明星ヒマリ男の娘概念   作:めのこん

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37.和泉元エイミと『決戦前夜』(2)


 

 

「部屋の中は結構綺麗だね」

 

「えぇ。これでしたら清掃の必要はありませんね」

 

 

 久々に部室の扉を開けた。およそ一、二ヶ月ぶりのはずだ。

 入るや否やエアコンのスイッチを入れた。涼しい空気が室内に循環していく。

 もっと埃っぽい空気と、使われなくなった場所特有の沈殿感を覚悟していたが──意外にも、部屋は整然としていた。

 

 床には目立った塵もない。

 まるで、誰かが定期的にこの場所を使い、手入れをしていたかのような気配。

 だがそんなはずはない。鍵はかけられていたし、この部屋を使う理由のある人間も、今はもういない。

 

 

「あぁ。きっとこれでしょうね。清掃プログラムの範囲に含まれていたのでしょう」

 

 

 ミレニアムの清掃ロボットのスケジュール表があった。

 施設全体の清掃プログラムの一環で、この部屋も含まれていたに違いない。

 無人の空間を、文句も言わず、決まったスケジュールで淡々と掃除し続けていたのだ。

 

 人の気配こそ消えていたが、代わりに機械の律儀さがこの場所を守っていた。

 そう思うと、ほんの少しだけ胸の奥が温かくなった気がした。

 

 

「一応、防諜対策だけ施しておきましょうか。外側の監視カメラだけ使えるようにしておきますね」

 

「うん、分かった。じゃあ私は居住スペースのほう見てくるね」

 

「えぇ、お願いします」

 

 

 メインルームのことは部長に任せ、居住スペースの方へ移動する。

 

 居住スペースの一角、仮眠用の場所は部室の奥、パーティションの陰に設けられていた。

 簡素なベッドがふたつ、壁際に寄せられている。

 まだ特異現象捜査部が私一人だった頃。しばしばここで仮眠を取ったり、待機中はぼーっと過ごしていたことを思い出す。

 ここに居たのは短い間だったけれど……。

 変わらずそこに在ることが、少しだけ安心感を与えてくれた。

 

 ただ、ベッドにはシーツがかけられていなかった。

 衛生管理の都合だろう。長期間使用されていない間に、清掃のロボットが取り外したのかもしれない。

 

 ロッカーを開け、棚の奥にしまわれていた予備のリネンセットを引き出す。袋を破ると、洗剤の香りがふわりと立ち上った。

 新品のシーツは折り目がついたままで、どこか頼りない薄さを感じさせたが、それでもこの場には十分すぎるほどだ。

 

 ベッドに腰を下ろし、角を取ってから、ゆっくりと四隅を張る。

 端をマットレスの下に丁寧に押し込みながら、少しだけ指先に力を込めた。

 最後に皺を伸ばしながら全体を整えた頃には、仮眠スペースがようやく“使える場所”に戻ったような気がした。

 

 何かを片づけたわけではないのに、ほんの少しだけ、心の中も整った気がする。

 そんな時間だった。

 

 

「……あ、そうだ。シャワールームも見ておかなきゃ」

 

 

 ベッドメイクを終えると、ふと思い立って、部室の隅にあるシャワールームの方へと足を向けた。

 扉を引くと、わずかに湿気を含んだ、無機質な洗剤の匂いが鼻をかすめた。

 

 中は、思った以上に整っていた。

 床のタイルには水垢ひとつなく、金属の蛇口も鈍く光っている。壁の四隅にホコリの気配はなく、ピカピカの状態。

 どうやら、ここも定期的に清掃ロボットが入っていたようだ。

 

 本当に、ミレニアムの清掃ロボットは優秀だな。

 そう思わずにはいられない。部長いわく"既に型落ち"らしいが、少なくともミレニアム以外で、ここまで高性能の清掃ロボットは手に入らないんじゃないかな、とも思う。

 

 ひとまず、居住スペースが特に手を加える必要がないほど清掃されていることが分かった。

 もう見るべきものは一通り見たはずなので、部長の居るメインルームへと戻る。

 

 

「部長。居住スペースの確認終わったよ。全体的に綺麗だったから、何もしなくても使えそう」

 

「そうですか、それは助かりますね。……こちらもセッティング完了しました。簡易的ではありますが、ハッキング対策を施しておきました。カメラの映像をダミーのものに切り替えておきましたので、いくらリオでもすぐには気づかないでしょう」

 

