翌朝夜明けごろ目が覚めると、モイ氏は既に起きていて、腕組みしながら南方の空を眺めていた。私が天幕から出ると彼は上方を指さした。巨大な鳥のような何者かが上空を旋回している。
「カーゴロックだ」
モイ氏は言った。
「強敵じゃあないがしつこい奴でな。俺の鷹じゃあちょっと手に余る。奴が近づいてきたらお前さんの矢で片付けられるか?」
「心得た」
私は天幕を畳み支度を整え、モイ氏とともに馬に乗った。行先を西方と示し合わせ出発した。以前警護の仕事で訪れた村の様子も見ておきたかったからだ。街道沿いに馬を進めていると、案の定怪鳥が高度を下げてきた。私は弓に矢をつがえて待ち受けた。敵が高度を下げて上からのしかかろうとしてきた瞬間、私は上を向いて弓を引き絞り、怪鳥の喉元に矢を放った。怪鳥は悲鳴を上げて墜落した。だが振り向くと、まだ死んでいないらしく地面をのたうち回っている。私は馬から飛び降り、剣を抜いて近づくと怪鳥の首を刎ねて大人しくさせた。
日が昇るなか再び街道を進む。途中、一匹の緑鬼に行き当たったのをすれ違いざま射殺すと、我々は西に進んだ。その後魔物には遭遇しなかったので速度を上げ、昼過ぎには村に辿り着いた。
「ここだ」
私は先に馬から降りるとモイ氏に説明した。
「一ダースの緑鬼どもと三匹の蜥蜴男どもが来たのを私が退けた。もし彼らが恩知らずでなければ村人たちは快く迎えてくれるはずだ」
「ずいぶんな数だったんだな。お前さん一人で片付けたのか?」
モイ氏は驚いたようだった。
「さよう。死と紙一重の戦いではあったが」
私は答えた。村人たちが広場に出てきて物珍しそうに私たちを眺め始めた。その時、女の叫ぶ声が聞こえた。
「剣士さま!」
女がひとり駆け寄ってくる。よく見ると、鬼どもの毒牙から私が救い出したあの寡婦だった。
「剣士さま、お久しゅうございます。旅でお疲れでございましょう。さあ、私の家へ」
女は私の手をとった。挨拶を交わした私は女の服装が以前と違うことに気づいた。以前は襤褸に近い服を纏っていたのに、今では仕立ての良いドレスを着ている。その時、身なりのよい男が村人たちの間から進み出てきた。
「剣士さま、妻をお守りくださってありがとうございます。何とお礼を申し上げたらよいか」
私は驚いて男を見た。女はそこで私に事情を説明してくれた。私が村を立ち去った後、城下町に留学していた庄屋の長男が戻ってきたそうである。そして落穂拾いをしていたその女を見初め、二人は結婚したというのだ。しかも、女は既に子を宿しているとのことであった。
「剣士さまがおられなかったらこの子を授かることもありませんでしたでしょう」
その元寡婦は自分の腹を撫でながら言った。私は人の人生はどうなるか分からないものだと感慨にふけった。
「ところで剣士さま、この方は?」
二人はモイのほうを見た。
「モイだ。アッシュの父親さ」
モイ氏はそう言って庄屋の長男と握手しながら私に軽くウィンクした。
「さようでしたか。この度はお嬢様に救っていただき...」
女はその夫とともに頭を下げる。モイ氏は笑って私の肩を抱いた。
「子供のころから剣術を仕込んだは良いが、最近では俺よりも強くなっちまいやがってな。正直持て余してたんだ。まあこんなところで人の役に立てて良かったよ」
私は、私の身持ちに関して悪い噂が立たないようモイ氏がこんなにも気を使っているということにどこか可笑しみを感じた。ハイラル城解放の戦いがひとたび始まってしまえば命の保障はない。私の身持ちに関する評判がどうあっても、死んでしまえば何の関係もなくなる。だが、それでもモイ氏は私にも将来があるという考えで動いてくれているのだ。
庄屋の息子とその妻は私たちを新居に招き入れ食事を振舞ってくれた。飲み食いしながら話を聞くと、庄屋の息子はあの黒雲の事件と、ひっきりなしに聞く魔物の噂に、故郷の安全を案じて城下町から戻ってきたそうである。しかも、自らの手で魔物から村を護るべく城下町で剣まで買って帰郷したのである。だが彼は剣の扱いなど全く知らなかった。そこでモイ氏が急遽稽古をつけることとなり、その間私はその妻とゆっくり語らうことができた。また彼女の姑である老女も健在であり、何くれとなく私たちに茶を注いでくれたり世話を焼いてくれるのでかえって恐縮するほどであった。
「すべては不思議な巡り合わせでございます」
女は言った。
「私は生きていてこのような望みがあるとは思いませんでした。それまでは、私以外頼る者のない義母を護らねばならぬとその一念だけでしたのです」
私は思った。自らの命を繋ぐことのみを考える者より、守るべきものを持つ人間のほうがかえって生き延びるのであろうか。いずれにせよこの女は今後その夫が守っていくであろうことを知って私は大いに安堵した。
