明星ヒマリ男の娘概念   作:めのこん

49 / 50
49.調月リオと『お泊り会』(1)


 

 

 ずぶ濡れになった服を乾かす為、車にて彼の自宅へと連行された私。

 

 ヒマリに連れられて足を踏み入れたのは、まるでホテルのような高級マンションだった。

 自動ドアの向こうに広がるエントランスは、磨き上げられた大理石の床が真っ直ぐに伸び、照明は柔らかく、それでいてどこか冷たい印象を漂わせていた。

 エレベーターの内装すら、木目調と金属光沢を組み合わせた洗練された造りで、数字が点灯するたびに静かな緊張感を覚えてしまう。

 

 エレベーターで登った先。入口にカードキーをかざすと、鍵が解錠され、自動でドアが開く。

 

 

「どうぞ、リオ。遠慮せずに上がって下さい」

 

「……お邪魔するわ」

 

 

 質の良い、シックな玄関口を通り、彼の自宅へと足を踏み入れる。

 濡れた靴下で綺麗な床を汚してしまわないかと不安に感じていたが、彼は「構わずどうぞ」と告げて、室内用の車椅子に乗り換え、室内を案内してくれた。

 

 ふと気づく。室内はひんやりと冷え込んでおり、人の気配がないことに。

 全館空調と思われる設備が至る所に設置されていたが、それは今まさに稼働を始めたかのように、ウォーンという温かい風が吹き付ける音が室内に響いていた。

 

 

「ところで、ご両親は?」

 

「出張です。昨日から。まぁ、相変わらず忙しい人達ですので。こうして一人、留守番をすることは珍しくありません。一応、お昼にはハウスキーパーの方が来てくださって、何かと面倒を見ていただいているのですが、もう夜ですし、今日はもう帰りましたね」

 

「そう。貴方のことだから大丈夫だとは思うけれど……。心細くはないの?」

 

「まぁ、特には。いかんせん、私もちょっと普通からはズレた子供であるという自覚はありますので……。むしろ両親の目を気にしなくて良い分、気が楽かもしれませんね」

 

 

 どこか遠い目をして、彼はぼそりと呟く。

 私と違い、ヒマリは両親とは仲良くやっているという話を聞いていた。

 しかし、今のヒマリの言葉を聞くに、必ずしも1から10までそうだとは限らないのかもしれない。

 

 もしご両親が居たら、友人として挨拶をするつもりだったが、居ないのならば仕方ない。

 妙に肩肘を張らずに済んだと思えばいい。

 

 

「ひとまず、まずはお風呂と……それとお洗濯と、乾燥も必要ですね。今、準備しますので、少々お待ち下さいね」

 

 

 彼のあとに続き、真っ先に脱衣所へ案内される。その先には浴室の扉があった。

 慣れた手つきでバスルーム前のボタンを操作し、湯船に湯を溜めている。

 機械音声のアナウンスによると、残り数分で湯が貯まるらしい。

 

 

「はい。準備が出来ました。お湯が溜まったら、好きな入浴剤を入れて下さい。そういえば、とても良い香りの入浴剤が手に入ったんです。トリニティから取り寄せたもので、ハーブとシトラスの香りがするんですよ。血行促進、美肌効果、そしてリラックス効果も期待出来るそうです。使ってみてはいかがですか?」

 

「え? いえ、私は遠慮しておくわ。入浴と言っても、体を温める程度よ? そこまでする必要があるかしら? それに、たかが入浴剤の香り程度で、そこまで変化があるとは思えないけれど……」

 

「"たかが"? リオ……あなた、今"たかが"と言いましたか? 全くもって聴き逃がせません。いいですか、リオ。入浴というのは、言わば心と体のメンテナンスです。一日の疲れを癒やし、血流の流れを整え、健康を保ち、良い香りに包まれ心からリラックスする……。それが"真の入浴"というものです。それをあなた……香りなど関係ないなんて……言語道断です!」

 

「そ、そうなの。ごめんなさい、知らなかったわ」

 

 

 あまりの彼の剣幕に気圧されてしまう。そういえば、彼はお風呂に入るのが趣味だった。

 恐らく、並々ならぬ熱意があるのだと思う。入浴剤一つで、これほど饒舌になるとは。

 

 

「まぁ……。香りには人の好みがありますから、私から押し付けるようなことはしませんが……。私の趣味の押し付けはしたくはありませんし……。ですが、もしかしたらリオの好みの香りが見つかるかもしれませんよ? 是非手にとって、嗅いで確かめて下さい。バスルームの前の棚に並べてありますから」

 

「えぇ、あなたがそこまで言うなら……」

 

