翌日、午前中の剣術の稽古が終わると私はスノーピークに帰省し生家を整理しに行くと称して仲間たちのもとを離れた。一旦帰宅して旅支度を整え、市場で数日分の食料を買い込んで出かけた。甲冑姿に剣に弓矢だから重装備だ。
私は東門から町外に出た。前回は東街道からハイリア大橋に至る道で緑鬼どもを掃討したから、今回は北に向かうことにした。街道を歩いて北上していく。数時間ほども歩くと、遠く前方に緑鬼が徘徊しているのが見えた。私は弓を下ろして矢をつがえると、街道から脇の草むらに入り、姿勢を低くして相手に近づいていった。
十間ほどに近づく。茂った草に邪魔されて相手はまだこちらの姿に気づいていないようだ。私は弓の狙いをつけると弦を引いていった。だがその時頭上を何かが通り過ぎていった。鳥だ。鳥は緑鬼の上をかすめると急に高度を上げた。
次の瞬間爆発音がして緑鬼が吹き飛ばされた。私は立ち上がると周囲を見回した。背後遠くに馬に乗った剣士がいる。よく見るとモイ氏であった。彼が手甲を嵌めた左腕を空中に差し上げると、先ほど鬼の上に馳せかかっていた鳥が戻ってきてその上に止まった。鷹だ。モイ氏は鷹の労をねぎらいながら餌をやり始めた。
私は彼に近づいていくと声をかけた。
「おお、アッシュか」
モイ氏は笑いながら私に手を振った。
「モイ殿、なぜかような場所へ?」
「なぜってそりゃあ鷹の訓練のためさ。お前さんこそなんでこんなところにいる?」
私は答えた。
「弓矢を稽古するのも町内では限界が来たのでな。それで町外の鬼どもを狙おうかと」
「考えることは同じだな」
モイ氏は肩をすくめた。私はモイ氏を信用し、思っていることを言うことにした。
「モイ殿、我々は結団してから二週間ほどが経つ。だがその間一度も魔物と実際に戦ってはおらぬ。剣士としてはなんとも不甲斐ないことではないか?」
モイ氏は黙って聞いていた。
「それに魔物が跋扈することにより商人たちが交易を控えている。これによって物価は上がり物資は不足している。民の生活を脅かす魔物たちを放置するは剣士としての怠慢としか思えぬ」
私が言うと彼はニヤリと笑った。
「どうしても大人しくしてられねえってわけか」
「ただ技痒を感じるということに留まらぬ。ラフレル殿は我々が計画の範囲外で戦闘することに反対されているが、私は目の前で民が苦しんでいるのに行動を差し控える理由が見出せぬだけだ」
「お前さんの言いたいことはわかった」
モイ氏は顔を上げて遠くの平原を眺めた。
「要するに魔物狩りをやろうってわけだな?」
「さよう。貴殿も付き合ってくださらぬか?」
私は提案した。
「ラフレルに言わず独断での活動ってことになるな。お前さん俺を共犯者にするつもりだな、え?」
モイ氏が言う。私は微笑んだが否定も肯定もしなかった。モイ氏は鞍の後ろにしつらえた止まり木に鷹を停まらせると、私に手を差し伸べた。私は馬の鞍の後席に乗った。二人で相談の上、北ハイラル平原に向かうことにした。馬で北上していくと、左手に見えていた堀の周囲を囲った塀が切れ、両側を崖に挟まれた小道に入る。そこから半時間ほども走ると平原に出た。
平原に入ってからは街道沿いに西に向かう。しばらくすると前方に緑鬼が一匹いるのが見えてきた。私はモイ氏に合図して馬を停めてもらうと、距離のあるうちに降り、先ほどと同様脇の草むらに入った。弓を手に持ちながら姿勢を低くして近づいていく。矢が届くほどの距離に迫ると、矢をつがえて慎重に狙い、放った。飛んでいった矢が鬼の胸を貫く。私が立ち上がって合図するとモイ氏が馬を走らせて追いついてきた。
