明星ヒマリ男の娘概念   作:めのこん

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08.和泉元エイミと『全知』 (3)

 

 

 放課後。ミレニアムの繁華街。

 ミレニアム自治区の中でも特に大きなスーパーマーケットの店内は人でごった返していた。

 それもそのはず。既に時刻は夕方近い。買い物目当ての主婦や、学校帰りの学生など、この時間帯は常に混み合うものだ。

 

 人混みは暑いから嫌だな、と思いつつ店内に入る。

 ウィーンという音とともに、ガラスの扉が開いた瞬間──ひんやりとした空気が肌にまとわりつく。

 

 

「ふぅ……。涼しい」

 

 

 私からすると、まだまだ暑い範疇。しかしむわっとした熱気と湿度が肌に張り付く外気と比べると、まるで天国と地獄。

 冷蔵コーナーの方から、さらに涼しげな風が流れてくる。ああ、これはしばらく出たくないな──そんな誘惑が、心の中にひっそりと芽生える。

 

 とはいえあまりここで立ち止まっている訳には行かない。

 自宅には風邪を引いて弱っているであろう部長が待っているからだ。

 手早く食材を見繕い、カゴの中に放り投げていく。

 

 意外かもしれないが、私は自炊が出来る。

 ミッションの都合上、一人で待機していることが多かった。部室や自宅以外の拠点で待機していることも多かったし、そもそも場所が場所の為に近場にコンビニ等が無い場合が多数あった。

 そういう時は必ず自炊する必要が生じ、それを続けるうちにある程度の料理の腕は身についた。

 

 だからヒマリ部長と同じ屋根の下で暮らすことになったときも、自動的に私が炊事係になった。

 部長はミレニアムでの寮生活を送っていたとき、ほぼ全ての食事を宅配サービスで賄っていたらしい。

 しかし、このセーフハウスに移動してからは機密性・秘匿性を重視する為にそういったサービスは使えなくなった。

 

 故に買い出しも私がやる。というか車椅子が必要な彼女に買い出しをやらせる訳にはいかない。

 そもそも彼女が外出するときは、私も一緒に行くことがほとんどだ。

 ヒマリが一人で出歩くことがあるとすれば、ミレニアムサイエンススクール学内の敷地だけだろう。

 

 

「よし、こんなものかな」

 

 

 必要なものを全て購入したことを確認して、店を出る。

 

 涼しい店内とは打って変わって、熱気が身体に纏わりつく。不快感が跳ね上がり、せっかく下がりつつあった体温が上昇していくのが分かった。

 今すぐにでも服を全て脱いでしまって、身体の熱を放出したい欲求に駆られる。

 尤も、それをするとヒマリが怒り出すので実行はしない。「脱ぐにしても誰の目も届かない所で脱ぎなさい」と。そう約束したからだ。

 たとえヒマリが横に居なくとも、彼女が怒るようなことはなるべくしない。

 

 しかし……このまま此処に居たらどんどん熱が籠もって、汗が吹き出しそうだ。

 早く家に帰って、冷たいシャワーを浴びてさっぱりしたい。

 私は歩く速度を早くして、セーフハウスへと向かった。

 

 

 


 

 

 

「ただいまー」

 

 

 自宅に帰った私は、リビングへと向かう。

 ここはコンソールルームも兼ねており、私達がこのセーフハウスで最も利用する場所だ。当然冷蔵庫もここに置かれてある。

 個人用の部屋にもミニ冷蔵庫が置かれており、セーフハウスとはいえ快適度はミレニアムの寮よりも上かもしれない。

 

 さて、ひとまず冷蔵が必要なものをしまわないと。この暑さと湿度だ。生モノを放置していたらすぐに腐ってしまう。

 

 リビングの扉を開けると、このセーフハウスの主が佇んでいた。

 車椅子に乗った彼女は、何やら考え込むように向こうを向いている。

 

 どうやら私に気づいていないようだ。いつもであれば"おかえりなさい"と迎えてくれる筈。

 ちらっと様子を窺うと、まだ体調が優れないのか、少しばかり顔色が悪かった。

 