 

 お湯が貯まるまでの少しの間、私はヒマリに言われた通りに、入浴剤の瓶を手に取り、キャップを開けて、手で仰ぐようにして香りを嗅いでみる。

 

 まずは彼におすすめされた、ラベンダーの香りのもの。淡紫色の高級そうな瓶にはトリニティの校章が刻まれており、それが間違いなく最高級ブランドのものであるということが見て取れる。

 

 なるほど、確かに良い香りだ。華やぐような香りを持ちつつも、香りはキツすぎず、さりとてラベンダー特有の自己主張が失われている訳でもない。

 しかし、良い香りではあるものの、ヒマリが言うほど"素晴らしい"かと聞かれると疑問が残る。

 私がこの手のものに疎いせいもあるだろうが、いまいち琴線に触れない、というのが正直なところだった。

 

 いくつかの瓶を手に取り、香りを嗅いでいく。

 フローラル、樹木(ウッディ)、ハーブなど、一通りのものは取り揃えているようだった。

 

 そして、次の瓶を手を取る。中身はミルク系の、乳白色のものだった。

 蓋を開けた瞬間分かった。その香りには"見覚え"があったから。

 

 ミルクのような香りの中に、石鹸のようなさっぱりとした清涼感を感じる。

 甘すぎない香りは、大人っぽい上品さの中に僅かばかりの幼さを感じさせ、それが絶妙に調和し、混じり合い、まるで洗濯したての、卸して間のない清潔なタオルに顔を埋めた時のような、清潔感と包容感を感じ取れた。

 

 奥底からふわりと淡く香るのは、金木犀だろうか。

 それが少しばかりのアクセントになり、より奥深さが増している。

 それは、ずっと嗅いでいたくなるような安心感すらあった。

 

 

「これにするわ」

 

「! なるほど、リオもそれを選びましたか。……あなたにしては、中々良いセンスをしていますね。それは金木犀由来の成分を用いたバスミルクです。山海経から取り寄せたんですよ。保湿、保温効果に優れ、血行を促進する効果もあります。ちなみに、角質を柔らかくする効果もあるようですね。……まぁ、私達のような年齢には、あまり必要ないかもしれませんが」

 

「そうね。まだそれを気にするような年齢ではないでしょう」

 

「ですが、保温効果と保湿効果は折り紙付きですよ。今のあなたの状態にはぴったりではありませんか? 実に良いチョイスだと思います。効果を知っていたどうかはともかく……あなたの言う"合理性"が自然とそうさせたのでしょうね。大したものです」

 

「……お褒めに預かり、光栄ね」

 

 

 言えない。この入浴剤の香りがヒマリに近づいた時に香っていたものだと気づき、同じものを選んだに過ぎないということに。

 彼の持つ香りに反応して、なぜか心惹かれるものがあって、ついこれを選んでしまったということを。

 

 

 そもそも、入浴剤程度の濃度の健康成分では、各種症状の治療には向かない。

 プラシーボ効果に等しいような、効果の乏しいものであるとは理解しているけれど。

 

 しかし、他の高級そうな入浴剤のどれよりも、私はこれが良いと、直感で理解してしまった。

 これを使えば彼と同じ香りが、私の全身を余す所なく包みこんでくれるということ。

 

 得も知れぬ、ぞくぞくとした感覚が背中を撫でた。

 喜びとも、快楽とも、不安ともつかないような、痺れるような感覚が、神経の隅々から脳へ目掛けて行き渡っていく。

 

 これが私の中から発されたものだということに、少しだけ驚いてしまって。

 同時に不思議に思った。このぞくぞくとした感覚の正体を。

 しかし、それを探る前に、機械のアナウンスが室内に木霊する。

 

 

『お風呂が沸きました。お風呂が沸きました』

 

 

 機械音声がその言葉を幾度か繰り返す。

 「さっさと風呂に入れ」と、言外にそう告げているように思えた。

 

 

「お風呂の準備が出来ましたね。私は自室に戻っていますから、上がり次第、私の部屋に来て下さい。あなたが着替えたら、洗濯の為にあなたの服を一度回収に伺います。……ちなみに、覗いたりはしませんので、安心して下さいね」

 

「貴方はそのようなことはしないでしょう。初めから心配はしていないわ」

 

「信頼して下さって何よりです。では、私はひとまずこれで。上がったら、浴室内にお湯を抜くボタンがありますので、そちらを押して下さい。自動的に浴槽内の洗浄が始まりますので」

 

「えぇ、分かったわ」

 

 

 ヒマリは車椅子をくるりと回転させ、部屋を後にした。

 

