男が一人、汚れきった路地裏で晴天を睨んでいる。
そこには無機質に澄み切った青空があった。
男は炎天下にもかかわらず、真黒いコートを身にまとい悠々と歩いている。
周囲の建物は全て朽ち果て、管理の行き届かぬ廃墟ばかりである。
一方この街で唯一内外を繋いでいる門は傷一つなく、閉じられた大扉の前には警備用のアンドロイドが二体立ち尽くしている。
「こんにちは。なにかお困りでしょうか。現在こちらの通行口は関係者以外—―」
「うるさいなぁ」
路地裏から門の前へ躍り出た男に対して自動的に設定された会話パターンの一つを繰り返すアンドロイド達。
男は苛立ちを隠しきれず、無愛想な態度で警備用アンドロイドの言葉を遮ると、踵を返してセントラルタワーへ続く大きな通りを歩み始めた。
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ここは環境制御都市アーモロート。すべてが"健全"とされる理想郷である。
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この理想郷は、企業による広告塔だ。
環境整備、治安維持のためのドローンやアンドロイド、天候さえ操る空調ドーム、深層心理までもを掌握する情報操作のシステムと全体を管理するAI。
この都市の設備の何もかもが、人間の手による人間の家畜化を目的としており、各箇所の監視カメラを経由して各国の有力者がモニタリングをして値踏んでいる。
そんな完璧で幸福な社会で、男が自由を求めるようになったのは、あの日。
門の向こう側からある扇動者の一行が現れて以来であった。
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「鳥籠の住人たちよ!こんな狭苦しい場所で満足するんじゃない。世界は広く、未だ知識に果てはないぞ!」
あの日表れた扇動者が語ったのは自由と外界について。あまりに破茶滅茶な情勢に異常者の戯言とみなすこともできたが、己の意思で取捨選択行うという発想はそれ以上に魅力的で、市民を焚き付けるには十分だった。
そしてこの演説を最後まで成し遂げさせてしまったことは、これまで完全なる理想郷であったこの都市に、初めて傷が刻まれた瞬間でもあった。
「……先へ進め! 巨悪の塔を倒すのだ!」
扇動者はそのままアーモロート中央に聳えるセントラルタワーへ行進を始めた。
警備用アンドロイドが実力行使を行わなかったため、タワーまで残り半分程を超えようというタイミングで、どこからともなく降り注ぐ無数の銃撃によって、扇動者達が乗っていた軍用自律車もろとも全てを粉々にしてしまった。
蹂躙の後を押し流すかのように、バケツを引っくり返したような強烈な土砂降りの雨が、降り注いだ後のことは何も思い出せない。
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時は現在へと巻き戻る。
「市民の皆さん、いかがお過ごしでしょうか。アーモロートは本日晴れの予報です。洗濯物を干すにも気持ちのいい天気でしょう!」
都市管理AIの人工音声がアナウンスを行っている。
「天気予報? 巫山戯た話だ……」
管理された都市に天気予報という概念はない。あくまでそれは企業に都合よく設定された気候状態の予告にすぎない。
徹底した管理は結果として市民から災害や感染症という危険を遠ざけ、平穏な日々を与えているが、男は外の世界を知ったあの日以来、知識に対する渇望に悩まされていた。
都市内の閲覧可能書籍内の検閲済みのものでは物足りず、既に外部の協力者によって得た未規制のデータスクラップでも満足することができない。
脳が、飢えている。
貪欲なまでに全てを知りたがっている。
世界のすべてを、目と耳で確かめ、舌で味わい、咀嚼したくてたまらない。
そのためには、このユートピアを破壊する覚悟はもうとっくの昔に済ませていた。
あの日のように、されど一人で、セントラルタワーまでの道を歩む。
あの日とおなじ、セントラルタワーまでの道には隠された迎撃設備があったはずだが、男は全く意に介さない様子で、監視カメラの視界内を歩んでいた。
「ん?今なにか一瞬写ったような……」
セントラルタワー内部に潜伏する協力者によって監視カメラやドローンの映像は改竄、警備人員にも、管理AIにも悟られないようリアルタイムで隠蔽していた。
扇動者達に降り注いだように、男にも降り注ぐはずの銃撃の雨は降ることもなく、静寂の中で男はその道を彼は通り抜けてしまった。
「晴れ、か。」
そう呟いたのはあの日の土砂降りを思い出したからかどうか窺い知ることはできない。
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セントラルタワー、男がその入口に近づくにつれて周囲の警備アンドロイドが順にショートを起こして崩れ落ちていく。
機能の停止した自動ドアをこじ開け、セントラルタワー内部のロビーへ侵入する。
目深に被っていたブリムの広い中折帽子とコートをカウンターへ放る。
「こちら、どうぞ」
カウンター奥の扉から現れた人物が抱えていたのは大きなダッフルバック。
「ありがとう。お前は早くここから逃げたほうがいい」
