翌朝私は早く起きて顔を洗い武装を整えて外に出た。庄屋の家の裏手で下男が薪割りをしていたので、私は彼を捕まえ昨晩変わった様子がなかったか尋ねてみた。だが彼は首を振ると、薪も手斧も放り出して急いで私の前を立ち去っていった。怪訝に思った私は近くの家畜小屋の中で山羊の乳を搾っていた女に同じ質問をした。だが彼女もまた怯えたように首を振るばかりで何も答えない。仕方がないので私は自分で見回りに行こうと村の入り口に向けて歩き始めたが、何げなく空を見ると、非常に雲行きが怪しい。黒っぽい濃い雲が上空に垂れこめてきている。
その時、N夫人が私を呼ぶ声が聞こえた。夫人は私が思うよりよほど早起きなたちだったようだ。私は引き返し、部屋に戻った。何事かと思って覗き込むとコルセット姿のままの夫人が寝台の横に立っている。
「アッシュ、ちょっとこっちに来て頂戴。ベルトを引っ張って欲しいのよ」
私はもうすぐで大きなため息をつきそうになったが辛うじてこらえ、鏡の前に立つ夫人の傍らに行った。夫人は背中に手を伸ばし、コルセットのベルトと悪戦苦闘していた。
「どうも私痩せたみたいなのよ。食べる量は変わってないのに。旅ってしてみるものね」
「奥様、剣術の修練をなさればきっとすぐにお痩せになれるかと」
夫人のコルセットのベルトに手をかけて引っ張りながら私は極力嫌味に聞こえないよう申し述べた。
「馬鹿言わないでちょうだい。手がタコだらけになるじゃないの」
私は早々に切り上げて見回りに出る算段だったが、夫人はベルトの金具を一つ飛ばして二つ先の穴を狙う野心を遂げるまで私を解放しないつもりらしかった。私が苦闘している間、夫人は腹に手を入れて贅肉を上に持ち上げてみたり体をゆすってみたり工夫を凝らしていた。ようやく目的が遂げられそうな見通しが出てきたとき、私は屋外が騒がしいことに気づいた。
「奥様、外を見て参ります」
私は手を離すと夫人に言った。
「ちょっと、こんな格好で私を放り出す気?」
夫人は腹を立てたようだ。だが私は窓に寄って外を見るとすぐに異常に気付いた。村人たちが走りながら逃げまどっている。遠くにある村の端の家の屋根からは火の手が上がっていた。
「奥様、私が戻るまで外にお出でになりませぬよう」
私は夫人に言うと、剣を抜いて部屋から外に飛び出した。悲鳴がそこらじゅうで上がっていた。畑に出ようとしていた村人たちが家に駆け込み扉を締め、内側から閂をしている音がする。
私は庄屋の家の前から中央広場に進み出ようとしたが、すぐに家の陰に隠れた。鬼どもの群れが見えたのだ。オルディン地方に通じる山道のほうから村の入り口に向かってきている。私は見回りをせずにしまったことを後悔した。鬼というものは集団で略奪する前に少数で偵察するのが常だ。気を付けていれば兆候は事前に見つけられたはずだのに、迎撃の準備なく戦さを始めなければならない。
その時女の鋭い悲鳴が聞こえた。何度も上げられる悲鳴の源は数軒向こうの、村の入り口にほど近い小屋だ。私は村の中央広場から離れ、裏手のほうに回ってから悲鳴の源に近づいていった。
悲鳴はまだ続いている。私が小屋の窓から覗き込むと、二匹の緑鬼が一人の女を捕まえて押さえつけ服を脱がそうとしているところだった。私は足音を忍ばせて入口に近づくと、そっと扉を開けて中に入った。鬼の一匹が女の服の裾を捲り上げて上からのしかかろうとしていた。私は手前に立ってそれを見ていたもう一匹の鬼に近づいていきなり胴を払うと横斬りで首を刎ねた。もう一匹がこちらに気づいて振り向き、横に転がしておいた棍棒を慌てて拾い上げる。私は相手に殺到し剣を振り下ろした。その鬼は辛うじて棍棒でそれを受けたが、私はそれを蹴り上げて手放させるとその左胸を一息に刺し貫いた。左手を相手の口に当て、喚き声を上げられないよう思い切り押さえつけながら剣先を押し込む。ほどなくそいつは大人しくなった。
女は両目を大きく見開いて私を見た。私はその女に声を立てずにこの場に留まっているよう指示すると、鬼の身体から剣を抜き、刀身をその服で拭った。身を低くしてその小屋から滑り出ると、再び建物の陰に身を潜めながら事態を観察した。
村の入り口周辺の家々の屋根から火の手が上がっている。そこここで農民の家の扉を叩き壊そうと鬼どもが棍棒を振り回す音が聞こえる。嫌がる驢馬を家畜小屋から無理やり引っ張り出そうとしている鬼もいた。だが広場の中央辺りには見張り役なのか略奪に参加せず寛いでいる鬼が四匹ほど立っていた。その中の一匹が弓を携帯しているのを見た私は、身を低くして庄屋の家の裏手まで戻ると薪割り用の手斧を手にした。
