ほむらちゃん、ごめんね私モテモテになる。さあ叶えてよインキュベーター   作:じゃあな・アズナブル

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第八話 暁美ほむら①

誰にも気づかれないように、世界が静止していた。風も音も、時間さえも――すべてが凍りついた空間の中で、ただ一人、彼女だけが歩を進める。暁美ほむら。止まった街を抜け、一直線に目的地に向かっていく。

そこにいたのは、鹿目まどか。隣には巴マミと佐倉杏子。三人で談笑していたその光景は、今は時間に封じられ、まるで絵のように静まり返っている。

ほむらは迷いなく歩み寄り、まどかの手をそっと取った。そして――時が動き出す。

 

「――ほむらちゃん?」

 

突然の接触に、まどかが目を丸くする。ほむらはその手を離さず、静かに言った。

 

「まどか、私と来て」

 

「えっ……どうしたの?」

 

「お願い。今は説明している時間がないの」

 

その声音には、いつもの冷静さではなく、焦りと決意が混じっていた。まどかは戸惑いながらも、立ち上がる。

 

「お、おい、なんだってんだよ?」

 

杏子が眉をひそめて声を上げる。マミも立ち上がり、険しい表情でほむらを見つめた。

 

「暁美さん、それはどういうことか説明してもらえるかしら?」

 

返答はなかった。ほむらは再び時間を止め、まどかの手を引く。

 

「ちょっ、ほむらちゃん!? これってなに!? どういうことなの!?」

 

声にならない声をあげるまどか。それでも、ほむらの瞳は揺るがなかった。

 

「ごめんなさい。でも……お願い、本当に急いでるの」

 

その真剣な眼差しに、まどかは何かを感じ取ったようだった。数秒の沈黙ののち、小さくうなずく。

 

「……わかった。連れてって」

 

手を引いたまま、公園を後にする。時間の止まった世界。マミと杏子の姿は、動かぬ像のように背後に残った。

――間に合ううちに。あの子を救えるのは、まどかしかいない。その確信が、ほむらの足を速めた。

まどかの手は、小さく震えていた。けれど、その指が離れることはなかった。

 

「さやかちゃんに……会いに行くの?」

 

静かに問われ、ほむらはうなずく。

 

「ええ。あなたが行かなければ、彼女はきっと……壊れてしまう」

 

その言葉に、まどかは返事をしなかった。ただ、小さく唇を結び、瞳を伏せる。――夜の街。

荒れた空気が、辺りに沈殿していた。制服姿のまま、膝を抱えて座り込んでいる美樹さやかの姿が、暗がりの中にあった。

近くには、激しく破壊された自動販売機。使い魔か何かと争った痕か、それとも――ただ、感情のままに暴れたのか。まどかが駆け出す。

 

「さやかちゃん!」

 

その声に、さやかがゆっくりと顔を上げた。だが、その瞳には光がなかった。まどかを見ても、驚きも、安堵も、まるで浮かばない。

 

「まどか……どうして……来たの?」

 

絞り出すような声だった。

 

「心配だからに決まってるよ!」

 

張り詰めた声。泣きそうな声。まどかの叫びに、さやかの肩がわずかに震えた。

ほむらは、その様子を少し離れた場所から見守っていた。聞こえてくるのは、拗れた想いと、必死な願いのぶつかり合い。

まどかの言葉に込められた真心と、さやかの傷ついた心が、まるでかみ合わず、それでも交わろうとあがいていた。

 

「……ごめんね、さやかちゃん……ごめんなさい……っ」

 

その声はか細く、震えていた。まどかの肩が小さく揺れる。涙が、頬を伝って落ちていく。困惑の色が、さやかの顔に浮かぶのが、ほむらの目にもはっきりと映った。

 

「ちょ、ちょっと……まどか? なんであんたが謝るのよ」

 

戸惑いながらも、さやかがまどかの肩にそっと手を伸ばす。けれどまどかは、その手を振り払うわけでもなく、ただ首を振った。肩をすくめるようにして、涙をこぼす。

 

「私、何もできなかったのに……さやかちゃんが、こんなに無理してたのに……!気づいてたのに、ちゃんと止められなかった……!」

 

