剣技教官アッシュの随想   作:nocomimi

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「五分五分」

その時だった。前庭への大扉が勢いよく開いた。戸口にはラフレル翁を先頭に、兵士たちの一群が立っていた。先刻城に至る回廊の入り口で座り込んでいた者たちも混じっている。

 

魔物どもが一瞬沈黙した。倒れた私を取り囲んで棍棒で打ち据えようとしていた緑鬼たちが手を止める。私は身を起こしながらもう一度兵士たちのほうを見た。

 

彼らは私たちを取り巻く光景を見て明らかに恐れをなしていた。累々たる鬼どもの死骸から地面に飛び散った血が池のようになっていたからだ。

 

ラフレル翁は前庭の中に足を踏み出した。下士官たちが慌てた様子でそれに付き従う。私は立ち上がるとモイ氏の姿を探した。モイ氏は再び打ち倒されたのか、鬼どもの陰に隠れているのか、姿が見えない。

 

翁が歩を踏み出すのと入れ替わるようにして鬼どもが後じさりしていく。周囲の魔物どもが退いた隙に、私は私の剣を腹に喰らったまま座り込んでいた鬼に近寄ると、その身体に足をかけて剣を引き抜いた。

 

「アッシュ嬢、ご苦労でござった」

 

下士官たちとともに私の傍らに来たラフレル翁が言った。その途端であった。鬼たちが一斉に喚き声を上げて武器を突き上げた。こちらは五十名、向こうは百匹だ。鬼どもの鬨の声が空にこだまする。魔物どもはそれでも足りないのか、両足を踏みならしたり、棍棒で地面を打ち叩き始めた。

 

たちまち周囲の地面が揺れ始めた。下士官たちの後ろからおずおずと前庭に足を踏み入れた兵士たちは落ち着かない様子で周囲を見回している。その目には怯えが浮かんでいる。

 

ラフレル翁はこれを「もう一つの可能性」と呼んでいた。この兵士たちがその「可能性」なのか。それを思った瞬間、憤激が私の心を走った。

 

鬼どもはますます激しく地面を打ち鳴らす。その喚き声も耳が鳴るほどだ。私は息を吸った。脇腹が割れるように痛い。だが構うものか。私は兵士たちに向き直ると、右手の剣を高く突き上げた。

 

「王国の兵たちよ、聞け!」

 

私は声を限りの大音声で言った。

 

「ハイラル王国の興廃はこの一戦にある。今こそ奮い立て。恐れるな。死地の先に生ありと心得よ!」

 

喉を枯らさんばかりの私の声に驚いて、兵たちは一斉にこちらを見た。

 

「誇り高きハイラルの兵士となった貴殿らが、今この危急の時に功を立て、恩に報い、名を上げずにいてよいのか!」

 

私は痛みをこらえるともう一度大きく息を吸った。背後から聞こえる鬼たちの喚き声と騒ぎがますます大きくなる。だが負けるわけにはいかない。

 

「剣が折れ、盾が砕かれ、人の世が終わる時は、いつか来るやも知れぬ。だがそれは今ではない!」

 

近くにいた兵士たちが互いに顔を見合わせ始めた。

 

「闇が空を覆い、全ての道が閉ざされ、王城の栄光が崩れ去る日が来るやも知れぬ。だがそれは今ではないのだ!今は戦う時!今は立ち向かう時!今は立て!立て!ハイラルの男たちよ!」

 

私は前列にいた兵士たちの顔を見た。彼らと目と目を合わせると、明らかに何かが伝わったようだ。数人が仲間たちのほうへ振り向くと、手に持った槍を突き上げて叫んだ。

 

「ハイラルのため!」

 

「ハイラルのために!」

 

すると、まるで波のようにその鬨の声が兵士たちの間に伝わった。全ての兵士たちが一斉に槍を突き上げて叫び始めた。だが魔物たちの騒ぎの音も割れんばかりだ。私は振り向くと魔物どもの方を見据えた。

 

鬼どもは相変わらず手に手に武器を地面に叩きつけ、両足を踏みならしている。しかし、一瞬だが、最前列にいた鬼どもが互いに顔を見合わせたのが見えた。

 

私がもう一度剣を突き上げると、背後で何人かの兵士たちがやけくそのような大声を出し始めた。言葉にならない、喚き声のような、吼え声のような声だ。ハイラルの名を唱えていた者たちも一斉に続いた。やがてその叫び声が混然一体となり轟音のようにあたりの空間を震わせ始めた。

 

鬼たちを見ると、何匹かがもう一度互いに顔を見合わせたあとこちらを見た。その目に狼狽の色を見て取った私は、剣を前に振り下ろした。

 

「かかれ!」

 

兵士たちは大声を上げながら、二手に分かれ私の左右を通り過ぎ、群れとなって鬼どもの隊列に突っ込んでいった。訓練どおりの密集隊形で前進すると、その槍を喰らった鬼どもがたちまち悲鳴を上げた。だが鬼どもの将校らしき個体が号令をかけると、距離を置いて我々を取り巻いていた残りの魔物どもが前進し、兵士たちを押し返し始めた。

 