「そっか。……でもなんか、ちょっと複雑かも。会長に隠し事してるみたいで」

 

「……それは致し方ありません。現状、私達は仲違いをしているに等しい状態ですから。少なくともこの問題が片付くまでは……用心をするに越したことはありません」

 

 

 部長は少し悲しげな顔を浮かべ、そう言った。

 きっと彼の胸中も複雑なものなんだろう。友人、いや、幼馴染である会長との意見の相違。それに伴って生じた敵対関係。きっと部長もこんな形になってしまうのは本意では無かったはず。

 

 心穏やかでは居られないはずだ。でも、部長はそれを見せまいと取り繕うように笑う。

 

 

「ふふ……。ですが、懐かしいですね。ほんの少し前までここが私達の居場所だったのに。今では何だか……遠い昔のよう」

 

「……うん、そうだね。私も同じこと考えてた」

 

「エイミもですか? ……ふふ、案外私達も似た者同士なのかもしれませんね。こういった光景にノスタルジーを感じてしまうなんて」

 

 

 室内を見渡す。かつてそこにあったものは既に無くなっている。

 特異現象捜査部として必要な機材は、全て自宅(セーフハウス)に引き払ってしまった。

 ここにあるのは、そういった機材以外の、日用品の数々だけ。

 私達がまだ……ただの"同僚"だった頃の残滓。

 

 ふと、部長が何かに気づいたように、棚にあるマグカップを手に取った。

 

 

「あぁ、これ。ここにあったのですね。……エイミ、覚えていますか? このマグカップ」

 

「あぁ、それ。……確か古代史研究会から貰ったやつだっけ?」

 

「えぇ、そうです。史跡の資料の復元に協力した際、頂いたものです。古代の人たちは、こういった陶器でお茶を飲んでいたそうですよ。……無論、これはそのレプリカですが」

 

 

 それは、陶器製のマグカップ。

 確か3Dプリンターで正確に再現した、という話を聞いた覚えがある。

 

 ただし現代的なデザインではなく、どちらかというとずっと昔のもの。下手したら教科書に出てきてもおかしくない古めかしさがある。

 実用性よりも、その存在そのものに価値があるような感じの一品。

 当時、部長用と私用の二つをプレゼントされた。対になるデザインをしており、片方が大地を、片方が星の意匠を象るような意匠が凝らされている。

 

 私は温かい飲み物をあまり飲まないから使うことはほとんど無かったけど……。

 そういえば、部長はしばしばこれを使っていたのを思いだした。 

 

 

「部長、時々紅茶を飲むのに使ってたよね。見た目がどう見ても湯呑みだから、チヒロ先輩がびっくりしてた」

 

「そうでしたね。紅茶を嗜むなら、本来はティーカップの方が良いのでしょうけど……。案外、こういった歴史を感じられる物が好きだったりするんです、私」

 

「ある意味、遺物(オーパーツ)も歴史上の道具が発掘されたものだもんね。部長はそういうの好きそうだなって思ってた」

 

「えぇ。お察しの通りです。なんだか普通に飲むよりも、歴史の味わいを感じられる気がして……。それにしても懐かしいです。ここに置いておくには勿体ないので、セーフハウスに持って帰りましょうか」

 

「うん。なら後で包装しておくね」

 

 

 和やかな会話。まるで今が緊急事態であることを忘れそうになる。

 でも、こういった時間こそ―――私達が一番大事にするべきもので、守るべき日常なんだなって、今更ながらに思う。

 

 部長は懐かしそうにマグカップを見ていたが、ふと、途中で様子がおかしくなった事に気づいた。

 急に「はっ」としたり、赤面したり。……なんだろう、何かあったのかな?

 

 

「部長? どうしたの?」

 

「あっ……! いえ、その。……このマグカップの来歴について、古代史研究会の方が説明して下さったことを思い出しまして。……その、少々曰く付きと言いますか……」

 

「曰く付き……?」

 

「はい。……その、このマグカップ。対になっているでしょう? ……古代の方々は、星と大地との繋がりを非常に重要視していたそうで。それに倣う形で、ある儀礼的なものに用いられていた、という話があるそうなんです」

 

「ふーん。……ちなみに、その儀礼的なものって?」

 

 

 そこまで言って、部長は更に顔を赤らめてしまった。

 え、何? 何だろう? 部長がこんな反応をするなんて、ただ事じゃない気がする。

 

 

「えーと、その……。こ、これは夫婦になった人達が、その……初めての"交渉"をする時に、お互いのものを交換するそうなんです。お互いの盃を交換することで、"あなたのことを受け入れる"という意味になるそうで……」

 

「交渉……? あー、もしかして……」

 

 

 部長は言葉を濁してるけど、ひょっとしてアレのこと?

