ほむらちゃん、ごめんね私モテモテになる。さあ叶えてよインキュベーター   作:じゃあな・アズナブル

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第七話 美樹さやか③

日差しの柔らかな昼下がり。窓から差し込む光が、ティーカップの縁をきらりと照らしていた。

巴マミの家。その優雅で整えられた空間には、いつもなら落ち着いた静けさが満ちているはずだった。けれど今は――その空気の下に、張りつめた緊張が忍び込んでいた。

 

「……マミさん! なんでこいつがいるのよ!」

 

さやかの語気が、空間を真っ直ぐに裂いた。視線の先、ソファの上で脚を組み、涼しい顔をしているのは――佐倉杏子。変わらないその挑発的な態度が、ただでさえ揺れていたさやかの神経を、余計に逆撫でした。

 

「言わなくてごめんなさい。ただ……一度、話を聞いてもらえないかしら?」

 

マミさんが口を開いた。穏やかな声だったが、その眼差しにはいつもの柔らかさはなかった。静かで、真剣な目。さやかは反射的に口を開こうとして――そして、飲み込んだ。マミさんのその目が、冗談では済まされない話をこれから語ると、そう訴えていたから。

結局、四人は向かい合うようにソファへ腰かけた。紅茶を淹れるマミの手つきは丁寧で、音も立てずに流れるようだった。ポットから立ちのぼる香りが、ピリついた空気の中に溶けてゆく。それだけで、少しだけ気持ちがほぐれそうになる――けれど。

さやかの視線は、一貫して杏子を刺していた。その態度が、表情が、呼吸すらも、気に入らなかった。

(なに考えてんのよ、こいつ……。私たちの前に現れて、喧嘩売ってきて、なのに今さら何しに来たってのよ……)

まどかが横から、ちらりとこちらを見た。視線が合い、まどかは微笑んだ。心配してくれているのはわかっていた。でも――その笑みの中に、安堵が混じっている気がした。それが、向かいに座る杏子の存在に対するものだとしたら。

(……あたしより、そっちのことを気にしてるってわけ……?)

思わず胸の奥がちくりと痛んだ。自分でも、これは八つ当たりみたいな感情だと理解している。ただ、心がざわざわする。

そんな空気の中、マミが一つずつ丁寧にティーカップを配り、湯気の立つ紅茶を前にそっと言葉を落とした。

 

「今、この街に……『ワルプルギスの夜』っていう、とても強力な魔女が近づいてきているみたいなの」

 

ぽたり、と水面に重い雫が落ちたように。室内の空気が一気に静まり返った。まどかがわずかに息を呑み、さやかは思わず身を乗り出していた。

 

「えっ、それって……そんなの大変じゃないですか! だったら、私も一緒に戦いますよ!」

 

返事は即答だった。反射的に、まっすぐな想いが口からこぼれた。誰かが危険にさらされるのなら、自分が代わりに立ちたい。守れるものなら、守りたい。それが当然のことだと、ずっとそう思っていた。けれど――

 

「それは……」

 

マミの口元がわずかに揺れた。言葉を飲み込むような、微かな逡巡。そこには明確な否定ではなく、迷いが滲んでいた。

 

「……なんでですか?」

 

さやかはすぐに問い返す。言葉に力を込めた。戦う覚悟はある。怖くても、未熟でも、その気持ちだけは本物だと思っている。なのに――

 

「お前は足手まといってことだよ」

 

テーブル越しに、杏子の冷ややかな声が飛んできた。一瞬で、体が反応する。

ぴくりと肩が跳ね、拳に力がこもる。反射的に立ち上がりそうになる自分を、ぎりぎりで抑え込んだ。

 

「はあっ!? なにそれ、勝手に決めつけないでよ!」

 

 怒鳴るように叫んだ。

 

「事実だろ」

 

 杏子は少しも表情を変えない。片肘をついて、飄々とした態度のまま挑発的な視線を向けてくる。

 

「こっちは命懸けで戦うんだ。お前に足引っ張られて全滅なんてなったら笑えないだろ」

 

その言葉が、まるで刃のように突き刺さる。

 

「……そんな言い方ってないじゃん!」

 

 声が裏返りそうになった。怒りとも悔しさともつかない感情が、ぐらぐらと胸の奥を揺さぶる。

(足手まとい……私が? 魔法少女になって、まどかを守るって……それなのに)

ずっと心の奥にあった不安。――自分は本当に、まどかを守れるのか?

