サクナヒメに転生した現代一般人の物語(仮)   作:高丸

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これが我らの寝具じゃ!

この夜、サクナは眠った。

 ふかふかの綿枕に頬をうずめ、

 冷たくない布の下で、ゆっくりと呼吸を整えて──

 

 目覚めたときには、背も首も痛くなく、心地よいまどろみが、胸に残っていた。

 

「……すごいのう、寝ただけなのに、少しばかり強くなった気がするぞ……」

 

 この“眠り”が、神の力を整えるなら──

 それはもう、ただの枕ではない。

 神の力を養う“神具”である。

 

 試作の最終段階を迎え、布団の表布には極上の麻織物を使いたかった。

 

 だが、今のサクナにもココロワにも、それを扱える技術も素材もなかった。

 

「――それなら、“織物の神”に頼もう」

 

「しかし、織物の神と言うと、気難しいことで有名ですが……」

 

「いいのじゃ! この“穂守布団”を世に広めるためには、優れた織物の神の協力が必要じゃ!」

 

 サクナの決意に押され、ココロワも頷く。

 神々の眠りを変えるプロジェクトは、いよいよ次の段階へ――!

 

 

“穂守布団(ほもり・ふとん)”──

 

 それはただの寝具ではない。

 神の心と体を癒やし、神力を整え、夢に導く、神具のひとつ。

 サクナヒメとココロワヒメ、ふたりの神が織りなした、異色の発明だった。

 

 しかし、完成までに残された大きな課題があった。

 

 ──それは、布。

 

 布団の中身がいかに優れていようと、それを包む表布が粗ければ、全てが台無しになる。

 そば殻枕が粉塵で敗れたように、今の都で一般に流通している布は、目が粗く、繊維が硬い。

 

「このままでは、綿がはみ出る……」

 

「神肌に触れる寝具である以上、滑らかで、柔らかで、そして美しくなければならん……」

 

 そう──必要なのは、卓越した織の技術だった。

 

 その日の夕刻。

 

 サクナヒメとココロワヒメは、神々の工房区をさらに北へ進んでいた。

 目的地はただ一つ。

 

「織物を司る女神──ヒトハタノヒメ。

 彼女の布ならば、“穂守布団”の完成にふさわしいじゃろ」

 

「ええ、でも……気をつけてくださいね、サクナさん。

 ヒトハタノヒメ様はとても厳格な方です。ものづくりには妥協を許しません」

 

「ふん、わしだって寝具に関しては妥協せんぞ。むしろ“命を賭けとる”と言ってもよい!!」

 

 気炎を上げるサクナに、ココロワがこっそり微笑む。

 ……最初は“ふかふかの枕が欲しい”という話だったはずが、いつのまにか“神の眠り”の革命に。

 

 だが、その熱意は確かだった。

 そして何より、ココロワの中にも火が灯っていた。

 今度こそ、「皆に認められる道具」を作りたいと。

 

 案内された奥の座敷には、静かなる威光を纏った神がひとり。

 白銀の髪を丁寧に結い上げ、深い藍の織衣を身にまとっていた。

 凛として気品に満ち、座っているだけで“染めも織りも、わたしの支配下”という空気を放っている。

 

 ──これが、ヒトハタノヒメ。織物の神、衣の神、調和の象徴。

 

「ふむ。タケリビ殿とトヨハナ殿の姫神よな。……サクナヒメとやら」

 

「は、はいっ。あ、いや、うむ。わしがサクナじゃ」

 

「言葉が雑である」

 

「う、うるさいのう……」

 

 サクナが口をとがらせるのを、ココロワが横から小突いた。

 

「し、失礼を……! 本日は、ひとつお願いがあって……」

 

 深く頭を下げるココロワ。

 そして、取り出したのは──

 

 一枚の布団の試作品。

 

 中には梳いた綿を丁寧に詰め、重ね縫いされた層がふわりと弾力を生んでいる。

 だが、表布はまだ粗末な麻布。いかにも“試作”といった見た目だった。

 