頭上の空を覆う黒雲からポツポツと雨が降ってきた。私は意を決すると身を起こして村の中央広場に足を踏み入れ、鬼どもに近づいた。剣は納め、手斧を右手に握った。四名の鬼どもはやがて私の姿に気づいてこちらを見た。弓兵が弓を構えた瞬間を合図と決め、私は距離を詰めていった。女が一人近づいてくるだけで危険はないと思っていたらしく最初は怪訝な顔をするのみだったが、やがて私の意図に気づいた彼らは仲間同士で何かを喚き一斉に武器を構えた。距離は二間もない。弓兵が肩から弓を下ろして矢をつがえた瞬間私は手斧を思い切り投げた。飛んでいった手斧の刃が敵の肩から胸のあたりに深く食い込み、弓兵はがっくりと膝を折った。
棍棒を持った三匹が怒りの吼え声を上げた。私は剣を抜くと、真ん中の一匹に駆け寄った。そいつの振り回した棍棒を剣で逸らすと逆袈裟斬りで胴を払い、横斬りで首筋を断ち切った。右側の一匹が棍棒を払うのを身を沈めて躱し、突きで胴を刺し貫いて刃を半回転させこじりながら斬り裂く。背後に残り一匹が迫って来る気配がした。私は振り向きざま後ろ蹴りで自分が刺し貫いた鬼を突き放すと、棍棒を振りかざし襲ってきた鬼を脇の下から斬り上げた。そこから袈裟斬りで肩口を割り、自分の頭上で剣を回転させた勢いで右から首を刎ねた。三匹の鬼たちがほぼ同時に地面に崩れ落ちた。
略奪をしていた残りの鬼たちが異変に気づき警戒の喚き声を上げ始めた。この位置にいたら包囲されると分かっていた。だが、私は鬼どもを村人から引き離し一か所に集めることのほうが先決だと判断し、大声を上げた。
「汚らわしい鬼どもめ。人間が皆貴様らに怯えて逃げるばかりと思ったか。ここに貴様らに立ち向かう剣士が一人おるぞ」
周囲の建物から鬼どもが私のいる位置に近寄ってきた。計六匹だった。私は全員を片付ける算段を頭の中で立てるともう一度叫んだ。
「さあ来い、もはや貴様らの命運は尽きた。このアッシュが貴様らの身体を八つ裂きにして野の烏どもにくれてやろうぞ」
鬼どもは互いに喚き交わし接近してくる。私は剣を左腕の外側につけるようにして構え身を低くした。雨が降りしきる中鬼どもの足音が聞こえる。まだだ。引き付けなければならない。まだだ。やがて鬼どもの息遣いまで聞こえてきた。包囲が完成すると目の前の一匹が喚き声を上げた。後ろでも鬼どもが棍棒を振り上げたのが気配で分かった。
気合を発すると私は右足を踏み出し回転斬りを繰り出した。目の前の一人に深手を負わせ、他ニ、三匹にも傷を負わせ棍棒を弾き飛ばした手応えがあった。私は前の一匹に殺到し喉を突き刺した。その斜め後ろにいた、棍棒をまだ持っていた鬼が突進しながら武器を振り下ろしてくるのを剣をかざして受け流して体を躱し、背中から袈裟斬りを浴びせ、深い胴払いを喰らわせた。すると後ろにいた鬼が仲間の死体を乗り越え走り寄ってきた。そいつが棍棒を払ってくるのを長剣を背中まで振りかぶり受けると、振り返りざま袈裟斬りを浴びせ、突きで腹を刺し貫いた後前蹴りで倒し、左手の逆手に剣を持ち替え右手を柄頭に当てながら胸に止めを刺した。
残りの鬼どもがようよう棍棒を拾い上げて体勢を建て直し始めた。既に周囲には鬼どもの死体が累々と転がり、生き残りの鬼どもとの間の障壁となっている。その外側から回り込んで近寄ってきた一匹が、喚きながら棍棒を振り上げた。それを後ろに飛び退いて躱し、伸びきった手首に小手を放って斬り落としたあと袈裟斬りを左右に浴びせ心臓をひと突きする。残り二匹。急激に仲間の数が減ったことにいまさら気づいたのか、鬼どもは狼狽した表情を見せた。一匹がこちらに武器を向けながらも後じさりする。私はまだ闘志のありそうな一匹に近づくと、そいつが振り回してきた棍棒を剣で逸らし、剣の柄頭をその鼻面に叩き付けながら足払いをかけ引き倒した。すかさず首の付け根を刺し貫いて刃をこじる。最後の一匹は既に逃げ腰になっていた。私はそいつに無造作に歩み寄り、相手が逃げ出そうとこちらに背中を向けたところで跳躍して一文字に縦斬りを浴びせ、胴払いをかけた後背中から止めを刺した。
もはや動く鬼どもはいない。私は息を鎮めながら剣を血払いした。頭上の黒雲はますます濃くなってきた。太陽が上がっていなければならない時刻なのに辺りはまるで夕方のようだ。雨の勢いも増している。だが幸いなことに建物にかけられた火の勢いがその雨に濡れて弱まっていった。
その時、私は村の入り口から三匹ほどの新手が入ってきたのに気づいた。
そいつらは緑鬼どもと姿形が異なっていた。細いが筋肉質な身体つきで、全身に茶色い鱗が生えていて蜥蜴のような顔をしている。片手に抜き身の半月刀を持ち、もう片方の手の甲には小楯を括り付けていた。彼らの身のこなしから、鬼どもよりも遥かに手練れであることは一目でわかった。
私は向き直ると剣を構えた。蜥蜴男どもは軽い足取りで身体を上下させながらこちらに急速に接近してきた。