その迷いを、杏子の言葉が正確に撃ち抜いてくる。言い返せば返すほど、言葉が空回りしていくような気がした。そんなさやかの胸のうちを見透かすように、マミがそっと口を開いた。

 

「美樹さん……あなたの気持ちは、ちゃんと伝わってるわ。でもね、ワルプルギスの夜は……私たち魔法少女がどれだけ集まっても、勝てるかどうか分からない相手なの」

 

静かで、優しい――けれど、どこか遠くて、悲しみを帯びた声だった。

さやかの目が、思わずまどかを探す。彼女は黙ったまま、何かを堪えるような眼差しで、さやかを見つめ返していた。

その視線が、なにより痛かった。責めていない、否定していない。むしろ寄り添おうとしてくれているのに――。

 

「でもっ……!」

 

椅子が軋む音が、室内に鋭く響いた。さやかは思わず立ち上がる。胸が苦しい。紅茶の甘い香りが、どこか遠くに感じられた。そのとき、視界の端でまどかの肩がかすかに震えるのが見えた。

 

「な?」

 

杏子が口元に笑みを浮かべて、マミに視線を投げた。明らかに挑発するような口ぶりだった。

 

「マミ、やっぱ言っても無駄だって。こういうタイプはさ、自分の身で痛い目見なきゃ理解できねえんだよ」

 

「なにそれ……!」

 

さやかの声が、怒りとともに震えた。声が、ほんの少し掠れた。

怒りなのか、悔しさなのか――自分でも、はっきりしない。ただ、胸の奥で何かがぎりぎりと音を立てていた。杏子がにやりと口元を歪める。

 

「お前もさ、言葉だけじゃ納得できねえだろ? だったら――私が現実を教えてやるよ」

 

「なにそれ……!」

 

さやかの声が自然と鋭くなる。口元が引きつり、拳が小さく震えていた。

挑発に乗ったわけじゃない。乗せられたんじゃなくて、自分が――戦いたいと思ってしまったのだ。こんなの、負けられるわけがない。

 

「……表でやろうぜ。さすがにここじゃ暴れられねえしな」

 

杏子が腰を上げ、軽く踵を返す。気負いも、ためらいもない動きだった。その背に向かって、まどかが慌てて声を上げる。

 

「待ってっ!」

 

その声は、震えていた。泣きそうなほどの不安と焦りがにじんでいた。杏子が足を止め、振り返る。

その目は、さっきまでとは違っていた。妙に優しい――けれど、それが逆に、胸に刺さった。

 

「……そんな顔すんなよ、まどか」

 

 静かに、落ち着いた口調だった。

 

「これはお前のためでもあるんだぜ? お前の友達、このままじゃ――戦いに出りゃ、間違いなくやられちまう」

 

それが、ただの意地悪や嫌味だけじゃないとわかっていた。さやかやまどかのためを思っての言葉なのかもと、さやかにも伝わっていた。

――でも、それでも。

引き下がるわけにはいかなかった。小さく、でもはっきりと言った。

 

「……受けて立つわよ」

 

確かにその一言で――この勝負の始まりは決まった。

 

***

 

細く、人通りのない路地。昼間だというのに、ビルの影が陽光を遮り、空気はじっとりと湿っていた。

ここなら大丈夫――そうマミが判断した場所だった。まどかは少し離れた場所で、マミの隣に立ち、こちらをじっと見ている。不安そうなその視線が、胸に刺さる。

 

「準備はいいか?」

 

杏子が槍を肩に担ぎ、余裕の態度で立っていた。

さやかは、剣を強く握りしめる。片手剣。自分の願いと引き換えに手に入れた、魔法少女としての武器。まだ扱いきれてはいない。でも、それでも。

(負けたくない。負けるわけにはいかない――!)