「“穂守布団”……そう呼んでおります。

 神々に極上の眠りをもたらすため、芯材と形状を徹底的に見直し、

 いままでにない快眠と神力の安定、疲労回復を目的とした、寝具の再設計であります」

 

「……極上の眠り、とな」

 

 ヒトハタノヒメの指が、そっと布の端を摘む。

 

「これは……麻か。少なくとも、織りは甘いな」

 

「はい、それゆえ、ヒトハタノヒメ様に……最高の織物を、お願いできぬかと……!」

 

 ココロワの声に、ヒトハタノヒメの眉がぴくりと動いた。

 サクナは正座したまま背筋を伸ばし、シズハメをまっすぐ見た。

 

「これはただの寝具ではない。“神具”じゃ。

 神の身を鎮め、夢を導く布団。それを守る布、つまりは衣と同じく、“心に触れる布”なんじゃ」

 

 ふむ……と、ヒトハタノヒメは目を細めた。

 

「……言うは易し。証拠は?」

 

「わしが寝てみた」

 

「なんと信憑性の薄い」

 

「だが本当なんじゃ。腰をいわすこともない、朝の目覚めが全くもって違う。

 昨日の疲れが、全て吹き飛んだかのような心地じゃ」

 

 ぽつぽつと話すサクナの言葉。

 それは、何の理屈もない。けれど、妙に“体験の重み”があった。

 

「そしての。おぬしの布で包めば、もっと良くなると思うた。

 肌に触れたとき、夢を妨げず、やさしく神気を導いてくれるような……そんな織りがあると思ったんじゃ」

 

 ヒトハタノヒメは、しばし無言で座っていた。

 

 静かに手を伸ばし、布団に手をあて──

 

 綿のわずかな柔らかさと、布の摩擦を確かめる。

 

「……たしかに。芯は良い。形状も、実に理にかなっておる」

 

 そして、すっ……と立ち上がると、振り返ってこう言った。

 

「良かろう。我が織を授けよう」

 

 くすくすと笑うヒトハタノヒメ。

 それは威厳を崩さないまま、どこか楽しげだった。

 

 翌朝。

 ヒトハタノヒメは、ひと織りの見本布を携えて、ふたりのもとを訪れた。

 

「これが“神の眠り”を包む布──“紡麻織(ほうましきぬ)”」

 

 布は、まるで水面のように柔らかく、指先をすべるだけで光を返す。

 

「な、なんじゃこれは……! さらっさらじゃ……!」

 

「麻に、蓮の繊維をわずかに混ぜ、神力を宿しやすい構造にした。

 夜露にさらし、月光で乾かしたものだ」

 

「……ひえぇ……まるで、肌にのせる霧みたいじゃ」

 

「絹は使っておらぬ。

 

皆に使われるよう、なるべく費用を抑えつつ、最大限上等な物にした。

 

これが“穂守布団”を完成させる最後の布。神具の布だ」

 

 布団の中は調整された綿。

 表地は、神織の“紡麻織”。

 枕は中空構造で、湿気を逃がしつつ沈み込まぬ絶妙な弾力。

 

 ココロワの手により、見た目は極めて簡素。だが、内部は極上。

 それは“神の眠り”のために作られた、神具だった。

 

「うむ……これじゃ、これこそが、わしが望んだ眠り……」

 

 ふわりと身を沈めるサクナ。

 

「今宵は、天の夢が見られそうじゃ……」

 

****

「本日、穂守布団──正式に、カムヒツキ様の御寝所へと献上なされました」

 

 タマ爺の厳粛な声が、静かな神殿に響いた。

 その一言が、周囲の空気を少しずつ、重く、厳かに変えていく。

 サクナとココロワはお互いに顔を見合わせる。

 これが、今までの成果を試す瞬間──

 そのプレッシャーをひしひしと感じながらも、ふたりは足を進めた。

 

 神殿の中には、巨大な屏風や神具、聖なる香が漂う、まさに神の領域。

 その奥に、カムヒツキ様の寝所がある。

 

