剣技教官アッシュの随想   作:nocomimi

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雇われ剣士・レジスタンス編
「独り立ち」


これまで書いてきたものを改めて眺めてみると話題が遠い過去から最近にまで行き来しておりとりとめがないため、私がテルマ嬢の店で働き始めた時点に話を戻そう。

 

* * * * * * * * * 

 

私は十七のとき父と死別したことを切っ掛けにスノーピークを離れ城下町に上った。そこで世話になることになったのは知る人ぞ知る女傑テルマ嬢である。さて、テルマ嬢の居酒屋で下働きをしていた際、不埒な行為を仕掛けてきた男と私が決闘未遂を起こしたのは先述の通りであるが、面白いことにそれ以来私の身辺には大きな変化が起こった。

 

まず私が女だてらに剣士であるということが広く町中に知れ渡った。そうすると、試合を申し込んで来る者が毎日のように酒場にやって来るようになったのである。しかし、やって来る者たちの殆どは実戦を経験した剣士でも何でも無く単なる剣術愛好家であって、実際に試合が始まってみると瞬時に私が一本取って終了するのが常であった。それなのに、申し込みは後を絶たない。絶世の美女に求婚する男の列が途切れることがないというおとぎ話を読んだことがあったが、これではまるで逆である。なんとかして私を叩きのめそうとする男どもの列が途切れることがないのである。今思えば、女だてらに剣士など生意気だ、なんとか吠え面をかかせてやろう、という嫉妬に近い思いを彼らは抱いていたのかも知れない。

 

最初は私自身も鍛錬の一環としていちいちかかる申し入れを受け入れていた。しかし私にも生活がある。煩わしくなってきた私は、今後試合は真剣でしか受け付けないと彼らに申し渡した。するとその日から申し込みはぴたりと途絶えた。

 

すると次に、大変驚いたことに私に居酒屋とは別の新たな仕事の口が舞い込んできた。複数の富裕な家庭から、家庭教師をやらないかとの誘いを受けたのである。

 

富裕な家庭は子供を学校に入れるのをあまり好まない。大して学問も進まないし、悪い言葉や悪い遊びを覚えて帰ってくることさえあるからだ。それで彼らは家庭教師を雇うのだが、これが一筋縄ではいかないのであった。幼い子供たちは余所者の男に慣れるのに時間がかかることが多いため、いきおい女性の教師を雇いがちになる。ところが、子供が男の子だったりすると、大きく成るにつれ女性を見下し始め言うことを聞かなくなることもある。従って家庭教師たる女性は強く、威厳があり、子供を従わせられる人物が探されるものだが、そのような女性はそうそう見つかるものでもない。そこへ来て、私がある程度の教育も受け、なおかつ剣士であると知った彼らは適任だと考えたようなのである。

 

複数の働き口から一つの職を選ぶなど、かつては寝る場所さえこと欠いていた私にとって望外の出世であった。結局、先方と面談のうえ私はN夫人という非常に裕福な資産家のご家庭の子息と息女につづり方、算術および朗読を教授することに相成った。そしてご子息のたっての希望で課業が終わってから小一時間ほど剣術の稽古もつけるという条件で、考えられないほどの高収入を約束されることとなった。

 

私は素直に喜んだ。これで居候の身分から脱することができる。だが一方で、着任の準備をさせるとして私を呼び出したN夫人は私が考えていたようなおっとりとした貴婦人ではなかった。彼女はせかせかとした語調で話し、最初から私を敬称なしで呼び捨てにした。(これは少なからず違和感を感じさせた。)そして夫人は中央噴水広場の西側にある店に私を連れていき、そこで私のドレスを仕立て、また踵の高い歩きにくい靴も店員に言いつけて持ってこさせたのである。彼女は下女に命じて私の着替えを手伝わせ、着替え室から出てきた私を上から下まで仔細に点検しては店員にあちこち手直しをさせた。夫人が買ってくれるとは言ってくれたものの、その値段が目玉の飛び出るような額であったことは私を大変困惑させた。またそれ以上に大変動きにくいのである。

 

着せ替えられた私は遠慮を感じながらも仕舞いには耐えられなくなってこう申し出た。

 