モイ氏が稽古を終えると既に日が暮れていた。我々はそれぞれ部屋をあてがわれ、村で一泊すると、明朝早くに夫婦に別れを告げ出発した。帰路は違う道筋を取ることにした。オルディン北部の荒地から東に延びる一本道から北東に分岐する街道に入り、馬を走らせていくと、蜥蜴男が一匹立っている。馬を向かわせながら私が矢を射掛け、動きが止まったところでモイ氏が剣を振るって首を刎ねた。
そこから針路を北へ転じ、平原の北端にある、ゾーラの里に続く地下回廊の入り口に向かった。岩で塞がれているという噂だったのを確認するためだ。北への分岐路に入って北上ししばらく走ると、やはりトンネルの入り口が巨大な岩で塞がれていた。モイ氏は馬を停めて岩の足元に近づき、点火した爆弾を数個転がして後ろに下がった。爆発音がして岩に大きな割れ目ができた。私はモイ氏を手伝って岩の残骸を取り除けた。
「リンクの話だとゾーラ川上流にもこんな岩が転がってたらしいな」
モイ氏が土のついた手を叩きながら言う。
「それだけではござらぬ。ハイリア大橋から北上する途中の分岐路も同じ状態であった」
私は答えた。
「敵はこっちをゆっくりと兵糧攻めにするつもりってわけか」
モイ氏が眉を顰める。
「おそらく。ただの軍事侵攻よりよほどたちが悪いというもの。町人の大多数は物価高と物資不足に悩んではいてもその真因に気づいてはおらぬゆえ」
我々は馬に乗ると東に向かった。やがて街道が南東に分岐する。あまりに長く不在にするとラフレル翁に怪しまれると思い、町に戻ることとした我々は分岐に入り、そこから城下町への街道に入った。途中でまた緑鬼に出くわしたのを射殺し、夕刻には町の東門の前に着いた。モイ氏と私はそこで分かれ、別々に町に戻った。
翌日、私とモイ氏はシャッド氏の訓練を再開し、一通りの稽古をするとテルマ嬢の酒場に流れた。ラフレル翁も加わったところで、私は数の減った矢の補給を願い出た。
「それは異なこと。なぜそのように矢が減るのでありましょうか?ご説明を願いたい」
ラフレル翁が眉を寄せた。
「たまたま旅の道すがら鬼どもに出くわしたときに射殺してござるゆえ」
私はそう言い訳をした。
「だが大した戦闘はしておりませぬ。単独でうろついている者がいたゆえ、訓練も兼ねてと」
それを聞いたラフレル翁はやや深刻な顔になった。
「アッシュ嬢、それにモイ殿」
私たち二人は翁を見た。
「貴殿、貴女に支給した爆弾や弓矢は老輩が軍の払い下げ品を秘匿しておいたもの。無尽蔵にあるわけではござらぬ。今後は減らさぬように願いたい」
私は奇異な印象を受け、こう申し出た。
「ラフレル殿、物資の倹約は確かに大事なこと。しかし一方で、動かぬ的ばかり狙っていたのでは実戦では役に立たぬ。備蓄がご心配ならば、矢くらいは私が自費で購入しましょうぞ」
ところがラフレル翁は首を横に振った。
「アッシュ嬢、今現在町の商店で矢束がいくらするか、ご存知ですかな?」
「それは‥‥」私は言葉に詰まった。
「五十ルピーほどであろうか?」
ラフレル翁は答えた。
「二千ルピーにござる。老輩が倹約を願った理由、お分かりいただけましたかな?」
私は絶句した。物価高騰もここまで来ると悪い冗談かと思えた。
「ならば、ラフレル殿」私は気を取り直すと口を開いた。
「なおのこと、我らは城下町近辺の魔物を排除するよう務めるべきでは?」
私は続けた。
「物価高騰の原因は明らかにござる。魔物への恐怖で商業と物流が停滞すれば、物資の供給が断たれ物価が上がるは必定」
「それでは我らの存在が敵に明らかとなりまする。さすれば我らの計画はもはや奇襲ではなくなる。たとえあの魔法防壁を突破できても、我々は敵が万全の備えをしているところに飛び込むこととなるのですぞ」
ラフレル翁は厳しい表情で応じた。
「ではいったいどうせよと仰るのか。魔法防壁を破る手立てが見つからぬ限りそもそもハイラル城の敵を奇襲する計画そのものが絵空事。このまま手をつかねていれば民の苦しみはますます深まる一方ではないか」
私は苛立ちに任せてまくし立てた。もはや忍耐が限界に来ていた。
「民の多くは城下町のこの窮状の真因が何なのか気づいてさえおらぬ。手を打たねば物資の窮乏がやがて飢餓となる。飢餓は人心の著しい乱れを呼び起こそう。さすれば巷に盗みや暴力が増加し、王国の治安は一挙に悪化する。それがわかっていて何もせずにおれというのがラフレル殿、貴殿の作戦なのか?」
「アッシュ嬢、貴女は我らの元々の目的をお忘れではないか?」
翁は頑として譲らなかった。
「我らの目的は手近の敵を討ち小さな功を挙げることにはない。ハイラル城に巣食う魔物どもを打ち払い、王権をゼルダ姫殿下にお返しすることこそが我らの狙い。王権なくば何をしようとこの国は元には戻らぬ」
結局のところ私と翁のやり取りは押し問答になってしまった。モイ氏は腕を組んだまま黙っている。シャッド博士は身の置き所のないような表情で自分の盃を弄っているばかりだった。
こうしてラフレル翁と議論しているうち、ある考えが急速に私の頭の中で膨れ上がってきてしまった。
もはやここにいては剣士らしき働きは何一つできない。
ならば選択肢はひとつ。