鬼が死んでいるのを確認すると、私は再び馬の後席に乗り我々は平原を西に向かって進んでいった。しばらく魔物には出会わなかったが、やがて街道の延長線上にある、ゾーラ川の支流の上に掛かった橋の上に何者かが立っているのに行き当たった。
モイ氏が馬を停める。目を凝らすと、橋の上にいるのは蜥蜴男だった。
「以前馬車で通り過ぎた際に片付けたと思ったが」
私は舌打ちした。
「どうする?俺の鷹にやらせるか?」
「モイ殿、私が射よう。このまま進まれよ」
私は弓を背中から下ろし矢筒から矢を引き抜いた。モイ氏の背中越しに前方を狙う。馬の上から撃つのも良い訓練だ。モイ氏は馬を走らせ始めた。我々が近づいてくと蜥蜴男がこちらに気づいて身構えた。五間ほどに近づいたところで矢を放つ。矢が蜥蜴男の胸を刺し貫いた。だが流石に耐久力がある。そやつは倒れず両手を矢にかけて引き抜こうとした。そこへモイ氏が剣を抜いた。すれ違いざま剣が一閃し蜥蜴男の首が飛んでいった。
我々は橋を渡り切ると平原の脇に馬を停めて休むことにした。日が低くなり始めていた。私は携帯用の木炭炉で火を起こしてモイ氏に夕食を振舞った。
「おお、旨えな。こんなところで人間らしい料理を喰えるとは思わなかったぜ」
私が作った肉と野菜のスープを掻きこみながらモイ氏が舌鼓を打った。
「モイ殿、お尋ねしたいことがある」
私は言った。
「貴殿の意見をお聞きしたい。リンク殿は影の国から来た王女と共闘していると申された。私には俄かには信じられぬことだったが...」
私はすこし躊躇ったあと続けた。
「私はもしかするとリンク殿こそが、あのシャッド博士の言っていた『我々以外の誰か』ではないか、という気がするのだ。根拠はない、ただの勘に過ぎぬのだが」
モイ氏は手に掴んだパンを齧りしばらく咀嚼していた。やがて彼はそれを飲み込んでしまうと口を開いた。
「影の王国って話を聞いたときは俺もまさかって思ったさ。それが一体何なのか、俺にはいまだに分からねえよ。だけどあいつを見てたらわかることもある。あいつは何か大きな運命みてえなものに動かされてるのさ」
「運命?」
「ああ。俺はあいつが最初に木刀で鬼を四匹倒したときからこいつはとんでもねえ大物になるかも知れないって思ってたよ。それもこの世界が最も助けを必要とした時にな」
「モイ殿、まるで貴殿もリンク殿が『伝説の勇者』と信じているように聞こえるが...」
私が口を挟むとモイ氏は肩をすくめて笑った。
「勇者だとかなんだとか、俺にはそんなことは分からねえさ。俺の頭はシャッドみてえに上等じゃあねえ。ただ、あいつはな.....」
モイ氏は手に持った小鍋を下ろすと溜め息をついて遠くを見た。もはや日没は近く、オルディン北部の荒れた山地に橙色の太陽が沈もうとしている。
「あいつは昔っから誰かが困っているときにそれを放っておける奴じゃあなかった。単純な奴なのさ。だがどうしたわけか冒険するたびにけた違いに強くなって行きやがる。それで今じゃあ俺も追いつけないくらい先に行っちまいやがった。俺はあいつを見ていて思ったのさ。国が危ねえって時に田舎でのほほんと暮らしてていいのかってな」
「そういえばモイ殿」
私は以前から知りたかったことを質問した。
「貴殿の奥方はどのようなご婦人なのだ?」
「奥方、なんてえ柄じゃあねえよ」
モイ氏は軽く笑った。
「ウーリってえんだがな。可愛い女さ」
