機動戦士ガンダムSEED - The Children of Mendel - 作:坂井雄二
偽りの平穏
――C.E.71年。資源衛星ヘリオポリス。
中立国オーブが所有するこのコロニーには、戦争の影はまだ届いていなかった。
「……ん」
カーテン越しに差し込む光と、どこかから聞こえる食器の音で目が覚めた。
朝のリズムは、毎日ほとんど変わらない。
でも、それが僕にとっては何よりの安心だった。
起き上がると、壁にかけられた写真が目に入る。
シュラとグリフィンが、オーブ本国に発つ前に撮った集合写真。
兄弟姉妹が全員そろっていて、父さんと母さんが嬉しそうに真ん中で笑ってる。
(あの時は、いつかまたみんなで集まろうね、って言ったっけ)
僕は少しだけ伸びをして、寝癖を整えるのもそこそこにリビングへ向かった。
「おはよう」
「おはよう、キラ。今日はちょっと寝坊ね」
イングリット姉さんが小さく笑いながら、いつものミルク多めの紅茶を差し出してくれた。
「ありがと……」
ダイニングでは、リューがパンを頬張りながら誰かと会話中。
「でさ、グリフィン兄さんからまた手紙来てたんだよ。なんか“飯まずい”って」
「……それ、毎回じゃない?」
オルフェ兄さんがコーヒーを啜りながら苦笑する。
「季節行事と母の日以外ほぼ音沙汰なし」のグリフィンだけど、今年は律儀に便りをくれていた。
「今回は珍しく、写真もついてた。ほら、演習中のやつ」
リューが封筒から出したプリント写真。
険しい顔でMS整備エリアに立つグリフィン兄さんの姿が写っていた。
「無口だけど、なんだかんだで気にかけてくれてるのよ」
イングリット姉さんがそう言って微笑んだ。
僕もこっそり同意した。あの人なりの“家族愛”は、伝わってくる。
「それより、こっちも見てくれよ」
と、リデラードが取り出したのは、手書きの封筒。
「シュラ兄さんから? わ、また手紙……って、めちゃくちゃ分厚くない?」
「3ページびっしり。最近の訓練記録から、同期の愚痴、母さんの健康確認、あと“オルフェ、もっと早く返事しろ”って」
「俺、返事書いたよ!? 昨月!」
「1週間以内じゃないとダメなんでしょ、あの人基準では」
僕は思わず吹き出した。
シュラは本当に筆まめで、出発してからも数週間おきに手紙を寄越してくる。
いつも内容はまじめで、律儀で、でもどこかあたたかい。
「こうしてさ、遠くにいてもつながってるって、いいよね」
ふとこぼれた僕の言葉に、みんながうなずいた。
**
「ところで、今日の昼……オルフェ兄さんはゼミ?」
「いや、モルゲンレーテ。技術補佐。新しい装甲試験があるって聞いてる」
オルフェ兄さんが肩を回しながら言う。
その動きのなかに、どこか“気配り”が見えた。
彼はいつも、自分よりも周囲を気にかける人だ。
「ダニエルは?」
「今日も昼から。たぶん、午前中はデータ整理してるんじゃないかな。部屋で」
「昨日のパン、ちゃんとなくなってたよ。牛乳も空になってた」
リューが何気なく言って、みんなが少しだけ安心したようにうなずく。
姿を見せなくても、“そこにいる”とわかるだけで――心が温かくなる。
「……僕、ダニエルに会ったの、もう三日くらい前かも」
「そんなもんじゃない? あの人、人混み苦手だし。会話も少ないけど……でも、ちゃんと見てるわよ、私たちのこと」
イングリット姉さんの言葉に、僕はこくんと頷いた。
あの静かな扉の奥にいる兄さんが、きっと今日もどこかで、僕たちの背中を見守っている。
**
「じゃ、そろそろ行こうか。カズイたちと駅前で合流でしょ?」
「うん、もうそんな時間か」
鞄を手に、立ち上がる。
母さんがエプロン姿で振り向いた。
「みんな、気をつけてね」
「いってきます!」
父さんが微笑んで新聞を畳む。
「平和な日っていうのは、意識して守らないといけないんだよ」
その言葉が、不思議と心に残った。
――今日も、普通の朝。
だけど、どこかで“何か”が変わりはじめているような、そんな予感が胸の奥で揺れていた。
____
玄関を出ると、明るい人工太陽の光が歩道を照らしていた。ヘリオポリスの空は、いつも変わらず青く、風の音も穏やかだった。
3人並んで歩く道――それは毎朝の決まり事のようなものだ。