まどかの言葉は震えながら、痛いほど真っ直ぐだった。

 

「まどか、違うって!」

 

さやかが声を張る。否定というより、必死な懇願だった。

 

「全部、あたしが決めたことなんだよ。恭介の手を治すって、魔法少女になるって、あたしが……自分で選んだの!だからまどかは、そんな顔しないでよ……!」

 

まどかは、顔を伏せたまま、泣いていた。さやかがその肩を抱く。焦りと、不器用な優しさが、ぎこちなく滲んでいた。

だが――まどかの胸には、拭いきれない罪悪感が残っていた。それは、打ち明けていない願い。

自分もまた、キュゥべえに願ってしまったこと。それを、まださやかに伝えていないという事実。その秘密が、まどかの心をひそかに蝕んでいた。

ほむらは、二人の様子を黙って見つめていた。触れない。踏み込まない。ただ、見届ける。

 

***

 

さやかの自宅にたどり着いた頃には、彼女はすっかり疲れ果てていた。布団に身体を沈めると、何も言わずに目を閉じる。その寝息は浅く、不安定で、それでも――ようやく少しだけ、休まったように見えた。

無理もない。魔力を回復力に全振りして戦うということは、肉体だけではない。精神までも、じわじわと削られていく。

しばらくまどかと一緒に彼女の寝顔を見つめてから、ほむらは静かに立ち上がった。さやかの家を後にし外へ出る。夜風が頬を撫で、少しだけ髪が揺れた。

すぐ隣に、まどかが立つ。両手を胸元に重ねて、不安そうな顔をしていた。

 

「……ありがとう、ほむらちゃん」

 

その一言が、風に乗って届いた瞬間――心臓が、小さく跳ねた。彼女の声はか細く、それでも確かに、まっすぐにそこにあった。

 

「ほむらちゃんがいてくれてよかった」

 

あたたかな笑顔。ほむらは目を伏せ、小さく首を振る。

 

「私は、何もしていないわ。結局……あなたが、彼女を救ったのよ」

 

まどかは、首を振って、さらに微笑んだ。

 

「そんなことないよ。さやかちゃんも、きっとわかってると思う。……ほむらちゃんが、助けようとしてくれたって」

 

その言葉に、ほむらはもう一度まどかの顔を見つめた。街灯の光に照らされたその横顔が、やけに眩しくて、思わず呼吸を忘れそうになる。

まどかが小さく息を吸う気配が伝わってきた。その仕草だけで、彼女が何かを決意したのだとわかった。

 

「……話さなきゃいけないことがあるの」

 

声は、わずかに震えていた。恥ずかしさと罪悪感――それでも打ち明けようとする、まどかの勇気に、ほむらは静かに向き合った。

 

「実は、私……契約してて。魔法少女になったはずなの。でも、なぜかキュゥべえには“契約していない”って言われてて……それで、そのときにね――」

 

そこまで言ったところで、ほむらはそっと首を振った。

 

「言わなくていいわ」

 

まどかが、目を見開いた。

 

「え……?」

 

「あなたの願いが、どんなものであれ……私があなたを守りたいって気持ちは、変わらない」

 

その瞬間、まどかの唇がわずかに震えた。目を伏せて、何かを堪えるようにしている。――打ち明けたい気持ち。

恥ずかしさ。罪悪感。それらがせめぎ合っているのが、痛いほど伝わってきた。けれど、構わない。

鹿目まどかこそが、自分のすべてなのだから。たとえ、何を願ったとしても――守り抜く。それだけは、決して揺るがない。それが、暁美ほむらの願い。

 

「……ありがとう」

 

まどかが、小さく呟いた。その一言だけで、ほむらの胸の奥に、またひとつ静かな光が灯る。

まどかの声は、震えていた。罪を告白するような口調。けれど――そんなことは、とっくに知っていた。

まどかが契約したこと。その願いの中身。……全部、もう知っていた。

(――知ってるわよ。あなたが、“モテモテになりたい”って願ったことくらい)

