スノーピークの麓を見渡す崖の上でリンク氏と思いがけず会ったあと、私は彼に暇を告げ洞窟を抜けてゾーラの里に戻った。
「アッシュお嬢様、ご無事でしたか」
エヴァン伍長が私を出迎えてくれた。他の兵士たちもようやく警戒を解いたらしく、川の周辺には落ち着きが戻っていた。
「伍長殿、里に怪我人は?」
私は尋ねた。
「皆無事です。本当にあの獣は奇妙な奴ですよ。魚だけ盗んでその他は何もせず真っ直ぐに山に帰るんですからね」
彼の言葉を聞き、また自分がこの目で見たあの獣の顔を思い出すにつけ、私の心中にはある奇妙な考えが浮かんだ。あやつは野の獣などではなく、人語を解し人のように振る舞う高等な生物なのではないか?だがその考えの突拍子のなさが私を当惑させえた。あまりにも奇妙な出来事が続き、自分の頭がそれに慣れてしまったため、おかしなことを思いつくようになってしまったのではと心配になった。
ともあれ私はその日城下町には帰らず、ゾーラの里で一泊することにした。女王の墓前に参りたかったからだ。直接拝謁を賜ったことは無かったが、私にとってはルテラ女王もまたゼルダ姫殿下に次ぐ崇敬の対象だった。里で摘んだ花を墓前に手向け祈りを捧げていると、ゾーラ兵たちが酒と馳走を持参してくれた。未成年なので酒は遠慮したが、私は彼らと食事を共にし、また涙も共有した。ゾーラ達は竪琴を鳴らして哀歌を歌った。不思議なことに、悲しみも極まると人は慰めを得るようだ。彼らはやがて神殿の再建や王子の帰還後の政治体制など前向きな話題を話し始めた。
「そういえばアッシュお嬢様」
宴の途中エヴァン伍長は私に水を向けた。
「あのリンク氏についてはこんな噂も聞きましたよ。彼はルテラ女王からゾーラの衣を授けられたってね」
「ゾーラの衣と申されると、それは一体..?」
「人間が水の中を自在に泳ぐことのできる、ゾーラに伝わる秘密の衣です。それを彼は授かったらしいのですよ」
私は非常な興味を持った。
「伍長殿、それでは彼はルテラ陛下と以前から知己だったということであろうか?」
「それが不思議な話なのですよ」
伍長はもったいをつけるように間を置くと続けた。
「あの事件が起きる前に彼が里に来るのを見た者は誰もいないのです。それなのに、ハイリア湖の中で彼がその衣を着て泳いでいるのを見た者が何人もいるのです」
「それは誠に奇妙な話。では一体どうやってルテラ陛下からそれを授かったのであろうか?」
私は尋ねた。
「いいですか、これから話すことは現実離れしていると思われるかも知れません。ですがこう解釈する以外にあり得ないのです」
そう言うと伍長は声を低めた。
「ルテラ陛下は魔法を使うことがおできになりました。その力をもって、幻で人と話したり、未来を見通す力さえおありだったのです。それは以前から我々の間で知られていたのですよ」
彼はそう言うとコップに入った酒を一口飲んだ。
「今回もその力が働いたのだとすればですよ、陛下はあの少年が今現在ハイラル全土を見舞っている危機から我らを救う存在だと見越していたのではないでしょうか。それで幻の中で彼に接触し、衣のありかを伝えたのだ、と私は推理しています」
私はその奇妙な話を聞くにつけどう答えていいかも分からず黙ってしまった。伍長は続けた。
「だとすればかの少年があの若さでラルス王子を護送するという困難な任務をやり遂げたことも説明がつきます。いやそれだけではないのです。あのリンクという剣士は」
彼は息を継ぐと言った。
「どうやら我々の神殿の中に潜入し、そこに巣くっていた魔物たちを打ち払ったらしいのですよ」
「なんですと」
私は信じがたい思いで声を上げた。ゾーラの神殿といえば人間の立ち入ることができない湖の深い場所にあると以前から聞いていたからだ。
「まだ里は立ち直ったばかりでごたごたしていますが、神殿再建プロジェクトの一環として派遣された調査員が報告してきたのです。神殿内部に以前いたはずの巨大な魔物二匹が消えている、と。ですからお嬢様、私は敢えて言いますが...」
伍長が少し躊躇った。私は彼を見つめていた。
「リンクという少年はあの伝説の勇者の再来なのではないか、と私は考え始めています」
私は彼の言葉に驚き、目を見張るしかなかった。伝説の勇者という概念はシャッド氏から聞いて知ったばかりなのに、ゾーラたちまでもがそれを口にするとは思ってもみなかったからだ。
その夜私はゾーラたちが設えてくれた寝床に入ったが、なかなか寝付くことが出来なかった。ルテラ女王の最期のことを思い胸が痛くなったからである。未来を見通す力を持っていた彼女は、魔物の手にかかって死する自らの運命をも知覚していたのだろうか。だとすれば、幼い王子を残して世を去らねばならぬと知った時の彼女の心の痛みはどれほどであったろうか。しかしそれでも逃げることなく務めを全うしたルテラ女王の気高い行いを、私は生涯忘れぬと自らに誓った。
同時に、リンク氏についての伍長の発言が妙に私の心を騒がせた。ゾーラ族は詩と音楽をこよなく愛する民だ。そのせいか彼らは古来の言い伝えをことのほか大事にする。それで勇者にかかる伝承も一字一句誤りなきものとして信じているのかも知れない。私はそう推論して頭を片付け、眠りについた。