 

「……部長、顔色悪いけど大丈夫?」

 

「あぁ、エイミ。おかえりなさい。……えぇ、大丈夫です。具合が悪いわけではないのですよ」

 

 

 困ったように笑う。そうは言っても顔色の悪さは隠しきれていない。

 私を心配させまいと無理をしているのではないだろうか。そんな考えが頭を過る。

 

 

「エイミ。これから此処に会長がいらっしゃいます。ですが出迎える必要なんてありませんよ」

 

「え、リオ会長来るの?」

 

 

 それを聞いて驚く。リオ会長が私達の元に来るなんてことは、これまで一度もなかったからだ。

 時折行う連絡は全てホログラムによる相互通信で済ませていた。

 そんな彼女が直接この場所に来るという事態に驚きを隠せない。

 

 

「えぇ。来るなと言っても来るでしょうし、いまさら出かけた所で追跡されるのがオチですから、諦めました」

 

「私は別にいいけど……。部長ってリオ会長のこと嫌いなの?」

 

「えぇ、嫌いですとも。少なくともあの女と話すくらいなら、道端の酔っ払いと管を巻いていたほうがまだ有意義というものです」

 

 

 部長は深い溜息と共にそう呟く。こういった様子の彼女はとても珍しい。

 ヒマリは不満や悪態を周囲に漏らすことはほとんどない。何があっても余裕綽々、全ては想定内と言わんばかりの態度を崩さない。

 私の前では感情豊かに笑ったり、ふざけ半分に怒ったりしてくれるが、基本的にヒマリは自己の"余裕"を保ち続けるタイプだ。

 周囲に私しか居ないとはいえ、彼女が悪びれもせず悪態を吐くところは、会長が絡むときにしか見られない光景だ。

 

 

「ふーん……。なんか、部長に苦手なものあるのって意外」

 

「苦手というより、本質的に相容れないのです。ですが、曲りなりにもあの女の実力は私に匹敵しますから。そこがまた癪に障るのですよ」

 

「……リオ会長は部長のこと、結構大事にしてそうな言い方してた気がするんだけど」

 

「はぁ~? あのリオがですか?」

 

 

 かつての会長との約束を思い出す。

 

 "誰が相手だとしてもヒマリを守ってほしい"。会長は真剣な眼差しで私にそう告げた。

 おふざけや冗談などでは決してない。あの会長が頭を下げてまで私に頼んできた願い。

 その内容を勘案するに、リオ会長がヒマリのことを蔑ろにしているようには、とても思えない。

 少なからず大切に思っているからこそ、私を部長の元に就かせたはず。

 

 

「決して嫌いなわけではないのですよ。ただ、思想というか、考え方に差異がありすぎて相容れないということです。彼女の実力は本物ですし、その手腕だけは私も全面的に認めています」

 

 

 ヒマリはそう言う。何と言えばいいのか……会長が絡むと、部長はちょっと我儘な子供のようになるんだなと感じた。

 駄々をこねても許される相手というか、ある意味気兼ねのない相手というか。

 恐らく実力が拮抗している唯一の二人だ。もしかしたらヒマリが一方的にリオのことをライバル視している可能性もある。

 

 

「てっきり部長のことだから、会長のことライバル視して勝手に目の敵にしてるのかなって思ってた」

 

「エ・イ・ミ~? あなたは今言ってはいけないことを口にしましたね? お仕置きです!」

 

 

 部長が車椅子に座ったまま身を乗り出し、私の頬に手を添えた。

 むにむにと頬が引っ張られる。全く痛くないどころか、彼女の低めの体温が相まってむしろ気持ちいいくらい。

 風邪で熱を出していても冷え性の体質は改善しないらしい。身体の末端である手指はひんやりとしていて、外気で火照った頬の熱を奪ってくれる。

 

 内心、ちょっとだけ驚いた。

 部長はあまりスキンシップが好きではないと思っていたから、こうして直接に触れてくることに動揺を隠せない。

 

 

(……大丈夫かな、私。変な顔してない、よね?)