可愛らしい願い。ほほえましい。普通の女の子らしい、なんの罪もない願い。

でも、そんなことは問題じゃない。それを本人の口から聞いたわけじゃない。

けれど、時を止めて仕掛けた盗聴器や、夜中にこっそり忍び込んだ部屋での独り言。まどかのすべては――いつだって、ほむらの中にあった。

さやかまどかを見る目線も。マミも杏子も、明らかに“今までと違う”態度を向けている。

……すべては、あの願いのせい。

(滑稽ね。みんな、まどかに惹かれてる。魔法にでもかかったみたいに)

でも――違う。私は違う。

(私があなたを守りたいと思ったのは、そのずっと前……あなたが願いを願う、もっともっと前から。ずっと、ずっと……あなたを想っていた)

まだ魔法少女になる前。無力で、臆病だった私に優しく微笑んでくれた、あのときから。あなたの言葉に、手に、心に――私は救われた。

(あの瞬間からよ。あなたが、私の世界のすべてになったのは)

だから、誰かがまどかに近づくたび、胸の奥が軋む。気安く名前を呼ぶ声に、苛立ちがこみ上げる。

(でも……大丈夫。あなたを守るのは、私。まどか、あなたのことは、私が一番よく知ってる)

いつから? ――答えられない。気づいたときにはもう、ずっとそうだった。誰よりも早く、誰よりも深く、まどかに堕ちたのは――この私。

(……ねぇ、まどか。あなたが何を願っても、私の気持ちは変わらない)

暁美ほむらは、鹿目まどかを守る。たとえ、この世界のすべてを敵に回してでも。

――まどかに触れたい、と思うことがある。

指先で、髪を撫でてみたい。柔らかな頬に、自分の体温を伝えてみたい。あの細い肩を抱きしめて、逃げられないように――閉じ込めてしまいたい。

(……でも、駄目よね。そんなことをしたら、きっとまどかは怯える)

だから、我慢する。代わりに、時を止めて――眠るまどかを何度も見に行った。上下する胸の鼓動に安心して。寝言に微笑んで。

ただ、それだけで、少しだけ救われた気がした。ある夜は、そっと指先でまどかの指に触れた。起こさないように、ほんの一瞬だけ。それだけで、心臓が壊れそうになるほど――苦しくて。嬉しくて。

(……ああ、私、やっぱりおかしいのね)

でも、それでもいい。普通じゃなくても。たとえ誰から理解されなくても――

まどかを好きでいる資格くらい、私にだってあるはず。だって私は……

(どれだけ世界が壊れても、何度同じ時間を繰り返しても、あなただけを想ってきた)

そう。何度も、何度も。誰よりも早く、あなたを知って。誰よりも深く、あなたを愛して。そして、誰よりも多く――あなたの死を見た。

(だから、私だけは特別なの。私だけは、あなたを特別に想っていいの)

その想いだけを支えに、何度も時を巻き戻した。ただ、笑ってほしくて。生きてほしくて。それだけの願いだったはずなのに。

どれだけ努力しても、どれだけ戦っても……あなたはいつも、最後には死んでしまった。

(今度こそ、違う。この世界のあなたは――私が、必ず守り抜く)

たとえそれが、あなたの願いによって、誰からも愛される存在になっていたとしても。

(……それでも、私はあなただけを愛する。歪んでいても、汚れていても。それが、私のすべてだから)

たとえこの気持ちが、魔法よりもおぞましい“呪い”だったとしても。

――まどかの声が、現実に引き戻した。見上げたその瞳が、真っすぐにほむらを見つめていた。

 

「ありがとう、ほむらちゃん」

 

その一言が、胸の奥をじわりと溶かしていく。ああ――なんて、愛おしいのだろう。

この世界の誰よりも、深くまどかを知っている。誰よりも強く、触れたいと願っている。

そして、まどかが他の誰かに微笑むたびに――胸が焼かれるように、痛む。

でもそのことは――まどかには、知られてはいけない。

この想いの底が、どれほど歪んでいて、どれほど狂っているのかなんて。――まどかが知ったら、きっと怖がる。拒絶するかもしれない。それでも構わない。

いいえ、怖がらせたくはない。だから今は、まだ言わない。

(でも……いつかきっと、私だけを見てもらう。この愛のすべてを――あなたに、捧げるその日まで)

 

***

 

