サクナヒメに転生した現代一般人の物語(仮)   作:高丸

5 / 7
ココロワヒメのもやもや

神都の午後──

軒先の油紙が陽を透かし、神殿通りにざわめきが揺れていた。

 

ココロワヒメは一人、街を歩いていた。

特に用があったわけではない。ただ、久しぶりに外の空気を吸いたくなったのだ。

 

道端の茶屋では、神使たちがざわざわと話していた。

その声が、風に乗って彼女の耳に届く。

 

「聞いたか? あの“穂守布団”、また新しい神殿に入ったらしいぞ」

 

「おお、やはり噂は本当であったか。なんでも、あの“発明の神”が作ったらしいではないか?」

 

「左様、ココロワヒメ様と言ったかの? 未だ知ってる者は少ないが、少し前に新しい筆記具も開発したそうだ。」

 

「その力、どうやら本物らしいな」

 

ココロワは、思わず立ち止まっていた。

自分の名が、こんなふうに他人の口から語られるなど、初めての経験だった。

 

(……わたくし、知られている……? 認められて……)

 

鼓膜に触れたその言葉たちが、じわじわと心の奥に沁みてくる。

胸の内で、小さく何かが灯るような……温かい感覚。

 

「歯車ばかり回していて、何をしているのかと思っておったが、あれが鉛筆も寝具も手掛けてたとは思わなんだ……」

 

「やはり発明神の技術は一味違うということだろう」

 

ココロワはどうしようもなく喜びがこみ上げて来た。

 

(ふふっ……ふひっ……わたくし達の“作ったもの”が……)

 

だが、次の一言が、その笑みを真っ二つに裂いた。

 

「まあ、でも、あの姫神の方は相変わらずであろう」

 

「サクナヒメ様のことか? あの、親の遺産で遊んでるだけのぐうたら姫神か」

 

「鉛筆も布団もサクナヒメ様が一枚嚙んでいると聞いたが、どうせ例の“無茶ぶり”で、ココロワヒメ様に押し付けただけだろうさ」

 

「口が過ぎるぞ。誰が聞いておるかわからんのだ」

 

「しかし上があのような性分では、下が苦労すると言うのは事実でしょう」

 

──その瞬間。

 

ココロワの中で、何かが凍りついた。

 

胸の奥で、じわりと広がる冷たさ。

先ほどまでの高揚が、まるで悪い夢のように引き剥がされていく。

 

(……押し付け……? 無茶ぶり……?)

 

違う。

サクナさんは、そんなことはしていない。

あれは、“無茶”ではなかった。

 

彼女は確かに自分の欲を口にしたけれど、

そこにはしっかりとした知識と、具体的な筋道が立てられていた。

 

(……あの方は、わたくしに火を灯してくれた……)

 

どうして、誰も知らないのだろう。

どうして、彼女のことを知ろうともせずに、ああも簡単に“ぐうたら”と言い捨てられるのだろう。

 

(サクナさんは恩人で、尊敬できる。わたくしの、たったひとりの──)

 

拳を、握った。

袖の中で、指先が震えていた。

 

神々の都──

 

天候を司る神、作物を育てる神、季節を廻す神。

彼らはそれぞれ、確かに“今”も働いている。

 

戦を司る神は地上の争いを見張り、

建築神は日々、新たな社を立て、

知の神は書を編み、言葉の理を積み上げていた。

 

この都は静かだが、何もしていないわけではない。

皆、自分の役割を果たし、神としての“務め”を淡々と全うしている。

それが、神の都における日常だった。

 

神々は不老で、時の流れも人間のように急がない。

だからこそ、変化はゆるやかで、動きは静か。

それでも、都の仕組みは神々の手で確かに支えられていた。

 

──そんな中で、サクナヒメは特異だった。

 

表立った働きもせず、何かを管轄している様子もない。

神務に出ることも稀で、日がな一日、昼寝と酒にまみれている。

それでもなお、“偉大な神の娘”として高座に座している。

 

「タケリビとトヨハナの娘だからな」

「神威など継いでおれば充分だ。あれは“器”なのだ」

「しかし、実際あれが何をしておる? ただのぐうたらではないか」

 

都のあちこちで、そんな声がささやかれていた。

 

何もしていないのに、評価される。

努力の結果ではなく、“血筋”と“期待”で扱われる。

──それは、働く神々の一部から見れば、痛烈に不公平に映った。

 

逆に言えば、都にいる多くの神々が「変わらないだけの存在」ではなく、

“維持のために働き続ける神々”だったからこそ──

 

何もせずにのうのうとしているように見えるサクナヒメは、

悪目立ちした。

 

「働かない神」

「七光りの怠け者」

「神という名の寄生虫」

 

──そんな陰口が、どこからともなく風に乗って漂っていた。

 

通りを見渡すと、サクナの名を笑う声が、至るところから聞こえてくる気がした。

たとえ本人が知らずとも、

こんなにも“誤解されたまま”でいいはずがないのに──

 

「……わたくし……」

 

つぶやいたその声は、誰にも届かない。

 

けれど、ココロワの中でははっきりと決意の音を立てていた。

 

(わたくしが……証明する。

 あの方が、“怠け者”などではないことを──)

 

風が吹き抜ける。

街の喧噪を、ほんの少しだけ遠ざけるように。

 

ココロワは足を向ける。

向かう先は、あの工房──

そして、“サクナヒメと共にある発明”の未来だった。

 