「奥様、これでは動きにくうございます。私は剣士ですからこのような姿では職務が務まりませぬ」

 

「いいから言うことを聞きなさい、アッシュ」

 

夫人は幼な子に言い聞かせるように私に言った。

 

「あなたは私の家にいるときはこれを着て頂戴。ああ、そうだわ、お化粧道具持ってないの?持ってないならそれも揃えないとね」

 

化粧など生まれてから一度もしたこともない。一体夫人は何を考えているのだろうか、と私はだんだん不安になってきた。すると夫人は言った。

 

「あなたは剣士剣士っていうけど、私の娘があなたの恰好とか振る舞いを真似し始めると困るのよ」

 

そして、夫人はやや気を遣ったのか言い直した。

 

「いいこと、あなたのお仕事自体は立派なものだとは思うけど、私は自分の娘を剣士に育てるつもりはないの。だから娘の身近にいる大人の女性には世間なみの服装と化粧をして女性らしく振舞って頂きたいわけ。それは分かっていただけるわよね?」

 

夫人の言わんとすることが私にもようやく呑み込めた。要するに、股引を履いて剣を下げた若い女などというものは夫人の心に抱くあるべき女性像に著しく反するためそのような女の姿を娘の目に入れることさえ許したくないというわけなのだ。

 

私は自分の剣士としての在り方を否定されたような気がして著しく気分を害したが、顔には出さずにいた。結局のところこの仕事が無ければ自分などは居候に逆戻りするしかない。私は言われた通り、翌日からお仕着せのドレスを着て化粧をし歩きにくい靴を履いて夫人の邸宅に上がり、子供たちの勉強を見ることになったのである。

 

とはいえ、私はこの仕事から得られた収入によって念願の独り立ちを果たすことができた。これについてはN夫人に感謝してもし切れない。私は朝夫人の邸宅に出勤し、午前中一杯課業を行い、昼食まで頂いて、ご子息に遊びの予定がない時は剣術を教授し、そして帰宅した。自分の修練をするための自由な時間はたっぷり与えられた。私は程なく自分の家を借り、さらに別れ際テルマ嬢にちょっとした贈り物をする余裕さえできた。

 

しかし、雇い主であるN夫人の言動は多くの場合私を困惑させた。彼女は前述の通り私を呼び捨てにしていて、最初私はそれを彼女の私に対する親愛の情の表れかと勘違いしていた。というのも、夫人はやがて私のことを養女にしたいとさえ言いだしたからである。だが話を聞いているうち次第に私は彼女の言動に不信の念を持つようになった。

 

「いいことアッシュ、あなたは本来は剣士なんかをしている人じゃあないのよ。もっと大きなものを任されるべき人なのよ、あなたは」

 

彼女は私を居間の椅子に座らせてこう言った。だが私は合点がいかなかった。命を賭けて民の安全を預かる剣士の務めのどこが小さいのだろうか。

 

「あなたは働き者だし、器量も良ければ頭も良い。あなたのような女性を奥方に持ちたいと思う資産家の殿方は多いわ。そうすればあなたはいずれその家の財産を預かることになるの。家を切り盛りして栄えさせるのは女の真の働きというものよ。わかる?」

 

私には理解できなかった。私が求めていたのは自立であって家庭に納まることではない。何よりも私はどうしても彼女の申し出を少しも嬉しいと思えなかった。

 

普通なら、母を幼いとき亡くし父も失った私に対し養女にするなどと金持ちの婦人が申し出てくれるならば願ったり叶ったりである。しかしこれに私は少しも心を動かされなかった。スノーピークの麓の村で村人たちにこの村の一員になってくれと頼まれた時のほうが余程うれしかったか知れない。夫人の申し出は親切心からではなく何かの思惑があってのこと、と感じてしまった私は結局これを丁重に断ったのである。

 

しかしその後も私はそれまで通り家庭教師を続け、空いた時間にはひたすら剣の修練を積んだ。この仕事は腰かけであり私の真の目標は名実ともに剣士として生きること。それを片時も忘れなかった。

 

そして、その夢に一歩近づく機会、雇われ剣士としての仕事の口は意外なことにこのN夫人からもたらされたのである。

 

それはしかし、私を更なる社会の現実に直面させる手厳しい洗礼でもあった。

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