がばり、と目が覚めました。
バクバクと心臓が激しく音を立てて、私の胸を激しく内側から叩きます。
呼吸は荒く、焦点は未だ定まりません。それに、凄まじいまでの悪寒も。
滝のような汗が私のパジャマを濡らし、肌に張り付く髪が水分を吸って纏わりついて不快さを拭えません。
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
呼吸を落ち着ける暇もなく、吐き気が襲ってきました。
ぐるぐると視界が回り、頭痛と共にめまいが立ち上ります。
私はそれに必死に堪えるように、深呼吸を繰り返そうとしますが、その全てが"ぜぇはぁ"といった呼吸のなり損ないとして排出されてしまいます。
しかし今の私に出来る最大限の努力がそれでした。その繰り返しで何とか呼吸を落ち着けようと試みます。
そうまでしているにも関わらず、私の体調は快方には向かっていませんでした。
未だに汗が肌を伝い、ぽたぽたとベッドに染みを作っていきます。
そんな苦しみの中、先ほど見た夢の光景が脳裏にフラッシュバックしてきて。
(……あぁ、やはりこんな夢を見てしまうのですね)
先ほどまでに見ていた生々しい夢を思い出します。
ついにやってしまいました。これを避けたかったから、私はあの薬を飲みたくなかったのに。
(ごめんなさい、エイミ。私は、私は……)
嗚咽が喉の奥から立ち上ってきて、後悔がじわじわと身を焦がします。
呼吸が荒くなっていくのが分かります。過呼吸一歩手前。
とても苦しいです。人は呼吸の仕方を生まれながらにして覚えると言いますが、今の私はそれすらもできない存在でした。
「落ち着きなさい。吸うばかりでは駄目よ。小さく、短く息を吐きなさい」
「……はぁっ……はぁっ……はぁっ……んぐっ」
誰の声でしょう? 私の背中に誰かが触れている感触があります。
優しくさするような手つき。そして苦しむ私を救おうとする声。
きっとお医者様かもしれません。私は藁にも縋る思いでその声に従います。
1回、2回、3回と小さく息を吐き出していき。
それが10回を超えたあたりで、ようやく呼吸が落ち着いてきました。
「……収まってきたようね」
「…………リオ?」
ぐるぐると脳が揺さぶられるようなめまいが視界を揺らします。それを止めようと必死に目元を凝らします。
視界が明瞭になりつつある中、枕の側の椅子に腰掛けていたリオの姿が目に入りました。
またこの女は人の部屋にずかずかと……なんて悪態を吐く余裕すらありません。
「っ! ……みず、水を……」
「ここにあるわ」
寝台側のペットボトルに口を付けます。恐らく経口補水液でしょう、口に含むとほんのりとした甘みとそこそこの塩気、そして僅かの苦みを舌で感じます。
ぐびぐびと音を立てて水分を摂取していきます。……少々はしたないですが、仕方ありません。
今はそのようなことを気にしていられる体調ではありません。ひたすらに身体が水分を欲しているのですから。
「ゆっくり飲みなさい、ヒマリ。急激に飲料水を摂取すると喉を痛めるわ」
「……分かってますよ。あなたは私の母親ですか……。ふぅ……」
やがて最後の一滴まで全てを飲み干し、肺の中の空気を全て吐き出すようにして、身体の中に溜まっていた悪いものを空気ごと押し出していきます。
水分を摂取したからでしょうか。ようやく人心地ついた気分です。
その時点でようやく、自らの額に解熱用のシートが貼られていることに気付きます。
私が自ら貼った覚えはありません。
それによく見るとベッドの側には水の入った桶のようなものと、お湯の温度を調節できるポッドがいつの間にか置かれていました。
どれも私が用意した覚えのない品々です。それを認識し、リオを再び視界に入れた時、私の中でパズルのピースが組み上がっていきます。