 足音を忍ばせながら、ふたりは慎重に、しかし確実に、神殿の奥へと向かう。

 ココロワの手が微かに震えているが、サクナがそっと肩に触れると、少しだけ安心した表情を浮かべた。

 

 そして──

 

 神殿の一番奥、寝所の扉の前に立ったそのとき。

 突然、どこからともなく、甘く、低い声が響いた。

 

「……ぬふぅ~~~~……っ♡」

 

 その声は、想像を絶するほどリラックスしており、まるで天上の音楽のように広がっていた。

 そして、その音色には、まさに絶対的な悦びが込められていた。

 

「うわああああっ!? もう寝とるぅぅぅ!!?」

 

 サクナの声が、思わず高くなる。

 ふたりの目の前で、最も偉大なる神──カムヒツキが、すでにその穂守布団の上で、熟睡していたのだ。

 

 その姿に、ふたりは一瞬目を見張る。

 最上位の神とは思えぬ、完全に無防備で、天のように穏やかな寝顔。

 さすがにその顔を見ていると、無理に起こすわけにはいかない気がして、ふたりはしばらく言葉を交わさなかった。

 

 カムヒツキがゆっくりと目を開け、穏やかな笑みを浮かべて、ふたりを見た。

 

「ふふふ……これは……まさに“極上の布団”じゃな」

 

 その言葉は、まるで神託のように響く。

 カムヒツキ様は自らの手で、布団を優しく撫でながら、続けた。

 

「この布団……朕の眠りを完全に支配する、まさに“夢の力”を宿すものじゃ。

 これほどの布団、朕が生きてきた中で、初めて触れたわ……まさか、こんなにも心地よいものが存在するとは──」

 

 カムヒツキ様がその寝床に身を沈めると、まるで神聖な儀式のように、深いため息をつき、再びその布団に顔をうずめた。

 

「ぬぅ、ああ……やはり、最上の眠りだ。朕はこれで、さらなる神威を得るであろう……」

 

 その言葉に、サクナとココロワはただ見守ることしかできなかった。

 無論、布団が神々しいほどに心地よいことは、間違いなくふたりが作り上げたものの証であったが、

 カムヒツキ様の絶賛に、サクナは少し照れたように肩をすくめる。

 

「これほどの絶賛を受けるとは……」

 

「ええ、わたくしも予想外ですわ」

 

 だが、その表情の中には、確かな誇りと安堵の色が浮かんでいた。

 ただの「寝具」に過ぎなかったものが、今や神々の間で“神具”として称賛される時が来たのだ。

 

 その後、カムヒツキ様は布団から身を起こすと、両手を広げて大きく深呼吸をした。

 

「朕は今、この穂守布団に寝ていたおかげで、心身ともに癒された!

 実に、絶妙の寝具じゃ!

 これを使うことで、朕の神力も、間違いなく向上するであろう!」

 

 その一言に、ふたりは驚く間もなく笑みを交わす。

 

「有難き幸せに存じ奉ります」

 

「恐悦至極に存じまする、カムヒツキ様!」

 

 カムヒツキ様は満足げに目を細めながら、ふたりに向かって一歩、足を進めた。

 そして、少し楽しげに言葉を続ける。

 

「さて、サクナヒメ、ココロワヒメよ。

そなたらに褒美を与える。

 

──朕の名にかけて、この穂守布団は最も快適で、神々しい眠りをもたらすことを皆に伝えよう」

 

「「ははあ!!」」

 

 その言葉に、ふたりは顔を見合わせて頷いた。

 ――カムヒツキ様の絶賛は、ただの評価ではなかった。

 それは、この布団を神々の間で広めるための、最も強力な後ろ盾となったのである。

 

***

 

カムヒツキの絶賛もあり、他の豊穣神達は綿を育てはじめた。

穂守布団の噂はまるで、清流が石を撫でるように静かに、しかし確実に都を流れていった。

 