 

 

「もしかして"初夜(セッ◯ス)"のこと?」

 

「エイミ!? わ、私がせっかく言葉を濁したのですから、思いっきり口に出して言わないで下さい! せ、セック……なんて……。……お、女の子が、はしたないですよっ!」

 

「ご、ごめん、部長」

 

 

 部長がものすごい剣幕でぷんぷんと怒り始めたので、思わず謝る。

 怒りながらも、既に顔は羞恥からか真っ赤に染まっている。

 前にも言ったことがあったと思うけど、部長は元が色白の肌をしているから、赤くなるとそれはもう非常に分かりやすい。

 今だってもう耳まで真っ赤だ。綺麗な形をした(ヒマリ)の長い耳の先から熱が蒸気しているのが分かる。

 

 ……にしても、セッスって言葉だけでこんなに顔を赤くするなんて。

 部長って、案外初心(うぶ)なのかな。

 男の人って、そういうの(エッチなこと)に興味津々なものなんだと思っていたんだけど。

 

 

「……でも、なんか不思議だね」

 

「……? 何がですか?」

 

「いや、だって。そのマグカップ……まだ私達が付き合う前に貰ったものでしょ? あの時はこういう関係になるなんて思ってなかったから。なのにこうしてちゃんと"恋人同士"になって、このマグカップと同じ関係性になれたんだから。運命とか、あんまり信じるタイプじゃないけど……。なんか、特別なものを感じちゃうよね」

 

 

 星と大地のマグカップ。

 それは得てして妙だが、まるで私達の在り方を示しているように思えた。

 遠い遠い宇宙(そら)の果て。地から見上げる先に、星があって。

 手を伸ばしても届かないと思っていた(あなた)が、私の元まで降りてきてくれて。

 結ばれるはずのなかった二人が、奇跡という糸によって手繰り寄せられて。

 

 まだ夫婦ではないけど……、それでも恋人として心を重ね合わせた。

 あまり運命だとか、占いだとかは信じない私だけど、ここまで一致していると流石に少しばかりセンチメンタルな気持ちを抱かなくもない。

 

 ……ということを、軽く伝えてみたのだが。

 部長にとっては予想以上の破壊力だったらしい。ダメージを食らったかのように、胸に手を当てながら、苦しそうに藻掻いていた。

 

 

「……あ、あの。エイミ……? 真面目な(格好いい)顔で、そんなこと言わないで下さい……。わ、私、そういう(ロマンチックな)のに弱いって知ってるじゃないですか! 占いとか、運命だとか、そういうのにものすごく弱いんです……! ど、どうしてエイミは私の急所を突くのが上手いのですか? うぅ、胸が、胸がキュンキュンして痛い……!」

 

「そんなにダメージ受けるとは思わなくて。ごめん、部長」

 

 

 そういえば、部長はこういうの好きなんだった。

 ハッカーなどという何よりも科学寄りな才能を持つにも関わらず、非科学的な事象が大好き。

 運命だとか、星占いだとか、花言葉だとか。そういう話題が好きなのだ、部長は。

 

 恋愛ドラマでは悲恋寄りというか、結ばれない二人が運命的な、あるいは奇跡的な何かによって成就する。そんな展開が好きなんだ、この人は。

 

 ……なんていうか、こうして客観的に見ると。

 部長って相当"乙女"なんだなって思った。

 少なくとも、つい最近まで恋愛ドラマ未履修の私より、ずっと女の子としてのレベルが高いように感じる。

 なんだか不思議な気持ち。男の人だけど、誰よりも"乙女"な人。それが部長なんだろう。

 

 

「うぅ……エイミ。責任を取って下さい……! あなたが不用意に私をドキドキさせるせいで、動悸と息切れが止まりません。どう落とし前つけてくれるのですか!?」

 

「どうどう。落ち着いて、部長」

 

 

 何とか暴れたがる部長を押さえつけ、沈静化するのを待つ。

 数分ほどそうしていると、ようやく落ち着いてきたのか、はぁはぁと荒い呼吸をしながらも普段通りの部長に戻っていった。

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……。落ち着きました。……はしたない姿を見せてしまいましたね。今のは忘れて下さい、エイミ」

