私は子供の頃から魔物と戦いこれを打ち払う経験をしてきたと書いたことがある。それを読んだ読者のうちに、私のことを驚くべき神童であったと誤解する者が出てくる懸念があるやも知れぬと述べたのもその記事でのことである。そのような誤解が生じぬよう、私は私の失敗談も包み隠さず書いておきたい。以下は、その数ある失敗談の一つである。
私が十くらいの歳になった頃である。ある日、剣の稽古が終わると父は改まった様子で私にこう問いかけた。
「アッシュ、剣士の心得とは何か。言うてみよ」
「はい父上」私は答え、一呼吸して答えた。
「剣士とは、正義をなして不正義を挫くことを志し、弱き民を助け、悪しき者ども、ことに魔物と戦ってこれを打ち払うをこととする。その為に日頃から剣技を鍛え力を養い、戦いに備えるべし」
「ふむ」父はそれを聞いて腕を組んだ。少しすると彼はこう言った。
「アッシュ、私はお前に何年か稽古をつけてきた。だがお前も知ってのとおり私は今までお前を殺し傷つける意図をもってお前に剣を振るったことは一度もなかった。それはわかるな?」
「はい、父上」私は答えた。それは親なのだから当然過ぎるほど当然のことである。父はいったい何を言いたいのだろう、と私は怪訝に思った。
すると父は本題に入るかのように私の顔を見据えた。
「だがアッシュ、お前が本来戦うべき魔物は全くそうではない」
彼は続けた。
「魔物とは人を憎み、傷つけ、殺し、怯えさせることのみを意図した生き物だ。どんな小さな魔物でもきゃつらはその念を溢れさせながらお前に襲い掛かってくる。お前はそのような者たちを相手に戦う覚悟はあるか?」
彼に問われて私は答えた。
「はい、父上。私はそのために日々鍛錬を積んでおりますゆえ」
「そうか」彼はそう言うとその会話を終わらせた。
私はその時はよく理解していなかったのであるが、父はいよいよ私を実戦に連れ出そうとしていて、それに先立ち私の覚悟を確認したのである。しかし十の歳を数えたばかりの私には、剣士の職務については本で学んだ程度の知識しかなく、それがいかに厳しいことを伴うのかについては無知であった。
それから二、三日すると、父は旅支度を整え、私を伴って家を出発した。私たちは一日かけてスノーピークを登攀した。吹雪いていない時期を見計らったので、雪は積もってはいても比較的風は穏やかであった。父は動物の毛皮で拵えた外套を私に着せかけてくれていたので、私は寒さに震えることなく道を登り、時折振り返って眼下に広がる雪原と遠くに聳える連山を眺めて感嘆する余裕さえあった。
夕刻が近づくと私たちは天幕を立て、父が背負ってきた薪を燃やして暖を取り夕食を済ませた。天幕の中で私は父に身を寄せて寝た。普段そんなことをする間柄ではもはやなかったが、身体を冷やさないためという実利的理由で父がそうさせたのである。
翌朝、我々は天幕をその場に残してさらに登攀し、やがて高さ数メートルの崖が目の前に立ちはだかる場所に出た。その左手には広いなだらかな雪原が広がっているが、それ以上登攀するには崖を越えなければならない。その左右に連なる崖の真ん中あたりに、よく見ると雪が降り積もり橇遊びにもってこいの形状の急峻な斜面になっているところがあった。
その斜面の足元あたりにはまた、実に奇妙な生き物たちがいた。蝙蝠が数匹飛びまわっているのだ。この雪山に蝙蝠がいるなどと私は想像もしたことがなかった。しかも彼らは白い霧のようなものを身にまとっていた。
「見えるか、アッシュ」
父は尋ねてきた。
「はい、父上。あやつらが魔物でしょうか」
私が聞くと父は言った。
「そうだ。旅人を襲って凍り付かせる厄介な連中だ」
そう私に教えると、彼は短めの剣を私に手渡した。
「一匹はお前が片付けろ。残りは私が引き受ける」
私は手渡された剣を抜いてみた。本物の、刃がついた剣だ。私は緊張と喜びに胸が躍った。
私たちは蝙蝠の群れに近づいた。群れといっても三、四匹ほどだ。そのうちの、仲間たちからはぐれたように離れた場所を飛んでいた一匹に目をつけて歩み寄ると、私は大声を上げて威嚇した。
そやつはすぐに私を敵と見定めたらしい。蝙蝠は私のすぐ近くを周回するように飛びはじめ、やがて空中の一点に留まった。私の剣の届く距離ではない。私が身構えるとそやつは奇妙な鳴き声を発しながら急速にこちらに向かってきた。私は上体を逸らしてそれを躱しながら慌てて剣を振るった。だが当たらない。
私がそやつの行方を目で追うと、蝙蝠はまたしばらく私の上空を飛びまわった後一点に留まり、そして飛び掛かってきた。私は剣を振るったが、今度は向こうに避けられてしまった。私の両脚は、ブーツが雪に沈んで思うように動かない。そうこうしているうちに私は相手の居所を見失った。
また鳴き声がして、急速に何かが近づいてくる気配がした。横からだ。私がそちらを向いた途端何かが私の頭に衝突した。それきり私は気を失って倒れた。
目を覚ますと私は父の膝の上にいた。父はとうに私の割り当ての魔物も残りの蝙蝠も片づけてしまったらしい。
「父上、このアッシュ一生の不覚を取りました。次こそはきゃつを...」
そこまで言うと私は急に力が抜けてしまい何も言えなくなった。そして今度は歯の根も合わぬほど激しく震え始めた。父は天幕を張った場所まで私を抱えて降りると、そこで火を焚いて茶を沸かし、それに蒸留酒を注いだものを私に飲ませた。それで私はようよう震えが収まったが、山を下りようにも足元がふらついて歩くことすらままならない。仕方がないので父は私を背負い、全ての荷を身体の前に抱えて下山し始めた。しばらく下ってなだらかな斜面に行きつくと、父は今度は背負ってきた背嚢の上に私を座らせ、それに縄をつけて引き摺って行った。
そうして帰宅したものの私はそれからしばらくの間床を上げることができなかった。いくら毛布を被っても悪寒が止まらず、寝てもよく悪夢で起こされた。食が細くなり私は痩せ細った。その間ずっと、父は私の様子を見に来てはスープを飲ませたり着替えさせたり、抱えて厠に連れていったりといった具合に世話を焼いてくれた。父にしてはまったく珍しいことであったので今でもはっきりと覚えている。結局そんな日々がひと月ほども経った後ようやく私は元通りに動けるようになったのである。
私は私に一撃を与えた魔物の顔が目の前に来たその瞬間をいまだに思い出す。その目は憎悪そのものであった。野の獣たちも時として人を襲うことがあるが、私はその目にあれほどの憎悪が宿るのを見たことがない。なんとなれば彼らは自分の身や自らの産み落とした卵、あるいは我が子が危ういと感じるが故に人を攻撃するのであるから、安全に暮らすことさえできればその憎悪を忘れてしまう。
しかし、魔物というものは父が言った通りの連中であった。私はその後、幾度となくその同じ「目」に出くわすこととなった。もしも剣を鍛錬していなかったらその目に射竦められてしまい到底立ち向かうことなどできなかったであろう。
その「目」に見据えられお前はそれでも戦うことができるか。父は今でも私に問うている、私はそんな気がしてならない。