「夢が整う布団があるそうだぞ」

「身体が軽くなったと、神前神官が驚いていたらしい」

「芯は綿だとか……噂では、あの発明神が関わっているとか」

「まさか、あの鉛筆を開発した、ココロワヒメ様……?」

「名家の姫君、サクナヒメ様とも手を組んでいるそうだぞ」

「これはおどろいた!サクナヒメというと、親の遺産を食いつぶし昼寝ばかりしておる堕落神ではなかったのか?」

 

 神々は、いつの世も「力」や「武威」には敏感だ。

 だが、それと同じくらい、心と身を癒す何かにもまた、強く惹かれるものだった。

 

 

***

 春の雨が、神都の庭石を濡らしたある日。

 ココロワの工房へ、一通の文が届けられた。

 

「──ココロワヒメ殿。『穂守布団』を一式、我が神殿に納めてほしい」

 

 墨の色は深く、筆の筆致は落ち着いている。

 文の末尾には、都北に座す祭神の名が、確かな重みとともに記されていた。

 

 工房の奥でその文を読み上げたサクナは、ほんの一瞬、目を丸くしてから、静かに息を吐いた。

 

「ふーむ……どうやら、本当に届いたようじゃの。わしらの布団が」

 

 隣で聞いていたココロワは、何も言わず、けれどゆっくりと笑みを浮かべると、すぐに作業机へ向かった。

 広げたのは、既に用意していた“納品規格型紙”。

 

 その線は寸分たがわず引かれ、必要な縫い代も、芯材の密度も、すべてが記されていた。

 

「……おぬし、すでに準備しておったのか」

「当然です。わたくしにとって、これは“神性の証明”ですから」

 

 神の力とは、“大きな奇跡”だけではない。

 小さな願いに寄り添うことも、また、神性だった。

 

 神殿からの注文は、やがてふたりの手を離れ、都のあちこちへと広がっていった。

 

 ある神は、夢見を支えるために。

 ある神は、長き祭事を終えた身体を癒やすために。

 ある神は、ただ静かに、“安心して眠る”ということを取り戻すために。

 

「やわらかさが、神気を調えるという」

「冷えを除く温もりが、夢を正しく導くそうだ」

「朝、目覚めたとき、身体の“芯”が変わっていると聞いた」

「いや、あれは神具だ。“寝具”などという言葉では足りぬ」

 

 ──かつて、神々の世界で最も軽んじられていた領域、それが「寝具」だった。

 

 だが、ココロワとサクナが作り上げた「穂守布団」は、

 その概念を見事に覆し、昇華させたのだった。

 

 夜。

 工房の隅、作業台のすぐそばに置かれた納品前の布団に、ふたりは静かに腰を下ろしていた。

 

 灯明の火が細く揺れ、羊毛のやわらかさが背に伝わる。

 部屋には静けさが満ち、そこにいるだけで、まぶたがゆるりと落ちてくるような温もりがあった。

 

「ふぅ……どうやら、都の神々にもこの喜びは伝わったようじゃな」

「ふふっ……ようやくですね。ここまで長かったです」

 

 ココロワの横顔に浮かんだ笑みは、決して大仰なものではなかった。

 けれど、そこにはたしかに、誇りと安堵、そして満ち足りた何かが宿っていた。

 

「こうして作ったものが、誰かのもとへ届いていくのを見ておると……なんというか、感慨深いのう」

 

 サクナがぽつりと漏らしたその声に、ココロワはしばらく黙って、そしてふとつぶやいた。

 

「サクナさん」

「ん?」

「わたくし……思うのです。

あなたの発想がなければ、わたくし、今もただ陰気で何をしているかわからない神でした」

 

「いや、おぬしの手がなければ、わしの思いつきは全部、ただの夢で終わっとったじゃろ」

 

 ふたりの視線が交わる。

 かつて、孤独のなかでそれぞれ閉ざされていた心が、今は静かに、温かくつながっていた。

 

「ふたりで作ったんじゃ」

「ええ。“穂守布団”は、わたしたちふたりの発明です」

 

 布団のうえに落ちた灯の影が、ふたりの間でひとつに溶ける。

 心と体を包むぬくもりのなかで、ひとつの神具が、静かに──

 けれど確かに、神都に根を下ろしつつあった。

 

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