工房の灯が、静かに揺れていた。

 夜更けの空気は、墨のように重たく、けれどどこか、あたたかい。

 机の上には木札に描かれた試作図と、転がる歯車たち。

 どれも、誰かの「こうなったらいいな」という小さな願いのかけらだ。

 

 その隅。

 丸めた布くずを抱いて、サクナは大の字で転がっていた。

 

「ふぁ〜〜〜あ……疲れたのう……」

 

 気の抜けた声が、工房の天井へ溶けていく。

 

「サクナさん……せめて、作業台では寝ないでください……」

 

 いつもの呆れた声。でも、ほんの少し、優しい。

 

「え〜? この布の切れ端が、ええ感じにふかふかしておるんじゃ〜」

 

 片目だけ開けて笑うサクナに、ココロワはふぅと小さく息を漏らす。

 

「それは、枕の試作で失敗した物です……」

 

 その声のあとの、一拍の静寂。

 ココロワが、小さな息をのんで、言葉を落とした。

 

「……サクナさん、ひとつ、話したいことがあります」

 

 サクナは、転がったまま首だけ起こした。

 

 けれど、その動きはどこか慎重だった。

 なぜなら、ココロワの声が──

 いつもの調子ではなかったからだ。

 

 浮かれた笑い声も、得意げな語尾もない。

 ただ、胸の奥から滲み出たような、真っ直ぐな音だった。

 

「なにやら……改まっておるのう。悪い話か? まさか布団に不備でもあったか?」

 

「違います。そうじゃなくて……わたくしは……ずっと、言えなかったのです」

 

「……なにをじゃ?」

 

 静寂。

 工房の灯が、芯を焦がしてパチ、と小さく弾ける。

 

 その火の音に続くように、ココロワは口を開いた。

 

「“ありがとう”って」

 

 その言葉は、凪のようだった。

 胸に静かに落ちて、やがて心の深い場所に、波紋を広げていく。

 

「鉛筆も、布団も……全部、サクナさんが火を点けてくれた。

 わたくしは、それを回しただけなんです」

 

 机の上の歯車が、コトリと傾いた。

 まるでそれも、ココロワの心と共鳴しているかのように。

 

「……それは違うぞ、ココロワ」

 

 サクナは、起き上がって言った。

 その声は、あくまでやわらかく、けれどはっきりしていた。

 

「……いえ。違いません」

 

 ココロワの視線は伏せられている。

 でもその言葉は、揺るぎなかった。

 

「誰も、わたくしに声をかけてくれなかったとき……

 “必要”って、真っ直ぐに言ってくれたのは、あなただけでした」

 

 指先が、机の縁をぎゅっと握る。

 その細い指が、震えているのがわかる。

 それでもココロワは、逃げずに言葉を続けた。

 

「それが、どれほど嬉しかったか。どれだけ心が救われたか……

 わたくし、いまだに言葉が追いつかないんです」

 

 その胸の奥には、孤独の時代があった。

 からくりの音だけが響く静寂な部屋で、ただ歯車を回し続けた日々。

 誰にも必要とされず、神である意味さえ見失いかけていた過去。

 

 そこへ現れたのが、サクナだった。

 

「なのに……この都では、サクナさんのことを“怠け者”だと……」

 

 その言葉に、サクナは小さく笑った。

 

「ははっ。まぁ、ぐうたらには違いないがの」

 

 冗談めいている。

 でもその笑みには、少しだけ影があった。

 

「怠惰を求めて勤勉に行き着く」

 

 ぽつりと漏らしたそれは、どこか哲学のようで、皮肉のようで──

 けれど真実だった。

 

「ワシはな、怠けたいから頑張っておるんじゃよ。

 

でも、そっか……おぬし、それを悔しがってくれたのか」

 

 ココロワは、小さく頷いた。

 

「……はい」

 

 ふたりの間に、長い沈黙が流れた。

 でもそれは、気まずさではない。

 まるで、お互いの胸の奥にあるものを確かめ合っているような、静かな時間。

 

 そして──サクナがふと、笑った。

 

「……ならば、なんの問題もあるまい」

 

「……え?」

 

 ココロワが、目を丸くする。

 

「名誉とか、評判とか、どうでもええ。

 でもな、おぬしがわしを認めてくれてるなら──それでいいのじゃ」

 

 それは、飾りのない言葉だった。

 だからこそ、ココロワの胸に、強く届いた。

 

 サクナが立ち上がり、寝癖をゆらして彼女の前に立つ。

 だらしない着物。指に墨。

 でも、その目だけは──とてもまっすぐで、力強かった。

 

「わしは、おぬしとおると、なんでも作れそうな気がするんじゃ

火を点けたんじゃない。わしのほうが、動かされとるんかもしれんのう」

 

 ココロワの目が、かすかに潤んだ。

 その瞬間、ふたりの心が、音もなくつながった。

 

「じゃあ、これからも一緒に回そう。歯車も、心も、都も。全部」

 

「……はいっ」

 

 ココロワは、初めて自分から手を差し出した。

 その手は、少しだけ震えていた。けれど、あたたかかった。

 

 サクナは少し驚いた顔で、それをしっかり握り返す。

 その指先に伝わるのは──言葉よりも確かな、信頼と、絆の温度だった。

 

 静かな工房の灯の中。

 ふたりの神は、世界にひとつだけの、“ふたりだけの未来”を、そっと動かし始めた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。