その時ひときわ大きな雷鳴が轟き渡り、その場にいた者全員が空を見上げた。
上空に立ち込めた雲。再び雷鳴が響く。この黒雲のせいで、まだ夕方にもなっていないのにあたりは暗い。しかし突然、西の方角から強い光が空に立ち昇り辺りを照らした。
鬼どもが遠巻きに包囲してくるなか、私とモイ氏は一体づつの骸骨戦士と対峙していた。だがその不思議な光を見た魔物どもの目に驚愕の色が走った。
戦場の全てが停止した。鬼どもの群れと押し合っていた兵士たちでさえもが武器を下ろし、西の空を眺めている。
するとまた雷鳴が轟いた。西側の平原から再び強い光が天に立ち昇っている。今度は一度目よりさらに強い。しかも長い間消えずに空を照らしている。骸骨兵士でさえもが浮足立った様子で左右を見回し始めた。
やがて西の空に立ち込めた黒雲にぽっかりと穴が空いた。まるで、立ち昇る強い光に追い散らされるように穴が徐々に広がっていく。
鬼どもは互いに顔を見合わせ喚き始めたかと思うと、東西の城壁の扉に向かって一斉に走り始めた。大きな群れが2つに分かれ、なかば狂乱状態で転げるように逃げていく。
私は呆然として剣を下ろした。何が起こったのかが理解できない。
「追え!一匹残らず討ち取れ!」
ラフレル翁が叫ぶ声がする。佇立していた兵士たちが慌てて鬼たちの後を追い始めた。扉に殺到して渋滞している魔物どもに追いつくと、兵士たちはその背後から槍で串刺しにしていった。
私はしばらくの間信じがたい思いでその光景を見ていた。兵士たちは前庭に残った敵を全て刺し殺してしまうと、今度は城壁の扉を開け、次の区画に逃げた鬼どもを追跡するため出て行った。
それを見てやっと私は理解した。
勝利したのだ。
しかし私はまだ半信半疑だった。確かに敵は総崩れになった。だがなぜ?
あの光はもしかして。私の脳裏に説明のつかない確信が浮かんだ。
リンク氏だ。彼が間に合ったのだ。ゼルダ姫を救い出しただけでなく、魔の根源を倒したのだ。
私は荒い息を落ち着かせると、剣を地面に突き刺し膝を突いて祈った。この非力な私を生きながらえさせ、敵をこの手に渡してくださり、勝利を与えてくださった神に感謝を捧げた。
「アッシュ!モイ!」
祈りを終えて身を起こすと、シャッド博士が駆け寄ってきた。
「良かった‥‥良かった‥‥僕は君たちが死んでしまったものとばっかり‥‥」
眼鏡の奥の両目が濡れている。モイ氏も傍らに来た。次の瞬間博士は私とモイ氏に抱きついて嗚咽し始めた。私はモイ氏と顔を見合せて苦笑いした。
「おい、何言ってるんだ。俺が死ぬわけねえだろ?」
モイ氏が博士の背中を叩いた。
「いや、俺以上にこいつが死ぬわけねえんだ。煮ても焼いても食えねえ頑固女だからな」
「モイ殿、貴殿こそ狐狸に勝るしぶとさよ。鬼どもも貴殿のような相手はもう懲りごりなのではないか?」
私も応じた。鬼どもを追い散らした兵士たちが三々五々戻ってきた。だがラフレル翁はまだ油断のない目線を周囲に配っている。そこへ下士官たちが近寄ってきた。
「イグルス曹長。鬼どもの残党は全て片付きましたかな?」
ラフレル翁が声をかける。曹長が答えた。
「それが不思議なのです、ラフレル卿。魔物どもを城の端まで追い詰めたのですが、やつら一斉に城壁を乗り越えて堀に飛び込んでいったのですよ。私も城壁に立って確認しましたが、魔物どもの水死体で堀が埋め尽くされるほどでした」
「曹長、だからといって油断は禁物ですぞ」
ラフレル翁は厳しい表情で言った。
「これより、城内に敵の残党がおらぬか、くまなく探し掃討されてはいかがか。一度魔物に汚された城を再び浄めるのは並大抵のことでは出来ぬ。だが、それこそが貴殿ら兵士たちの仕事かと」
