父の弔いを終えた私は城下町に向けて出発した。齢は十七となったばかりであった。父の残した驢馬一頭に乗せられるほどの荷物しか運べなかったから、私は甲冑を身に着け長剣を腰に差し、衣類と幾つかの思い出の品と少しの食料を携えて斜面を下っていった。
麓村に着くと、村人たちは私をつかまえてはこの村に留まり住人の一人となってくれと口々に言った。それは父を失った私を慰撫するための社交辞令だったのかも知れないし、案外本当の心持ちでそう言ったのかも知れない。ともかくも私は彼らの気持ちに対して深く感謝を表しつつその申し出を固辞し、彼らに見送られそこを後にした。
湖を見渡す平原を横切ると、やがて険しい崖に行き当たる。私は驢馬を伴って少しづつその山道を登攀し、どうにかゾーラの里に通ずる洞窟にまで辿り着いた。長い洞窟を抜けてゾーラの里に着き、そこから流れに沿って歩き舟屋のある川岸まで到達すると、もはや夕刻であった。私は天幕を張ってそこに泊まることにした。
時は春であった。ゾーラの里に雪は降らないし私は重装であったから寒さは感じなかった。翌朝起きてすぐに私は舟屋の扉を叩いた。すると豊かな縮れ毛を頭の上にまとめた女主人が顔を出した。
「あんたお客さん?ずいぶん早いんだね。まあいいけど。入りなよ」
彼女は甲冑姿の私に少々驚いたのか、頭の先から足の先まで眺め回したあとそう言った。私は彼女に私だけでなく驢馬も運べるか尋ねた。
「驢馬ぁ?なんでまた驢馬なわけ?」
女主人はさらに驚いたようである。私は事の経緯を説明した。父が死にこれから一人城下町に上るところであると。すると彼女は気の毒そうな顔をし、しばらく思案していたがやがて手を叩いた。
「しょうがないね。こうなったら奥の手だよ」
そう言うと、彼女は舟小屋の桟橋の階段を降りて、壁に設えられた縄を引っ張った。数分すると、洞窟に流れ込む川の下流のほうから何者かが泳いできた。水面に姿を現したのはゾーラの若い女であった。
「あんた悪いんだけどさ、この子が下る間、横で支えてやっててくんない?」
「店長、珍しいじゃないですか。特別サービスですか?」
指示を受けたゾーラの女は、しかし、さして嫌な顔もせず、むしろ大きな目を光らせて女主人の顔を面白そうに眺めていた。
「ボーナスは出すから。ま、あんたも今回だけね。次回はちょっと無理だと思ってて」女主人は使用人に確約すると、今度は私の方を向いて念押しした。
「やりぃ!」肘を桟橋にかけていたゾーラの女は指を鳴らした。
「かたじけない」私は頭を下げて女主人に料金を渡した。そして驢馬を連れて桟橋まで下り、繋がれていた小舟に慎重に移らせた。女主人は念のため縄を用意し驢馬を舟の櫂受けに繋いだ。
私たちは川を下った。ゾーラの女は気さくで、川の両岸の美しい景色に私の注意を引いたり、身の上を尋ねてきたりした。私が父を失ったことを話すと、その女も心からの同情の念を顔に浮かべ、その後こう言った。
「でもさ、生きてればきっといいことってあるからさ。私もこんな仕事してるけど、お金溜まったらいつかはハイリア湖で商売やろうと思ってるんだ」
「どのような商売をなされるおつもりか?」
「舟屋。ま、私のはちょっと今と違うやり方にするけど」
「どのように違うのだ?」
「舟を何艘か置いて、客が来たら漕がせて、時間が来たら自分で舟を戻してもらう。それだけ。景気の良かったころはそんな商売もあったって聞いたわ。最高じゃない?自分は何もしなくてもお金が入ってくるんだから」
私はこの女ののどかな願望を聞いて覚えず微笑んだ。それと同時に、景気や商売というものは安全あってのことだという父の教えが心に蘇った。すなわち、農業であっても商売であっても、そういった人々の営為が魔物に妨げられないよう、これを打ち払う。これこそが剣士の存在意義なのだ、と。
それまで山に住まっていた私は、麓村を除いて世人と交流したことがほとんど無かった。魔物を払うのも、多くの場合は父が訓練の一環として私を山奥の廃墟や洞窟に連れていき、そに巣食う者どもを相手にするのみであった。だが、それは本来の私の職務ではないのだ。剣士が戦うは、ただ剣の腕を示すためにあらず。市井の者たち--ちょうどあの女主人やこのゾーラの女のような者たち--が普段通りの営みができるようにするためなのだ。
私は私に同情を示してくれた女主人やその使用人に対し、初対面であるにも関わらず同胞のような感情を抱いた。それとも同情を買ったことで、少なからず気分を良くしたからであろうか。まだ未熟だった私についてはもしかするとそれも多分にあったかも知れぬ。だが、私はともかく彼らの心根の優しさに感動し、彼らの安全を守るために自分は剣士として一層励まなければならない、と心を新たにした。
そうして私はハイリア湖に下り、その女に暇を告げると、当時はまだ営業していたリフト屋に頼んで崖上に運ばれた。その日の夕刻、ようやく私は城下町に到着したのである。
だが町で私を待っていた経験は再び私を驚かせた。それも悪い意味でである。それは私の先ほどの感動を打ち消して余りあるものであった。