まどかの家の前で、彼女と別れを告げたあと――ほむらは、しばらくその背中を見つめていた。

何度目の「さよなら」だろう。何度目の「またね」だろう。本当なら、この余韻のまま帰って、ベッドに倒れ込みたい。

まどかの声を思い出しながら、ゆっくりと眠りにつけたら、どれだけ幸福だろうか。でも、それは許されない。私は彼女を守るためにここにいる。そのために、やらなければならないことがある。

ほむらは小さくため息を吐き、踵を返す。向かう先は、巴マミと佐倉杏子のもと。さすがに、あのまま説明もなくまどかを連れ去ったことには納得していないだろう。

ワルプルギスの夜に協力してもらうには、不信感を残すわけにはいかない。

 

「さて、行こうかしら」

 

そう呟いたその瞬間――

 

「その必要はないわよ」

 

静かに落ちた女の声。淡々としながらも、その底には明確な怒気があった。ふと横を向くと、金色の髪が揺れている。巴マミ。その隣には、やや不機嫌そうな顔の赤毛――佐倉杏子の姿もあった。

(あら、探す手間が省けたわね)

ほむらは眉ひとつ動かさず、心の中だけで呟いた。マミが一歩、前へ出る。

 

「暁美さん、説明してもらえるのよね。あなたが、鹿目さんを連れ去った理由を」

 

声音は丁寧だったが、瞳の奥はまったく笑っていなかった。続くように、杏子が眉をひそめる。

 

「……お前、まどかになにかしたんじゃねぇだろうな」

 

その問いには、焦り――それだけではない、どこか妙な感情がにじんでいた。やっぱり。彼女も“惹かれて”いる。

ほむらは二人の視線を静かに受け止める。まどかのためなら、言葉も感情も、すべて削ぎ落とせる。

 

「……彼女を連れ出したのには、理由がある」

 

低く、澄んだ声。濁りのない響きが、その場を貫く。マミと杏子が視線を重ねるように、同時にほむらを見つめた。

 

「理由? もちろん私たちが納得できるものよね」

 

マミの口調はなお冷たい。

 

「美樹さやかのことよ。……彼女の様子は、明らかにおかしかった。心も、身体も、限界に近い」

 

その言葉に、杏子の眉がわずかに動く。

 

「……さやかが、ね」

 

小さく呟くように。だが、その奥には確かに何かが響いていた。

 

「もう限界を越えていたの。私の目には、崩れる一歩手前にしか見えなかった」

 

ほむらは言葉を切って、まっすぐマミを見つめた。

 

「それでも、彼女が持ちこたえられたのは――まどかの存在があったから」

「だから、連れて行ったの。彼女を救えるのは、あの子だけだったから」

 

しばしの沈黙。マミの睫毛がわずかに揺れる。口元は固く結ばれたまま、何も言わない。

杏子が肩をすくめ、何か言いかけて――やめた。代わりに、マミがぽつりと問いかける。

 

「それで、美樹さんは……今どうしてるの?」

 

「……少しは落ち着いたわ。でも、それだけじゃ足りない。彼女の心は、まだ揺れてる」

 

ほむらが静かに目を伏せる。

 

「だからって、どうしようもねーだろ」

 

杏子が吐き捨てるように言った。

 

「さやかを、ワルプルギスの夜との戦いに連れてくわけにはいかねーんだ」

 

マミが苦い表情を浮かべる。

 

「そうね……心配だけど、鹿目さんに見てもらうしかないかしら」

 

「まどかに、さやかの面倒を見させるってのか?」

 

杏子が眉をひそめた。

 

「ええ。あの子なら、美樹さんが無茶をしても止められる。放っておいたら、あの子――きっと無理を押してでも戦いについてくるわ」

 

「……それで、まどかが止めてる間に、私たちがワルプルギスを片づけるってわけか」

 

杏子の声には、覚悟がにじんでいた。

 

「今日はもう遅いわ。明日、改めて三人で話し合えないかしら」

 

マミが静かに微笑を浮かべて言った。

 

「私の家で集まりましょう。ちゃんと準備しておくわ」

 

杏子は腕を組んだまま鼻を鳴らす。

 

「へっ、仕方ねーな」

 