 

「……いや、忘れろって言われても」

 

「忘れて下さい。いいですね」

 

「……うん。分かった」

 

 

 有無を言わせぬ迫力。部長もこんな風に覇気を出せるのか。

 

 

「ふぅ……。騒いでしまったからか、少し汗をかいてしまいました。……仮眠を取る前に、一度シャワールームを使わせて頂きますね」

 

「うん。……あれ、でも部長。ここのシャワールームって使ったことあった?」

 

「いえ、前は寮のものを使っていたので」

 

「だよね。……あの、部長。ここのお風呂場って、バリアフリー対応じゃないけど大丈夫?」

 

「…………そうでした。だから利用していなかったんでしたね」

 

「うん。セーフハウスに引っ越しする時、まず最初に部長が言ったこと覚えてるよ。"バリアフリー対応のバスルームが欲しい"って」

 

 

 結果として、今のセーフハウスは部長一人でも問題なく入浴できる環境が整っている。

 しかし、この旧特異現象捜査部のシャワールームは、元はと言えば私と会長くらいしか利用する予定の無かった部室。当然ながら、部長用のバリアフリー対応のものではない。

 

 

「うーん、そうですね……。少々残念ですが、仕方ありません。濡らしたタオルで身体を拭く程度に留めておきます」

 

 

 そう、残念そうに零す。

 かつての自分だったら、私が手伝おうか? などと口にしていただろう。

 そして、やんわりと断られて、そういうものなんだなと納得して終わっていたと思う。

 

 ……でも、今の私は"違う"。

 だって、私は部長の恋人なんだから。(ヒマリ)の身体の事情を知って尚、私はこの人の側に居たいと願ったのだから。

 満を持して、私はこの言葉を告げる。

 

 

「大丈夫だよ、部長」

 

「エイミ?」

 

「私が部長の身体、洗ってあげる。ほら、服脱いで?」

 

「…………………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、エイミっ!? ちょ、ちょっと待って下さい! ど、どうしてそうなるのですか!?」

 

 

 

 困惑を隠せない様子で、大声を上げる部長。

 だが、こう返されることは予想の範疇だった。

 きっと部長だったら恥ずかしがってこう言うだろうな、という予測。

 

 以前だったら尻込みして、彼に触れることを躊躇っていたかもしれない。

 だが……もう引くことはしない。

 これは彼のエージェントとして、そして彼の恋人である和泉元エイミとして、私がやり遂げなければならない大事な"仕事"。

 

 

「遠慮しないで、部長。こうなることを加味して、予め勉強しておいたから」

 

「べ、()()!? な、何の()()ですかっ!?!?」

 

「……? 何って、身体の洗い方だけど? 入浴補助のマニュアルとBDを見て練習しておいたの。だから安心して。安全に、正しい手順で部長の身体を清潔に保ってあげるから」

 

「……あっ。そ、そうですよね。そっちの意味ですよね。……はぁ、びっくりしました」

 

「……むしろ、部長はどういう意味だと思ったの?」

 

「い、いえっ!? そ、それは勿論、エイミと同じ意味ですよ? ……へ、変な事なんて考えてませんからっ」

 

 

 入浴補助に変な意味なんてあるのだろうか? それとも、私が知らないだけで、"洗う行為"にもっと別の意味があったり?

 私には知らない世界が沢山あるらしい。部長のこの慌てようを見るに、もしかしたら"変な意味"があるのかもしれない。

 さっきは部長のことを初心だなんて思ってしまったけど、私も知識的には大差がないようなものだ。

 

 それでも。私が彼のことを少しでも労ってあげたいと思う気持ちは、本物。

 他の人より病弱で、身体に不自由を抱えている(ヒマリ)のことを、少しでも手伝ってあげたいと思うことは、果たしていけないことなのだろうか?

