私はどこの出身かと問われればスノーピークと答える癖がある。母が他界した後、自立するまでの十数年をそこで父と二人で暮らしたためである。しかし人が教えてくれるところによれば実のところ私は城下町の生まれだという。薄っすらとした記憶ではあるが、おそらくはまだ赤子と言えるような歳のころ母の懐に抱かれて色とりどりの花や果物の並ぶ露店のあった目抜き通りを散歩したときの光景を私は今でも思い起こすことができるから、それはどうも確からしい。
だが、母が亡くなると父は何か思うところがあったのか、私を伴ってスノーピーク中腹の山小屋に引っ越した。そこで私は、父から剣術と基礎的な勉学を教わりながら過ごした。私はその暮らしに何の不満も疑問も持たなかった。朝は水を汲み、薪を割り、驢馬に餌をやり、畑の手入れをし、そうして昼が済むと今度は剣術の稽古、夕にはつづり方、算術、または詩の朗読をおさらいするという毎日が続いた。
ところが、私が六つか七つくらいのときであったか、父は私を連れて再び城下町に上ったのである。そして父と私は親戚の家に部屋を借り、彼は私を学校に入れたのだった。父にどのような意図があったのか、私は何も説明を受けなかったのであるが、おそらくは同年代の友人が全くいないというのも成育上よくないと考えたのであろう。
そうして私はある朝学校の教室に入り、皆の前であいさつさせられた。
「私の名はアッシュと申す。スノーピークから参った。各々がた、よろしくお頼み申す」
私はそう手短に述べ、教師から示された席に座を占めた。
ところが、最初の講義が終わると、私よりやや年かさで妙に身体の大きな男子生徒が、二人ほどの仲間を連れて私のところにやってきた。
「やい、お前山で育った山娘だろ。どうりで臭いと思ったぜ。家で山羊ばっかり飼ってるんだろ?山羊臭くってしょうがねえや」
彼はそう言うと、仲間と顔を見合わせてゲラゲラと笑った。私は何か誤解が生じていると考えてこう答えた。
「私の家では山羊は飼っていない。貴殿は本当に生きた山羊の臭いを嗅いだことがあるのか?」
ところが、彼は意に介さず「山羊臭い、山羊臭い」と繰り返すのみである。そこで私はこう付け加えた。
「よしんば私が山羊飼いの出だったとしても、貴殿はその山羊飼いの搾った乳を飲み、その乳で造ったチーズを食しているのではないか。そうでなければその身体、そこまで野放図に大きくなることはあるまい。貴殿は山羊と山羊飼いに感謝すべきではないか?」
私がそう言ったのを聞いて彼はきょとんとした顔をしていたが、よく理解できなかったのか、また同じセリフを繰り返した。私は彼にはもしかすると知覚上の困難があるのかも知れないと考え、そのままにしておいた。すると、いくらからかっても反応しない私に飽きてしまったのか、彼とその同胞たちは別の生徒のところに向かっていった。
すると教室の中で悲鳴があがった。彼らはある小柄な女子生徒の持っていたハンケチーフを取り上げると、仲間同士の間でたらい回しにし始めたのである。女子生徒が懇願するのも構わずさんざんそうし続けたあげく、一人がそれで思い切り鼻をかんだ。そして、そんなに返してほしければ返してやるぜ、と言うとその無残に汚された布を嫌がる彼女の顔に押し付けた。女子生徒は声を上げて泣き出した。
私はゲラゲラと笑い転げている彼らに歩み寄ると、こう言った。
「貴殿らは恥という物を知らぬのか。他人のものを盗むばかりでなくそれを使って婦女の顔まで汚すとは。いったい貴殿らは親から何を教わったのだ」
三人の男子どもはさすがにびっくりしたようだ。少しの間ポカンとした顔で私を見ていたが、頭領たる年かさの男子が私に近寄ると、いきなり左手を突き出して私を押し倒そうとした。私は何を考える暇もなく、半身になってそれを躱した。すると今度は右手を突き出して同じことをしようとする。私は避けながら彼の手を取ると襟首を掴み払い腰をかけた。勢いがつき過ぎたらしく彼は床で後頭部を強打し痛みに唸り始めた。
すると頭領の仇と思ったのか、横にいた仲間が手を伸ばして私の髪を掴んで引っ張ってきた。今でもその感覚をよく覚えているが、髪を引っ張られるというのは本当に嫌なものである。だが、この経験は決して無駄ではなかった。長じて私は悪鬼の髪を掴んで投げ倒す技を編み出したからである。ともあれ私は一刻も早くその状態から脱する必要があったので、引っ張られるままに相手に身を寄せてから肘打ちを放った。肘が脇腹に突き刺さり相手は呻き声を上げながら座り込んだ。
しかしここで困ったことが起こった。三人目は怒り心頭に発して分別を失い、自分の机の引き出しを開けて工作で使う小刀を取り出し抜き放ったのである。小刀とはいえ相手は刃物、こちらは素手である。私が周囲に目を走らせると、丁度二人の中間に誰かの椅子が放ってあったので、私はそれを掴み、思い切り投げつけた。椅子が頭にぶち当たり彼は得物を手離して泣き出した。そこへ丁度次の課業を始めるために教師が戻ってきて、その場はお開きとなった。
しかし、その課業の最中から私は困惑と疑念に苛まれ始めた。その教室で行われていた課業は、私が父から教わっていたものよりも決して進んではいなかった。しかも、先ほどの大柄な男子生徒やその仲間たちに至っては、しばしば簡単なつづりも読めなかったり、初歩的な算術も解けないでいた。それでいて彼らは休み時間になると他の生徒たちを恫喝して回るのである。そしてその無法を取り締まる者は誰もいなかった。果たしてこの場所に通うことには一体どんな意味があるのだろうか、と私は子供ながらも酷く疑問に思った。
そうこうしているうちにその日の課業が終わった。支給された教科書を片付けながら、もしかすると彼らが続きを挑んでくるかも知れないと思い、私は件の男子生徒たちのほうを見やった。ところが彼らは一目散に教室を出てしまっていた。遊びの予定が詰まっているのだろう、と私は推測し、半ば安堵して自分も教室から出た。
ところが、校舎から一歩足を踏み出した途端に目の当たりにした光景に、さすがの私も吃驚してしまった。
先ほどの頭領格たる生徒を中心に、十名ほどの男子生徒たちが横一列に並んで、手に手に棒を持って私を待ち構えていたのである。