ほむらも目を伏せ、小さくうなずいた。夜の帳が静かに下りる。戦いの気配は、確実に、すぐそこまで迫っていた。

 

***

 

ティーカップが控えめな音を立て、静まり返った部屋に小さく響いた。

巴マミの部屋。穏やかな調度と香り高い紅茶の香りに包まれた空間は、しかし今日に限って張り詰めた空気に支配されていた。

三人の魔法少女が、テーブルを囲んで座っている。暁美ほむら、巴マミ、そして佐倉杏子。

普段なら交わることの少ない三人が、今は同じ目的――ワルプルギスの夜に備えるため、顔を揃えていた。

 

「で? ワルプルギスの夜は、いつ来るんだよ。はっきりわかんのか?」

 

静寂を破ったのは、杏子のぶっきらぼうな声だった。ほむらは答えを急がず、静かにカップをソーサーに戻す。

 

「──今週末。遅くとも、それまでにはこの街に来る」

 

杏子が舌打ちを漏らし、ソファの背にもたれた。

 

「マジかよ。思ったよりはえーじゃねーか」

 

「……近いわね」

 

マミが小さく息を呑み、眉を寄せた。

 

「策はあるの? 暁美さん」

 

ふたたび、二人の視線がほむらに集まる。この瞬間のために、どれだけ準備を重ねてきたか。ほむらの表情は微動だにせず、静かで、冷たいほどに落ち着いていた。

 

「……私には、“時間を止める”力があるわ」

 

一瞬、部屋の空気が凍りついたようだった。

 

「……は?」

 

先に反応したのは杏子だった。

 

「何だって? 時間を止める?」

 

「それはまた、とてつもない能力ね」

 

マミが静かに言った。

 

「時間を止めて、その間に私は移動できる。攻撃を避けたり、位置を変えたり……その力を使えば、ワルプルギスの夜にも対抗できる」

 

「確かに、その能力を使えばワルプルギスの夜だろうと勝てるかもしれないわね」

 

さすが巴マミ。年長者としての経験と判断がある。ほむらは淡々と続けた。

 

「私が時間を止めている間に爆薬で奴の動きを封じる。そして弱ったところを三人で一斉に叩く。そういう作戦を想定してる」

 

「爆薬……?」

 

杏子の顔がわずかに引きつる。

 

「またえらい物騒なもん使ってんな」

 

「他に手がないのよ。あの魔女は規格外。正面から挑んでも、各個撃破されるのがオチ」

 

言い切ったあとに訪れた沈黙は、重く、部屋の空気を圧してきた。それでも。

 

「私の能力と、あなたたち二人の協力があれば勝てる。そう信じてる」

 

この繰り返される時間の中で、彼女たちと十全に力を合わせて戦えたことは、まだ一度もなかった。

けれど――この二人となら、それができる。今はそう、思えるのだった。

 

***

 

夜の街を、二人の少女が並んで歩いていた。マミの家での作戦会議を終えた帰り道。静まり返った住宅街に、靴音だけが規則的に響く。口火を切ったのは杏子だった。

 

「……悪かったな」

 

ほむらは横目で彼女を見る。

 

「何の話?」

 

杏子は少しだけ顔を背けながら、素直じゃない口調で続けた。

 

「お前、前に言ってたろ。マミのこと信用できねーって。それなのに勝手に巻き込んじまった。だから……まあ、その、悪かったなって言ってんだよ」

 

その言葉に、ほむらはわずかに目を細める。

 

「ああ、その話ね。気にしてないわ」

 

軽く肩をすくめるようにして、言葉を継ぐ。

 

「ワルプルギスの夜と戦うには、戦力は多いほうがいいのは事実だし。それに――」

 

言いかけて、夜空を見上げた。雲の切れ間から覗く月は、どこか滲んで見えた。

 

「ここのマミは、まどかがいる限り――安定しているはずよ。まどかに不利益な行動は取らない」

 

杏子が眉をひそめる。

 

「……ここのって、なんだよ。それ」

 

ほむらは口元にわずかな笑みを浮かべた。

 

「やっぱり、まどかは素晴らしいわ。彼女がいるから、全部うまく回ってる」

 

「お前……もしかして……」

 

立ち止まった杏子が、じっとほむらを見つめる。何かに気づいたような視線だった。

 