「……リオ、もしかして看病してくれていたのですか?」
「えぇ。高熱と激しい発汗。それに伴う脱水症状。時折うわ言のようなものを呟いていたから、軽いせん妄状態の可能性もあったわ。看病の必要があると判断し、あなたには無断で実行させてもらったわ」
「……そう、ですか」
「……迷惑だったかしら?」
珍しくリオがこちらの様子を窺うようにほんの少しだけ俯きながらこちらを見ています。
例えるなら叱られる前の子供のような……そんな印象です。
「……いえ、助かりました。ありがとうございます。……今までこんな症状が出たことはなかったものですから、少々危なかったかもしれません」
「あなたのことは24時間、常時カメラとセンサーで監視しているわ。例え私が看病出来なくても、ドローン類があなたの看病をするようにシステムを構築してある。あなたの身に危険があっても、必ず対応できる。安心して頂戴」
「やっぱり私にプライバシーはないのですね……。人の寝姿を監視するのは趣味が悪いですよ、リオ」
「……これは必要なことよ、ヒマリ」
そう言い放つと、リオは目を逸らしました。
きっと自分でも良くないことだと気づいているのでしょう。
しかしそれが必要であれば躊躇なく実行する。それが調月リオという人物であることを、私は誰よりも知っています。
「……ところで、今は何時ですか? まだ外が暗いようですが……」
「午後11時10分よ」
「……もっと長い時間眠っていたように感じるのですが、その程度しか経っていなかったのですね」
私が薬を服用して不覚にも眠りに入ってしまったとき、まだ10時前後でした。
つまり1時間程度しか寝ていないことになります。だというのに、既に半日くらい眠った時のような身体のだるさを感じます。
この時間感覚の違和感。これも先程見た夢の影響なのでしょうか。
「訂正するわ。あなたは前日の午後10時10分から、翌日の午後11時10分まで眠っていた。つまり丸一日眠っていたことになるわね」
「は……? そ、そんなわけないでしょう? いくら何でも一日ずっと眠っていたなんて」
しかし……先程までの猛烈な身体の不調。あれはたった1時間で発生するにはあまりに急激な変化に思えました。
これが丸一日眠っていて、その間に症状が現れたというのであれば、そちらのほうが自然で納得が行きます。
ということは、私は丸一日もの間うなされたり、高熱を出していたということに。
常日頃から病弱は私を彩るエッセンスの一部などと申し上げてはおりますが、ここまで病弱を全面にプッシュされてしまうと、流石の私もほんの少しだけ辟易してしまいそうです。
(……? リオ、目元に隈が……?)
ふと、リオの顔を見上げた時に普段と違う違和感を感じました。
目元の隈。普段から外見には無頓着で、そっけないリオではありますが、見てくれだけは良いのがこの
だというのに、化粧ですら隠せないほどの隈がある。その事実に私は今更ながらに気付きます。
リオは私のことを看病してくれていたと言っていました。
……丸一日寝ていた人間を?
流石にずっと見ていたわけではありませんよね?
まさか、そんな、と思いつつ……。リオならやりかねないと考え、念の為問いかけます。
「……あの、つかぬことを聞きますが。……まさかずっと私の看病を?」
「……? そうだけれど」
「いや、ちょっと、あの……リオ? あなたはどうしてそこまで……! いえ、緊急事態に等しい状態ではありましたので、有り難いことには有り難いのですけれど……!」
リオはこのような要塞都市を建設するにあたり、私とは比べ物にならないほど多忙な生活を送っているはずです。
つまり、私の看病になど割いている時間は絶対にないはず。それは私でも容易に想像がつくことです。
それが、私の為に丸一日をかけて看病していた?
