「なんか、いざその日を迎えたら迎えたでそわそわするな!」
「たがちゃん大丈夫? いきなり大声出すとか…ヤバいよ?」
松村に言われなくとも、そんなことは重々承知だった。漣さんと出会った日からちょうど一週間…"次の水曜日"がついに訪れてしまい、楽しみなような不安なような、複雑な気持ちを口に出しでもしなければやってられなかったのだ。
「今日もバーガーデイですかぁ。私も行っちゃおっかな? お勉強会」
「いいんじゃない。松村バカだし色々教えてもらいな、足し算とか」
「たがちゃん辛辣ぅ〜」
松村はそう言いながらも恐らく来るつもりはなく…松村にとって、勉強ほどの苦はないだろうから…先に帰る支度を始めていた。
二度目の漣さんとの勉強会。今はテストを控えた時期というのもあり、私自身教えて欲しいことも多いから正直いいタイミングだった。お金が無くなるのは少し痛いが、またバイトを頑張ればいいか。
というか、ここに来てふと気付いたことがある。集合の時間を決めていなかった。私は当然いつもの時間に行くつもりだったからいいものの、漣さんは学校も遠いしここまで来るのに多少時間もかかる。学校や部活が終わってここまで来ることを考えると、前回と同じ時間帯にたまたま集まる、なんてことは余程のことがなければ。
「あ、ゆうぐれちゃん!」
「はい、そんなことは私の杞憂でした」
到着するや否や、先に席に座っていた漣さんに声を掛けられて今まで考えていたことが全てどうでも良くなった。ひとまず漣さんのいる席へと着くと、携帯のアプリを開いて漣さんに見せた。
「あれ、注文しないの?」
「今はこれで出来るんだよ。…もしかして、スマホ持ってない系?」
「あー、これがスマホなんだ。話は聞いたことある!」
「…ま、とりあえず選んでよ」
漣さんは不慣れな手付きでスマホを操作しながら、おおーとか、ええーとか、奇怪な声を出して楽しそうにしていた。
「はい! 決めたよ!」
「はいありがとう。これは何?」
携帯が私の手元に返ってきて、画面を見た瞬間に私は、視線を漣さんの顔とスマホの画面とを交互に見ながら聞く。アプリのカートの中にはおよそ4000円分ほどの商品が入っていて、ハンバーガーのセットやら、シェイクやらソフトクリームやらとありとあらゆる商品が詰め込まれていたからだ。
「何って〜、あたしの分!」
「破産するわ。てか、食べきれないでしょ。セット一つまでっ!」
「えぇー。食べ切れるのにな」
「あのねぇ…私一人分でもこの五分の一以下で済むんだからね? てか、こいつどんだけ食べるんだよって思われるじゃん」
無造作に入れられた商品を軒並み削除しながら、先週頼んだものと同じセットを一つだけ入れて、最後に自分の分のセットも追加して注文を完了する。
「ホントに足りなかったら、追加したげるから。本題はこれ、勉強でしょ!」
「あぁー! あはは、そうだった〜」
通学カバンから課題集を出して、それを広げて漣さんに見えるように机に叩きつける。漣さんはわざとらしく、頭をぽりぽりとかきながらへらへらと笑っていた。
(まったく…これじゃ私がお母さんみたいじゃん)
漣さんのあまりの能天気加減にそんなことを思ってしまう。なんで私がこんなことを。食べ切れる分だけ頼みなさいとか、勉強しなさいとか、お母さんってこんな気持ちで言ってたのかと考えると、なんだか恥ずかしくなってくる。
「てか、漣さん来るの早くない? 緑山からここまで、遠いでしょ。部活は?」
「あーやってないよ。てか出来ないかな、お金無くて! 親は文化部でもいいから入れって言うから、パソコン部に入ってることにしてるけどねー! あたしパソコン触ったことないけど」
「そこまで元気に言われると…まあ、ドンマイとだけ言っておくよ。とりあえず勉強しよっか」
これ以上この話は広げない方がいいと思い、課題の方へと視線を誘導してなんとか話題を逸らす。あまりの貧乏さ加減に、さすがにその先を聞くのも野暮だと思ったから。
今日の範囲は現代文と数学。特に数学は苦手意識があるから、重点的に教えて欲しいと頼み込むと、漣さんは笑顔で首を大きく縦に振った。
「あーここ、ついこないだやったとこだ! ここはこうしてね…」
「ホント、顔と頭だけはいいんだよなー…」
「聞き捨てならないなぁ?」
