謎めいた職業剣士と木剣試合をして辛勝したその日、稽古が終わり弟子たちが解散すると、私はいつもの習慣でテルマ嬢の酒場に入っていった。その頃、ラフレル翁はよくシャッド博士と酒場で会合を持っており、度々私にも加わるよう誘ったのである。殆どの場合は他愛もない世間話をするばかりであったが、それでもラフレル翁の政治や軍事に関する深い洞察や、博士の歴史や神話についての含蓄に耳を傾けているのは私にとっては刺激になった。(また勘定を全てラフレル翁が払ってくれたことも恥ずかしながら私にとってはその席に連なる動機となっていたのは否めない。)
まだ日がある時間帯だったから店内はそれほど込んではいなかった。私はカウンターの中で立ち働くテルマ嬢に挨拶すると、ラフレル翁がいつも座を占めている奥の一角に向かった。見ると、シャッド博士のほか先ほどの剣士もテーブルについている。酒場ならではの気安さが手伝い早くも友人となったらしい。
「アッシュ嬢、今日もご精勤ですな。さあさ、ここで飲み物など召しあがられよ」
ラフレル翁は私を招いた。私は礼を言って席につき、隣にいた博士に挨拶すると、先ほどの剣士に対して改めて名乗った。
「モイだ」男は短く答え、私の差し出した手を握った。
「モイ殿、先ほどの質問だが」私は切り出した。
「貴殿はどこで剣術を習得されたのか?差し支えなければお教え願いたい」
ところが、男は腕を組むと笑い始めた。嫌な笑い方ではなかったが私は困惑し、やや気を悪くしこう付け加えた。
「お答えしたくなければ構わない。だが私としては他流にも学ぶべきところがあれば学ぶという信条がありますゆえ」
するとモイ氏は兜に手を掛けそれを脱いだ。やや伸びた散切り頭に、いかにも冒険者らしい風雪の刻まれた風貌だったが、意外にもその目は柔和そうな目だった。
「聞いたよ、凄い試合だったんだって?」シャッド博士が口を挟む。
「残念だったなぁ、すぐ店の外でやってたんだろ?この目で見たかったよ」
「ま、結果は予想通りさ。正直勝てる確率は二割って思ってたからな」
モイ氏は言う。
「先ほどからお話を伺っていると」私は割って入った。
「モイ殿。貴殿はまるで以前から私のことを知っておられたような口ぶりだ。私は申し訳ないが貴殿を知らぬと思う。これはいかなる訳なのだろうか?」
そう問われると男はまた笑い始めた。今度はほんとうに可笑しくてたまらないといった様子で、仕舞いに彼は天井を向いて机を叩き始めた。私は困惑して彼を見つめるばかりであった。
「いや、済まねえ。悪気はないんだ。あんまりにも可笑しくてな」
彼はやっと笑うのをやめると私に謝罪した。
「まず言っておかなきゃあな。俺は確かにお前さんを知ってる。会ったこともある。お前さんは覚えちゃあいねえだろうがな」
モイと名乗った男は私に言った。
「一体どこで私と会ったと申される?」
私はますます混乱した。自分としてはこの人物に会った記憶など全くなかったからだ。
「あれは十七年前だったかな」
モイ氏は脚を組むと天井を見上げた。
「俺が兵隊になったばっかの頃さ。あんたの母親が俺たち新兵の訓練所にやって来たのさ。スゲエ美人がいるって大騒ぎになったものさ。で、その腕の中にあんたがいたってわけだ。まだ生まれてすぐだったし眠ってたからあんたは覚えてなくて当然さ」
私は驚き、言葉を失った。
「モイ殿、ということは.....」
辛うじて私は頭の中で状況を整理した。
「俺に剣術を教えてくれたのはあんたの親父さんだ」
モイ氏は私の知りたかった答えを先に言った。
「ま、教えてくれた、なんてもんじゃあなかった。叩き込まれたってのが正解だな」
そう言うと氏は肩をすくめた。そして何を思ったか、突然私の顔をまじまじと見つめ始めた。
「いかがされた?」怪訝に思った私が尋ねると彼は私の顔を指さした。
「その目さ。お前さんの目。親父さんにそっくりだ」
彼は手をテーブルの上に下ろすと続けた。