それを聞いた曹長は一瞬怯んだ表情を見せたがすぐに気を取り直した。彼は槍の石突きで地面を突くと、ラフレル翁に敬礼した。
「おっしゃる通りです。これより残敵の捜索に行って参ります」
曹長は兵士たちのほうに戻ると号令をかけて捜索隊を編成し始めた。私は近づいて翁に声をかけた。
「ラフレル殿、我らは索敵に参加せずとも良いのであろうか?初陣を経たばかりの兵士たちには荷が重いかと」
「アッシュ嬢、我ら民間人が全ての手柄を一人占めしておっては彼らも立つ瀬がないというもの。これは彼らのための情けと心得られよ」
私は翁にそう言われてはたと気づいた。ハイラル城内に魔物が巣食っていたのに気づかず無為に日々を過ごしていた兵士たちは、王権がゼルダ姫に戻された暁には職務怠慢を問われかねない。だが、今少しでも多くの手柄を上げさせれば処分は減免されよう。ラフレル翁の真意が飲み込めた私は黙って引き下がった。
「さ、酒場に戻ろうぜ。俺たちの仕事は終わったんだ」
モイ氏が笛を吹いて鷹を呼び寄せると、シャッド博士の肩を抱いて言った。博士は涙を拭いながら頷く。
我々が城の門を出て回廊から噴水広場に出ると、物見高い群衆が詰めかけていた。魔物どもや兵士たちの声、武器と武器が打ち合わされる音に好奇心を惹かれたのだろうが、城の中に入ってくる向こう見ずな者はさすがにいなかったようだ。
我々が通ると彼らは自然と道を開けた。誰かがハイラル万歳、と叫ぶ。すると次々に周囲の者たちが続いた。ハイラル万歳、の叫び声を浴びながら、我々四人は目抜き通りを南下し、裏通りに曲がって酒場に向かった。
「あんたたち‥‥」
酒場の扉を開けると、テルマ嬢はちょうどカウンターから出てきたところだった。彼女は我々の格好を見ると目を丸くして立ち尽くした。
「テルマ嬢、我ら
ラフレル翁が告げた。テルマ嬢はしばらく言葉を失っていたが、やがて口を開いた。
「じゃあ‥‥じゃあ‥‥やったんだね?あんたたち!」
「さよう。魔物どもは逃げ散った。今は兵士たちが残敵を捜索しているところでござる」
今度は私が答えた。テルマ嬢は手に持っていた盆を投げ出すと私を抱き寄せた。ラフレル翁でもモイ氏でもシャッド博士でもなく、なぜ私なのだろう?私は戸惑ったがさせるままにしておいた。
「あんた‥‥初めて会ったときからずっと私は心配だったんだよ。あんたのことが」
私の頭を撫でながらテルマ嬢が言う。それを聞いて私はやや気落ちした。
「テルマ嬢、私はそれほど頼り無く見えたと申されるのか?」
「そうじゃあないよ。私はただ、若い頃の自分を思い出してね。若い女が城下町で自立するなんて並大抵のことじゃあないからさ」
目に涙を浮かべながらテルマ嬢が答えた。次に彼女はすぐさま人をやって町医者を呼び寄せた。そして我々の所定の客席をカーテンで仕切ると、テルマ嬢は私に付き添って医者の治療を受けさせた。
ところが、医師を手伝っている間にテルマ嬢が啜り泣き始めた。
「どうなされた、テルマ嬢」
「嫁入り前なのにこんなに怪我させられて。あたしは魔物どもが許せないよ。あんたをこんな目に遭わせた鬼を叩き殺してやりたい気分さ」
私は、あるかないかもわからない自分の嫁入りのことよりも、功を遂げられたことのほうをテルマ嬢に気にして欲しかった。だが、私は以前私に不埒な行為を仕掛けた男を彼女がどんな目に遭わせたかを思い出し、思わず微笑んだ。彼女ならばきっとその言葉通りに出来るであろう。
「さあ乾杯するぞ!」
カーテンの向こうからモイ氏の声がする。私が服を着て客席に戻ると、治療の順番を待っていたはずのモイ氏が並々と麦酒を注いだジョッキを手にしている。客たちも歓声で答えた。
「モイ殿、貴殿正気なのか?そのように負傷した状態で酒など‥‥」