 

 彼が脱衣所を立ち去ってから、服を脱ぎ、洗濯かごの中に入れる。

 生まれたままの姿で浴室の扉をくぐった。

 

 


 

 

 

 バスルームはそれはもう豪勢なものだった。

 高級ホテルのような瀟洒で品のある内装。一般家庭のものとは似ても似つかない、高額そうな調度品の数々。

 

 流石というべきか、バリアフリーが完全に行き届いていた。

 子供の彼でも安全に入浴出来るように、細心の注意が為されている。

 

 湯に浸かりながら、手すりにそっと手を添える。

 きっと、彼が入浴する時も、これに手を添えているのだろう。

 

 それを考えてしまった瞬間、私はどうしてか"いけないこと"をしているような気分になって。

 急いで手を離す。ぶんぶんと頭を振って、余計な考えを吹き飛ばそうとした。

 

 私は湯船から湯を掬い取り、パシャパシャと音を立てて顔を洗う。

 そうすることで、思考をリセット出来ると思ったから。

 

 

 幾ばくかの時間が流れる。こうして何もせずに、ただじっと湯に浸かるのはいつぶりだろう。

 無駄な時間が生じないように、常日頃のスケジュールを組んでいる私にとって、入浴とは"必要によって行われる行為"でしかなかった。

 身だしなみと、衛生管理の為に機械的に行われる行為。

 そこに心地よさは必ずしも必要ではなく、無駄な長時間の入浴を避ける為、あえて少し熱めの湯に浸かることすらあった。

 

 しかし、今だけは違う。しっかりと足を伸ばして浸かる事の出来る浴槽は、先程までの全力疾走で酷使した肉体を、芯からじんわりと温め、ゆっくりと筋肉をほぐしてくれているように感じる。

 このような時間のゆとりを考えることが出来るのは、彼が私を此処に連れてきてくれたからに、他ならない。

 

 

 今日はイレギュラーにイレギュラーが重なったような日だった。

 百合園セイアに出会い、予知夢とやらを聞き、それで不安を感じた私は、脇目も振らずにヒマリの元へ向かって行って。

 

 我ながら理由(わけ)のわからない行為をしているな、という自覚はある。

 常識的に考えれば、私がこうして彼の元へ押しかけたからといって、何かが変わるとは到底思えない。

 

 けれど、あの時は動かざるを得なかった。

 合理的に考えれば、その必要はないと分かっているのに、それでも私の思考は彼の無事を求め、体はそれに応じ、ついには降りしきる雨の中を傘も差さずに走り続けるという暴挙に至った。

 

 あまりにも非合理的な行動。

 当人ですらその自覚があるのだ。ヒマリが私を訝しく思うのも無理はない。

 

 

「……これからどうしようかしら」

 

 

 とは言え、もう彼の家に来てしまったという事実は変えようがない。

 ひとまず、風呂から上がり次第、両親に連絡をしなくては。

 ここから自宅までは一駅以上跨がなければならない。帰りはきっと遅くなるはず。

 

 

 十分に暖まったと判断した私は、浴槽から上がり、浴室を後にする。

 あの湯の暖かさは、風邪を引くかもしれないという杞憂を吹き飛してくれた。

 快適かつ心地の良い入浴体験だったと、そう思う。

 

 

 脱衣所には濡れて萎んでいた私の服の代わりに、どこか見覚えのある服が丁寧に畳まれ、テーブルの上に置かれていた。

 黒を基調とした長袖のシャツ。膝丈のスカートにはフリルと刺繍が充てがわれており、裾口がふわりと広がるそれは、私がついぞ着ることの無かった、かつての私の服だった。

 

 ひとまずこれを着ろと言うことだろう。彼の服を借りようにも、サイズが違いすぎる。

 私のお下がりであれば着られるだろうという、彼の配慮のようにも思えた。

 

 私はそれに袖を通し、サイズに問題がない事を確認してから、脱衣所を出る。

 

 

 廊下を歩く。他人の家を勝手に歩き回るのは、流石に憚られる。

 さて、どうしたものかと思っていた矢先。

 廊下に面した扉のうち、一つだけが雰囲気が異なる事に気づく。

 

 白い扉には手書きの文字で『ヒマリ』と書かれている。

 どこか丸っぽくも、丁寧なその字体。

 私の記憶上の彼の字と合致し、ここがヒマリの私室なのだと気づく。

 

 コンコン、と。軽くノックをする。

 『どうぞ』と、彼の声が扉越しに聞こえてきて、私は扉を開ける。

 

 