 

 

 勝手にニヤつきそうになる顔を制御し、表情を変えないように努める。

 ちょっとでも油断したら、口元が緩んでしまいそうだった。

 

 

(―――あれ、なんで私、嬉しがってるんだろう?)

 

 

 ふと、そんな考えが頭を過った。

 今まで何となく触れ合いを避けているんだろうなと思っていた彼女が、自発的に私に触れてきてくれたから?

 それとも、こういうことをしても構わないと思ってくれるくらいに、私のことを信頼してくれているから?

 

 むにむにとほっぺを引っ張られる中、部長の顔を見る。

 ぷんぷんと怒っている。"私、いま怒っているのですよ?"と言わんばかりの表情。

 

 それがなんだか可愛らしくて、子供っぽくて。……きっとこれを見られるのは今は私だけなんだろうな、という優越感すら感じる。

 彼女に縁の深い、会長やヴェリタスですら見られない。今これを見られるのは、(エイミ)だけだという事実。

 

 

ごふぇんごふぇん(ごめんごめん)ふぉういふぁふぁいから(もう言わないから)

 

「もぅっ! いくらエイミとはいえ、禁句というものがあるのですよ? 次言ったらおやつのプリンは抜きですからね?」

 

 

 プリン抜きが制裁になると思っているあたり、本当に可愛い人だと思う。

 この人は天才で、優秀で、叡智の結晶と呼称されても全く遜色ない人物ではあるのだが、その中身は存外に子供っぽいのかもしれない。

 出会った当時はこんな人だとは思っていなかった。少なくとも見た目だけは大人しくて、儚げで、触れれば消えてしまいそうなほど線の細い美少女だったから。

 

 

「別にプリンはそんなに欲しくないんだけど、まぁ分かったよ」

 

「分かれば良いのです。分かれば。……っと、あれは……」

 

 

 玄関前のカメラのセンサーが反応していることに気がついた。

 カメラに映る見知った人影。長い黒髪を携え、黒いスーツを身に纏う彼女。

 間違いなくセミナー会長、調月リオだ。

 

 

「このまま鍵を開けないでいたら、リオはどんな顔をするでしょうね?」

 

「部長……大人気ないから流石にやめたほうがいいよ」

 

「……冗談ですよ。今開けますから」

 

 このセーフハウスの玄関の扉は、私かヒマリ部長以外の人間が近づいても開かないようになっている。

 それはセミナー会長であるリオであっても例外ではない。

 部長が車椅子に備えられた端末を操作すると、玄関の扉が開かれた。

 

 

 

「久しぶりね、ヒマリ。そしてエイミも」

 

 

 直接会うのは何ヶ月ぶりだろう。

 初めて会ったのは中学の時で、それ以降はほとんど通信装置越しのやり取りだった彼女は、私の記憶と寸分と違わぬ姿をしていた。

 

 

「会長、久しぶり」

 

「えぇ、とても久しぶりですね。なにせ最後に話したのは3年の入学式の生徒会長スピーチ以来ですから。その後はどこかに姿を晦ませ、セミナーの仕事も放りだして何処で何をしていたのやら」

 

 

 部長が矢継ぎ早に捲し立てる。いきなりの喧嘩腰の姿勢に驚く。

 私と喋るときとはぜんぜん違う、剣呑で攻撃的な口調。いつものおふざけの怒りとは迫力が段違いだった。

 しかしそんな部長(ヒマリ)の様子も全く意に介さず、会長(リオ)は表情を一ミリたりとも変えないまま反論する。

 

 

「前にも伝えたでしょう。優先して実行するべきタスクに当たっていたのよ」

 

「そうでしょうね。秘密主義のあなたのことですから。座視できない事態が起きようとしていて、それに対処しているのですね。それら全てを自分一人で抱え込んでいるのでしょう? ……事が手に負えなくなるまで」

 

「……ヴェリタスの件は申し訳ないと思っているわ。想定以上にデカグラマトンの行動が迅速だったのは事実よ。対処する為にあなたを強制的に異動させてしまった。それについてはいずれ改めて謝罪するわ」

