リビングから離れ、自室に入る。
二人はヒマリの私室に入ったのだろう。廊下から聞こえてくる声はやがて聞こえなくなった。
このセーフハウスはほぼ全室が防音だ。特に部長の私室は防諜の観点からセキュリティ、防音レベルも非常に高くなっている。
例え私が部長の私室の側に忍び寄り、ドアに耳を当てても話し声は聞こえないだろう。
勿論、そんなことをしては会長はおろか、部長からの信頼をも失うことになるだろうから、絶対にやらないが。
(……二人で、なにを話してるんだろう?)
だが気にならないといえば嘘になる。私に聞かせられない話、その内容とはなんだろう。
私はベッドに腰掛けて考える。今までもこういったことは何度かあった。
会長と部長の間でのみ交わされる密談。それまでの私は"そういうものだ"と納得して、聞き耳を立てることはおろか、会話を聞くという発想すらなかった。
きっと重要な話だ。それでいままでは全て納得してきたし、今も納得するべきなのは頭の中で分かっている。
しかしなぜだろうか。今は彼女たちが一体なにを話しているのか、気になって仕方がなかった。
(なんか私、今日……変だな)
もやもやとした気分が晴れない。喉の奥に何かがつっかえているような居心地の悪さ。
どうしてそんな気持ちになるのだろう? 今までこんな気持ちになることなんてなかったのに。
そう考えて、ふと気づいた。
(……いや、今までもあったんだ。小さくて気づかなかっただけで)
この、胸の奥がぎゅっとなるような感覚には覚えがあった。
それは部長が私の側から離れるときに、大なり小なり感じていた感覚、それに酷似していた。
交友関係の広いヒマリ部長が、私の知らない人と楽しげに話していたとき。
部長は優しい人だから、一人で隅の方に控えていた私を誘って一緒に会話を楽しんだ。後から知ったが、その人はエンジニア部の先輩で、私の制服を作ってくれた張本人だった。
セミナーの会計や書紀と何やら小難しい話をしていたとき。
会長の不在で困っている彼女たちの代わりに、ミレニアムの内政についてのアドバイスをしていた。リオ会長に匹敵する頭脳である部長の言葉を、彼女たちは深く頷きながら参考にしていた。
古巣であるヴェリタスの人との思い出話を聞いたとき。
悪戯好きな部長が部員と一緒になって学内放送をハッキングし演歌を流す悪戯をしたらしい。その後、副部長にこってり絞られたと言っていた。
……これ以外にも、思い出せば沢山ある。そのどれもが、ヒマリ部長が関わっている。
その度に私はそれに似た感覚を覚えていた。
だがそれは本当に小さなもので、気にしなければ忘れてしまいそうなほどの、吹けば飛んでいってしまう程度の些細な感情のゆらぎでしかない。
だが、今日の
そしてそれが起きる条件も、考えているうちに明瞭になってくる。
私の知らない部長のことを知っている誰かを見ると、胸がぎゅっとなるんだ。私が一番側にいるはずなのに、私が一番部長のことを知っているはずなのにって。
それに気づいた瞬間、私はその感情が世間一般でなんと言われているのか、理解してしまった。
(……私、嫉妬してるの?)