翌朝、私はゾーラ達に礼を言い暇を告げると川沿いに歩いて舟小屋に向かった。扉を開けると例の女主人が立ち働いている。声を掛けると、ことのほか上機嫌な様子だった。
「もう帰るの?もっとゆっくりしてきゃあいいのに」
手を休めると彼女は振り向いて私に言った。
「そこの釣り堀。寄った?私の妹が経営してんのよ。ちょっと変わった奴だけど、料金安いし一日中遊べるからお勧めだよ?」
「心残りだが今は仕事中にござってな。ところで.........」
私は昨日聞き忘れた肝心の事を尋ねた。
「貴女はこのところこの周辺で変わったものを見られなかったか?」
「変わったもの?」
彼女は眉を上げた。
「さよう。奇妙な動物や、魔物など普段は見ないようなものでござる」
「そうだ。そういやぁ聞いてよ!昨日酷い目に遭ったのよ」
私が説明すると、女主人は突然手を叩いた。
「いやぁ一瞬死ぬかと思ったわよあれは。何しろ見たこともないような化け物が突然出てきてさあ」
彼女が言うのを聞いて私は居ずまいを正した。
「化け物と申されたか。詳しく教えてくださらぬか」
「昨日の昼過ぎだったかなぁ。小屋の前にいたらさ、目茶苦茶背の高い黒い鬼みたいな奴らが空から落ちてきたのよ。それも三匹もね」
「黒い背の高い鬼。貴女はよくご無事でござったな」
私が相槌を打つと、彼女は嬉しそうに続けた。
「それがさ、丁度若い剣士が近くにいてさ、彼がバサッバサッてやっつけてくれたのよ。それもあっと言う間にね」
「若い剣士と申されたか」
私は頭の中で鐘が鳴る音がしたような思いだった。
「店長ぉ~。舟戻しましたよぉ」
その時、目の前の洞窟に流れ込む川の水面から顔を出して声を掛けてきた者があった。あのゾーラの女だ。
「あ、やっほー、アッシュちゃん。帰りは川下りゲームやってくでしょ?」
曳いてきた舟を桟橋に繋ぐとゾーラの女が私に手を振ってきた。私も挨拶を返すと、女主人に聞き込みを続けた。
「その剣士はもしやリンクという名ではなかったか?」
「リンク?」
女主人は当惑した。
「あぁ、名前は聞かなかったなぁそう言えば。聞いときゃよかったわぁ。結構イケメンだったしなぁ。もうちょっと年が近けりゃあなぁ」
女主人は独りごちた。すると桟橋に肘をついて聞いていたゾーラの女が茶々を入れた。
「店長ぉ~それさすがにまずいんじゃあないですか?十歳以上離れてそうだし....」
「うるさいわね!人の年齢がバレるようなこと言うんじゃないよ」
女主人が叱りつける。私は話題を戻した。
「ご店主、その剣士は小柄で、緑のチュニックの下に鎖帷子を着ていなかったであろうか?背中にはハイラルの紋章のある盾を背負って...」
「そうそう!でさ、可愛い顔なのにむっちゃワイルドなのよね。超ギャップ萌えしちゃったわよ。だってさあ、あんなデカイ魔物が目の前にいるのに全然怖がりもしないで平気な顔で戦ってたんだよ?しかもね、私が腰抜かして座ってたら手を伸ばして『お怪我はありませんか?』だって!」
話し続ける女主人は頬を上気させていた。私はその剣士をリンク氏に間違いないと結論付けると、聞き込みを終えた。もはや結論は明らかだ。何としてでも彼を団に入れなければならない。私は女主人に料金を払うと舟に乗り込み川を下った。
* * * * * * *
「しかしアッシュ嬢、貴女はリンク殿について経験不足を心配されていたのではありませんかな?」
私がテルマ嬢の酒場にラフレル翁を呼び出し、リンク氏を新たな団員として推挙する旨を伝えると、翁は私の以前の発言を引いてこう疑問を提起してきた。私は自分の判断の拙さを素直に認めるしかなかった。
「確かに。それはひとえに私の不明と予断のゆえであったと申し上げよう、しかし、ラフレル殿」
私は続けた。
「彼には天賦の才があると今私は見ておりまする。大鬼を二度にわたって退けただけではござらぬ」
「天賦の才、でござるか」
ラフレル翁は腕を組んで自分の顎髭を捻った。
「さよう。私がゾーラ達から聞き及んだところによれば、リンク殿は瀕死の重傷を負ったゾーラの王子を救うため城下町の東門から南ハイラル平原を通ってカカリコ村まで護衛したとのこと」
私は続けた。
「昨今魔物が跋扈する中それほどの距離を馬車護衛するはかなりの難行にござる。それを考えればリンク氏の腕には大いに見込みがあるかと」
「ふうむ」
翁はしばらく思案していたがやがて口を開いた。
「リンク氏の実力について見込みがある旨は理解し申した。だが老輩が懸念しているのはそこではござらんのです」
彼は顔を上げた。
「腕以上に大切なのは、その人物に加え何より王国への忠誠心。その点について老輩は今現在貴女を含め三人の構成員に対し一点の懸念も抱いてはおりませぬ。だがリンク氏については...」
ラフレル翁は世間的には一介の新参剣士に過ぎないリンク氏を信頼することに躊躇いを捨てきれないようであった。そこで話し合いの末こう決まった。私は引き続きゾーラ達からリンク氏についての評判を聞き込み、並行してラフレル翁がその裏付けとなる情報を他所から収集する。そしてそれらを総合して彼の身辺を明らかにするのだ。
ところが、この調査を通じて思ってもみなかったような事実が判明してしまったのである。