「その目に睨まれた日にゃ俺ら新兵は小便チビりそうになったもんさ。怖くってな」そう言って彼は笑ったが、私が真顔のままなのを見てややバツの悪そうな表情になった。
「では私の父は厳しい教師だったと仰るわけだな?」
私は確認した。するとモイ氏はいかにも怖気を振るったような顔をして答えた。
「厳しいなんてもんじゃあねぇ。鬼だった。いや、俺らはこっそり『魔王』って呼んでたがな」
そう言ってモイ氏は傍らにいたラフレル翁の顔を見た。
「なあ、ラフレル。お前さんも見たよな?あの十対一の試合をよ」
「あれは見ものでござったな」ラフレル翁も愉快そうに自分の顎髭を捻りながら答えた。モイ氏は私に向き直ると話し始めた。
「お前さんの親父がな、やる気のねえ動きをしてた新兵どもを十人ほど前に引っ張り出して言ったのさ。『十人一度にかかって来い。一本でも取れたら今日の訓練は終わりだ』ってな。それでどうなったと思う?」
私が考えて何か言う前にモイ氏は答えた。
「ボッコボコさ。全員な。手も足も出ねえうちにやられてな。ひとりなんか金玉蹴り上げられてのたうち回ってた奴がいたな」
モイ氏はラフレル翁と顔を見合わせて笑った。私は黙って聞いていた。彼はまた真顔になると続けた。
「誤解しねえでくれ。俺はお前さんの親父を恨んでるわけじゃねえ。むしろ感謝してるんだ。ああやって身体に覚え込ませてくれたからこそ今の俺は魔物にやられて死なずに生き残ってるんだからな」
「驚いたね。サカユマカンロ卿は柔和で大人しい人だとばっかり思ってたのに」
シャッド博士が横から言った。
「シャッド殿。貴殿も父を知っておられるのか?」
私はますます驚いて言った。
「僕の親父とラフレルと君の父上は飲み友達だったのさ。よく僕の家に来ては三人で遅くまで話し込んでたもんだよ」
シャッド氏が言う。私は先ほどからの話の展開についていくのがやっとだった。彼らは私の父の話をしているのに、私自身は全く知らない事柄ばかりだった。
「お人が悪い。なぜ今まで黙っておられた?」
私は博士に文句を言った。
「いや、済まなかったね。実はラフレルから口止めされてたのさ。ネタばらしをするのは皆が揃ってから、ってね」
博士はそう言ったあと思い出したように付け加えた。
「いや、でも考えてみれば二人でよく言い合いしてたね。興が乗ってくるとラフレルが『未来の軍隊では剣士は不要になる』ってぶち上げてね。それでサカユマカンロ卿が不機嫌になって、それを僕の親父が仲裁してたものさ」
「それはシャッド殿が何歳くらいのころのことなのだ?」
私は尋ねた。
「僕はまだ六歳とかそこらだよ。でも傍から見てて面白かったなぁあれは」
小一時間ほど私の父に関する思い出話が続いた。私は複雑な感情に包まれ、いつしか落涙しそうになるのを必死でこらえていた。私の父はその厳格さゆえ魔王のように兵士たちから恐れられていたという。いくら厳しいとはいえ、彼は私に対してことさらに痛めつける目的をもって打ち据えたり折檻することはなかった。父のそのような意外な側面を知っているモイ氏が不思議なことに羨ましくも感じられてきた。
私は同時に、久方振りに心を寛がせて会話をしている自分に気づいた。これは城下町に来てから初めてといえることだった。私には経験がないが、もし血のつながった親戚一同を集めて会合を持ったら、きっとこのような雰囲気になるのだろう。
時間が経つにつれ新たな客が次々と入ってくる。やがて声を大きくしないと会話がしづらいほどに店が込み合ってくると、ラフレル翁は立ち上がって我々がいる区画と他の客席を仕切るカーテンを閉めた。
「さて、それでは本日お集まり頂いた理由の本題に入らせて頂こう」
翁は着席したままの我々に向き直ると、立ったままおもむろに口を開いた。
「各々がた。本日集まって頂いたのは他でもない」
そう言うと、翁は我々三人の顔を見回した。
「貴殿、貴女らにはある『組織』に加わって頂きたい」