それは私という人間からすれば、到底無縁だろうなと思っている感情だった。
嫉妬というのは、誰かに憧れたり、羨ましいと感じるから起きることだ。
私は憧れたりしない。そこまで自分に期待していないし、期待される立場にあることも向いていないと思っている。
何より命令に従うほうが性に合っている。誰かの命令に従い、その通りに行動することが一番向いている。
だから誰かに嫉妬することなんてない。今まではそう思っていた。
しかしもう気づいてしまったのだろう。
私がこんな気持ちになってしまう原因、その正体について。
(あぁ、私―――"
それを言語化した瞬間、私の中で燻っていた全ての感情に説明がついた。
私は他人に興味ないふりをして、その実、独占欲がすごく強い人間だったんだ。
部長のことを一番知っているのは私だと心の中で思っていたけれど、それが間違いであることも奥底で気づいていた。
明星ヒマリのことを最も理解しているのは私ではなく、リオ会長だ。それも当然だ。付き合ってきた年月が違いすぎる。
私と部長はせいぜい一年も満たない程の短い付き合いでしかない。
それでも共に過ごしてきた時間は、今まで生きてきた中でも一番濃密だったと断言できるし、私の人生の既に半分くらいは彼女と過ごしている気持ちでいる。
(部長が私に話せない内容を、リオ会長が知っていることが嫌なんだ、私は)
それに気づいたとき、私は思わず自分のことが嫌いになりかけた。
リオ会長は私を拾ってくれた恩人だ。もし会長の目に留まらなければ、私はヒマリ部長と出会うこともなく、ひたすらに退屈でつまらない生活を続けていただろうと断言できる。
そんな恩人に対して、私は嫉妬しているんだ。恩を仇で返すとまではいかないが、人としてあまり褒められたものではない。
しかしもう歯止めが利かなかった。自分の中の感情を整理し、それを言語化していく度に、どんどん理論的に、感情という名のパズルが組み上げられていく。
今まで私が顧みてこなかった、意図的に考えないようにしてきたソレが、形を成していく。
(私は部長と一緒に居たいんだ)
一番がそれ。これだけは心の内から願う、本当の願い。
(部長といると、心が満たされるのか)
彼女と過ごす数ヶ月は、今まで生きてきた時間のほんの一部に過ぎない。
だというのに、既に離れ離れになることすら考えられないほど、一緒に居るのが当たり前になってしまった。
(どうして心が満たされるんだろう?)
初めて会ったとき。私を必要だって言ってくれたとき。私に制服をくれたとき。私を可愛いって言ってくれたとき。
私を怒ってくれたとき。私に触れてくれたとき。―――私に"意味"を与えてくれたとき。
(つまり、私は――――)
そして、結論を出す。
「ヒマリ部長のこと好きなんだ、私」
その瞬間、バクンと心臓が跳ねた。
肉体そのものが脳から送られてきた信号に対して、"正解"だと告げているように。
ドクンドクンと心臓が早鐘のように鳴り始める。体中に熱が巡り始めて、どんどん顔が火照っていくのが分かった。
(えぇー……。あぁー……。そうだったんだ、私って……)
今まで過ごしてきた
彼女の髪を結ってあげたことがある。白くてきめ細やかなそれは、指からするりと零れ落ちてしまうほどにサラサラで、触れるだけで心地よかった。
当時は何気なくやってあげたことだったが、今、あれと同じことをしろと言われたら、果たしてできるだろうか?
顔が熱くなる。頭から湯気が出そう。
(うわー……。うわー……!)
彼女と共に、砂漠の夜空の下でミレニアム製カップ麺を食べた日のことを思い出す。
砂漠の大蛇との死闘の後、疲労困憊で食べたそれはどんな手の込んだ料理よりも美味しく感じた。
あのとき二人で見たアビドスの夜空は、きっと未来永劫忘れることはない。
(これって、言い訳のしようがないよね……)
彼女が私の為に誕生日プレゼントをくれたことを思い出す。
まだ出会って間もない頃。美しい模様が刻まれたゼンマイ式のオルゴールは、今でも私の部屋に飾ってある。
誰が見ても綺麗だと思えるそれは、物の良し悪しが分からない私ですらきれいだと思った。何より部長が私の為に手づくりで作ってくれたことが嬉しかった。でも今はそれだけじゃない。
ヒマリ部長がくれた"オルゴール"だ。その価値に気がつくと、例え壊れてしまっても絶対に手放したくない思い出へと昇華されていく。
(つまり、私は……)
それら全ての思い出が、一つの結論へと導かれる。
証明完了 即ち QED。
「