 辿り着いた友人の私室。

 ドアを閉めてしまえば、そこには「人の部屋」としての温度がある。

 整然と並んだ本棚や机の上の小物、壁に貼られたポスター、ベッドに置かれたクッション。

 

 あまりに豪奢だった共用空間の印象と比べると、ここは確かに「友人(ヒマリ)の居場所」なのだと、安堵にも似た実感が胸を満たしていく。

 

 何より、此処には私の良く知った……(ヒマリ)の"香り"があった。

 それが鼻腔を通り、脳の嗅覚野へと届くと、自分でも理解の及ばない"安心感"が立ち込める。

 

 生まれて初めて、他人の家にお邪魔している。

 その実感が今更ながらに湧いてくる。僅かばかりの緊張感を感じる。

 とはいえ、これ以上黙っていても礼に反すると思い、口を開く。

 

 

「お風呂、頂いたわ。……ありがとう、ヒマリ。借りができたわね」

 

「いえ、気にしないで下さい。ちゃんと体は暖まりましたか?」

 

「えぇ、お陰様で」

 

「なら良かったです。今日は少し冷えるみたいですから、寒かったら言って下さいね。エアコンの温度を上げますので」

 

「このくらいで十分よ。……むしろ、あなたの場合、室温を上げすぎるきらいがあるから、そちらの方が心配になるくらいね」

 

「そうでしょうか? ……まぁ、寒がりなのは否定しませんが。これからの季節は、もこもこの靴下が手放せないんですよね。身体の末端から冷えていきますから、しっかりと対策しないと。私の灰色の脳細胞が凍りついてしまいます」

 

 

 いつの間にか、彼も外出用の服ではなく、部屋着に着替えていた。

 やや薄手の白いワンピースが、ふわりと彼の身体の輪郭を捉えている。

 その上にもこもことしたアウターを羽織っており、全体的にゆったりとした、それでいて少女らしい清楚さを併せ持っている。

 

 この服は私のお下がりではない。きっと、彼が自ら選んで購入したものだろうと推察出来た。

 それにしても、相変わらず良く似合っていると思う。

 もはや男性の面影など何処にもない。外見で判断すれば完全に"女の子"だった。

 

 

 私が彼の姿をジロジロと見据えていたのに気づいたのだろう。

 ヒマリは私の様子を見て、なぜか少し悔しそうな顔を浮かべていた。

 

 

「……(まこと)に業腹ではありますが、その色に関しては、やはりあなたの方が似合いますね」

 

「……? 何のことかしら?」

 

「その服の事です。残念ながら、私には黒色というのはどうも合わないようで……。色々とコーディネートを試してみたのですが、姿見を見ると、どうしても"着られている"ように思えてしまうんです。その点、リオの場合はそのような事は一切ありませんね。悔しいですが、私より似合っています」

 

「そう。……ファッションについては、私には良く分からないけれど。貴方が言うならそうなのでしょうね」

 

「もう少しファッション等にも興味を持っても良いのですよ? あなたから譲ってもらった服は、どれも良いものなのですから、勿体ないです。……あなたのお母様は素晴らしいセンスを持っているというのに、なぜリオにはそのセンスが伝わらなかったのでしょう。不思議で仕方ありません」

 

「衣服には最低限の機能性があれば、私は何でも構わないわ。むしろ、このように装飾が付いた服は、私の好みではないわね」

 

「でしょうね。リオならばそう言うだろうと思っていました。……これについては、私達は永遠に分かり合えそうにはありませんね」

 

 

 やれやれと。わざとらしく肩を竦め、彼は話題を転換した。

 

 

「濡れたあなたの服はお洗濯中です。乾燥コースなので、小一時間で乾くと思いますよ。それまではそれで我慢して下さい」

 

「えぇ、問題ないわ。……でも、ここまでしてくれなくても良かったのよ? わざわざ私を貴方の家に連れてこなくても」

 

「いえ、あのままあなたを放置して帰るというのは、流石の私でも憚られます。自分がどんな状態だったか、自覚が無いようですね。まるで雨の中捨てられた子犬のような様相だったのですよ? しかも、こんな冬も間近という季節に……。私がどれだけ心配したか、あなたには分からないでしょうけれど。言いたいことは色々とありますが……。今は、それをぐっと我慢しておきますね」

 

「……悪かったわね、心配させてしまって」

 

「えぇ、全く本当に。一瞬、肝が冷えましたよ。まさか何かの事件にでも巻き込まれたのかと思いましたから。……それで、あのような事をした理由、勿論話して頂けますよね?」

 

 

 ヒマリは珍しく、背後から"ゴゴゴゴ"という効果音が鳴り響きそうな程の圧を発する。

 それに気圧される訳ではないが、居心地の悪さは感じざるを得ない。

 