息を呑んだ瞬間、戦いは始まっていた。杏子の身体が一閃する。風を切る音とともに、槍が襲いかかる。速い――想像以上だった。反射的に身を屈め、地面を蹴る。視界の端で、槍の切っ先が光る。

 

「くっ……!」

 

髪がかすかに散った。ぎりぎりでかわした。すぐに体勢を立て直し、反撃に転じようとするが――杏子の動きは一手先を読んでいた。

柄が突き出される。剣で受け止めた瞬間、手のひらが痺れた。衝撃が腕にまで伝わってくる。

 

「ちっ、反応は悪くないな」

 

杏子が余裕の笑みを浮かべる。挑発しているのか、それとも素直な感想か――判断がつかない。だけど、退く気なんてなかった。必死に剣を振るい、切っ先を何度も繰り出す。

しかし、それはことごとく受け流され、跳ね返され、力の差を見せつけられるようだった。やがて、地面に叩きつけられる。背中を打ち、呼吸が一瞬止まった。

(まだ……まだいける……!)

ふらつく足を、無理やり立たせる。膝が笑っている。視界が揺れて、息が詰まる。それでも、気持ちは折れなかった。剣を持つ手に、力を込める。

だが――その一瞬の隙を、杏子は見逃さなかった。腹部に、槍の切っ先が突きつけられる。止めを刺す寸前の距離。目の前にあるのは、迷いのない、実力者の眼差しだった。

 

「……ここまでだな」

 

杏子が静かに告げた。その言葉とともに、槍は振るわれることはなかった。

 

「……思ったよりは、やるじゃねえか」

 

杏子の声には、わずかに感心がにじんでいた。がしゃり、と手の中から剣が滑り落ちた。立っているのがやっとだった。足に力が入らない。呼吸を整えようとしても、喉の奥が熱を帯びて、うまく空気が吸えない。その時だった。

 

「さやかちゃん!」

 

まどかの声が響く。軽やかで、まっすぐな足音が近づいてくる。その足はさやかよりずっと細いのに、どうしてこんなに温かく、こんなにも近く感じるのだろう。駆け寄ったまどかが、肩をそっと支えてくれる。その小さな手が、かすかに震えていた。

 

「大丈夫!? ねえ、さやかちゃん!」

 

「……うん、ちょっと、だけ」

 

笑おうとしたけど、口元がうまく動かなかった。視線を落とせば、自分の影が滲んで見えた。たぶん、情けない顔をしてる。見せたくなかった――こんな顔。

地面を見つめる。血は出てない。でも、心のどこかが、ひどく痛んでいた。

さっきの戦いが、脳裏に焼きついて離れない。全力だった。全力で戦ったのに、杏子には敵わなかった。動きも、技も、経験も――全部、足りなかった。

まどかの前で、負けた。まどかの――あの子の前で、負けたんだ。

痛みよりも悔しさのほうが、ずっと重たかった。煮えたぎるような思いが、胸の奥で渦を巻く。

(……なんで、私じゃダメなの……)

どれだけ、まどかを想ってるかも知らないで。杏子も、転校生も、みんな勝手に近づいて。まどかは――私の、まどかなのに。

(こんなんじゃ……)

 心の奥に、ぽつんと黒い塊が生まれた。

(こんなんじゃ、私……まどかを守れない……!)

まどかの手は、まだ肩に添えられている。その温もりが、優しさが――逆に、たまらなく苦しかった。

 

「美樹さんは、よくやったわ」

 

顔を上げると、巴マミがそばに立っていた。静かにしゃがみ込み、まっすぐに目を合わせてくる。その瞳は――厳しくも、優しかった。

 

「あなたの覚悟は、ちゃんと伝わったわ。だけど……今のあなたじゃ、ワルプルギスの夜には太刀打ちできない。それだけは、理解して」

 

「……そんなの、わかってますよ」

 

唇を噛みしめながら、さやかは答えた。指先がかすかに震えている。悔しさ、哀しさ、そして――まどかに届かない自分自身への怒り。

隣にいる、まどかの気配が近い。心配そうにのぞき込む瞳。ふんわりとした声。その優しさに、心の奥が、ぐしゃりと崩れる音がした。

 

「……私、ダメなんだね。こんなんじゃ、まどかを守れない……」

 

声が震えた。

 

「ねえ、マミさん。私、思ったんです……魔法少女になるって決めたとき。……この子は、私が守らなきゃって」

 