それが私の得た結論だった。
よもやこの私が、恋愛に対して一切の興味もなかった
つゆほどにも思っていなかった。私が誰かのことを好きになるなんて。ましてや同じ
しかし今まで漠然と抱いてきた気持ちに説明がついたのも事実。
薄暗い欲望じみた嫉妬心も、重い女と言われても仕方のない独占欲も、恋心が発端になっているのであれば説明がつく。
むしろそのほうが良かったのかもしれない。これが恋愛絡みでなく発生した感情なのだとしたら、いよいよ私は得体のしれない気持ちの悪い生き物になり果てていたかも。
だってそうだろう。好きでもない相手に執着して、ずっと一緒に居たい、あなたの全てを知りたいなんて言われたら、それは恐怖でしかない。
これが恋とか愛が絡んだ瞬間『それも愛だよ仕方ないよね』なんて考えに至るあたり、人間って案外単純な構造をしているんだなって思う。
「ふぅ……」
なんだかすっきりした。今まで肩に抱えてきた重みを取り払ったような気分。
そっか、私は部長のことが好きなんだ。
それを認識さえしてしまえば、もう後は
好きだから一緒に居たい、好きだから褒めて欲しい、好きだから必要とされたい。
人間として何もおかしいところはない。少なくとも私はそう伝え聞いてきたし、多分そうなのだろうだと思う。
しかし、ここで一つだけ問題が生じてきた。
当たり前だが恋愛は一方通行だけでは成り立たない。片道通行の愛が破局するなんてことは、星の数ほど存在する恋愛漫画、恋愛小説、恋愛ドラマの中では半ば常識として存在する。
つまり、私がヒマリ部長の事を大好きだとしても、ヒマリ部長が私のことを好きとは限らない。
それに、一口に好きといっても色んな種類がある。
友人として好き、恋人として好き、憧れの対象としての好き、同じ"好き"なのに千差万別。
だから私は、私の思う好きがどういった類のものなのかを判断する必要があった。
つい先日、彼女のお風呂場に乱入してしまったときのことを思い出す。
常日頃から全くと言っていいほど肌を露出しない彼女の、白くて綺麗な肌。
紅潮する頬、結い上げた髪、露わになる首筋、髪の隙間から見える鎖骨。
この前はそれらを見ても何となく"部長は美人だな"程度にしか思わなかったのに。
想像の中で蘇ったその光景は、今の私にとって刺激が強すぎた。
ポタポタと、膝に血が垂れていることに気づく。
「……えっ? う、わ……ティッシュティッシュ……!」
鼻血が出た。まるでギャグ漫画みたいに即効性のあるリアクションをしてしまう身体に、自分でもちょっと笑ってしまいそうになる。
好きな人の裸を想像して鼻血を出すなんて、あまりにもテンプレ反応すぎる。しかし事実として、私は彼女の生まれたままの姿を想像しただけで、顔に全身の熱が集まってのぼせてしまいそうになる。
我ながら重症だな、と思う。だがこれで自分の"好き"に説明がついた。
決して友人としての好きで済ませられるような、プラトニックで、清らかで、純粋なものではなかった。
部長のことは"恋愛対象"として好き。ただ側に居て必要とされるだけでは、もう満足出来ないかもしれなかった。
私が彼女のことを求めるように、彼女にも私のことを求めて欲しい……。そう思ってしまうのは我儘だろうか?
「部長は私のこと、どう思ってるのかな」
多分だけど、嫌われてはいない、と思う。
時々だけど、私のことを好きとか、可愛いとか言ってくれる。
だから悪感情は持たれていないはず。
ではこれから具体的にどうするべきなのか、私は考える。
できれば私の気持ちを伝えて、部長もその気持ちに答えてくれて、二人は無事結ばれる……なんてのが望みうる中でのハッピーエンドだけど。
だがそうならない可能性のほうが高い。キヴォトスにおいて同性愛は、ある程度一般的に認知されつつあるとはいえ、全体的に見ればまだまだマイノリティだ。
まず部長が女の子のことを好きになってくれるのかどうか。もしそれをクリアできなければ、私の恋心はここで淡くも砕け散ることになる。
調べよう。自分に経験のないことであれば、既に経験のある他の誰かに頼るのが効率的だ。
私は端末を開き、検索用のブラウザを開く。
「何て検索すればいいんだろう……? えーと……。"女の子同士" "恋愛"……とか?」
とりあえずありきたりなワードで検索してみる。
すると数万件にも登る検索結果がヒットし、ずらっと並び立てられる。
まだ中身を見ていないが、私はそれを見て少しばかり安心した。