流石におかしいと言わざるを得ません。私達はそうまでしてもらう間柄ではないはず。
百歩譲って、看病してくれたことは本当に感謝しています。
……ですが、そんなに目元に隈を作るまで、ずっと私の側に居てくれる理由。それが全く理解出来なかったのです。
ですから、つい語気を荒げてしまいました。まだ少し頭痛のする頭に自らの声が響いてガンガンと痛みます。
「リオ! あなたは一体なにを考えて……!」
「必要なことだからよ。ヒマリ。あなたは人より病弱な身体を持っているのだから。特別に対処する必要があるのは自明の理でしょう?」
「ですけど……!」
「私は合理性に乏しい選択を選ばない。これが"最善"よ、ヒマリ。あなたにとやかく言われる筋合いはないわ」
「…………そう、ですね。わかりました。素直に感謝させて頂きます」
渋々と引き下がります。
……なんでしょうね、リオに心配されていることは分かりますが、どうしてか釈然といたしません。
この女の言うことは正しいのです。それだけは私も納得しています。
ですが……私にはリオの本心が分かりません。
私のことを信用していないからこそ、この都市に連れてきたのでしょうに。
心配されているのは結構です。ですがここまでされると流石に過保護と言わざるを得ません。
……私はもう子供ではないのですよ、リオ。
自分のことは自分で出来ます。あなただって、そうして生きているではありませんか。
リオに出来て、私に出来ない筈がありません。だって、私達は"対等"な天才なのですから。
「……それに」
「それに……? リオ、何ですか?」
「………………」
急に口ごもって二の句を発しないリオにしびれを切らした私が続きを催促します。
なんですか、この女は。途中まで言ったことなのですから、最後まで責任を持って発言してくださいよ。全くもう。
「……私だけが看病した訳ではないの。私ともう一人、交代であなたを看病していたわ」
「はい? リオ、それはどういう……!?」
つもりで、と言おうとした瞬間。
彼女の背後になんとも形容しがたいロボットのような何かが居ることに気付きました。
無駄に流線的なフォルム。小学生が休み時間に書いたかのようなしょぼい頭部。
細い胴体でありながら、脚部はなぜかずんぐりとしたキャタピラー。
極めつけには肩部から伸びる2組2対の4本腕。
それらが個々に別々の動きをするものですから、うねうねと動いているように見えて大変気持ち悪い。
この、圧倒的かつ致命的なまでのデザインセンスの無さ。
人間と大差ないサイズの顔部分パーツの目が赤く光り、ぐるぐると回り始め、最後にギュピン! と音を立てて止まったあたりで、ついに私は耐えきれなくなり、思わず心の内を吐露してしまいました。
「うわ、ダッッッサ………!」
「………見た目は、関係、ないわ」
控えめに言って……
いや、なんですかこれは。
いくら何でもデザインが致命的に終わってます。
今日び幼稚園児でももっとマシなロボデザインを書けるでしょう。
それこそ山海経の梅花園の子どもたちに書かせたほうが10倍は格好良く、あるいは可愛いデザインが出てきそうです。
なぜキャタピラーなのか。なぜ4本腕なのか。なぜ流線的なフォルムであるにも関わらず、頭部は四角くてしかもクソダサいのか。考えれば考えるほど理解が及びません。
まさかこれをリオが作ったというのですか? AMASはそこそこまともなデザインをしているというのに、なぜこのような悲しきマシーンが誕生してしまったのでしょうか。
「……性能は折り紙付きよ」
「……えぇ?」
ウィンウィンと駆動音を鳴らしながら、そのロボットが私の側に寄ってきました。
……なんでしょう。ダサすぎてむしろ逆に怖いので、近寄らないでいただきたいのですが。
そのロボットは、私の側に置いてあった空いたペットボトルをアームで器用に掴み取ると、これまたウィンウィンと駆動音を鳴らしつつ近場のゴミ箱へとそれを入れに行きました。
何気ない動作でしたが、確かにそれなりに高性能かもしれません。……だって。
「……見た目に反して繊細な動きを出来るのですね? ペットボトルをへこませることなく、一切の停止動作を挟まずにキャッチできるということは、物理センサーと映像センサーの精度が高く、またアームのパワーコントロールシステムが優秀であることを意味しています。それに順路の指定がスムーズだったことを考えると、中々高性能のAIを積んでいるようですね」
「……そう。あなたがそう言うのなら、素直に称賛と受け取っておくわ」
「外見に目をつぶれば、確かにミレニアムの掃除ロボットに欲しいくらいですね……」
相変わらず高性能なメカを作ることに掛けては天才的な女です。
かつてエンジニア部のウタハと交流を持っていた時は、しばしばメカの談義を行っていたことを思い出しました。
談義というよりも、ウタハが発案し、技術的な基礎を作る。
リオが高性能化を図り、私が省スペース化及びシステムを構築するといった具合でしたが。
あれはあれで役割分担が出来ていたので、そう悪くはない組み合わせだったのではないでしょうか?