 

 

 そうして二人の"話し合い"が始まる。

 

 彼女たちはミレニアムにおける頭脳(ブレーン)そのもの。

 リオ会長はその名の通りセミナー代表というミレニアムの最高責任者であり、自治区の決定権すら持つ、本物の権力者。

 対してヒマリ部長は、実質的な権限こそ持たないものの、特異現象捜査部の部長であり、リオから直接任務を請け負う立場。

 セミナーの会計や書紀といった重役よりも、意思決定権を持つという意味において、実質的な立場としては上かもしれない。

 

 つまり、この二人は個人主義の色が濃く政治色の薄いミレニアムサイエンススクールとはいえ、同学園の政治的なトップ2だ。

 この二人の会話の内容によっては、ミレニアムの今後に大きく影響するかもしれない。

 

 

「私への謝罪は必要ありません。デカグラマトンの脅威については私達の見解は一致していましたから。……早急に対処する為にヴェリタスを離れる必要があった事も納得しています」

 

「そう。なら……」

 

「ですが、ヴェリタスの方にはいずれ、きちんと説明して下さい。私がどうこうではなく、あなたの口から。勿論、私も彼女たちには直接謝罪するつもりです」

 

「……えぇ、それはいずれ必ず果たすわ。少なくともミレニアムが安全だと確認が取れたら、だけれど」

 

「それだけ聞ければ私は満足です。……いきなり喧嘩腰になってしまい、申し訳ありませんでした、リオ。私としたことが、少し頭に血が登ってしまったようです」

 

「気にしなくてもいいわ。あなたと私は"対等"。意見の相違があった場合、必ず互いが納得するまで話し合う。……そういう約束で此処に来たのでしょう?」

 

「そうですね。……ひとまず、この話は終わりにしましょう」

 

 

 

 そして"話し合い"が終わる。

 二人の論争に口を挟むことは出来なかった。

 いつも優しげでたおやかな物言いをするヒマリが、刺々しく相手を刺すような口調で話しているということにも衝撃を受けてしまう。

 

 

「……びっくりした。部長もあんな風に怒るんだね」

 

「あっ! そ、その、ごめんなさい、エイミ……。怖かったでしょう? そういうつもりはなかったのですが、リオの顔を見たらつい言いたいことが溢れてきてしまって……」

 

「ううん、気にしないよ。部長もちゃんと人の子なんだなってちょっと安心した」

 

「エイミ? 普段は私のことをどんな風に思っているのですか?」

 

 

 私は、部長は包容力のある人だと思っている。例えるならおばあちゃんみたいな、と言うときっと怒られるだろうけど。

 部長は決して頭ごなしに他人を否定したりしない。自分が一番というスタイルは頑なに譲らないだろうけど、それで他人を見下したりしない。

 問題があったら一緒に親身になって考えてくれる。私がこの異常な発熱体質で悩んでいたときもそうだ。

 大人達が「我慢しろ」や「TPOを弁えろ」などと誰もが同じようなことしか言ってこなかった中、ヒマリ部長だけは一緒になって解決法を模索してくれた。

 


 

『なるほど、暑さを感じやすい体質で困っているのですね? エイミは』

 

『体温の調節方法が常人と違うのであれば、はだけた服装だけで放熱するのは難しいでしょう』

 

『外付けで追加の放熱手段を用意します。これ(冷却用湿布)を試して頂けませんか?』

 

『なるほど……。服装についてですが、露出を抑えることも大事です。ですが、エイミが辛さを感じないことが最優先ですよ? 勿論、全裸はいけませんが。まず大前提としてエイミが過ごしやすい格好をするべきです。せっかくの学園生活なのですから、あなただけが我慢する必要などないのですよ』

 

『なので多少の露出は気にしない方向性でいきましょう。それを前提に、エイミが過ごしやすい制服の作成をしてみますね。ちなみに、誰かに何かを言われても無視して構いませんよ? なぜならこの天才が作るユニフォームなのですから。文句があるのであれば、この超天才清楚系病弱美少女、明星ヒマリに直接言いなさい、とでも伝えて下さい♪』