 さて、どうやって説明したものか。百合園セイアから聞いた内容は、多岐に渡る。

 まさか"予知夢"、"破滅の未来"、"夢に現れたヒマリ" などという与太話を正直に話す訳にはいかない。

 言えば正気を疑われること間違いなしだ。『頭がおかしくなってしまったのですか?』と、彼が心底心配そうな表情(かお)を浮かべるのが、容易に想像がついた。

 

 

 そもそも、未来予知の結果、『あなたは死にます』などという事を言われて、気分を害さない人は居るだろうか? それも、"予知夢"などという眉唾なものが根拠(ソース)で。

 私なら不快に思うし、いくら気兼ねない友人同士であっても、そのような事を言うのは"信頼"に関わると、私はそう思う。

 

 その時点で、この件を彼に伝える事そのものに、強い抵抗感を感じてしまう。

 何より、私自身が百合園セイアの話を信じきれていない。

 仮にそこに真実が含まれていたとしても、全てを信じるには足りないものが多すぎる。

 

 

 私は常日頃から言い続けている。 占いも、超自然(オカルト)も、"未来予知"も。

 それらは全て統計学により説明のつくことで、ある種の"認知バイアス"に過ぎないということ。

 ありふれた超常現象も、占いの的中も、予言の成就も、"偶然"が積み重なった結果であると。

 

 科学的根拠に乏しい"予言"より、これまで生きてきた中で得た"知識と経験"を優先する。

 それは人として当然の事であり、全く以て合理的な判断であると、間違いなくそう断言出来る。

 普段であれば、そう切って捨てることが出来た筈だった。

 

 

 しかし、先程の百合園セイアとの会話を思い出す。

 冗談事で済ませるには、あまりにヘビーなその訴え。

 彼女の言葉には、"世迷言を"と切って捨てるには、真実味がありすぎるように思える。

 

 会ったことのない相手の声を聞き、その口調や特徴を再現出来る。

 もしイカサマでないのだとしたら、確かに"特異な現象"と呼称出来るかもしれない。

 仮に、"夢の中でヒマリに会った"という彼女の言葉が本当に事実なのだとしたら、彼女の"予知夢"にも僅かばかりの信憑性が生じる。

 

 故に、私は慎重にならざるを得ない。

 『ヒマリの光輪(ヘイロー)が壊れる』という予知夢の内容について。

 

 仮にヒマリの身に危険が及ぶのだとしたら、それは"未然に対処"しなければならない事項(タスク)であることに間違いはない。

 それについては、私は一切の妥協をするつもりはなかった。

 私が考慮するべきなのは"予知"が本物であるかを確認し、もし本当だとしたらソレを未然に防ぐという、その一点のみ。

 

 もし、百合園セイアの"予言"が全くのデタラメで、手の込んだ悪趣味な悪戯だったのならば、それでいい。

 不快に思うのは私だけで済むし、ただでさえ病弱な彼に余計な心理的負担を負わせずに済む。

 

 瞬時の思考。この場で"最善"だと思われる答えを探す。

 いくつもの情報の欠片(ピース)。それらを加味した結果、私はある一つの"選択"を下す。

 

 

「……ヒマリ、しばらく学校に来ていなかったでしょう? ここ一週間ほど、あの施設に通っていると聞いたから、心配になったのよ」

 

「それで雨の中、傘も差さずにあの場所まで走ってきたと? ……リオ、自分で言っていておかしいとは思わないのですか? 嘘をつくにしても、もう少し説得力を持たせて下さい。あまりにも稚拙に過ぎます」

 

「本当の事よ。事実、あなたが学校を病院以外の理由で、一週間"連続"で休むことは、これまでの経験上、一度も無かったわ。これは特筆すべき注意事項として、私があなたを注視するに足る理由になるのではなくて?」

 

「そうですか? 確かに、私が学校をお休みする事は多々ありましたけれど、今までだって、休みが長引いてしまったことは幾度もあったでしょう? まさか、その度にあなたは私がどのような理由で休んだか、都度把握しているとでも?」

 

「えぇ、覚えているわ。あなたが最後に長期の休みを取ったのは3か月と11日前。夏風邪に掛かり熱が37.8℃にまで上昇し、悪寒と咳を併発した時のことね。学校を4時限目で早退した後、そのまま6日間休んだわ。その時のモモトークも保存してある。内容は『すみません、風邪を引いてしまいました……。例の設計図の修正案だけ画像で送っておきますので、後でご確認をお願いします』、よ」

 

