城壁の向こうから号令をかけるような鬼どもの声が再び聞こえたかと思うと、前庭と西側の区画を隔てる扉が開いた。食人鬼と緑鬼がぞろぞろと出て来る。だが魔物どもはまだこちらに進軍してこない。数が揃うまで待つのだろう。
「さあて、第二回の開会だ。盛大にやろうぜ」
モイ氏が呟く。その右手は先ほど私が剣の柄と離れないよう手拭いできつく結んだばかりだ。私は氏を横目で見ながら僅かに微笑んだ。
そうしているうちに、扉から次々と敵の増援が姿を現した。その数はもはや百匹を超えていた。
「たった二人の剣士を相手に盛大な出迎えでござるな」
私も軽口を叩いた。脇腹の痛みは剣を片手持ちすればしばらくは凌げそうだ。
再び遠雷が響く。頭上の雲に加え、どうしたわけか西の空にひときわ濃い黒雲が立ち込め始めた。まるで一か月前に見たあの黒雲のようだ。鬼どもはようやく数が揃ったのか、ゆっくりとこちらに向かってきていた。私たちは念のため背後にある大扉を押して閉めた。ここで私たちが倒れたら、鬼どもは町に雪崩込むだろう。そうなれば未曾有の大虐殺が始まる。
私は扉から手を離し、鬼たちの群れの様子に目を走らせた。食人鬼、緑鬼に加えて見たことのない種類の魔物が数匹混じっている。
「スタルフォスだ」
私の目線を読んだモイ氏が傍らで言った。
「大した強敵じゃあねえ。だが厄介なことがある。何度倒しても蘇るんだ」
「不死身ということか?」
私が尋ねると氏が肩をすくめた。
「ま、厳密にはそうじゃあねえ。爆弾で吹っ飛ばしちまえば流石に復活できなくなる」
雷が鳴った。どうもその間隔が狭まっているようだ。魔物どもの群れは三つに分かれて西からこちらに進んでくると、大扉の前に立っている我々を囲むように布陣した。だがまだ接近して来ない。前回逃げ帰った連中がどんな目に遭ったかを報告したのだろう。
「アッシュ、頼みがある」やにわにモイ氏が口を開いた。
「私にできることならば何なりと」私は敵の方を見据えながら答えた。
「俺はラトアーヌ地方のトアル村ってところの出身だ。お前さんが生き延びたらそこに行って俺の女房に伝えてほしいんだ。離縁したのはこのためだった、本当は今でも愛している、てな」
「お断り申し上げる」私は言下に拒絶した。「そのようなことは貴殿自身が生き延びて伝えられるが良かろう。第一そのような遺言を未亡人が聞いて何と思うか貴殿は想像ができないと申されるのか?」
「クソッ」モイ氏が毒づいた。
「私には守るべき家族とてない。貴殿には申し訳ないが私は先に参る所存だ」私は重ねて言った。
「ッたく可愛くねえ女だよ、お前さんは」
「女剣士が可愛いからと言って鬼が手心を加えてくれるとでも?」
私は薄く微笑みを浮かべながらモイ殿を横目で見て言った。
「もういい。てめえに期待した俺がバカだった」
モイ氏は笑いながら応じた。私も彼の不躾な口の利き方に不快を感じるどころか、むしろすがすがしい気分だった。私は今こそ死地において背中を合わせながらともに戦う仲間を得たと知ったからだ。
食人鬼、緑鬼、そしてそこに混じる骸骨兵士たちの集団はごくゆっくりとにじり寄ってくる。私は剣を中段に構えた。相手の先頭との距離は三間ほど。
だが、それにしても敵の前進の速度があまりに遅すぎる。本当に戦う気があるのだろうか、と私はふと疑問を持った。
次の瞬間、私はモイ氏と目を見合わせた。相手はもはや斬り合いをする気はない。肉の壁で押しつぶしてこちらを動けなくする気だ。
私とモイ氏は、ほぼ同時に動いた。弾かれたように敵の群れに突進する。目の前にいた緑鬼が泡を喰ったように喚いた。その他の魔物たちも一斉に喚いて武器を持ち上げる。先頭の鬼の肩口に片手で斬りつける。だが致命傷ではない。棍棒を横に払ってきたところを身を屈めて躱し、体当たりしながら帯の小刀を左手で抜いてその首筋を切り裂いた。
右から鉈が。縦に振り下ろされるのを辛うじて右手の剣で受けた。頭上で剣を回し、攻撃してきた食人鬼の首に叩きつけ、前蹴りで蹴倒す。