前線はたちまち過密状態となった。最前列は戦術もへったくれもない押し相撲のような様相になっている。だが数ではこちらが劣る。兵士たちも奮戦していたが、やがて隊列が徐々に後退し始めた。その時、背後の大扉から誰かが駆け込んできた。シャッド博士だ。ここを立ち去ったときと同様、背中に大小の爆弾袋を背負っている。

 

「ラフレル!アッシュ!」

 

息を切らせながら駆け寄ってくると、シャッド博士は背中の袋を下ろした。

 

「ご苦労。では参りますかな」

 

ラフレル翁は頷いた。私が見ていると、シャッド博士は袋から爆弾を一つ出して翁に渡した。さらに、革で出来た紐のようなものを翁に差し出す。それらを受け取った翁は爆弾を点火し、革紐で出来た投石器で挟むと思い切り前方に投げた。

 

兵士たちの隊列を飛び越えた爆弾が、鬼どもの群れのただなかに落ちて爆発した。悲鳴が聞こえ数人の鬼どもが倒れる。シャッド博士が手際よく取り出す爆弾をラフレル翁が次々と投擲した。爆発が立て続けに起こり、鬼どもの隊列が乱れた。押されていた兵たちがまた勢いを盛り返す。

 

その時、何かが風を切る音がした。視野の隅に火矢が見えた。私は咄嗟に動き、ラフレル翁に後ろから覆い被さった。私の頭部を矢尻がかすめたのか、髪の束がほどけて額にかかった。顔を上げると敵の隊列の後ろにいた弓兵が二の矢をつがえようとしている。私は翁を助け起こしながら言った。

 

「ラフレル殿、一旦退かれよ。私は矢を使い果たしたゆえ、あやつを倒す術がござらぬ」

 

「埒もないことを申されるな、アッシュ嬢。今更この老いさらばえた命を倹約して何になろうと言われる?」

 

ラフレル翁が答えた。

 

「しかし...」私はそう言いながら次の矢を警戒し目を上げた。その時私は信じがたいものを目にした。

 

兵士たちと衝突する鬼どもの群れの向こうにいる弓兵の背後に、人影が現れた。その人影は、こちらに矢を放とうとしていた緑鬼の背後に近寄るといきなり一太刀を浴びせた。

 

モイ氏だ。

 

緑鬼が倒れたところに止めを刺したモイ氏は、剣を中段に構えると何事かを怒鳴り周囲の鬼たちを牽制し始めた。思わぬ場所からの敵襲に、鬼たちは戸惑いを見せ始めた。前線を支援すればいいのか、この予期せぬ伏兵に対処すればいいのか、迷っているようだ。

 

それを見た私は考えるより先に向きを変え走り始めた。

 

たった一人でもこれは敵軍をかき乱す挟み撃ちだ。

 

馬蹄状の形状となって鬼どもの群れと衝突している兵士たちの列の左端から外に抜けると、私は植え込みを乗り越え、ひたすら走った。鬼たちの群れの外から回り込む。剣を左右に振り回しているモイ氏を鬼たちが攻めあぐねている。鬼どもの注目は私から外れていた。私は敵群の真後ろまで来ると、モイ氏の背後に回ろうとしていた三匹ほどの緑鬼どもに次々に袈裟斬りをかけ、胴を払って押しのけた。

 

「なんだ、お前さんもまだ生きてたのか。全くしぶとい女だな」

 

私がモイ氏の背後に立つと彼は言った。食人鬼が二匹ほど喚きながら斬り掛かってくる。モイ氏が一匹の鉈を剣で跳ね上げ、もう一匹の斬撃を身を沈めて躱し胴を後ろ蹴りする。モイ氏に蹴りつけられよろめいた食人鬼の胴を私が剣で払うと、氏はもう一匹の腕を逆袈裟斬りで切断した。それぞれ相手に止めを刺したあと、私とモイ氏は死角を作らぬよう背中合わせとなった。

 

「貴殿こそ。私は貴殿の未亡人に何と言えばいいかを本気で悩むところであったぞ」

 

中段に構え周囲の鬼どもを牽制しながら私は言い、そして尋ねた。

 

「しかし一体どうやって?あれほどの敵に囲まれ生き延びるとは怪しい術でも使われたか?」

 

「死んだふりさ。これも有効な戦術なんだぜ。どうせ潔癖症のお前さんには向かないだろうがな」

 

モイ氏はそう言うと笑った。

 

「貴殿、まったく狐狸よりも油断のならない男よ」

 

私も笑った。その時、敵群の中で再び爆発が起こった。ラフレル翁が爆弾の投擲を再開したようだ。一回、二回、三回。鬼どもの悲鳴が響き渡る。魔物どもの間で動揺が広がっているのが見てとれた。

 

この戦さ、勝てる。私は確信した。兵士たちはいまだ数では劣っている。だが踏みとどまっている。その時、上空から怪鳥のような奇妙な鳴き声がしたかと思うと、カーゴロックが二羽舞い降りてきた。化け物鳥は兵士たちの上まで来ると、両足の爪を立てて攻撃し始めた。兵士たちの間に動揺が走った。