「そ、そうでしたか……? ……私自身、覚えてないのに……なんで覚えてるんですか、この(リオ)は……。い、いえ、何でもありません」

 

 

 小さく零した声は、私の耳に届く事はなく。

 彼はなぜか、どこか引いたような目で私を見ていた。

 

 

「こほん。それで……仮にその話が本当だったとして。何か私に用があったのでは? 学校を休むことについては、事前に連絡していましたし、何より電話だけで済む案件の筈です。にも関わらず、あなたは直接、私に会いに来たのです。相応の理由があるのではと、そう思うのですが」

 

「……その前に、一つ聞かせて頂戴。なぜ貴方は急に一週間も休んでまで、あの施設に通っていたのかしら。前は多くても週一、少ない時は月一程度の頻度だったと思うのだけれど」

 

「それは……。少々、思うところがありまして。両親と相談して、頻度を増やして頂いたんです」

 

 

 そう零す彼の口調は、どこか歯切れが悪いような印象を受けた。

 

 そもそも、彼の足の不自由について、私はほとんど何も知らないに等しい。

 知っていることと言えば、生まれつき歩くことが難しく、それ故に車椅子での移動を強いられているという点のみ。

 

 具体的な病状や症状は把握していない。それをずけずけと聞くのは失礼にあたる。

 

 

「そう。歩けるようになる為に努力を重ねるのは良いことだと思うけど。流石に一週間、毎日というのはハードワークが過ぎるのではなくて?」

 

「まぁ……それは……。否定出来ませんけれど……。事実、少しばかり肉体的な疲労を感じています。あまり身体を動かさないものですから、立って歩く為の補助として手すりを掴むのですが……腕が少々筋肉痛です。ちょっと根を詰めすぎたかもしれませんね」

 

「……そんな状態になってまで、あなたの親と、それに施設の人は何も言わないのかしら?」

 

「言われましたよ。"ゆっくりでいいですよ"と。……ですが、それに甘えていられる段階は、もう過ぎつつあるのではないかと。そう思えてしまって。……せっかくなのでお教えしますね。こちらの資料を見て頂けますか?」

 

 

 ヒマリは端末を立ち上げ、グラフの描かれたページをこちらへ見せてくる。

 そこには年齢ごとの成長曲線に対する、歩行訓練の効果、及びその後の推移についてが書かれていた。

 

 

「統計によるものですが、先天性の歩行困難については、幼少期の方が遥かに可塑性が高いんです。それも当然です。大人になればなるほど、体重は増え、神経の成熟も進んでいきますから。年齢を重ねるごとに、自力での歩行の難易度は跳ね上がっていきます」

 

「そうでしょうね。……加えて、筋肉の付き方にも影響があるでしょう。このグラフによると、分水嶺は中学生まで……と見ることが出来るわね」

 

「えぇ、お察しの通りです。成長するに連れて、どんどん自力での歩行が難しくなっていくのです。であれば、身体が出来上がっていない幼少期のうちに、歩行の仕方を学び、訓練し、少しでも歩けるよう努力しておいた方が良いと、そうお医者様にも勧められましたので。それに従うことになった次第です」

 

 

 そう言う彼の口調は、どこか他人事のようによそよそしく、ともすれば彼自身があまり興味を抱いていないかのような、平坦な物言いだった。

 僅かばかりの違和感を抱いた私の表情に気づいたのだろうか。彼は付け加える。

 

 

「……正直なことを言いますね。私は別に歩けなくても良いと、そう思っていたんです。車椅子(これ)があれば何処へでも行けますし、今の時代ならこの身体を理由に進学の道が閉ざされることもありません。勿論、身体を動かす必要のある体育学校などは難しいでしょうが、元々、身体を動かすことが好きな性格でもありませんし、さして問題はありません。強いていうなら高いところの物を取る時が不便なくらいで、あなたが思っているほど、この足に不満は抱いていないのですよ」

 

 

 そう言って、彼は自らの足を撫でる。

 ワンピースの上からなぞられたそれは、ここからでも見て分かる程に細く、筋肉らしい筋肉が一切ついていない、彼の病弱さを象徴するように、ただそこに存在した。

 

 

「"思っていた"ということは、今は違うと、そう認識して良いのかしら?」

 

「はい、そうなりますね」

 

「理由については……先程の"思うところ"とやらに関係しているようね。……きっと、私には言いたくないことなのでしょう?」

 

「お察しの通りです。私の個人的な事情によるものなので、あまり口にしたくなくて。とはいえ、そこまで深刻なものでもありません。ですので、そんなに心配そうな顔をしないで下さい。なんだかこっちまで辛気臭くなってしまうではありませんか」

