幼い頃から、私は多くの友人を持つような社交的な性質ではなかった。それは山に籠って父の手一つで育てられ剣士になることのみを志してきたという特殊な生育歴も原因の一つかも知れない。だが、それでも幼い頃友人と他愛もない遊びをして楽しんだ記憶が全くないというわけではない。今日はその一つを書いてみようと思う。
父と私が住む山小屋はスノーピークの中腹にあった。その一帯は完全に雪に閉ざされた寒々しい世界かと言えばそんなことはなく、雪が多少積もっていても天気が良ければ外遊びも出来たし、短い夏の間は長らく隠れていた緑の草原が顔を出し、そこは一時的にではあるが豊かな牧草地帯になったのである。
そんなわけで、夏になると麓村から牧草を求める山羊飼いたちの一家が私たちの小屋のあたりまで上ってくることがあった。私は遠目から牧場に立つ彼らを観察したものだ。彼らは夫婦と息子らしき年かさの少年、そして私と同年代の少女の四人家族であることが確認できた。
しかし私はそれ以上こちらから彼らに興味を持つこともなかった。自分自身の課業が忙しかったこともある。私の一日は、水汲みと薪割りと驢馬の世話から始まり、午前は父とともに畑の手入れ、午後は剣の稽古、夕食前には綴り方の学習、となかなかに予定が詰まっていたのである。(その時の私は確か五つくらいだったと思う。この頃には既に遊び半分の剣戟を卒業し本格的な稽古を始めていた。)
そんなある日の午後、私は父が何か自分の仕事をしている間に自主的に練習をしているよう言いつけられたので、裏庭に出て父が設えた案山子を相手に木剣の撃ち込みを行っていた。
私がそうやって練習をしていると、例の山羊飼いの家の娘がやってきて、しばらく私のことをじっと眺めていた。
「あんた何やってんの?」
私の練習が一段落すると、その少女はいきなり問うてきた。
「剣の修行だ」私は振り向いて答えた。
「私の名はアッシュと申す」
息が鎮まると、私は向き直って自己紹介し、彼女に問うた。
「貴女の名は?」
「あたいハイリアってんだ」
彼女は名乗ると、今度は何のてらいもなく言ってきた。
「ねえ、一緒に遊ぼうよ」
私は一瞬困ってしまった。私は案山子相手の撃ち込みの回数を父から指定されていたので、それをこなすことなく中断してしまっては叱責されるかも知れない。ところがこの遠慮のない少女は私に対し遊べと言って聞かない。
私は思い余って父のところに行き事情を説明した。すると驚いたことにあっさりと許可が出たのである。
晴れて父の許しを得た私は剣を置いて彼女の前に戻った。彼女は私を伴って野に出、まず花を摘んで冠をこしらえる手法を私に伝授した。私はこのやったことのない遊びにすっかり夢中になった。花の冠で身を飾ることには興味はなかったが、彼女の器用な手によってみるみるうちに花の束が輪っか状に形成されていくのが面白ろかったからだ。
散々花を摘んでしまうと、彼女は今度は自分と家族が住んでいるという仮小屋に私を案内した。彼女の家族は出払っていたが、子を宿して腹の膨らんだ雌山羊がそこに繋がれていた。私達はその山羊に餌をやり、それが終わると撫でてやったり、何をするでもなく構いつけた。その山羊が私の手をベロベロと舐め回してくるのを私が吃驚して手を引っ込めると、彼女は声を上げて笑った。
「あたしん家山羊飼いなんだ」彼女は山羊を撫でながらそう言った。
「アッシュのお父(とう)はなにやってるの?」
問われて私は答えた。
「私の父か。私の父は剣士だ」
「剣士?本当に?」彼女は驚いたようで目を丸くした。
「本当だ。何でも若い頃は城の騎士団に属していたらしい。私が生まれるころには現役を退いて剣術指南役となっていたということだが」
「へええ、なんかよくわからないけど偉いひとなんだね」
ハイリアは感嘆したようだ。そして私のほうに向いて問うてきた。
「ねえ、あんたも大きくなったら剣士になるの?」
「そうだ」
私は答えた。