「固いこと言うなよ、勝利の美酒ってやつさ。お前さんも何か飲め!」
モイ氏は私の言葉を聞き入れる様子もない。さすがに私は心底呆れてしまった。すると背後から老医師がやって来て、私に向かって呟いた。
「剣士なんてな、みんな大抵あんなもんじゃぞ。むしろお嬢さん、あんたみたいな堅物が珍しいだけじゃて‥‥ま、ワシも一杯呼ばれるとするかな」
私は絶句して彼を見た。モイ氏は既にジョッキを傾けている。だが、カウンターに行きかけた老医師の襟首をテルマ嬢が掴んで引き戻した。
「先生、飲むのは仕事終わってからだよ。それとツケ払いはこれ以上無理だからね」
女主人の冷たい言葉に医師が一瞬顔を上げて抗議しかけた。だがテルマ嬢は彼の前に腕組みして立ちはだかり岩のように動かない。
「ったく、人使いの荒い‥‥ワシも客だというのに」
諦めた老医師はモイ氏の傍らに座ると肌脱ぎになるよう促した。彼が振り向いた隙に私は素早くその手からジョッキを奪い取った。
「おいアッシュ、お前何しやがる!」
「せめて縫合を終えてからにされよ。私は貴殿の未亡人に遺言を伝えるのはご免だ」
モイ氏が抗議したが私も譲らなかった。腕組みしたテルマ嬢が今度は首を傾けてモイ氏に目線を送る。氏はとうとう溜め息をついて従った。
「ったく、これだから女と戦場に立つのは嫌なんだよ。男同士のツーカーってやつが通じねえからよ」
「ならばもう一度私と試合されるか、モイ殿?」
私が返すとモイ氏はやっと黙り込んだ。医師が傷を治療している間に、私はジョッキの酒を半分程床に捨てて自分の水差しから水を注ぎ足しておいた。
「アッシュ、いつの間にモイとそんなに仲良くなったんだい?」
苦労して鎖帷子を脱ぎ終わったシャッド博士が私に尋ねた。
「ともに背中を預けて戦った仲間とはこのようなものだ、シャッド殿」
私は答える。それを聞いた博士はやや寂しそうな顔をした。私は付け加えた。
「シャッド殿、学者の身でありながら戦場に舞い戻った貴殿の勇気も私は忘れない。第一貴殿もまた
私がそう言うとシャッド博士は俯きながらも微笑んだ。ラフレル翁は席についてから一言も口を開かず、腕組みをしたまま黙り込んでいる。どうしたわけか、その顔は打ちひしがれた者のようだった。
「ラフレル殿、この度の勝利はまさに貴殿が立役者。この功績、末代まで.....」
そう私が声をかけると、翁は気がついたように顔を上げてこちらを見た。
「失礼。アッシュ嬢、今何と申された?」
「ラフレル殿、此度の戦ではまさに貴殿が勝利の立役者であった。またこの私にこの務めを与えたのも貴殿。このご恩忘れませぬ」
「いや、礼を申すのはこちらのほう。そもそも....」
腕を組んだまま翁が言った。
「この度よくわかった。未来の軍隊に必要なのは火筒ではない。貴女のような指揮官にござる」
私は耳を疑った。
「ラフレル殿、それは世辞が過ぎるというもの。私は一介の剣士に過ぎぬゆえ」
翁は首を振った。
「この老輩のような老いぼれが軍を率いる時代は終わったのでござる。未来のハイラル軍は、アッシュ嬢、貴女が率いてゆかれよ」
そう呟くように言ったラフレル翁の顔は悲しげでありながらもどこか晴れやかだった。私は相手の言ったことをすぐには飲み込めなかった。私は剣士ではあっても将校や軍略家ではない。それに自分のような短慮な人間が数多の兵士を率いていけるはずもないということはよく分かっていた。だがラフレル翁はそれきりまた黙り込んでしまった。
酒場に続々と客が入ってくる。テルマ嬢は我々の席を離れ忙しく立ち働き始めていた。
その時、また扉が開いて若い男がひとり入ってきた。
緑の帽子を被り、同じ色のチュニックを着て、剣と盾を背負っている。
それは、あのリンク氏だった。