 

 もしも部長が"嫌だ"って言うなら、私も大人しく引き下がるけど……。

 少しでも"嬉しい"って感じてくれるのなら……。私は部長の頼みなら、どんなことだって聞いてあげたいし、どんなことだってしてあげたい。

 

 ……それこそ、エッチなことだって。彼が望むのなら、全然構わない。

 

 

「汗をかいたまま寝たら、風邪引いちゃうよ。それに、これから大事な作戦があるんだから、なおさら体調には気を遣わないと」

 

「そ、そうかもしれませんが……。で、でも。流石に恥ずかしさが勝ってしまって……」

 

「部長。……もし本当に嫌なんだったら、嫌って言って。そしたら私も大人しく引き下がるから。……でも、もし部長が少しでも私のことを頼りに思ってくれてるなら。……私に任せて? 大丈夫。変なことしないって誓うから」

 

「うぅ……。え、エイミ。その聞き方はズルいですよぉ……」

 

 

 頬を真っ赤に染めた部長が、恥ずかしそうに俯き、こちらの様子をチラチラと窺っている。

 こんな美辞麗句を並べておいて何だが、私にも下心が無いかと聞かれるとそれは嘘になる。

 

 私だって恋人の素肌を見たい気持ちはある。性欲だって人並みにある。

 でも、それを(ヒマリ)に押し付けたりはしない。それは彼を傷つけることと変わらないから。

 だから、私は部長の言葉をじっと待つ。

 

 やがて、小さく部長が声を上げた。

 

 

「……では、その……お願いします、エイミ。えっと、や、優しくお願いしますね……?」

 

「―――うん。分かった。優しく洗う(する)よ」

 

 

 ぷしゅう、と煙突から煙が出るように頭から湯気を立てて、部長は小さな声と共に頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

「今更だけど、部長って」

 

 

 浴室前で、部長の上着を畳みながらふと思った。

 

 

「下着も女の子用のだよね? セーフハウスで洗濯してた時、男物のは一つもなかったし」

 

「そ、そうですね。何処から性別がバレるか分かりませんから、その辺りは徹底していました」

 

「ふーん……」

 

 

 パサリ、と上のインナーが車椅子の端に掛けられる。

 ……流石に私に脱がされるのは恥ずかしさが上回ったのか、脱ぐのは自分でやると言い出した。

 渋々ながらそれを了承し、今は彼が脱衣しているのを尻目に、後ろを向いて、部長の衣服を畳みながら待っている状態。

 

 

「ブラも着けてるよね、部長。あれも性別を隠すため?」

 

「ええと、その、あれは……。……着けてないと、その……擦れて痛くなってしまうので……」

 

「……あぁ、そっか。男の人もそうなんだね」

 

 

 初めて知った。女の人がブラを着ける理由は、私も女だから分かるけど。

 男の人もそうなんだ。でもその割には世の中の男性はそういうのを着用しているという話は聞いたことがない。一体どういうことなのだろう。

 

 

「いえ、多分普通の男性は必要なくて……。恐らく私だけなんだと思います」

 

「ふーん。……部長も色々大変だね」

 

 

 そういう特異体質に悩むのは、私も同じだから良く理解できる。

 他の人と違うというのは、多かれ少なかれ悩みを抱いてしまうものだ。

 種類は違えど、お互い体質に悩む身。

 知らないところで、私達もどこか似通った部分があるのかもしれない。

 

 

「えっと、その。ぬ、脱ぎ終わりました。……流石に下はタオルで隠させて貰いましたが」

 

「うん。それでいいよ。じゃあ部長。抱えるから、じっとしててね」

 

「は、はい……」

 

 

 ほとんど裸同然の部長を抱きかかえ、シャワールームへと運ぶ。

 ……相変わらず軽い。きっと40kgあるかないかだろう。

 男性はおろか、女性としても軽すぎる。

 きっとそれは部長の身体の事情が関係していて……。

 どうしても身体の弱さというもの意識せざるを得ない。

 万が一にも傷つけないよう、丁寧に、大事に、バスチェアに座らせる。

 

 

「じゃあ部長。お湯出すから、ちょっと待っててね」

 

 

 温度調節のモニターの数値を見て、問題がないことを確認する。

 熱すぎたり、冷たすぎたりしてはいけない。

 部長の身体は、この世のどんなものよりも大切に扱わなくてはいけない。

 重要文化財に触れるように、繊細かつ、優しく。

 

 

「お湯の温度、これくらいで大丈夫?」

 

「……えぇ、大丈夫です。ありがとうございます、エイミ。……なんだかとっても優しくされてますね、私」

 

「うん。部長の身体に万が一のことがあるといけないから。じゃあ、流すね」

 

 

 そして、温かなお湯を部長の背中に向けてかけ流していく。

 肩から滴る水が、床にやわらかく跳ねる音。温かなお湯から溢れる湯気。

 最初は緊張して硬直していた部長の身体が、ゆっくりとほぐれていくのが分かった。

 

 

「……ふぅ。シャワーとはいえ、やはり温かいお湯は良いものですね」

 