「いいなあ、あたしは大きくなってもどうせ何もできない。ただ誰かの嫁になって子供を生むのが仕事って言われてるから」
それを聞いて今度は私が吃驚することになった。
「そんなはずはなかろう。女子と言えども学問や技芸を積めば自立できるはずだ」
「でも学校行くお金なんてないもん。得意なことって言えば山羊の世話くらいだし。でも山羊飼いはきついから女には務まらねえってお父(とう)は言うしさ」
彼女はやや無聊な顔をして足元の草を毟りながらそう言った。
私は考え込んでしまった。私は父から学問と武芸を教わり、成人したら剣士として自立するという将来像を何の疑いもなく胸に抱いていた。それなのにこの少女はそのような志を何一つ持つことを許されていないというのだ。
しかし、それをその両親の責に帰するのは酷に過ぎるというのも、子供ながら私にも理解できた。山羊飼いというのは多くの場合自らの所有する家畜の群れを養っているわけではない。そうではなく、村人が金銭を出し合って購入した山羊をまとめて世話し、その手間賃を受け取って生業とするのである。これではほとんどの場合、子を学校にやる余裕などあろうはずがなかった。
その夏、私の父はその山羊飼いの家族をたびたび自宅に呼び寄せ夕食をともにした。彼らは極めて貧しかったが純朴で信心深い者たちであった。(私の父は社会階層の違いに関わらず広く人付き合いができる人物であった。その点私は今でもこの父の心の広やかさに尊敬の念を抱かざるを得ない。)
そして午後私の手が空いたころになるとハイリアは決まって私のところに誘いに来た。そうして私たちは連れ立って野で他愛もない遊びをして夕刻まで過ごしたのである。私は彼女と遊び過ぎて日中撃ちこみの練習を怠ってしまうこともあり、やむなく夕食後遅れた分を取り戻すことさえあった。
夏が終わると、彼女の一家は仮小屋を離れ麓のほうに移っていった。私は彼女たちを見送ると、また以前のような父と二人きりの日常に戻った。
しかし、私は翌年の夏も彼女がきっとやって来ると信じ、期待して疑わなかった。私は暦を見て、年が明け、春が過ぎ、夏が来るのを心待ちにした。そうして一年が経過し、私はまた自らの小屋の前に立って目の前の斜面を見渡し、山羊飼いの一家がやって来るのを待ち受けたのである。
そしてとうとうその日がやってきた。件の一家は山羊の群れを引き連れ斜面を登ってきた。見ていた私は待ちきれず駆け出した。斜面を駆け下りて行き、彼らの近くに来てみると、しかし、父親、母親、そして兄はいたが彼女自身の姿はない。
私は一家の主であるその父親に尋ねた。
「ご主人、ハイリア嬢はいかがなされたのでしょうか」
それを聞いた主人は少し困惑した顔をして私を見つめたが、やがて溜め息をついて顔を伏せた。そして彼女が昨冬疫病みに罹って亡くなった旨を私に告げた。
私はそのまましばらく茫然として佇立していた。その一家がそこを立ち去り、引き連れている山羊の最後の一匹が遠い斜面の上方に行ってしまうまで私は同じ場所に立っていた。だがやがて気を取り直すと、父のところに向かった。
「父上、ハイリア嬢は亡くなられたとのことです」
私は何かの仕事をしていた父の背中にこう報告した。彼は振り向いて私の顔を見た。そして短く「そうか。わかった」と答えるとまた仕事に戻った。普段私が何かを報告しても大抵は背中を向けたまま答える父にしては珍しかった。
その日、私は算術のおさらいをしている間も、父を手伝って夕餉の支度をする間も涙が止まらなかった。普段は私が泣くと叱責してくる父も、その時に限っては何も言わなかった。
私は今でもハイリアのことを思い出す。私にすれば、生まれて初めての親友と言える相手だった。あまりにも若くして世を去った彼女が、もし今も生きていたら何を思い、何を成したであろうか。夏になると私は時としてそのようなとりとめのない思考の中に自らを蕩揺させながら、幼い頃を思い出すのである。