朝は必ずやってくる。
住み慣れた屋敷の中にいても、遠く離れた異国の地にいても、それは変わらない。
だから僕も、いつもと同じ時刻に目を覚ます。
「5時ぴったり。うん、時差ぼけの心配もないか」
ベッドから降りてカーテンを開ける。
高級ホテルの上層階から見える、東洋の国の都会の景色が視界いっぱいに広がった。東の空はだいぶ明るくなっており、じきにお日様が顔を出すだろう。
英国のそれとは異なった風景にさほど違和感を覚えないのは、自分の身体に流れる血の半分が日本人のものだからか。
「さて」
しっかり頭を覚醒させたところで、早速仕事着に着替えることにしよう。
今日はいつもの朝の仕事の大半が存在しないが、別に早めに準備を終えてしまっても問題はない。
『続いてはスポーツのニュースです。開幕から1週間が経過したプロ野球。ここまで好調なチームは――』
まずは髪型等を洗面所で整える。もちろん歯も磨く。
テレビニュースを眺めながら、ジャージを脱いでシャツを手に取る。
裸になるとさすがに肌寒いので、くしゃみをしないうちにさっさと服を着てしまう。
全部が終わったら、姿見の前に立って身だしなみチェック。
「……よし」
鏡に映った僕は、今日もイケてる執事そのものだった。
セシリアお嬢様に拾っていただいてから1年。今ではすっかり、この黒いスーツ姿が板についたように思う。
『今日の天気です。関東地方は高気圧に覆われ――』
ソファに座って天気予報を確認しながら、今後のスケジュールを頭に思い浮かべる。
本日はIS学園の入学式が行われる。僕の執事としての仕事は、日本に慣れていないお嬢様をしっかりエスコートして、学園までお連れすること。
『きちんと頼みますよ?』と念を押してきたとあるメイドの顔を思い出す。18歳ながら時に大人の貫録を見せる彼女を怒らせると非常に怖いので、間違ってもお嬢様にかすり傷ひとつ負わせるわけにはいかない。
「実質屋敷の裏ボスだもんな。なんでチェルシーちゃんの笑顔はあんなに迫力があるのか」
彼女がウフフと笑っている時は機嫌がいい。会話に花を咲かせるべし。
ニッコリと笑いかけてくる時はデンジャーデンジャー。速やかに自らの非を認めるべし。そうすれば説教だけで済みます。
……などとオルコット家屋敷条項(非公式)第3条を思い出しているうちに、時刻は午前6時に差しかかろうとしていた。
そろそろ、お嬢様に朝の挨拶をしに行く時間だ。
テレビを消して、僕は廊下へ出て隣の部屋の前に立った。
「お嬢様、お目覚めでしょうか。マーシュでございます」
「……ああ、カズキ? 入ってかまわなくてよ」
ノックとともに呼びかけると、あまり元気のないお返事がかえってきた。まだ少し寝ぼけていらっしゃるのかもしれない。
毎朝いち早く寝室を訪ね、お嬢様のあどけない無防備な姿を見ることは、僕のひそかな楽しみのひとつだ。普段はオルコット家の当主らしくあろうとして、なかなかそういった顔をお見せにならないから。怒ってる顔ならよく見るんだけど。
とにかく、許可をもらったので中に入ろう。
「おはようございます。お嬢様」
ドアを開け、丁寧に一礼。続いて顔を上げ、ベッドの上にいるであろうご主人様に視線を向けると。
「……とても非常にすごい顔をなさっていますね」
「うぅ……もう……朝、ですのね……」
なんか、お嬢様が今にも死にそうだった。
<●> <●>←こんな感じの目になってるし、目の下には大きなクマができている。
例えるなら……そう、呪いの屋敷のリビングに置かれた西洋人形みたいな顔をしていた。
「時差ぼけでしょうか」
「いえ……そうではありません。いよいよIS学園に入るのだと考えると、いろいろと考え事ばかりが頭に浮かんで」
「つまり、緊張ですか」
ベッドの上で半身を起こし、力なくうなずくお嬢様。
入学を目の前にして不安が湧きおこり、一睡もできなかったということらしい。
大きなため息をつくのを見て、僕は素直な感想を口にした。
「可愛らしいですね」
「なっ……ば、馬鹿にしていますの? わたくしは真剣に悩んで」
「はい、よくわかっているつもりです」
お嬢様の言い分ももっともだ。なぜなら、普通の高校入学とは事情が異なるから。
「国家代表候補生として、オルコット家当主として。セシリアお嬢様の両肩には、私などでは到底扱いきれない重い肩書きがのしかかっています」
「……その通りですわ。ですから」
「しかし、そう無理をする必要はないと私は考えます。特にお嬢様が気になさっている、対人関係については」
そこまで言って、僕はお嬢様を安心させるために笑いかける。
頑張って暴走しすぎるきらいのあるご主人様には、きちんとそれをセーブする役が必要なのだ。
「ご学友とのコミュニケーションにおいては、ありのままのお嬢様を出されればよいかと」
「そ、そうでしょうか。当主にふさわしい威厳のある振る舞いが求められるのでは」
「背伸びをする必要はありません。自分らしくなさるだけでも、十分に気品がありますので」
学生時代は一度しか訪れない。
だからこそ、学生のうちに学生らしいことをたくさんしてほしいというのが、僕個人の考えだ。
「何か問題が起きれば、私がフォローします。ご安心を」
「……そう、ですわね。ありがとうカズキ、少し気分が楽になりました」
「これが執事の仕事ですから」
屋敷の管理からスケジュールチェック、そして時にはご主人様の話し相手になる。
大変だけど、やりがいのある仕事だと今は思う。