 


 

 

 そして部長は私専用の改造制服を作ってくれた。

 材質はエンジニア部と共同開発してくれたようで、薄くて軽い割に破れにくい、しかも銃弾に対する耐性もある。完全に私用にカスタムされたオーダーメイド品だ。

 私が前線で戦うことを考慮してくれたのだろうか、予備の制服も沢山用意してくれた。

 おかげで私はこうして夏の間でも人並み程度には生活できるようになった。

 

 部長は優しくて、人の感情に寄り添える人だって思う。

 天才にありがちな、他人と壁を作ってしまうタイプとは正反対だ。

 

 多分だけど……"先生"に向いてるんだろうな、と思う。

 並外れた頭脳を持ちながら、誰かに寄り添ってあげられる。生徒たちの想いを否定せず、正しい方へと導いてくれる、そんな先生に。

 

 

「……随分仲が良いのね?」

 

 

 私が思考の海に入りかけていたら、会長がこちらの様子を窺うように見つめていた。

 部長がそれに気づくと、ニヤリと意地の悪そうな笑みを浮かべる。

 

 

「ふふふ、返してほしいと言っても返してあげませんよ? 既にエイミは私に完璧に懐いているのですからね!」

 

「……私は部長の飼い犬か何か?」

 

「まぁ♪ こんなにも可愛らしいワンちゃんが居たら、毎日朝から晩までずっと可愛がってしまいたくなりますね? どうですか、エイミ? ナデナデしてあげましょうか」

 

 

 部長が犬を撫で回すような手振りをする。多分冗談で言ったのだろう。

 でも、なぜだろう。私は一瞬、それでもいいかな、と思った。

 勿論犬になりたい訳ではない。でも部長に飼われて、ずっと側に居られるというのは案外悪くないんじゃないかと思った。

 

 この生活がいつまで続くのかは分からない。でもできる限り続いて欲しい。

 不謹慎かもしれないが、ミレニアムの危機が迫っているという状況だというのに、私は現状に充足感を覚えてしまっている。

 毎日任務続きで、自由な時間もそれほど取れなくて、危険と隣合わせの生活だというのに、だ。

 それは多分、私が部長に必要とされているのが、目で、耳で、そして彼女の言葉と行動で感じ取れるからだろう。

 

 ……ただ、それにも確実に"終わり"は訪れる。

 

 デカグラマトンの脅威を退けたとして、その後はどうなるのだろう。

 特異現象捜査部は解散になるのだろうか。それとも私も部長も所属したままで、また別の活動が始まるのだろうか。

 

 仮にそうだとしても。今年一年が終わってしまったら、3年生であるヒマリは卒業してしまう。

 ミレニアムの危機が去るまでは何らかの形で残ってくれるかもしれないが、それすらも終わってしまえば、私達のこの生活に終止符が打たれることになる。

 (エイミ)部長(ヒマリ)の関係はつまるところ、"仕事"という繋がりでしか保てない。

 

 

「…………」

 

 

 そのことに気づいてしまったからだろうか。私は無償に"今"を手放したくなくなってしまった。

 部長が私の事を見てくれているうちに、私の隣に居てくれるうちに、できるだけ"私"を必要として欲しかった。

 

 だから私は明らかに冗談でしかない……彼女の悪ふざけでしかない発言にも、藁をも縋る気持ちで乗っかる。 

 

 

「……ん」

 

「……? ええと、エイミ?」

 

「…………撫でないの?」

 

 

 我儘を言っている自覚があった。きっと部長も困るだろうなと。

 でも困らせてしまうと分かっていても、こうせざるを得なかった。

 こうしていれば、部長が構ってくれると思ったから。

 

 普段ならこんなこと絶対しないのに。……私は、どうしちゃったんだろう。

 ちらりと上目で彼女の顔を見る。嫌がっていたらどうしよう、と今更ながらに後悔の念がじわじわと立ち込める。

 