震える手で、まどかの手をぎゅっと掴む。強く、強く――離さないように。誰にも、奪われないように。

(誰にも、渡したくない。この笑顔を、誰かに見せるのも嫌。ずっと一番近くにいたのは、私なのに……)

(まどかが、私だけを見てくれたら、それだけでいいのに……)

瞳の奥に、静かに影が差していく。マミは、ぎゅっと唇を結んでから、そっとさやかの肩に手を置いた。

 

「……美樹さん。あなたの想いが、どれほど強いものか、よくわかったわ。でもね……それでも今は、力をつけること。それが、あなたにできる、一番の近道なの」

 

その手は、さやかを否定しない。けれど、優しくも確かに、現実を教えるものだった。さやかの手が握るまどかの手は、かすかに震えていた。けれど、その力が緩むことはなかった。

 

***

 

朝の空は、ひどく澄んでいて、なんだか腹が立つくらいだった。

昨日、あんなに泣いたのに。悔しくて、情けなくて、どうしようもなかったのに――この空は、まるでそんなことは関係ないとでも言いたげに、何もかも洗い流したような顔をしていた。

 

「おーい、まどかー!」

 

いつもと同じように声をかけ、隣に並ぶ。笑顔も、声の調子も、ちゃんと作れていた。大丈夫。バレていない。

 

「さやかちゃん、おはよう。大丈夫だった?」

 

「もちろん。さやかちゃんは切り替えが早いのが取り柄なの!」

 

明るく返すと、まどかは安心したように微笑んだ。……よかった。ちゃんと、いつも通りにできてる。歩きながら、他愛もない話をした。昨晩の晩ごはん、宿題のこと、どうでもいいような話題ばかり。でも、それだけで胸の奥が少しあたたかくなる。

――ねえ、まどか。今、隣にいるのは、わたしだけだよね。だけど。

 

「まどかさん、おはようございます」

 

背後から聞こえたその声に、無意識に顔がこわばった。仁美だった。まどかに一歩、自然と近づいてしまう。

 

「おはよう、仁美ちゃん」

 

まどかが振り返る。その動きに、わけもなく胸がざわついた。こんなことでイライラするなんて、小さすぎる。わかってる。わかってるのに、感情がついてこない。無理やり笑顔を作る。

 

「まどかさん……今日もいい匂いがしますわね」

 

仁美は、まどかの肩へと顔を近づけ、ふわりと鼻を鳴らした。

 

「ちょ、ちょっと! なにしてんの、仁美!」

 

思わず大きな声が出てしまい、自分でも驚いた。仁美はきょとんとした顔で、すぐに微笑む。

 

「うふふ、ごめんなさい。でも本当にいい香りがしたものだから」

 

「……そ、そう」

 

内心で、舌打ちしそうになった。

(なんで、こんなことで……)

仁美は悪くない。いつも通り、よくあるやり取り。なのに、胸の奥がずっとモヤモヤしていて、目の裏がじんじんと熱を持っている。

小さなささくれが、心の奥に突き刺さる。二人が並んで歩きながら会話を続ける。

仁美がまどかを見るたび、まどかが笑うたびに、そのやり取りが視界に刺さるようで、妙に痛んだ。

(私、何やってるんだろ……)

まどかがふとこちらを振り向いた。その瞬間、慌てて笑顔を作る。でもそれは、ただの仮面だった。

隣にいるのが、自分じゃなくなる――そんな未来が、少しずつ近づいてくるようで、ひどく怖かった。

 

***

 

授業中、何度も前の席のまどかの背中に目がいった。

話しかけたい。でも、話すことなんて何も浮かばない。くだらない話でいいはずなのに、それすらできなかった。

声をかけようとして、ためらって、また逸らす――その繰り返し。

ふと、まどかの隣で仁美が何かを囁きかけた。まどかが小さく笑う。二人の肩が、少しだけ近づいて、くすくすと笑い合っている。

(……何がおかしいのよ)

ノートのページを、意味もなくぱらりとめくる。書かれている文字が、まるで異国語のように頭に入ってこなかった。息が詰まる。

狭いはずの教室が、急に遠くなっていくような感覚。空気の重さに押し潰されそうだった。

(まどかが悪いわけじゃない。仁美だって、なにもしてない。ただ……)