 

「……そんな顔をしていたかしら?」

 

「えぇ、していました」

 

 

 自覚は無かったが、そんな表情を浮かべていたらしい。

 私はふぅ、と小さく溜息を吐き、気持ちをリセットする。

 

 

「ひとまず、貴方が"施設"に通う理由は分かったわ。……つまり、今後も今週程ではないにせよ、それなりの頻度で訓練(トレーニング)を続けると、そう解釈して構わないわね?」

 

「はい、そうなります。それにしても、相変わらず話が早くて助かりますね。二の句を告げずとも、私の言いたいことを察してくれるのは、良くも悪くもあなただけですよ。両親相手ですら、こうはいかないのですから。……本当に、あなたとの会話は楽で助かります。気を遣う必要がありませんし、何より私を"理解"出来るのは、きっと、リオ。あなたくらいのものでしょう」

 

 

 そう言って、ヒマリはどこか遠くを見つめるような表情を浮かべて。

 その様子がどこか自分と重なり合う。他者との会話やコミュニケーションに齟齬が生じ、相手に理解してもらえない、逆に理解が出来ないという経験は、私も痛いくらい知っていた。

 

 もしかしたら、態度に出さないだけで、(ヒマリ)もそうだったのかもしれない。

 周囲との埋めがたい"(ギャップ)"を感じ、やがて理解することを諦め、達観したかのように振る舞う。

 

 それは私が歩んできた短いながらの"歴史"そのもので、私の生い立ちの半分以上を占める"諦観"に似た、抱え込み続けなくてはならない"重り"。

 形は違えど、彼もまた同じ"重り"を背負っていたのだろうか。

 

 もし、そうなのだとしたら。

 私達は"似た者同士"ということになる。

 

 同じ悩みを抱え、生きづらさを感じ、それでも自らの"目的"を叶える為に邁進する。

 その在り方は、私が信奉する"合理"という考え方に合致するものだった。

 

 

「ですので、まぁ……。出来る所までは頑張ってみようかな、と。自らの足で立ち上がることを諦めるには、まだ早いですし。何事も挑戦(チャレンジ)あるのみとも言いますから」

 

「そう。……貴方がそれを選ぶなら、私も貴方の意思を尊重するわ」

 

「ありがとうございます、リオ。 ……あぁ、それと。例のロボットの件については安心して下さい。私もちゃんと付き合いますから。今週は少々、根を詰めすぎてこのようなスケジュールになってしまいましたが、来週からはちゃんと学校へ通いますよ」

 

「私はそれで構わないけれど、ヒマリ? 貴方の体の負担にはならないかしら? そもそも、あなたはあまり体力がないのだから、休める時にはしっかり休養を取った方が良いのではなくて?」

 

「それは……確かにそうかもしれません。ですが―――」

 

「ヒマリ。私は貴方が開発計画に協力してくれて、とても感謝しているけれど。それによって貴方が自らの身体を壊すようなら、残念だけれど、私は貴方の参加を認めることは出来ない。それについては、この計画を始める際にお互いで話し合って決めたこと。今更それに口を挟む余地はない」

 

 

 つまり、彼が体調を崩すようなら、彼との時間は"お開き"となる。

 言っておいて何だが、それは嫌だなと、心の中の自分勝手な私が静かに喚いていた。

 

 ただでさえ、彼に会うことの出来る時間は稀で、貴重なもの。

 それを自らの発言とはいえ、頻度を減らすようなことを勧めるのは、思っていることと言っていることが逆であると、そう認めざるを得ない。

 

 だが同時に、彼の身に不幸がないことを祈る自分も居る。

 

 学業に、施設での訓練(トレーニング)に、私との共同開発作業。病弱な彼にとって、この三つの同時進行は激務(ハードワーク)と呼んでも差し支えないはず。

 確実に疲労は蓄積していくだろう。ともすれば、体調そのものを崩しかねない。

 私は彼と話していると楽しいし、共に過ごす時間は貴重で、有意義で、かけがえのないものだと思っているけれど、それで彼の体を不調に陥れるようなことはしたくなかった。

 

 

「心配いりませんよ。体調が悪ければ今まで通りお休みさせて頂きますし、施設での訓練(トレーニング)も、無理のないよう、インストラクターの方が内容を調節して下さってます。加えて、例のAIについても、既に完成の目処がついています。万に一つも心配はありません。きちんとした計画立案、そしてデータの管理は、私の得意とする所です。リオもそれは知っているでしょう?」

 

「えぇ、そうね。そこについては、心配はしていないわ」

 