「部長、お風呂大好きだもんね」

 

「はい。……何というか、心と身体のメンテナンスをしているみたいで、とても心地良いんです。その時だけは"全知"としての務めを忘れていられるような気がして……。今のは、誰にも言ってはいけませんよ?」

 

「うん。分かってるよ、部長」

 

 

 身体が暖まったであろうタイミングを見計らって、次に髪を洗う準備をする。

 

 

「部長。髪を洗うから、目を閉じててね」

 

「はい。分かりました……っ」

 

 

 そして、ぎゅーっと目を閉じる部長。

 万が一にも水が目の中に入ってほしくないのだろう。その様子からは決死さが伝わってきた。

 なんだろう、目を閉じてとは言ったものの、ここまで必死に目を閉じるとは思っていなくて。

 

 

(部長、子供っぽくて可愛い)

 

 

 口には出さないが、そう思った。

 もしかして、普段一人で入浴しているときも、シャンプーをするときはこうしてぎゅっと目を閉じているのかな、なんて考えると。

 ……無性に愛しく感じてしまう。部長のあどけない子供っぽさが垣間見えて、保護欲と愛情がごちゃ混ぜになった感情が込み上げてくる。

 

 しかし、今そういった感情を出してはいけない。これはあくまで"入浴補助"なのだから。

 

 

 まずは髪を手に取って軽く水を通す。

 しっとりと湯を含んだ白銀の髪は、するりと指の間を滑り落ちた。

 

 ――まるで、絹糸の束みたい。

 そんな言葉が自然に浮かんでしまうほど、彼の髪は男性のものとは思えないほど美しかった。

 

 シャンプーを掌に落とし、泡立てながら指先で髪に触れる。

 地肌に傷をつけないよう、力加減には細心の注意を払って、頭皮を丁寧に揉みほぐす。

 

 

「大丈夫? 痛くない?」

 

「えぇ、大丈夫ですよ。……むしろマッサージされているようで心地良いです。……エイミ、上手なのですね」

 

「そっか、良かった」

 

 

 泡がふわふわと広がっていくたび、髪に指を通すたび、

 彼の香りと体温が、湯気の中で混ざり合い、ゆっくりと空間を満たしていく。

 

 ふと、目の前で揺れる髪の束に頬が触れた。

 

 

(……本当に、女の子みたい)

 

 

 触れる髪も、視界に映る肌も、ほっそりとした腰つきも。何もかもが"女性らしさ"を象徴しているように思える。

 だというのに、彼はしっかりと男性で。それを認識する度に、私の脳はバグりそうになる。

 

 こんなに綺麗なのに、女の子じゃないなんて。きっと世の中の大多数の女性は、彼の美しさには及ばないのだと考えると……。神様も中々に残酷なことをするなと思う。

 

 

「じゃあ、流すね、部長」

 

 

 こくり、と無言で頷く部長。もしかして口の中に泡が入るのが嫌で喋りたくないのかな、なんて考えたら。……ますます可愛く見えて来てしまって、止まらなくなってしまう。

 

 お湯を掛けて、丁寧に泡を洗い流していく。長い髪からシャンプーの泡が流れ落ちていき……。やがて艷やかな絹糸のような髪が露わになった。

 

 次はリンスを手に取り、髪の毛に浸透させていく。

 ちなみに私は使ったことがない。でも、どうやって使えばいいのかは学んでいた。

 

 シャンプーとは違い、洗うのではない。髪の毛を挟み込むようにして"通していく"イメージ。

 何度かそれを繰り返し、満遍なく行き渡ったのを確認したら、一度手に取ったリンスをお湯で洗い流した。

 

 

「髪はしばらくこのままね。浸透させるのに数分はかかるみたいだから」

 

「はい。そうですね。……というか、エイミ。詳しいですね?」

 

「うん。勉強してきたから」

 

「そうなんですか? ……その割に、エイミがこういった類のものを使っているのを見たことがないのですが……」

 

「まぁ、私は……。全身ザーッってすればいいかなって」

 

「……勿体ないですよ、エイミ。今度、エイミに合うものを買いに行きましょう? 私が選んであげますから……」

 

「うん。分かった。部長に任せる」

 

 

 でも、私に合うものよりも……できれば部長と同じモノがいいな。

 だって、部長と同じ香りがするのって……それって、部長と一つになったみたいで、すごくドキドキする。

 離れていても部長の香りに包まれる事ができるのなら……。それは大いに"有り"だ。

 今度、部長が使ってる銘柄と同じものをこっそり買ってきてみよう。

 