「さようか。ご子息がおられるとも伺ったが」
「ああ。コリンっていうんだ。もう早いもんで十歳さ」
「やはり剣士を志しておられるのか?」
「ああ。それが面白れえ話でな。聞きたいか?」
モイ氏は私を見た。私は頷いた。
「あいつは小さい頃から争いごとが嫌いでな。友達と喧嘩さえできねえような奴だったんだ。俺は正直、こいつは剣士には向いてねえんじゃあないかって思い始めてた。ところがだ」
彼は座り直すと続けた。
「あいつは他の子供たちと一緒に鬼どもに攫われたあとカカリコ村の祭司に助け出された。そこへ来てまた鬼どもが襲ってきたのさ。それで友達の女の子が攫われそうになったところを自分が立ちはだかって身代わりになったってえんだよ」
私はいつしか真剣な顔になって聞き入っていた。日が沈み、焜炉の火がモイ氏の顔を照らした。
「あいつは鬼どもに縛られて連れ去られた。そこをリンクが助けに行ったのさ。倅は途切れ途切れの記憶しか無かったが、リンクは小鬼どもを片端から斬り倒して、最後には大鬼と対決した。それだけは覚えてたらしいんだ」
モイ氏は顔を上げた。
「リンクに助け出された後、倅はしばらく寝込んでたらしい。医者の話じゃあ邪気あたりって言うんだが、鬼に囚われていた人間にはよくある話だ。だけど起き上がった後のあいつは別人みたいになってたらしいんだ。『リンクみたいに強くなりたい』ってな。俺がカカリコ村で再会したとき、昔は嫌ってた剣の稽古を自分からせがんで来たのさ」
「さようでござったか」
私は話を聞きながら、何かが心の中で像を結ぶのを感じた。リンク氏という剣士は自らも大きな運命の渦に動かされているだけではなく、周囲の人間すらも動かしている。「黒雲」を払い、我々のあずかり知らぬところで魔の勢力と戦っていた「私たち以外」の存在。あるいは伝説の勇者か。そのどちらも確証はなかった。だが私は考えた。いずれにせよリンク氏が戦っているのに、なぜ我々が手をつかねていられようか。
すっかり日が沈んでしまうと私は背負ってきた天幕を立てた。狭いが辛うじて二人入れる大きさだ。だがモイ氏は外で寝ると言って聞かなかった。
「未婚の娘と同じテントで寝るわけに行かねえだろ。幾ら田舎剣士の俺でもそれくらいの分別はあらあな」
モイ氏は柴を集めてきて焚火を起こすと、その前でゴロリと横になりながら言った。
「お気遣いかたじけない、モイ殿」
「お前さん、結婚とか考えたこと無えのか?」
モイ氏が問うてきた。
「ござらぬ。私には早すぎるゆえ」
「なら剣士とだけはやめといたほうがいいぜ。いつ死ぬか分からねえからな」
私はモイ氏が言うのが冗談なのか本気なのか分からなかった。
「らちもないことを。貴殿も剣士ではないか」
私がそう返すと、モイ氏は笑った。だがそれ以上会話を続ける前にモイ氏は寝息を立て始めてしまった。私は念のため宿営地の周囲に紐を張って、誰かが足を踏み入れたら金属の小鍋や盃が音を立てるように仕掛けを作っておいた。
だが天幕の出入り口の隙間から見えるハイラル城のシルエットを見るとなかなか寝付けなかった。あの防壁を破る手立てはまだない。そして手をつかねているうちに、魔物どもの傀儡となった城が発布した刀狩り令の発効は近づいてきている。今こうして鬼どもを狩っていても、全ては無駄に終わるかも知れない。
だがリンク氏が運命に動かされているなら我々も同様ではないか。戦い続ければ潮目が変わることもあろう。私はそう自分に言い聞かせながら眠りについた。