 ぽかん、とこちらを見つめる部長。でもその表情は次の瞬間、ぱぁっと華が咲いたかのように晴れたものに変わった。

 

 

「~~~ッ! あぁもう! エイミは本当に可愛いですね! (なでなでなでなで)」

 

「――――っ!」

 

 

 部長の手が私の頭を撫でる。優しく撫でつけるものではない、どちらかというと本当に犬の頭をわしゃわしゃと撫でるような感じだ。

 他の人にこんなことをされたら絶対怒るだろう。でも今は全然嫌じゃなかった。

 それどころか、胸の底から何か得体のしれない、今までに感じたことのない感情が湧き上がってくることに気づく。

 

 

(……っ、あ、これ……気持ちいい……)

 

 

 彼女のひんやりとした手が私の頭に触れている。ぼうっと熱を持つ部位が、彼女の体温に冷やされていく。

 なんでだろう、髪型が乱れるような乱暴な触り方なのに、部長にされてると思うだけで、幸福感が半端じゃない。

 私の熱が、彼女(ヒマリ)に奪われていく。私の熱が、彼女(ヒマリ)の一部になっていく。そう考えただけで、なんだかとてもいけないことをしている、されているように思える。

 

 

(部長、もっとしてくれないかな……)

 

 

 私の頭を撫でるたび、ふわりと彼女の長い髪からシャンプーの香りが届く。

 きっと高級品のソレであろうその香りは、私が常日頃から嗅ぎなれた匂いで、どうしてか安心を感じてしまう。

 この蜜月の触れ合いを永遠に続けていたい。私は目を細めて、この時間を堪能する。

 

 

「……楽しんでいるところ悪いのだけれど、そろそろ本題に入っても良いかしら?」

 

「えぇ、そうしましょう。……えぇと、エイミ。そろそろ」

 

「ん……」

 

 

 部長が私を撫でていた手を引っ込める。

 あ、もう終わっちゃうんだ……。

 その言葉を口にしなかったのは、蕩けきった身体に対して、私の理性が十分に働いている証拠だったのだろう。

 

 私は恐らく見せられたものではないであろう表情を隠すべく、慌てて下を向いて顔を隠した。

 

 

「では、リオ。本題に入るとの事ですが、それはつまり……この子には……」

 

 

 ヒマリが困ったような顔で告げる。居心地の悪そうな佇まい。言いづらいことがあるのだろう。

 

 

「察しが早くて助かるわ。エイミ、この話はあなたに聞かせることができないわ。申し訳ないけれど、別室で待機していて頂戴」

 

「え……。で、でも会長」

 

 

 普段は会長に対して異議を唱えたことのない私だが、脊髄反射で反論しようとした。

 自分でも意味の分からない行動だと、口にしてから気づく。

 

 それはそうだ。今まで私はこの人たちの指示に従う立場にあって、それに納得していた。

 細かい所での意思の相違はあるにせよ、彼女たちの大きな決定には必ず従っていた。

 ヒマリ部長もリオ会長も、私よりも遥かに優れた人間で、私なんかが考えるよりもずっと素早く、そして正しい結論に到れると信じてのことだった。

 

 

「ごめんなさい、エイミ。……これからする話は、エイミには聞かせられない話なのです。決して意地悪で言っているのではなく、私とリオ以外が知ってはいけない、非常に秘匿性の高い情報なのですよ」

 

 

 部長が悲しそうな表情で答える。仲間外れにしたいという訳ではない。彼女の目はそう語っていた。

 私のことに気を使っているのが分かってしまう。私は部長のことを困らせたい訳ではないのに。

 

 私が知ってはいけないことってなんだろう? だがそれを問いかける事すら、もはや部長を困らせるだけでしかないと気付き、引き下がる。

 困った顔をしてはいけない。それを見せれば、部長はもっと悲しそうな表情を浮かべるだろうから。

 それは私が望んではいけないことだ。

 

 

「……そう、なんだ。……うん、分かった。部屋で待ってるから、終わったら呼んで」

 

「はい、エイミ。ではまた後で……」

 

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