 

「……それじゃあ、部長。身体洗うね」

 

「……は、はい。お願いします……」

 

 

  シャワーの音が途切れ、湯気がこもったバスルームに、静けさが戻る。

  部長はスツールに腰を下ろし、こちらに背を向けたまま、黙って私を待っていた。

  ただ、その小さな肩がわずかに揺れていたのは、緊張か、それとも――。

 

  私は湯に湿らせたスポンジを泡立て、そっと彼の背中に置く。

  その瞬間、部長がわずかに息を呑んだのが聞こえた。

 

 

「……んっ……!」

 

「ごめん、くすぐったかった?」

 

「い、いえ……っ! だ、大丈夫です……!」

 

 

 もじもじと、所在なさげに手を膝の上に置き、カチコチに硬直していた。

 目の前にある肌は、シャワーを浴びたばかりだというのに、どこかひんやりとしていて……。

 柔らかな輪郭が、透き通った肌が、私の目に焼き付いた。

 

 その瞬間、考えないようにしていた私の"熱"が再び込み上げてくるのを感じる。

 

 

(―――っ! ここで、これは不味い。……我慢しなきゃ、私)

 

 

 泡がなぞるように背筋を流れていく。

 骨のきわ、僅かに存在する筋肉のくぼみ、肩甲骨の奥――。

 何より……ヒマリを象徴する、ほっそりとした骨格。

 薄っすらと肋骨の線が浮かび、少しだけ不健康そうに感じてしまうほどの、儚くて、繊細な(ヒマリ)の身体。

 ひとつひとつを確かめるように洗っていると、次第に彼の呼吸が深くなっていった。

 

 

……んっ! ……あうぅ……

 

「……部長、大丈夫?」

 

「は、はい。……だ、大丈夫、です……

 

 

 はぁはぁと息が荒くなっていくのが分かる。

 でもそれは部長のものだけではなく……私も同じだった。

 

 でも、これも仕方ないことだと思う。

 だって、好きな人で、異性の身体なんだから。さっきはあんなに講釈を垂れてしまったけれど、結局は私も"異性の恋人"の身体を見て息を荒げ、興奮してしまう程度には正常だということだ。

 

 背中、胴体、腕、満遍なく柔らかなスポンジで優しく擦っていく。

 決して傷つけないように、それでいて、きちんと洗えるように、丁寧に、何度も。

 

 その度に部長が『んっ』だとか『あぅ』だとか、あられもない声を上げるものだから。

 ……私も押さえつけるべき情欲(リビドー)が高まっていくのを隠せない。

 

 

(部長、可愛い……。私だけのものにしたい)

 

 

 だって、こんなに綺麗で愛くるしくて、この世のものとは思えないほど美しくて繊細な生き物が目の前で、無防備に、その肢体を晒しているのだから。

 我慢するな、っていう方が無理だと思う。

 

 それを鋼の精神力で御し、平静を装い続ける。

 

 

「……部長、次は、足を洗うね。……いいよね?」

 

「……は、はいぃ……」

 

 

 膝をつき、彼の足元にそっと手を伸ばす。

 濡れた床のひんやりとした感触が肌に伝わる。けれど、その冷たさよりも、掌の中にある細い足のほうが、よほど儚かった。

 

 くるぶしのあたりは骨ばっていて、筋肉の主張はほとんどない。

 ほっそりとしている部長の中でも、最も繊細で……大切にしなくてはならない部位。

 きっと部長の"ここ"に触れられるのは……全世界で、たった一人。私だけ。

 

 きっと会長にすら許さないだろう。誰にも触れられたことがないと、言っていたから。

 それほどにまで、ここは触れられざる領域(アンタッチャブル)で、彼の最も神聖な部位。

 いま、この足は静かにしている。まるで深く眠っているみたいに。

 

 

 たっぷりと泡立てたタオルを、一度水で軽く絞り、彼の足の甲に当てる。

 驚かせないように、手のひらで温度をなじませてから、そっと撫でるように滑らせた。

 

 

「んっ……!」

 

 

 部長の嬌声混じりの声が、小さく室内に響き渡る。

 皮膚は薄く、洗うというより包むような感覚に近かった。

 足首から踵へと沿わせたタオルが、ほんのわずかに泡立ちを変えたところで、指の間へと指先を移す。

 