ただ、まどかが“誰か”と笑っている。それだけで、胸の奥がずきんと痛んだ。まどかは、いつだって優しい。誰にでも。あたしにも。仁美にも。みんなに。

だからこそ――それが、嫌だった。

“誰にでも”の中に自分が含まれていることが、今は耐えられなかった。特別じゃなきゃ、意味がない。

自分だけを見てほしい。自分だけを、好きでいてほしい。そんな気持ちを抱いている自分が、何より気持ち悪かった。

(やだな……何考えてんの、あたし……)

胸の奥でぐちゃぐちゃと渦を巻くような感情に、まだ名前はつけられない。ただひとつ、確かに思った。

――今のあたしじゃ、まどかを守れない。

それどころか、まどかの笑顔を壊してしまうのは、自分かもしれない。その予感が、誰よりも自分自身を苦しめていた。

 

***

 

放課後。いつもなら隣を歩いて帰るはずのまどかに声をかけられたけれど、さやかは笑って首を振った。

 

「ごめん、今日はちょっと用事あるから。先に帰ってて」

 

理由を訊こうとしたまどかに、軽く手を振って背を向ける。――嘘じゃない。けど、本当のことも言っていない。

まどかに頼られたかった。まどかに、必要とされる存在でありたかった。魔法少女になったはずだったのに。

今はもう、誰からも頼られていない。自分の存在価値が無くなってく気がしていた。だから戦う。無茶でもいい。何かに縋らなきゃ、心が壊れてしまいそうだった。

夕焼けが沈みかけた頃。人気のない通路を抜け、さやかは結界の入口へとたどり着く。強い魔女ではない。使い魔たちが群れて巣をつくっているだけの、小さな結界。けれど、それで十分だった。

 

「はああああっ!」

 

刃が光の軌跡を描く。一体、また一体と斬り伏せる。ざくり、と肉を裂き、赤黒い液体が飛び散る。

爪が皮膚を裂き、無数の傷が刻まれる。転がり、呻き、歯を食いしばりながら、それでも――立ち上がる。

痛みなんて、慣れてる。どうせすぐ治る。だって、魔法少女なんだから。

 

「大丈夫、大丈夫……回復力だってあるし……あたしなら……っ」

 

口元は笑っている。でも、頬には涙がにじんでいた。

――こんなことして、何になるの?

どこか遠くで、そんな声が聞こえた。けれど。

(止まったら――)

止まったら、自分が壊れてしまう。だから、斬る。倒す。立ち上がる。

自分がここにいる意味を、無理やりでも刻みつけるように。気づけば、結界の中心。

血だらけのまま、さやかは膝をついた。使い魔は、もういない。残ったのは、浅く、苦しい呼吸だけ。

 

「……こんなんじゃ、まどかを守れるわけないよ……」

 

誰にも届かない独り言が、結界の消える空間に静かに溶けていく。使い魔の巣が消滅し、血と焦げた臭いが夜風に混じって漂っていた。

その場に、ふいに現れた影がひとつ。漆黒の制服に身を包んだ少女――暁美ほむら。

音もなく、どこからともなく現れた彼女は、無言でさやかの前に立ち、冷ややかな声を落とした。

 

「……なに、その戦い方は?」

 

叱責でも、呆れでもない。けれど、その視線は痛いほど真っ直ぐで、冷たかった。

さやかは一瞬、目を逸らしかけた。でもすぐに、ぎゅっと眉を寄せて睨み返す。

 

「放っておいてよ。あんたには関係ないでしょ」

 

その言葉に、ほむらのまぶたがわずかに震えた。ほんの一瞬。完璧だった仮面に、ひとつ、目に見えないヒビが入る。それでも、声は静かだった。

 

「とにかく、無茶な戦いはやめなさい。……そんなのを見たら、鹿目まどかは、悲しむでしょうね」

 

――その名前に。さやかの肩が、びくりと揺れる。

怒りとも、哀しみともつかない、混ざり合った感情が喉にせり上がった。

 

「……あんたが、まどかを語るな!」

 

震える声だった。

 

「あんたが何を知ってるって言うの! まどかのことも……私の気持ちの、何がわかるって言うのよ!」

 