……尤も。リオがセミナー会長になってからというもの、あの二人が会話をしている所は一度たりとも見たことがありませんけれど。
ウタハはあぁ見えて寂しがりですから。いつか再び話しかけてあげて下さいね、リオ。
「……あら?」
ふと、このロボットを見て思い出したことがあります。
サイズが異なりますが、このロボット……どこかで見覚えが。
いえ、忘れるはずがありません。このダサいフォルム。どうして今まで忘れていたのでしょうか?
「……アバンストラッシュ君……でしたか?」
「! ヒマリ……貴女、あのことを覚えて……?」
あぁ、やっぱりアバンストラッシュ君でしたか。
当時のものよりずっと大きかったので、先入観からでしょうか、頭からすっぽりと抜け落ちていました。
そういえばあれもキャタピラ駆動でしたね……。当時のは2本腕でしたが、なぜ4本腕になっているのでしょう。このセンスは私には理解できないかもしれません。
「忘れるわけないじゃありませんか。私とリオの初めての合作ですよ? ……まぁ当時のは、本当に玩具のようなものでしたけれど」
高性能ではありましたが、所詮は子供の作る玩具です。
せいせい遊びに使える程度の用途しかなく、信頼性も乏しい、今になって考えてみると幼き日の思い出作りのようなもの。
懐かしい記憶です。あの時のアバンストラッシュ君が、こうして現代にブラッシュアップされて蘇った光景を見ると、少しだけノスタルジックな気持ちになってしまいます。
「ところで、どうしてアバンストラッシュ君がこちらにあるのですか?」
「…………」
「……? リオ? 聞いていますか?」
「っ! ……何かしら?」
一瞬、リオが上の空になっていました。こうした光景は珍しいです。
いえ、珍しいどころか初めて見たかもしれません。
合理性を良しとし、意味のない行動は取らない女です。
人の話を聞き逃すようなタイプではないのです。それに関してだけは私はこのリオという存在に敬意を抱いています。
「あの、どうしてこちらにアバンストラッシュ君があるのですか?」
「……ヒマリ。名前が違うわ。"アバンギャルド君" よ。間違えないで頂戴」
「そ、そうでしたか? まぁ、どちらでも良いのでは……?」
「これは重要なことよ。絶対に間違えないで。アバンギャルド君、よ」
「アバンギャルド君……。分かりました、もう間違えませんから。ですからそんな目でこっちを見ないで下さい」
珍しくリオが圧を掛けてくるような顔つきでこちらを見ているので、素直にその名称で呼ぶことにしました。
……確かに見た目は
私には真似できないセンスですが、名称だけは見た目に合致していると言えなくもありません。
それにしても……。リオがこんなに感情を露わにするのは珍しいですね。
それだけこの"アバンギャルド君"とやらに思い入れがあるのでしょうか?
良かったですね、アバンギャルド君。リオという寵愛者が居てくれて。
……見た目は本当にダサいですけれど、ね。
「私があなたを看病できない時は、このアバンギャルド君があなたの看病を努めるわ」
「えぇ……? なんでしょう、性能は確かに素晴らしいのかもしれませんが、なぜか抵抗感があるのですが」
こちらを見つめるアバンギャルド君のカメラアイと私の目が合いました。
何を考えているか分からない表情です。それも当然です、だってロボットなのですから。
「……まぁ、分かりました。私も病人の身ですから、大人しくしておきます」
「理解を示してくれて助かるわ。今日の予定は全て明日に回すことにする。明日以降のスケジュールはあなたの端末に送っておいたから、あとで確認して頂戴」
「えぇ、分かりました」
「私はこれで席を外すわ。何かあったら連絡を」
「はい、では」
そう言って立ち去ろうとするリオ。
なにかの気の迷いからか、それとも1日中看病させてしまったことへの少しばかりの罪悪感からでしょうか。
私はリオを呼び止めていました。
「あの、リオ」
ちらりと視線だけでこちらを見据えるリオに、ぺこりと小さくお辞儀だけをして告げます。
「ありがとうございます。助かりました」
「……礼には及ばないわ。……身体を労りなさい、ヒマリ」
そう短く告げて、彼女は足早に室内から去っていきます。
私と、よくわからない