 ひとつずつ、指のあいだに指を入れる。スポンジは使わない。

 決して力を入れず、ただ丁寧に、すべての感触を確かめるように。

 

 ――ここで何を感じてるんだろう、彼は。

 

 

「あぅっ……。 あ、あの、エイミっ? ……な、なんだか手つきが、その、ちょっといやらしいような気がするのですが……っ」

 

「そう? ……きっと気の所為だよ。ここは丁寧に洗わないといけないから」

 

 

 足の指の間は汚れが溜まりやすい。尤も、部長の場合はすごく綺麗みたいだけど。

 もう一度ボディーソープを手に取り、泡立て、足の指と指の間を撫でるように、丁寧になぞって行く。

 ゴシゴシと音を立てて擦ってはいけない。あくまで優しく、労るように。

 にゅぽにゅぽ、と。聞く人が聞けば勘違いさせてしまいそうな水と泡の混じった音が、狭いシャワールームの室内に反響する。

 でも、それで手を止めることはない。これは必要な行為。決して"叡智(えっち)な目的"でやっている訳ではないのだから。

 

 

「エイミぃ……! そ、そこは、駄目ですっ! び、敏感なので……!」

 

「駄目だよ、部長。ちゃんと洗わなきゃ。……ほら、反対側の足、洗うよ」

 

 

 びくびく、と。部長の身体が跳ねる。既に顔は紅潮しきって、両手で顔を隠そうとしている。

 なんとか逃れようと、藻掻いているようだが……。そこは車椅子の上ではなく、心もとないバスチェアの上。身動(みじろ)ぎしても、逃れる場所はない。

 

 するりと足の裏に手を当て、優しく擦っていく。ここだって、とても大事な場所。

 歩くことの出来ない部長のそれは、とても柔らかくて……。まるで赤ちゃんみたいに、ふにふにと柔らかい感触を保っていた。

 

 

「……部長、くすぐったい?」

 

「ど、どうでしょう……? さ、先程よりは大丈夫な気がしますが」

 

「そっか。……部長は"ここ"が弱いんだね?」

 

「え、エイミ……? ま、待って下さい。そこは――― ひゃうんっ!?

 

 

 やっぱり、そうみたい。部長は足の指と指の間がすごく弱い。

 きっと敏感な部位なんだろう。触れるだけで意思とは無関係に反応してしまう程に。

 

 再び丁寧に、1本ずつ。指と指の間を指先でなぞる。

 上になぞる度に『んんっ』と反応し、下に戻す度に深い吐息を漏らす。

 まるで、ここが部長の"本体"みたい。触れると反応する玩具のよう。

 

 上に、下に。上に、下に。隣の指に私の指を這わせて、再び上下に、上下に。

 なんだか楽しくなってきた。本当はいけないことなんだろうけど、部長の反応を、声を、表情を見て、私も高ぶりを抑えきれなくなってしまって。

 もっと続けてたい。……この可愛い部長の姿を目に焼き付けて、私だけのものにしたい。

 

 

「え、エイミ……だめ、だめですぅ……。そ、それ以上されたら、本当に……!」

 

「―――」

 

 

 これ以上続けていたら、本当に"我慢が出来なくなる"と。本能が知らせてきたのが分かった。

 あと数秒。これを続けていたら……私は"止まれなくなる"。

 

 

(……でも、もう止まらなくていいんじゃないかな)

 

 

 私の中の悪魔がそう呼びかけてきた。

 だって、私達は恋人同士なんだから。別にいいよね?

 部長も満更嫌そうにしてない。恥ずかしそうにしているけど、さっきから顔を赤らめて、女の子みたいな嬌声を上げているのだから……きっと内心では口ほど嫌がっていないはず。

 

 

「ねぇ、部長。……もし、部長が良ければなんだけど、このまま、私と―――」

 

 

 そう、言葉に出そうとした瞬間。

 

 ブツリ! と、何かが切れるような嫌な音がした。

 何処からだろう? と周囲を見渡しても、音の原因は判明しない。

 

 しかし、自らの胸元に最近味わった感触があったのを覚え……まさか、と下を見ると。

 

 そこは、例によって血溜まりが出来ていた。

 そして、ようやく悟る。

 

 あぁ、これは、まさか、またやってしまったのか―――と。

 

 

 

 

 どくどくと、鼻から愛の形(鼻血)が零れ落ちていた。

 

 




長かったので更に分割します……。
エイミの攻勢はもう1ターン続くんじゃよ……。
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