後ろからも棍棒が来た。避け切れずに背中に衝撃を感じた。棍棒の先端についた釘が二、三本、鎖帷子を貫いたのを感じた。だが止まっている暇はない。前によろけた勢いで私は前転し、起き上がりざま前方にいた緑鬼の腹を剣で貫いた。左手の小刀の先端をその喉笛に突き刺し、後ろへ振り返りながら刺さった剣を引き抜く。そして身を沈めて回転斬りを放った。
背後から押し迫ろうとしてきていた数人に剣がぶち当たり、二匹が棍棒を取り落とし、一匹が腹を裂かれてよろめいた。だがその時、矢が風を切る音が聞こえた。反射的に横に転がる。それまでいた場所に火矢が着弾した。
目を上げると、こちらを包囲した鬼どもの向こうに弓兵がいて弓を構えている。こちらに存在を悟られないよう秘匿していたのだろう。私は大声を上げながら剣を左右に振り回し、周囲の歩兵どもを牽制した。
二の矢がこちらに向かって放たれた。私は深く身を沈めて躱した。頭の上を矢が唸りを上げて通過する。身を起こした私は剣を振り回しつつもモイ氏を目で探した。ほかにも弓兵がいたらモイ氏も狙われているはずだ。見ると十間ほど離れた場所でモイ氏が奮闘していた。だがやはり弓兵がひとり離れたところから狙っている。
「モイ殿!」
弓兵が矢を放つ。ちょうど食人鬼の鉈を剣で跳ねのけて斬り倒したモイ氏の肩に矢が命中した。
私のほうにも近くの弓兵から矢が飛んでくる。私は矢の軌道を見極めると剣を払った。刀身と矢尻が火花を散らす。
「大丈夫だ!これくらいじゃあ死なねえ!」
モイ氏は叫ぶと左手で矢を抜いた。他の食人鬼が突進してきて氏を押し倒す。モイ氏が下から剣を突き上げてその胴体を貫くのがちらりと見えた。
私の周囲の歩兵どもが体勢を立て直してぐるりを包囲してきたと同時に、私を狙っていた弓兵は矢を放つのをやめた。どうやら私が接近戦に集中している間に射掛けるのが作戦だったらしい。モイ殿、死ぬな。私は心の中で念じながら、小刀を鞘に納め長剣を両手で持った。やはり片手では剣の威力が足りない。だが脇腹の痛みもいっそう強くなっている。
後ろで動く気配がした。私は背後に向き直ると食人鬼が振り下ろした鉈を剣で弾き、左右に袈裟斬りをかけて心臓を突いた。背後から緑鬼どもが棍棒を振り下ろしてくる。振り向きざま手甲をした左腕を頭部の上にかざす。棍棒が激突し衝撃と痛みが腕に走る。
だがまだだ。胸を刺した食人鬼に後ろ蹴りを喰らわせて倒し、その身体から抜けた剣を振るった。こちらを追撃しようとしていた緑鬼二匹の得物を逆回転斬りで弾き、それぞれに袈裟斬りを喰らわせる。鬼どもがよろめく。
私は剣を中段にして周囲を見渡した。終わりのないほどの魔物どもの群れ。弓兵がまた弓を持ち上げるのが見えた。私は思った。これが私の仕事か。私は剣士だ。魔と戦うのが剣士の務めだ。剣士はいつ死ぬかわからない、とモイ氏は私に言った。それもそうだ。だが、それでも私は剣士でいたい。剣士でありたいのだ。
弓兵が私に向けて矢を放った。矢が飛んでくる。身体を半身にしながら反らした。目の前を矢が通過していく。後ろにいた緑鬼に矢が刺さり悲鳴が上がった。もはや味方を撃つことさえ気にしていないようだ。
すると、周囲にいた緑鬼どもが拳を振り上げて弓兵に罵声を上げた。鬼どもの注目が一瞬だけ私から外れた。好機だ。私は剣を構え直すと弓兵に向けて突進し始めた。
途上にいた食人鬼が慌てて私に向き直る。その頭部に拝み打ちを叩きつけ、横に押しのける。そうだ、倒す必要はない。傷を負わせ動きを鈍らせるだけでもいい。
弓兵が私の意図に気づいたのか、慌てた様子でこちらに背を向けて逃げ始めた。歩兵どもも状況を把握したようだ。目の前にいた緑鬼が棍棒を振り下ろしてきた。剣で逸らして逆袈裟斬りをかけ、足を払って転ばせた。弓兵が振り向いて再び弓矢を構える。私はまた走った。慌てた弓兵が矢を放った。狙いが高い。前にかがんで矢を躱す。横から鉈が来る。剣をかざした。鉈と剣が火花を散らす。だが私は止まらなかった。
距離は三間もない。弓兵がまた矢をつがえる。私は長剣を左手に持ち替えると帯から小刀を抜いた。順手に持ち、弓兵に投げつける。飛んで行った小刀が弓兵の腹に刺さる。鬼が悲鳴を上げて蹲った。私はそのまま突進し其奴の首筋を斬って蹴倒し止めを刺した。