「はい。あのロボットの開発スケジュールには一秒足りとも遅れは生じさせません。AIについても必ず間に合わせます。ですので、どうぞ大船に乗ったつもりでいてください。……それに」

 

「……それに?」

 

 

 彼はその言葉を最後に、何かを考え込むように少しだけ視線を伏せる。

 やがて、僅かばかりに決心したかの如く、それでいて目を逸らしたままの状態で、小さな声を零した。

 

 

「……私も、あなたとの時間を楽しみにしているんです。学校は少々退屈で、施設での訓練はそれなりに大変ですから。私にとって、あの時間が唯一の"楽しみ"なんです。出来ることならば、私もこの件には関わっていたくて……。勿論、なるべく体調には気を遣うようにはしますので」

 

「……そう。分かったわ。なら、私から言うことは何もない」

 

 

 そう告げた時。私は心の内側が打ち震えているような感覚に襲われていた。

 

 私があの時間を大切なものだと認識していたように、彼もまた、あの時間を"楽しみ"だと言ってくれた。

 私との時間を、私の考えた機械を"楽しみ"だと言ってくれる。

 

 その言葉を聞いた瞬間、私ははしたなくもその場で飛び跳ねたくなるような衝動に襲われ、(すんで)のところ、培ってきた理性によって何とかそれを押さえ込んでいるような状態だった。

 

 彼の前だから、平静を装っているけれど不安で仕方がない。

 口元がニヤついていないか、頬が緩んでいないか。

 

 これが嬉しいという感情なのかと、しげしげと自らの内面を観察する余裕はあった。

 なるほど、確かにこれは中毒性のあるものだ。世の中の多くの人間がこれを求めて、ありとあらゆる手段で自己主張を、それに自己顕示欲を高めようとする気持ちにも理解が出来る。

 

 認めてほしい相手に、認めてもらえる。これ程"幸福"なことが、他にあるだろうか。

 少なくとも、私は知らない。

 

 

「ひとまず、私から言いたいことは一通り終わりました。……まだあなたが雨の中、私に会いに来た理由については判然としませんが……。もうすぐ夕食の時間です。話の続きはご飯が終わってからにしませんか?」

 

「夕食? ……そう、もうそんな時間なのね。でも」

 

「"でも、気を遣わなくていいのよ" でしょう? 流石に私でも分かりますよ、あなたの言いたいことが。どうせ食事は要らない、これから帰るとでも言うのでしょう? 駄目ですよ、リオ。もう夜遅いですから、泊まって行って下さい」

 

「泊まる……? いえ、それには及ばないと思うけれど。第一、列車を使えばすぐに帰れるわ」

 

「リオ? こんな夜道を小学生一人で歩いていたら、ブラックマーケットの人たちに攫ってくれと言っているようなものですよ。ただでさえ、私達の学校は"いいとこ"の生徒が多いのですから、自衛はするに越したことはありません。まぁ、もしあなたの両親が駄目だと言うのならば、信用の置けるタクシー業者を呼びつけ、安全に送り届けることも出来ますが」

 

「……一応、両親に連絡してみるわね」

 

 

 ここでヒマリと離れる選択肢を選ぶわけにはいかなかった。

 いずれ帰る必要があるにせよ、今はまだ"予知夢"の件が解決していない。

 予知夢が真実であるかどうかはさておき、警戒出来る状態を維持し、その内容を精査できる時間が許されているのであれば、可能な限りをそれを維持するべきだと、私は判断した。

 

 

 携帯端末を取り出し、メッセージを送る。

 『友達の家に泊まりたい』と、簡潔な内容を、母親に向けて。

 

 既読がつくまで少し掛かるだろうと思っていたが、意外なことに一瞬で既読がついて。

 そしてただ一言『いいよ』と、母親らしくない短めのメッセージが帰ってきた。

 更に直後にもう一言『良かったね、リオ』と、書き加えられて。

 

 それを見た瞬間、私は安堵する。

 一体どのようなつもりで母が了承してくれたのかは分からないが、少なくとも今日の間はヒマリと共に居られることが確定した。

 

 降って湧いて出てきた、彼と過ごせる貴重な時間。その延長戦。

 この時間を無駄に使う訳にはいかない。

 

 私は未だ得体の知れない"予知夢"。そして彼自身の"未来"について、思考を巡らせる猶予が出来たと、そう考えることにした。

 

 

 




後編へ続く。

本編終了後の追加エピソードは誰がいい?

  • 和泉元エイミ
  • 調月リオ
  • 各務チヒロ
  • 才羽モモイ
  • 才羽ミドリ
  • 花岡ユズ
  • 天童アリス
  • ケイ
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。