 

「隊列を乱すな!」

 

「後列、前に出て支援しろ!」

 

下士官たちの怒鳴る声が聞こえた。怪鳥に襲われた兵士たちが体勢を立て直し槍を空中に突き上げる。やがて一人が投げた槍が怪鳥の腹に突き刺さった。もう一羽の怪鳥も手傷を負ったのか悲鳴に近い声を漏らしながら高度を上げていった。

 

その時、私とモイ氏を包囲していた鬼どもを押しのけるようにして前に出てきた者たちがあった。

 

剣と円盾を装備した骸骨兵士たちだ。食人鬼も緑鬼も慌てて道を開ける。二匹の骸骨兵士たちは左右に散開すると、盾を掲げ剣を挙げ、隙のない構えで我々ににじり寄ってきた。その虚ろな眼窩の奥には赤い光がわずかに浮かぶばかりで、戦況の思わぬ変転に動揺している食人鬼や緑鬼たちと違って、何の感情も読み取れない。

 

「やっと剣士らしき者が出てきたか。何の芸もない鬼どもとは違って少しは楽しませてくれるのだろうな?」

 

私は剣を握り直すと骸骨どもに言った。

 

「アッシュ、お前さんはちょっと病気だぜ。俺はそろそろお腹一杯なんだがな」

 

背後ではおどけた口調でモイ氏が言う。

 

「ならば私が二匹同時に相手をしてもよいが?」

 

私も答えた。骸骨兵士たちは距離を詰めてくる。私の前に来た個体が剣を縦に振り下ろしてきた。半身に体を躱し、袈裟斬りをかける。だが骸骨は盾を引き寄せてそれを防いだ。横に剣を払ってくる。身を沈めて避けると、剣を跳ね上げ内小手をかけた。骨に剣がぶち当たる。だが肉のある鬼どもと違い全く痛みを感じないようだ。しかもこちらは片手剣だから威力が足りない。

 

勝負は振り出しに戻った。私は舌打ちすると剣を構え直した。再び爆発音が響き、鬼どもの悲鳴が次々と上がる。だが骸骨は全く気に留めていない様子だ。背後ではモイ氏と骸骨兵士が丁々発止のさまで撃ち合っている。遅れを取らじと私はこちらから仕掛けた。進み出ると縦斬りをかける。骸骨が盾でそれを防ぐと、突きを繰り出してきた。身を捻って紙一重でそれを避けると、私は相手の腕をとって関節を極め、地面に引き倒した。肘を逆に曲げへし折る。しかし骸骨が身を回転させこちらに盾を叩きつけてきた。側頭部に一撃を喰らい、私は剣を取り落とし一瞬よろめいた。

 

「アッシュ!」

 

モイ氏が叫ぶのが聞こえた。

 

「心配ご無用!」

 

私は叫び返すと、剣を拾い上げた。剣を失った骸骨兵士は防戦一方となった。私は相手の盾を蹴り飛ばすと一度、二度、三度と剣を敵の頭部に振り下ろした。頭蓋骨が完全に砕け散る。再び爆発音が聞こえた。目を上げると、モイ氏も骸骨を倒したようで、肩を上下させながら身を起こしている。頼みの綱だった骸骨戦士が倒れたことで鬼たちは悔しさに喚き散らしていた。

 

もはや戦況は完全に五分五分となっていた。数ではいまだに向こうが上回っているが、敵群は混乱している。私は荒い息をつきながら再びモイ氏と背中合わせとなった。周囲の鬼たちはこの二人の剣士が大きな混乱を引き起こす獅子身中の虫だとようやく気づいたようだ。互いに喚き交わすと鬼たちは我々を包囲し始めた。

 

先ほど頭部に喰らった一撃でまだ目眩がする。だが私達が倒れても兵士たちは勝利するだろう。これほど晴れ晴れとした気分となったことはなかった。

 

その時、足元で奇妙な音がした。乾いた骨が転がる音がする。見ると、先ほど倒してバラバラとなった骸骨兵士どもの骨が次々と集まっている。

 

「ほれ、言った通りだろ。こいつら何回倒しても復活するのさ」

 

モイ氏が溜め息をついた。骸骨兵士どもの骨が次々と合わさり、完全な形を取り戻す。やがて無傷のごとくに元通りとなった二匹の骸骨兵士どもが立ち上がった。それを見た周囲の鬼どもが歓声を上げ、武器を振り上げ、両足を踏み鳴らし始めた。

 

「何度やっても同じことだ。骨の粉にして畑の肥やしにしてやろうぞ」

 

私は剣を中段に構えて言った。もう余力は少しも残っていないことはわかっていた。だが、この戦いは実に楽しかった。思い残すことは何もない。

 

その瞬間だった。ひときわ大きな雷鳴が轟き渡り、その場にいた者全員が空を見上げた。

 

上空に立ち込めた雲。再び雷鳴が響く。この黒雲のせいで、まだ夕方にもなっていないのにあたりは暗い。しかし突然、西の方角から強い光が空に立ち昇り辺りを照らした。

 

その光を見た魔物たちの目に驚愕の色が走った。

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