その日、学校の課業を終えて校舎から一歩足を踏み出した私が目の当たりにした光景は次のようなものであった。
女子生徒を泣かせ私に投げ飛ばされた頭領格の男子を中心に、十名ほどの生徒たちが横一列に並んで、手に手に棒を持って私を待ち構えていたのである。
「やい、山娘。さっきはよくもやってくれたな。泣いて謝れば堪忍してやる。さもないと酷い目に遭わせるぞ」
彼はこう口上を述べ、手にもった棒を私に突きつけてきた。左右に並んだ仲間たちも口々に何か叫びながら棒を振り上げる。それで私はこう言い返した。
「貴殿は一体何をなさろうとしているのか。私に決闘を申し込むならばいくらでもお受けいたそう。だがそれにも決まりや作法といったものがあろう。互いが同じ武器を持ち、公平な立会人のもとで行われるべきではないか?」
「お前のその気取った口の利き方が我慢ならないんだよ、この田舎女め」
相手は私の顔面を今にも突かんばかりの勢いで棒の先を突きつけてくる。反射的に私はその切っ先を手で掴んだ。すると棒を動かせなくて難儀した相手が、離せ、と言ってきた。そこで私が離してやると、彼は得物を引っ張った勢いで後ろに転んで尻餅を突いた。それを見た彼の取り巻きたちは私を威嚇するのをやめ、そのうちニ、三人がクスリと笑った。
すると彼は立ち上がり、声にならない声を発しながら私に撃ちかかってきた。私は袈裟斬りに振り下ろされた棒を躱すと、踏み込んで彼の両手首を取った。押し合い引き合いになりそうだと感じた瞬間、私は小内刈りをかけて相手を倒れさせ太刀を奪った。
すると周囲の兵どもが我に返ったように声を上げ始め、手に持った得物を振り回して私にかかってきた。その瞬間、多数の敵を相手にする場合は囲まれないよう動け、という父の言葉が頭に浮かび、私は棒を中段に構えて敵方を牽制しながら摺り足で敵群の右端に向けて移動し始めた。
最初は勢いよく撃ちかかろうとしてきた敵方の兵どもだったが、相手も得物を振り回しているとあってはさすがに攻めあぐね始めた。私は囲まれないよう注意しながら、さしあたりその右端にいた一人と剣を交わした。切っ先を下げて攻撃を誘い、斬りかかってきたところをいなして小手を撃ち込み、喉に突きを放った。それで相手は倒れたが、そうすると残りが棒を振り回しながら迫ってくる。
私は手近のもう一人が横に払ってきた棒を自分の獲物で受け、鍔迫り合いに持ち込んで距離を詰めた。そして自らの棒の中ほどに左手を添え、柄の辺りで相手の顎を打ち次いで柄頭でその鼻柱を強打した。それでまた一人倒れたがそれでも残りは大勢いる。
わらわらと向かってくる相手方の群れに思い余った私は、手に持った棒を左右に振り回して彼らを牽制しながら身を沈め、先ほど倒した相手が落とした棒を拾った。いわゆる双剣となったわけである。だが実のところ私は双剣の稽古を受けたことがなかった。父の流派では使わなかったからである。右手を負傷した場合に備えて時折左手で型を練習していた程度であったのだ。
しかし「窮すれば通ず」とはよく言ったものである。半ば出鱈目ではあったが私は二つの得物を交互に振り回すことにより活路を見出すことができた。一人が撃ちかかってきたのを片手の棒で弾き、もう片方の棒で横面を叩く。別の一人が斬りかかってきたのを片方で受け流し、もう片方でその頭部をポカリとやる。
そうこうしているうち一人、また一人と敵が倒れ、残りが四人ほどになると、到底勝てない相手と悟ったのか敵方は各々勝手に逃走し始めた。私はやれやれとの思いで棒を捨てて帰路についた。
ところが、道すがら自分の身体を探ってみると、両腕が痣だらけになっている。いまさらのように鈍い痛みが出てきたので頭部を触ってみると、こちらもいくつも瘤を造っている。それに気づくと私は大いに意気を挫かれてしまった。これが実戦なら満身創痍、悪くすれば戦死である。相手が訓練を受けた剣士や手強い魔物であればそれでも名誉はあろう。しかし相手方はただの子供たちである。なんとなれば私自身も子供なのではあるが、物心つくころから剣士になるべく訓練を積んできた身である。それが何の訓練も受けていない者たちを相手にしてこの体たらくでは、いかにも面目がなく思えた。
私が帰宅すると、顔を見るなり父は尋ねてきた。
「喧嘩したのか、アッシュ」
「はい、父上」私は答えた。
「勝ったのか、負けたのか」
続いて父がそう問うてきたが、私はやや答えに窮した。いったいこれは勝ちなのか負けなのか。