「どうしたの?」

 

小さく首をかしげたほむらに、杏子はしばしの沈黙ののち、低く問いかける。

 

「お前、今回で……何回目だ?」

 

その言葉に、ほむらの足も止まった。数秒の静寂のあと、彼女は小さく微笑む。

 

「あら……気づいたのね」

 

「お前の“時間を止める”って能力を教えてもらった後じゃ、いやでも気づくだろ……」

 

杏子の声は低く、どこか苦い響きを含んでいた。

 

「そうね。数えるのは――もう、やめてしまったから」

 

ほむらは静かに、けれどどこか遠くを見るように呟いた。

 

「何回目かは、もうわからないわ」

 

杏子の足が止まる。目を細め、じっとほむらを見つめながら問いかけた。

 

「……お前、なんでそこまで……?」

 

ほむらは、ゆっくりと振り返る。その瞳は、まるで闇を映したように、どこまでも虚ろだった。

 

「まどかよ」

 

乾いた声だった。慈愛も憧れも、すべて沈んだ、底のない声。

 

「私は彼女を救う。……あの子と約束したの。だから……」

 

言葉の切れ目に、夜の風がすり抜ける。杏子は奥歯を噛み、低く絞り出すように言った。

 

「救うって……まどかは、どうなるっていうんだよ……!」

 

ほむらは答えず、ただ一歩、彼女に近づいた。そして、ぽつりと問い返す。

 

「佐倉杏子。あなたは、魔法少女の運命を知ってる?」

 

杏子が息を呑む。「運命……?」と口の中で繰り返す声は、かすかに震えていた。

 

「私たち魔法少女は、魔女と戦う。でも実際には――私たち自身が、魔女になる運命なの」

 

「――は?」

 

杏子の声が震える。だが、ほむらは構わず淡々と続けた。

 

「ソウルジェムは、力の源。でもそれは同時に、絶望を溜め込む器でもあるの」

 

夜風が吹く。黒髪が揺れ、その表情をさらに陰らせる。

 

「魔女を倒せば、“グリーフシード”で穢れを浄化できる。けれど、それが手に入らなければ……ソウルジェムは濁っていく。そして限界を超えたとき――」

 

一拍置いて、静かに告げる。

 

「魔法少女は、魔女になる」

 

杏子はわずかに顔をしかめた。その目に宿っていたのは、信じられないという色ではない。理解してしまったがゆえの、静かな恐怖だった。

 

「……ふざけんな……それじゃあ……」

 

「そう。私たちは希望を叶えるため願って契約した。でも、最後には絶望から災厄になる存在へと堕ちるのよ。皮肉な話でしょう?」

 

ほむらの目が細くなる。そこにあったのは怒りでも悲しみでもない。ただ、見飽きた悲劇への冷ややかな諦め。

 

「そして――キュゥべえ。あいつの目的は、そこにある」

 

「……目的?」

 

「人間の感情――希望から絶望への落差。そのエネルギーを回収するために、魔法少女を増やしてるのよ。私たちが、魔女になることで生まれるそれを」

 

杏子はぐっと拳を握りしめた。

 

「クソッ……! 全部、仕組まれてたってのかよ……!」

 

「ええ。最初からよ。だから――まどかを、あんな目に遭わせるわけにはいかない」

 

その瞬間、ほむらの瞳に光が戻る。それは狂気に似た、固く揺るがぬ意志の輝きだった。

 

「あんな目って……」

 

ほむらの唇が開く。吐息のように、言葉が落ちる。

 

「……まどかが、魔女になること」

 

杏子の目が見開かれた。けれど、ほむらの口から次の言葉が途切れることはなかった。

 

「この目で見たの。まどかが絶望して、ソウルジェムを濁らせて……そして――世界を壊すほどの魔女になった姿を」

 

その視線が伏せられる。黒い睫毛の奥で、光のない瞳が揺れる。

 

「何度も繰り返した。時間を、世界を。まどかを救う、たった一つの未来を見つけるために……。私だけが、彼女の絶望を否定し続けてきた」

 

声が震えた。だがそれは、悲しみではない。祈りが歪みきった果ての、執念の声音。

 