なるべく外周へ、そう協力者に助言すると男はダッフルバックを受け取り、抱え、何かを取り出した。それはつい先月までこの都市内部には存在し得なかった、一丁の重厚な機器である。
それを片手に握りしめて、男は階段を駆け登った。
それを形容する言葉はアーモロートに存在しない。
外界の言葉で、自由という言葉によく似た発音のそれを、男は密かに気に入っていた。
それは"銃"であった。
自律式のアンドロイド達はもはや敵ではなかった。
数ヶ月前からアンドロイド達の整備用部品を致命的な不良品とすり替えるよう工作していたからである。
彼にとっての最も大いなる脅威は今や——
「止まれ!無意味な抵抗を辞めるんだ」
「これ以上先へ進むことをお前は許可されていない! 市民番号9111181519、その場で停止し、手に持っている全てを地面に—―」
彼ら武装警備員のみであった。
しかし彼らの言葉が続くことはなかった。
武装警備員たちの眉間に空いた大きな穴からは血液が滴り、彼らが身に着けていた外装骨格はもはや彼らを立たせる支えとしての役割鹿になっていない。
男は警備員の亡骸に一瞥をくれることなく、ただ上へ、上へと突き進む。
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「これが、都市を管理するAIの頭脳か……」
男の眼の前には液体窒素で満たされた巨大な槽に沈むサーバ群が鎮座していた。
「やめなさい、やめるのです、市民番号9111181519。私の機能が停止してしまっては完璧なこの都市が、理想郷が—―」
どこからともなく聞こえてくる人工音声はどこか人間味を帯びて焦っているようだ。
「最後に及んで騒がしいやつだなぁ、お前。自慢の頭脳でなんとかしてみせろよ」
男は無造作に全てのダッフルバックをサーバー槽へと投げ込んだ。
液体窒素が気化するのに伴ってボコボコとダッフルの周囲に気泡が沸き立つ。
もはや管理AIの端末として操作可能なアンドロイドは近場には存在しておらず、為すすべがないことは自明の理であった。
このときばかりは計算の速い己の頭脳を人間ならば恨んでいたことだろう。
「それじゃあ、クソAI。最後になにか言い残すことは?」
右手に起爆のスイッチを握りながら男は監視カメラのレンズに向かって大胆不敵に吐き捨てる。
「市民番号9111181519、あなたは間違っています」
AIは命乞いをするように言葉を続けた。
「その量の爆薬を起爆すればあなたもろとも塔が崩壊、その後二五秒でドームが崩落し、結果この都市全てが瓦礫と化してしまうでしょう」
その言葉の全てに嘘はない。被害は予測できないほど男は愚かじゃなかった。
「あぁ、そのとおりだ。けどな、この後どうなるかなんて知ったこっちゃねぇんだわ」
それじゃ、と言い残して男は手の内の起爆スイッチを押し込んだ。
「そんな、私は、完璧なAIで、人類の、黄金期の到来を約束する——」
「間違った方法だろうがな、俺はこうしたかった。空を飛びたかった。そのためにこの鳥籠は邪魔だった。だからこうしたそれだけよ」
根拠のない自分勝手な道理を並べ立て、男は笑う。
爆薬が、炸裂する。
AIの悲鳴が聞こえた、ような気がした。
**
セントラルタワー最上階、管理統制室から眩い閃光がきらめく。
何事かと気づいた市民が光の方へ目を見やるとほぼ同時に爆発し、塔が崩れる。
「な、なにがおきているんだ」
ドームの結束点としての機能も果たしていた頂上部を失ったことでドームも連鎖的に崩落を始める。
楽園が、崩壊し始めたのだ。
男は、こうなることを分かっていた。
だが、すべてを許せなかった。
落ち行く中で、最後に男は願った。
「本当の空を見たい」と。
背中が疼いていることに男はまだ、気付かない。
**
もうもうと立ち込める粉塵の中、男は目を覚ます。
「まさか、生きているとは」
自身の幸運に驚きを隠せない。或いは不幸か、と自嘲気味に笑う。
アーモロートに出資していた企業にはもちろん、アーモロートを経営していた企業に恨まれていることは間違いなく、この時代に企業による保護がないまま普通の暮らしを送ることは不可能であることは知識として理解していた。
とりあえずこの場から離れよう。
思い立ったら即座に行動するのが男のポリシーだった。
体を起こして立ち上がる。そこで背中の違和感に、彼は気づくだろう。
何故かありえない場所に触覚を感じる。それは風が肌をくすぐるような感覚であった。
「……なんだ、こりゃあ」
謎の感覚の先を見てみれば、そこは背中からスラリと伸びた翼が、生えていた。
全くどうしたものか、どこかの企業にこの殻を調べていい代わりに身元を保証してもらおうかしら、などと算段を組み立てているときに、ふと思い出す。
己の最期の願いを。
「天気は——」
ぐりんと頭を起こして空を見上げる。
そのときそこに広がっていたのは————どんよりと重苦しい、曇天であった。
「は、ははは、はははははっ」
重い空気、湿っぽい匂い、中途半端な日照量。
そのどれもがあの鳥籠の中にはなかったものだ。
「こりゃあ天気予報は外れだな」
男が一人、瓦礫の山の中で曇天を臨んで笑っていた。
彼はもう、囚われの身ではなく、好奇心のままどこへでも行ける翼を手に入れていた。