「ただの独り言だよ」
漣さんは本当によく物事を知っていた。数学で使う数式はほとんど覚えていてすらすらと書き出すし、現代文や古文なんかは内容を一言一句覚えているものもあるほど、記憶力が良かった。それに、人に教えるのが恐ろしいほど上手い。要点を押さえていて、話を聞くだけで理解度が格段に上がっていくのを実感出来るほどだった。
「漣さんは、将来人の役に立つ仕事が出来そうだね。医者になっても驚かないわ」
「うーん。どうかな、あたしドジだし! あたしみたいのがお医者さんになったら、多分役に立つどころかみんな困らせちゃうよ」
「まあほら、バカと天才は紙一重だからね」
「うーーーん…多分褒められたな、これは! ありがと、ゆうぐれちゃんっ」
数十分ほど経って、ちょうど課題が終わる頃に、まるで私達へのご褒美のようにハンバーガーのセットが到着した。香ばしい香りが、それまで忘れていた食欲を一気に掻き立てて、私達は無意識的に課題集と筆記用具を片付けて、目の前のハンバーガーに向き合っていた。
「「いただきます!」」
不思議とタイミングが重なって、私達は同時に手を合わせると、そのまま一心不乱にハンバーガーにかぶりついた。
「それじゃ、また来週ね〜!」
「うん、また」
一通り腹を満たした私達は、店の前でそのまま解散する形で別の方向へと歩き始める。
それにしても、今日は本当に収穫ある一日だった。漣さんのおかげで分からなかったところもすらすらと解けるようになったし、自信が付くことで私の中の数学に対する苦手意識が薄れたような気がする。
五分ほど歩いただろうか、イヤホンを着けて音楽を聴きながら帰路を辿っていた時、ふと後ろから声が掛かった。
「ゆうぐれちゃ〜んっ!」
イヤホンのノイズキャンセリングを貫通するほどの声量に思わず振り返ると、まあ大方予想通りの人物が、息を切らし肩を上下させながら立っていた。
「うるさっ…漣さん、逆方向じゃないの? 遅れちゃうよ」
「そうだけど、そうじゃないんだよ!」
「えぇ…?」
漣さんが意味のわからないことを言い出すから思わず眉をしかめる。私が困惑した様子を見せると、漣さんは頬を膨らませながらこちらへずんずん近付いてくる。
「名前! 漣さんじゃなくて、さざみなって呼んでって言ったじゃん!」
ああしまった、気付かれた。実は呼びたくなくてわざと呼んでいなかったのだが、ここまで早く気付かれるとは思わなかった。
「いやぁ、出会ったばっかだし、早くない?」
「でもあたしは呼んでるよ、ゆうぐれちゃん!」
苦し紛れの言い訳をしてみたけど、その遥か上を行く漣さんの謎理論ととんでもない圧力に思わず後ずさりして、わかったよと折れると途端にいつもの満面の笑みに戻る。
「また来週ね、さざみな」
「うんっ、またね、ゆうぐれちゃん!」
はぁ、と一つ溜め息をつく。けどそれは、私が今までの人生の中で他人のあだ名を呼んだことがない恥ずかしさが思ったより大きくて、それを隠す為のものだということは、口が裂けても言えなかった。
「たっだいまー! お母さん起きてるー?」
家に帰ると、お母さんからの返答はなかった。お母さんは体が弱くて、一日のうち寝ている時間がほとんどを占めているから仕方ない。分かってはいても不安だから、いつも息をしているかだけ確認して、寝ていると分かると私も自室に戻る。
「お母さん、またご飯食べてないや。…腐っちゃいけないし、食べちゃおっ」
毎朝、お母さんの為に作ったご飯を冷蔵庫に置いて学校に行くんだけど、ご飯を食べる元気すら無いのかあまり食べてくれることはなかった。けど、だからこそ食べていてくれた時はすごく嬉しいし、その気持ちがあるから作り続けられる。
「…やっぱり、人と食べるご飯って美味しいんだなー」
余った夕飯を一人で食べながら、ゆうぐれちゃんとハンバーガーを食べたことを思い出しつつも、久々にお母さんと二人でご飯を食べたい…ふと、そんなことを思ってしまう20時過ぎだった。
・夕賀くれは…ダウナー気味なこと以外は普通の女子高生。私立赤川高校の二年生。自分の本名を呼んでくれる人が少ないことが密かな悩み。妹が二人居て面倒見がよく、美奈のこともなんだかんだ放っておけないと思っている。好物はポテトとハンバーガーとたこ焼き、嫌いなものはピーマン。