「六人を倒し、残り四人が逃げ去りました」
私は考えたあと言った。
「ふむ。お前から手を出したのか?それとも相手からか?」
「相手からです、父上」
「ならよい」
父はもうそれ以上その件には触れなかった。私はひとまず安堵して洗面所に向かったが、鏡を見て改めて愕然とした。顔面に直撃を喰らった形跡こそなかったものの、ほうぼうに引っかき傷のようなものがついていて、髪型は酷く乱れている。これでは父でなくとも感づかれるというものだった。
私はその夜忸怩たる思いで床についた。折角剣士となるべく修行を積んできたのに、その結果がこれでは我ながら余りにも不甲斐ない。もっと励まなければ、そう思って眠りについた。
翌日私は早朝から床を上げて父に朝稽古を請うた。それが済むと朝食をしたため私は登校した。ところが、私は廊下で担任とは別の教師に呼び止められ、ひとり別室に通された。私はそこでつくねんと待っていたが、いつまでたっても課業は始まらない。一時間ほども経過した後、今度はその部屋に父がやってきた。どうやら呼び出されたらしい。そして校長らしき年かさの教師が後から入ってきて、三人での面談が始まった。
その校長の話を聞いて私は心底から驚いてしまった。何と、彼の話によれば私は同級生に乱暴狼藉を働いたのでこれ以上学校に置いておけないというのである。なんでも、放課後私が棒を持って物陰から走り出て、下校途中の子供たちを散々に打ち据えた、と何人かの生徒たちが証言したらしかった。
最後まで話を聞いた父はこう言った。
「ふむ。私が娘から聞いたところによれば相手方から手を出してきたとのことだ。互いの証言が食い違うならば、学級の中で騒動に関わっていない者を探し出してどちらが本当かを吟味させるべきではないか?」
私は父の言うことはもっともだと思った。ところが、相手は額に汗をかきながらも、児童に動揺が広がり学習に差し支えが出るためそのような手段を取ってことを大きくすることは避けたい、と申し述べた。私はますます驚いてしまった。
「それは合点がゆかぬ。どちらが正義か不正義かが明るみに出され不正義の側にしかるべき罰が下されてこそ動揺も収まろうというもの。ちなみに私は我が娘が万一不正義を行っていたのならこれがどのような処分を課されても異存はない。ただ公正な裁きを行ってくれと申しているに過ぎん」
父からそう言われると相手は押し黙ってしまった。沈黙が続いた後、父が私を見た。
「アッシュよ、お前はどう思うのだ。このような形でここを追われるということに納得がゆくか。それとも口惜しいと思うか」
普段寡黙で必要最低限のことしか言わない父が珍しく尋ねてきたのを見て私はまた少し驚いた。どのような処分が娘に課されても文句は言わぬ、とは言い条、父が内心では私が曲がったことをしていないと確信しているのがその口調から感じられ、私はやや気分が晴れた思いだった。
「アッシュ、答えてみよ」
父が重ねて問う。私は少し考えた上で自分の思いをこう述べた。
「父上、私はここを去ることを全く口惜しいとは思いません。ここでの課業は父上から教わるものより遅れております。その上であのような無法者どもと毎日関わり合いにならなければならないとしたら、私の勉学は進むどころかかえって遅れてしまうでしょう。私はまた以前のように父上から教わりたく存じます」
それを聞いた父は腕組みして少し黙っていたが、やがて校長にこう言った。
「娘はどうもこの学校を好いてはいないようだから通わせることはやめにしよう。だが貴殿の裁定が正しいと認めたわけではないからそこを間違えずに頂きたい」
父が私を促して立ち上がると、相手は心底から安堵した顔をして頭を下げた。そうして我々は退出し、家に戻った。結局何日か城下町に滞在すると、私たちは山小屋に戻ることにあいなった。そして二度とその学校を訪れることはなかった。
今でも私は時々、あの学校は一体何のための場所だったのかという疑問が浮かんでくることがある。だがそれと同時に、この事件は修練を積んだと思っていた私の技がいかに拙なかったかを強烈に思い出させてくれる。だから、折に触れてこのように回想し、教訓としているのである。
ともあれ、あの時の悪童どもも今では立派に大きくなったであろう。私に打たれた打ち傷も癒え、健やかに正しく暮らしていると願う。流石に大人になってもあの振る舞いを続けていたら牢屋行きとなろうから、そうでないことを祈るばかりだ。