どうやら同じことを考えている人が沢山いるらしい。キヴォトスでは女の子同士の恋愛について調べる人がそれほど多いということだ。
つまり私のこれからのことも、どうすれば良いのか知っている人も沢山いるはずだ。
ひとまず手当たり次第に調べてみよう。複数の視点から見れれば尚良し。
私は久々の"自分の時間"に没頭していく―――。
「なるほど……」
ある程度、女の子同士の恋愛についての記事を読み漁ってみた。
時間にして10分か20分程度だっただろうか。まだまだ短い時間ではあるが、なるほどと納得できる発見が沢山あった。
これまで全く触れてこなかった"恋愛"の世界について知ると、中々興味深い。
「自分のタイプと相手の女の子のタイプによって、アプローチが変わる……。これはすごく参考になりそう」
とある有名な恋愛ブロガーはそう語っている。この記事の掲載主はミレニアム卒業生らしく、恋愛を数値的、統計的に考えるという、やけに学術的な記事だった。
感覚的に恋愛をどうこう語るタイプよりも、こちらのほうが頭に入ってきやすいかもしれない。
しかし内容としてはありきたりで、今すぐに私がどうするべきなのか、それを答えられる内容ではなかった。
次の記事はもっと直接的だ。こちらはクロノススクールの発行している雑誌に掲載されている1ページ。
"考えることも大事だが、短い青春をウダウダ考えて無駄にしてしまうことこそ恋愛弱者の発想だ"と、バッサリ切って捨てている。
流石に力押しが過ぎると思ったものの、これも一理あると思った。
何もせずにいたら部長は卒業していってしまう。それまでの間に行動を起こさなければいけない。
「……でも、ぐいぐい押していけって言われても、どうすれば……?」
内容を見ると、当たり障りのないものもあれば、明らかに過激すぎるものなど千差万別だ。
まずは胃袋を握れ、笑顔を見せろ、干渉しすぎると嫌われる、などといったもの。これらは私にも理解できる内容だ。
次のページを開く。
既成事実を作れ、弱みを握れ、秘密を共有しろ。こっちの記事は非常に過激な内容だ。
効果のほどは知らないが、ここまでする必要があるのだろうか? 私は疑問に思った。
「……こんなことして部長に嫌われたら意味ないと思うけど」
なぜここまで記事が過激化しているのか。
あくまで私の中の常識に照らし合わせて考えてみるが、理解は未だに及ばない。
だが、そのページの一番下にあった、とある文言に私は目を奪われる。
「……誰かに盗られる前に、モノにしろ?」
その内容が目に入った瞬間、私は今までに考えたことすらなかった発想に、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。
そうだ、何も部長のことが好きなのは私だけではないかもしれない。
明星ヒマリは魅力的な女性だ。例え身体が不自由だとしても、その魅力に陰りが差すことはないほどに。
綺麗な顔。美しい声。抜群の頭脳。加えてお金持ちでもある。これだけで大層モテる条件が揃っている。
それだけには留まらず、彼女の優しさに触れた人、ちょっぴり子供っぽくて悪戯好きなところ、真面目な時の横顔はキリっとしていて格好いいところ。
彼女の魅力は尽きない。だとすれば私以外の人間が明星ヒマリに好意を寄せて、付き合いたいと思う人が居てもおかしくない。
「……やられる前にやる。先制攻撃ってことか」
それは私の中に"ストン"と腑に落ちた概念だった。
戦いのときだってそうだ。悠長に身構えていたら敵に先を取られてしまう。
見敵必殺。先に攻撃したものが勝つ。それはこのキヴォトスという場所に置いては半ば常識だ。
「……なら、私がやるべきことは」
そう考えたとき、携帯端末が震えた。
部長からのモモトークだ。私は通知からアプリを開き、内容を確認する。
私達らしい、簡潔なやり取り。
腰掛けていたベッドから立ち上がり、部屋を出ようとする。
しかし、ちらりと見えた化粧台の鏡に映る自分の姿を見て、思わず立ち止まる。
「……大丈夫だよね。変なとこ、ないと思うけど」
ささっと前髪を整える。部長の前でだらしない髪型を見せるわけにはいかない。
しかし自らの格好に目が行く。いつも通りのはだけた格好。
普段であれば一切気にしたことはない。これが私の体温を調節する上での最効率であり、最も譲歩した形。
「……ちょっとは隠したほうがいいのかな」
私はそそくさとシャツを上に上げる。それでも前は開いたままだけど、先程よりは露出度が抑えられた気がする。
よし、と頷いて、私はヒマリ部長の部屋へと向かった。