顔を上げ、長剣を中段に構え直し周囲を牽制する。見渡す限り魔物、また魔物。だがこれでゆっくりと相手をしてやれる。
モイ殿。私もすぐ後を追うだろう。私は思った。ならば我が父と三人でゆっくりと語らおうではないか。我が父も二人の教え子が功を立てたことを知れば大いに喜ぼう。
だが何かが風を切る音が聞こえた。咄嗟に身体を反らしたが、左肩に矢が刺さった。まだ弓兵がいたのだ。私は左手で剣を持つと矢を引き抜いた。鎖帷子のお陰で浅いが、それでも血が噴き出した。剣を持ち直すと、弓兵の姿を探した。先ほどモイ氏を狙っていた鬼だ。
「どうした?これほど数を集めても女ひとり倒せぬとは情けない。貴様らの軍はよほど腑抜けの集まりと見える」
私は中段に構えながら呼ばわった。二の矢が飛んでくる。今度はその軌道を見極め、剣を払って弾いた。緑鬼も食人鬼もともに私から距離を置いている。これならば時間が稼げる。私はぐるりを警戒しながら目の隅で弓兵の姿を捉え続けた。
弓兵は指揮官なのか、私を狙うのをやめ歩兵どもに檄を飛ばし始めた。それを聞いた魔物どもが互いに顔を見合わせている。私は再び声を上げた。
「烏合の衆め。危うきを冒して敵を討ち取り功を立てようという気概もない腰抜けどもめ。貴様らの醜態はハイラルにおいて永遠の笑い草となろう」
業を煮やしたのか、歩兵どもが唸り声を上げ始めた。緑鬼の一匹が棍棒を振り上げ躍りかかってきた。剣で攻撃を払って小手を喰らわす。棍棒を取り落とさせたところで喉笛を突き刺して刃をこじった。思ったとおり再び矢が飛んでくる。今しがた突き刺した鬼の身体の陰に隠れると、その背中に矢が突き刺さった。
「さあ、かかってこい!」
私はもはや力の抜けた緑鬼の身体を払いのけると叫んだ。脇腹の痛みが耐え難い。あと半時でも持てば上々だ。その時、先ほどモイ氏が倒れたあたりから鬼の悲鳴が聞こえた。
モイ氏が立ち上がっている。その傍らでは油断していたところに不意打ちを喰らったらしき魔物が首から血を流して崩れ落ちている。モイ氏と目が合った。兜が脱げ頭から流れた血が顔を覆っている。だが百の言葉よりも多くを交わした気がした。
鬼どもが怒り心頭に発したらしく一斉に吠えた。私は剣を上段に構え、最初に動いた者から斬る心づもりをした。百匹の鬼と戦って果てるならば本望だ。
鬼どもが一斉にかかってきた。前方からの一匹が撃ちこんでくる鉈を僅かに身体を反らせ躱すと逆袈裟斬りした。だが四方からも敵が来る。咄嗟に身を沈め回転斬りを放つ。刃が当たって目の前の鬼が腹から血を噴き出し、三人が棍棒を取り落とした。だが、やや放つのが早かった。無傷の緑鬼が左右から撃ちかかってきた。一匹の攻撃を剣で受け、胴を払う。そのまま飛び込み前転した。二匹目の攻撃が空を切る。向き直ると、二匹目の相手に突進して突きを喰らわす。だが、さらに食人鬼が三匹ほど斬りかかってきた。首を狙った斬撃を身を沈めて避けた。私の突きを受けた鬼が横面に鉈を喰らった。黒い血が飛び散る。
柄が血で滑って剣が敵の身体から抜けない。私は咄嗟に剣を手離すと振り向きざま帯からもう一本の小刀を抜いた。今しがた斬りかかってきて味方に誤爆した鬼の首筋を刃で払い、返す手で喉笛を刺した。左右から同時に鉈が来る。咄嗟に身体を後ろに倒した。顔の上を刃が二本通過する。倒れた勢いで横に転がると、身体のすぐ後ろを刃がかすめた。身を起こすと、鬼が鉈を地面に食い込ませて往生している。走り寄って鉈を踏みつけ手放させると、順手に持ち替えた小刀でその胸を突き刺した。一度では死なない。二度、三度、四度。
その時背中に強い一撃を受けた。一瞬だが息が止まった。地面に転がる。鬼が私の身体を足で踏みつけるのを感じた。私は小刀でその足首を刺した。悲鳴が上がって鬼が飛び退く。
だがもう限界だ。息が完全に上がっていた。遠くが見えないほど密集した鬼たちに囲まれている。これで終わりか。
その思いが頭をよぎった瞬間だった。
背後で音がして、前庭入り口の大扉が勢いよく開かれた。
そこに立っていたのは、ラフレル翁を先頭とした兵下たちの一団だった。