「まどかは優しいから、誰かのために自分を犠牲にしてしまう。自分だけが痛みを引き受けようとする。そんなの、おかしいでしょう……?」

 

ふっと口元に笑みが浮かぶ。乾いていて、どこか哀しい微笑だった。

 

「そんな彼女を守れるのは、私しかいない。まどかを本当に理解できるのは、私だけ。誰よりも彼女を見てきた。何回も、何回も……あの笑顔も、涙も、諦めも――」

 

指先がかすかに震える。感情がにじむように、冷たく澄んだ声が続いた。

 

「誰にも渡さない。まどかは、私だけのもの。世界を敵に回してでも、彼女を救ってみせる」

 

沈黙が落ちた。杏子は、ただ立ち尽くしていた。言葉が出なかった。目の前の少女が、何を見て、どれほどの地獄を歩いてきたのか――その断片に、ようやく触れた気がした。

風が吹いた。夜の静けさを裂くように、さわりと髪を揺らす。ほむらは冷ややかに微笑みながら、言葉を継いだ。

 

「だから、まどかのことは――諦めてくれる?」

 

その一言に、杏子の身体がビクリと跳ねた。

 

「な、な、なにを言ってやがる!」

 

顔を真っ赤に染めて、一歩下がる。動揺があまりに大きく、言葉が上ずる。いつものような鋭さは、影も形もなかった。ほむらの視線は変わらない。微笑を絶やさず、静かに、けれど突き刺すように言葉を放つ。

 

「佐倉杏子。あなた、まどかのこと……気になっているのでしょう?」

 

「ち、ちげーよっ!!」

 

即答だった。反射の否定。けれど、その声は裏返っていて、説得力には程遠い。

 

「べ、別に……そんなつもりじゃ……ただ、気にかけてるだけで……っ!」

 

しどろもどろの弁解。どこか苦しげな、逃げ腰の言葉。そんな杏子の前へ、ほむらは無言で一歩、踏み出した。

月明かりに照らされた影が、杏子の足元まで伸びる。細く長いその線が、夜の闇と溶け合い、空気の温度まで奪っていくようだった。

 

「大丈夫。あなたの気持ちは、否定しないわ。……私も、わかるから」

 

そこで、ふと言葉が切れる。

 

「でも――譲れないの。あの子だけは」

 

ほむらの瞳に、冷たい炎が宿る。凍てつくような熱が、静かに、確かに、杏子の胸元にまで押し寄せてきた。

杏子は喉を鳴らした。何かを言い返そうとして、けれど、言葉が出なかった。沈黙を破ったのは、杏子の震える声だった。

 

「あたしだって、あいつのことが……っ、きゅうっ……!」

 

妙な声が漏れた。杏子は顔をさらに真っ赤に染め、思わず唇を噛みしめる。その言葉の続きを、喉の奥に押し込んだ。

 

「そ、そもそもさ……あいつがどう思ってるかだよな? あたしがどうこう言うことじゃねぇし、別に――」

 

必死に話を逸らそうとするような言葉。だが、ほむらの瞳が細められる。浮かぶのはどこか優しげな微笑。けれど、その笑みに慈悲の色はなかった。

 

「いいじゃない。あなたのその気持ちも、まどかの“願い”によって生まれたものだって……知ってるんでしょう?」

 

「……あ?」

 

杏子の目が鋭くなる。今、確かに――聞き捨てならない何かを、言われた気がした。

 

「私は違うわ。この世界で、ただひとり。あの子の願いより――ずっと、ずっと前から、あの子を愛してるもの」

 

それは、誇らしげな宣言だった。ほむらは勝ち誇ったように言い切る。声音は静かで、けれど揺るがぬ自信に満ちていた。

 

「……あんま、舐めんなよ」

 

低く唸るような声が、杏子の喉から漏れる。

 

「たしかに、“願い”のせいかもしれねぇ。……けどな、そんなの、関係ねぇよ!」

 

その目に宿った光は、怒りと――そして、確かな決意。

 

「この想いは、あたしのもんだ! 誰にどう言われようと、願いの副産物だろうと……関係ねえ!あたしは、あいつを……まどかを、本気で――!」

 

