私の父は私が十七のときに他界した。その経緯を書くのはこれまでの記事とは違い思うようには筆が進まない。だが一方で、これは私がどのように剣士として自立したかを説明する上で避けては通れないことだ。ともかくも、私がスノーピークを離れ城下町に上ることとなった直接的な原因は父がこの世を去ったことなのである。
父は六尺に及ぶ偉丈夫であり、膂力も強く、かつ見た目も壮健な人であった。従って幼い頃の私にとっては父が病を得るなどといったことは想像の埒外であった。
だが、それに変化が生じたのは私が十六の歳を過ぎた頃のことであった。その頃の私は、それなりに背丈が伸び、力もついて、打ち合いの稽古で彼から一本取ることさえできるようになった。そうすると父は安心したのか、徐々に稽古の回数を減らすようになった。もはや他人に教わるのではなく自分で修練の道を見出だせと父は私に言いたかったのかも知れない。しかし、後で知ったのだがその時には既に父の身体に病が取り憑いていたのである。
父はやがて度々長咳をするようになった。それまでにも冬などには時々症状が出ることがあったが、ほどなく収まったものであった。だが今回は違った。あまり続くので、私は父に医者を呼ぶよう勧めたが、彼は頑なに拒否した。しかし、一晩中咳をし続け、仕舞いには血まで吐くようになってしまったので、私はひれ伏さんばかりの勢いで父に懇願し、やっとのことで許可を得、麓村の人間の取り次ぎで往診の医者を呼び寄せたのである。田舎のことであるから、依頼の手紙を出してから医者が来るまでひと月近くもかかり、その間に父の容態はみるみる悪化していった。
医者は父を診ると、助かる見込みは半々だと言った。なんでも、父は若い頃戦さで胸を刺される重傷を負ったことがあり、それが原因で今罹患している労咳が治りにくくなっているそうなのである。父は私に対してそんなことは一言も話さなかった。だが、医者の言うには父はその時からずっと片方の肺で暮らしてきたようなものだということだった。
医者は床に臥せった父の前を辞し、私は彼を前庭まで送った。するとその老医師は私のほうに向き直ってこう言った。
「お嬢さん。気の毒なことだがな、お父上はもう助からんじゃろ」
私はそれを聞いて驚いた。
「なぜです先生。先ほどは半々と申されたではないですか」
そう言われ老医師は肩をすくめ首を振った。
「患者にそれを言ってしもうたら意気を落としてすぐ死ぬることがあるんじゃよ。だからああ言うたのじゃ。しかしあんたには本当のことを伝えておかないとならんと思うてな」
私は言葉を失ったまま、目の前の斜面を下っていく医師を見送った。父のような男が死ぬなどと、私には到底信じられなかった。幾多の魔物たちを倒したように、父はきっと病魔とも闘ってこれを倒すに違いない。そう信じて私は毫も疑っていなかった。悲しみといった感情よりも、まず不信の思いが私を捕えた。
しかし、この老医師の気遣いは全く余計なものであったことがわかった。父の寝床の前に戻った私に対して、彼ははっきりと伝えた。自分はこれ以上医師にかかるつもりはない、お前は身辺を整理し城下町に上る準備をせよ、と。
これは事実上の離別の宣言である。その時になって初めて私はことの重大さを悟った。私は泣いた。人生であれほど泣いたことはない。普通なら父は私が泣くと叱責してくる。しかしその時は彼はそうしなかった。そうする気力ももはや無かったのかも知れぬ。また私は父に懇願した。一緒に城下町に行けばもっと頻繁に医師にかかれる。そうすれば助かるやも知れぬ。諦めずに生きてくれろ、と。
しかし父は、見込みのない治療のために身代を潰すよりはここでゆっくりと過ごしたいと言った。私がどれほど持ち掛けてもそれは変わらない。私は焦燥に駆られ、修練も課業も全て投げ出して父の看病を始めた。やせ細った父にスープを飲ませ、その身体を拭い、横から支えて厠に連れていった。髪を切ったり髭を剃ってやったりもした。日当たりの良い場所に寝台を移してやったり、わざわざ遠方の養蜂家から蜂蜜を取り寄せて舐めさせてみたりもした。夜、寝る前には父を癒して下さるよう長い長い祈りを神に捧げもした。
父はそれから半年足らずで亡くなった。ある朝私が目覚め、父が珍しく咳もせず静かにしていると思ってその寝床を覗いてみたら固く動かなくなっていたのだ。その表情は安堵したかのような安らかな表情だった。
私は驢馬に乗って麓に下り、麓村の人間たちに埋葬の手伝いを頼んだ。村人たちは総出で我々の小屋にやってきた。また、司祭は不在であったのだが、助祭がちょうど村を訪問中であったので、どうやら弔いの儀式の形式を整えることができたのである。
そうして父は山小屋の傍らの木の下に設えられた永世の休み場に眠ることになった。翌日私は自分の荷物をまとめると、父の遺言に従い城下町を目指して出発したのである。
父の山小屋は今でもスノーピークの中腹にあり、父もまたそこにいる。父の所有物は、誰かが侵入して荒していなければ、全て手つかずのままだろう。
私自身はもう二度とそこに戻ることはあるまい。だが、あの山小屋とそこで立ち働く父の姿はまるで版画を刷る銅板に刻まれた絵のように、明瞭に、深く私の心に今でも刻まれている。