「ですが、それでも大きな心配事が残っています」
「なんでしょう」
「……男ですわ」
「というと、同級生になる予定の織斑一夏さんのことでしょうか」
「その通りですわ!」
ビシッと指さしするお嬢様。ちょっとずつ元気が出てきたようで僕はうれしいです。
「同年代の男性。いったいどのように接すれば良いのかしら……」
「今までずっと女子校でしたからね。とはいえ、あまり意識しなくてもいいと思いますよ?」
「そうなんですの?」
「先ほども言いましたが、自然体が一番です。私はありのままのお嬢様が大好きですから」
「……あ、あなたの好みなんて聞いていませんわ!」
「一男性の意見として、参考にしてくださいということです」
照れてそっぽを向いてしまうお嬢様。確かに、もう少し異性に対する免疫をつけるべきなのは事実かもしれない。
「とにかく、お嬢様のサポートはお任せください。さしあたっては……そうですね、寝不足をメイクで誤魔化すところから始めましょうか」
「あら、カズキは女性のメイクもできますの?」
「もちろん。パーフェクトな執事を目指していますから」
「あなた、いつもそれ言ってますわね」
「本気ですから。実際、大抵のことは器用にこなせるつもりです」
僕が胸を張って宣言すると、お嬢様は小さく笑ってベッドから出た。
「でも女性を口説く能力は全然、と」
「それは執事に必要ありませんので」
「本音は?」
「恋人欲しいです。もう25だし」
「ふふっ。正直でよろしいですわ」
面白そうに返事をするお嬢様。ひどいです。
「さて、そろそろ準備を始めましょうか。カズキ、わたくしは着替えます」
「わかりました」
傷心の僕はそのまま部屋を出た。
お嬢様が着替え終わるまでの間、男を磨く方法を真剣に考えることにした。
*
「ツンデレとかどうでしょう」
「……は?」
しまった。つい心の声がそのまま漏れてしまっていた。
いったん男磨きの道を思案するのは中止しよう。
「なんでもありません。男のツンデレも案外イケるんじゃとか思ってません」
「しっかりしてくださいな。もう校舎の前まで来ていますのよ」
お嬢様のおっしゃる通り、僕達2人はすでにIS学園の敷地に足を踏み入れている。無事目的地までたどり着けたというわけだ。
周囲を見ると、お嬢様と同じ制服に袖を通した人達が続々と校舎の中に入っていく。
今日は2年生以上は休みらしいので、彼女達は皆お嬢様の同級生ということになる。
「サクラの花がきれいですね」
「日本では、あの花が人気があるのですわよね」
「卒業シーズン、入学シーズンの代名詞的存在だそうです」
初めて見る花というわけではない。イギリスにもサクラはないわけじゃないから。
ただ、なんというか……本場は違う。なんとなくそう思える美しさだった。
品種が同じだとしても、きっと何かが異なるのだろう。
「ん」
そんなことを考えていると、風に吹かれた花びらのひとつが僕の下唇にピタッとくっついた。
「女性にはモテなくても、サクラの花には慕われているようですわね」
「そういう意地悪なこと言わないでくださいよ」
くすくすと笑うお嬢様に恨めしげな視線を向けつつ、唇から花びらを取り去った。
「ここまででいいですわ。ご苦労様、カズキ」
「わかりました」
脇に男をはべらせたままというのも目立って嫌だろう。
校舎に入ろうかというところで、僕とお嬢様は別れることになった。
「では、また」
「はい。またお会いしましょう」
ひとり歩き去っていくお嬢様の背中を目で追う。
身内びいきを抜きにしても、ひとつひとつの所作がどこか気品を感じさせる。
こればかりは、その人間の生まれによって左右される部分だろう。
お嬢様以外にも、そういうオーラのようなものを発している生徒は何人かいた。彼女達もきっと、いい家の生まれに違いない。
「さて」
執事としての仕事は終わった。
にもかかわらず、僕はいまだに学園を出ないまま立ちどまっている。
ほぼ100パーセント女性で構成されている学園の中で、ぼーっと景色を眺める黒スーツの男。ゆえに奇妙なものを見るような視線もちょくちょく浴びてしまっているが、まあ気にしない。
「えっと……すみません」
「はい?」
不意に横から声をかけられたので振り向くと、背の低い眼鏡をかけた女性がこっちを見ている。
スーツを着ているから生徒ではないと思うけれど……なんだか、スーツに着られているという表現がぴったり当てはまるような人だ。
「カズキ・マーシュさんで間違いないでしょうか? 今日からこの学園で勤務される予定の……」
「あ、はいそうです! 私がマーシュです。すみません、迎えに来てくださったんですか」
「い、いえ。たまたま歩いていたらあなたを見かけたので……えっと、はじめまして。IS学園1年1組副担任の山田真耶です。一応、マーシュ先生の教育係みたいなものを任されています」
「よろしくお願いします」
サクラ舞う季節。
馴染みの深くない東洋の地で、僕もセシリアお嬢様と同じく新生活をスタートさせる。
オルコット家の執事兼、IS学園の教師。
二足のわらじを履く日々が、幕を開ける。
やはりオリ主ものを書くのは難しい。
一からキャラを作り出す苦しみを改めて実感しました。
あらすじにも書いた通り、ストーリーとしてはだいたい日常系です。3話くらいまではプロローグ的な扱いで、以降は1話完結形式で色々なキャラを出したいと考えています。
では、次回もよろしくお願いします。