叫びながら、一歩、踏み出す。ぎり、と拳を握った。心がぐちゃぐちゃになって、自分でも抑えきれない。それでも、ほむらは動かない。ただ、じっとさやかを見つめていた。

そして――

 

「いい加減にして。……自分だけが彼女をわかってるつもり?」

 

静かなその声が、殴りつけるように耳を打った。

 

「……っ!」

 

拳を強く握りしめる。奥歯がきしむ。

 

「鬱陶しいのよ……」

 

ぽつりと漏れた声。止められなかった。

 

「なんなの、魔法少女って……何なの、魔女って……」

 

かすれた声が、次第に怒気を帯びていく。

 

「あんたも、佐倉杏子も、私よりよっぽど強いくせに! 余裕ぶって、偉そうにして!」

 

青い髪が揺れ、息が荒れる。

 

「私だって頑張った……! 身体を削って、怪我して、それでも、まどかのためにって……!」

 

声が震える。目の奥が、熱く滲む。

 

「なのに……私は、何にもできない。まどかの隣にいても……私なんかじゃ、あの子を守れない……!」

 

歪んだ視界の向こうで、ほむらは微動だにせず、その言葉をすべて、静かに受け止めていた。

 

「……そんなこと、ないわよ」

 

ぽつりと、呟くように。でも――その言葉が、さやかには一番つらかった。

 

「やめてよ……! そんな“同情”みたいな目で、私を見ないでよ!」

 

叫んだ瞬間、すっと力が抜けた。心の奥が、ぽっかりと空いたような気がした。

その場に膝をつき、地面を見つめる。暗闇の中で、さやかの肩が小さく震えていた。やがて、膝をついたまま、ぽつりと口を開く。

 

「……あなたは、私を見てない」

 

その小さな呟きに、ほむらの瞳がわずかに揺れた。

 

「今も――私を助けようとしてるみたいだけど、それって……私のためじゃないんでしょ?」

 

顔は上げない。けれど、その声には確信にも似た痛みが滲んでいた。

 

「なんとなくわかるの。……あなたが気にしてるのは、まどかだけだってことくらい」

 

口元が、笑ったように歪む。

 

「ねぇ、そんなの……残酷じゃない?」

 

静かに紡がれた声なのに、刃のように鋭く突き刺さる。

 

「私だって、頑張ってるのに。必死なのに……」

 

ほむらの息が、かすかに揺れた。

 

「……そうね。私は、あの子を守りたいだけ」

 

静かで、どこか哀しみを帯びた声だった。

 

「その気持ちは――あなたと同じよ、美樹さやか」

 

さやかの肩が、ぴくりと震える。

 

「だからこそ……あなたのそんな姿を、あの子には見せたくないの」

 

背中合わせの距離。互いに視線を交わさぬまま、沈黙が落ちた。

 

「傷ついて、壊れていくあなたを見たら……きっと、あの子はもっと自分を責めてしまう。そういう子よ、鹿目まどかは」

 

感情を押し殺すような、淡々とした口調。けれどその無表情な声音が、かえって胸に響いた。

――だけど、さやかは。

 

「……わかってるよ、そんなこと。わかってるけど……」

 

声が震え、感情があふれ出す。

 

「それでも、もう……どうすればいいかわかんないんだよ……」

 

そのまま、ゆっくりと座り込む。さやかの目には、光のない街灯がにじんでいた。ほむらは、しばらく黙ったまま、その背中を見つめていた。

 

「……わかってたわ」

 

その言葉に、さやかが顔を上げる。

 

「あなたを助けるのが、私には無理だってこと――最初から」

「だから……」

 

一歩、ほむらはさやかに背を向ける。

 

「あなたはそこで泣いてなさい」

 

そのまま、ひとつ風が吹いたように――彼女の姿は、ふっと掻き消えた。

夜の路地にひとり残されたさやかは、ただ座り込んだまま、動けなかった。何も言えなかった。何も――返せなかった。

 




どうしても……どうしてもさやかちゃんは、不憫な方向に引っ張られてしまいます。許して……。

それはそれとして!いつも読んでくださっている方、感想をくださる方、本当にありがとうございます。
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