは元々父の発案で始まった戦さだ。半ば巻き込まれた村人の赤子を見捨てる訳にはいかぬ。

 

煙が目に入りたちまち涙が溢れてきた。私は目を出来るだけ大きく開かないようにしながら這うように前進した。赤子の泣き声は前方からまだ聞こえている。凄まじい熱気が時折吹き付けてくる。燃え差しが上から落ちてきて私の兜に当たった。

 

赤子の声が聞こえてくるのは長椅子の列の間の通路の突き当りにある祭壇の脇からだった。私はようやくその位置に確信を持つと、息が切れそうになるのを必死で堪え、泣き声の聞こえる方に走った。赤子は祭壇の脇の床の毛布の上に座って激しく泣いていた。なんとその毛布にも火が付き始めていたのである。私はかっ攫うようにしてその赤子を抱えると、祭壇の裏にある浸礼槽に飛び込んだ。

 

浸礼槽にはたっぷりと水が湛えられていた。これは儀礼を行う前の祭司によって使われるほか、新たに信者となった者が身を清めるためにも使用される。この村に逗留していた間、私は十三の歳となったということで、村の少年少女たちとともに改めて入信の儀式を受けていた。だから、浴槽の水は抜かれずにそのままあるという確信があったのだ。

 

全身水に浸かると、耐え難い程の熱を帯びていた鎖帷子が冷えていった。私は浴槽の壁に身をもたせかけ、激しく泣く赤子を抱きながら上を見上げた。炎は一面の天井を包んでいる。周囲はもうもうたる煙に包まれていた。だが、浴槽に水を引くための溝から勢いよく空気が流れ込んできているのが感じられた。その溝は建物の外の地面の下を通り村の水路まで通じているのだ。

 

取り敢えず命は繋いだ。だが、燃えた梁や天井が一気に落ちてきたらこれでも無事では済まない。私は、甲冑を着た自分はいざとなったら自ら赤子の盾になる覚悟を決めた。時折、水面の上に出した顔にさえ、恐ろしい熱気が襲ってくる。そのような時私は可能な限り身を低くし赤子を固く抱きしめて庇った。

 

そうして半時ほどが経っただろうか。燃えるべきものが燃えてしまったのか、火勢が急に弱くなった。屋根も梁も、木材が貧相で薄い造りであったため落ちてきてこちらに打撃を与える以前に細かな燃え差しとなって燃え尽きてしまったらしい。小さな炎がやがて燻る煙となった後、私は赤子を抱えて浴槽から上がった。

 

天井は殆どが消失し壁はあちこち崩れている。だが自分も赤子も生きている。私は思わず声に出して神に感謝の祈りを捧げた。そして大声を上げて皆に告げた。

 

「各々がた。私も赤子も無事だ」

 

私はもう一度そう叫ぶと、もはや扉の消失した戸口から外に出た。そこには全ての村民と、そして我が父が呆然とした顔で立ち尽くしていた。

 

「あ...赤ちゃん...赤ちゃん!」

 

母親が駆け寄って来ると、私の手から赤子を受け取った。そしてひれ伏さんばかりの勢いで私に礼を言った。村人たちも我に返り、口々に歓声を上げた。

 

父は、鬼どもの血で汚れた抜き身の長剣を納めるのも忘れ、その切っ先を地面に突き立て、柄頭に寄りかかったまま私の顔を見つめるばかりであった。何の言葉も出てこないらしい。その時私は三度ばかり立て続けにくしゃみをしてしまい、私の父にも礼を述べようと近寄ってきていた母親の腕の中にあった赤子がそれを見て声を立てて笑った。

 

「父上、戻りました」

 

私はそう父に声をかけた。

 

「うむ。ご苦労だった」

 

父はそう言うと、長剣を鞘に納めた。今思うと父も内心では相当取り乱していたのだろう。これが原因で彼の剣は錆びついてしまい、その後修理に長い時間がかかったのである。

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