言いかけた言葉を、杏子は唇の奥に押し込めた。叫んでしまいそうな自分を、寸前で抑え込む。

 

「……だから、勝手に決めつけんなよ」

 

その声はかすれ、けれど確かに届いていた。握り締めた拳が、小さく震えていた。

 

「もう、いい加減にしなさいよ」

 

唐突に響いたその声は、驚くほど軽やかだった。杏子が肩を跳ねさせて振り向く。

 

「マミ、お前っ……!」

 

そこには、腕を組んで立つ巴マミの姿があった。にこやかに微笑んではいるが、背筋を撫でるような冷たい気配を纏っている。

 

「聞いていたの?」

 

ほむらの問いに、マミは頷いて言った。

 

「ええ、全部。しっかり聞かせてもらったわ」

 

その言葉に、杏子もほむらも一瞬、沈黙する。けれど、マミの声音はあくまで穏やかだった。

 

「私たちは、これから“ワルプルギスの夜”と戦うのよ。三人で協力しないと、勝ち目なんてない」

 

そう言って、マミはくるりと背を向ける。夜風を受けながら、呟くように続けた。

 

「喧嘩してる暇なんてないわ」

 

「……聞いてたんでしょ? 魔法少女の運命のこと、それにまどかのこと」

 

夜の静寂のなかで、ほむらの声だけがひどく冷たく響いた。

 

「巴マミ、あなたはそれでいいの?」

 

「……いいって、何が?」

 

マミはゆっくりと振り返る。月光がその横顔を照らし出す。ほむらは一歩、前に踏み出して――はっきりと言い放った。

 

「あなたのその好意が、“願い”によって作られたものかもしれないってことよ」

 

しばしの沈黙。杏子が小さく息を呑む。だが、マミは――ふふっ、と小さく笑った。

 

「そんなこと?」

 

まるで些細な悩みでも聞いたかのような軽やかさで、微笑みながら言った。

 

「別に気にしないわ。だって、彼女は私に“私は一人じゃない”って思わせてくれたもの」

 

その笑みは穏やかで、けれど揺るがなかった。優しさと、覚悟がにじむ瞳だった。

 

「私にとっては、それだけで十分よ」

 

まっすぐにほむらを見据え、静かに続ける。

 

「だから――暁美さんにも、佐倉さんにも、負けないわよ」

 

「マミ、お前……」

 

杏子がぽつりとつぶやいた。マミは微笑んだまま、最後の言葉を締めくくった。

 

「でも――すべては、“ワルプルギスの夜”を倒してからよ」

 

「暁美さん……あなたの経験で今まで、私たち三人が揃ってワルプルギスの夜と戦ったことって、あったのかしら?」

 

その問いに、ほむらは少し視線を伏せたあと、ゆっくり首を振る。

 

「……ないわ。いつも、誰かが足りなかった。あるいは、誰かが傷ついていた。そういう世界ばかりだった」

 

その目は、過去の無数の時間軸を見つめていた。

 

「だけど、この世界は違う。奇跡みたいに、今、私たち三人がここにいる」

 

その言葉に、杏子が苦笑いを浮かべる。

 

「奇跡ねぇ……魔法少女になった後も奇跡に頼るなんてさ。でも――」

 

杏子は、鋭い目で空を見上げる。

 

「こんだけ揃ってんだ。負ける気がしねぇよ」

 

「そうね……この三人なら、きっと勝てるわ」

 

ほむらはしばしマミを見つめたのち、ふっと小さく笑った。

 

「……このマミは手強そうね」

 

夜風が三人のあいだを吹き抜ける。張りつめていた空気が、少しだけ緩む。そのまま、三人は小さく笑い合った。

たとえ想いがすれ違っていても、嫉妬や執着を抱えていても――今だけは、同じ敵を見据える仲間として、並んでいた。




※ほむらちゃんが願いの前から愛してるだのなんだのいろいろと言っていますが、まどかの願いの影響をしっかり受けて、ちょっとおかしくなっています。
……とはいえ、もともと素質はあった気もしますが……。

それと初期案では、時間停止を使ってまどかのぱんつを盗むような、俗に言う“変態ほむらちゃん”みたいな感じを書く予定でした。なんか出来上がったものは違う気がします……。
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