「今日、物理演習あるよな。課題、やってるだろうな?」
「一応……ギリギリだけど」
「ギリギリは”やってない”と同じだぞ。リューが聞いたら嘆くぞ」
オルフェの小言に、僕は苦笑する。
「でも、ちゃんとやったよ。」
交差点を渡った先には、見慣れた姿がひときわ明るく手を振っていた。
「おーい! キラたち、先に行っちゃうのズルいー!」
ミリアリアが駆け寄ってきて、トールもその後ろを小走りに追いかけてくる。
「昨日の課題、手伝ってくれてありがとなー、オルフェ兄」
「兄、は余計だ。……でも、まぁ、お疲れ」
「ミリィ、また宿題やってなかったのか?」
「ちょっとだけ、ちょっとだけよ! あ、今日のお弁当は焦がしてないから!」
イングリットが笑って答える。
「……焦げてない、だけじゃなくて、美味しくなってるといいわね」
「うぐ……そ、それは食べた人が判断するの!」
僕はそのやり取りを見ながら、自然と口元が緩んでいく。
やがて、サイとフレイも合流し、通学メンバーは全員集合。
「今日もいつも通りの朝だな……」
「その”いつも通り”が、一番ありがたいことよ」
イングリットがぽつりと言った言葉が、なぜか胸に残った。
このときは、まだ気づいていなかった。
この”いつも通り”が、もうじき大きく変わってしまうということに――
午後の講義を終えたキラたちは、キャンパス内でも立ち入りの少ない区画にある研究室の前に立っていた。
「ここがカトウ教授の研究室だよ。教授は今日は不在だけど、資料だけ届けてくれって」
そう言って、サイが胸元のファイルを軽く持ち上げる。
「研究室開いてるのか? 無人の研究室って緊張するよな……何か触ったら怒られそう」
カズイが神経質に呟くと、ミリアリアが笑って背中を軽く叩いた。
「ビビりすぎ。あんたじゃあるまいし、キラが間違えるわけないでしょ?」
「え、僕!?」
そんな中、オルフェとイングリットは無言で周囲の警備装置やドア端末を観察していた。
「このロック、かなり古い。誰かが最近開けた痕がある」
「……教授が開けたのか、あるいは――」
イングリットが口を閉ざし、扉に手をかけた。
「……開いてる。……誰か、いる?」
先頭を歩くイングリットが声をかける。
キラ、オルフェ、サイ、ミリアリア、トール、カズイが続いて入室すると、部屋の隅に立つ人影が一つ。
「……なんだ、あんたたち」
低く警戒心に満ちた声が返る。
声の主は、つばの広い軍帽のような帽子を深く被り、腕を組んで壁に寄りかかる少女だった。焦げ茶のジャケットと、短めのパンツ姿。どこか場違いな風貌のその少女は、明らかに学生ではなかった。
「えっと……カトウ教授に用があって……」
と、キラがやんわりと声をかけるが、少女の視線は鋭く、まるで敵かどうかを値踏みするかのようだった。
「教授なら、どっか行ったみたいだぞ。何も言わずにな」
「君は……関係者?」
イングリットが問い返す。
「関係ない。けど、ここにいる理由はある」
どこか言葉を濁す少女。空気が張りつめるなか、トールが場を和ませようと笑った。
「もしかして……迷子?」
「迷子じゃないっ!」
即座に返ってきた怒声に、トールがたじろぎ、サイは無言で眼鏡を押し上げた。
「……君の名前、聞いてもいいかな?」
と、キラが一歩踏み出す。
その瞬間、天井を揺るがすような振動が走る。研究棟全体が揺れ、警報が鳴り響き、緊急放送が館内に響いた。
《警告。敵性武力の接近を確認。直ちに避難行動を開始してください——繰り返します——》
一同の表情が凍りつく。少女——カガリもまた、眉をひそめた。
「……来たか。やっぱり、あの情報は本当だったんだな」
「何の話——?」
だが答えは返ってこない。カガリはすぐに踵を返し、研究室の奥へと走り去る。
「待って、どこに行くの!?」
キラが慌てて彼女を追いかける。
「キラ!危ないからやめなよ!」
ミリアリアが叫ぶが、彼はすでに研究室の扉の向こうへ消えていた。
爆発音と警報が鳴り響く中、研究施設の廊下を駆け抜けるキラは、先ほどすれ違った少女――カガリの後を追っていた。皆が避難しようとする中、ただ一人、逆方向に走り出した彼女の姿が頭から離れなかったからだ。
「待って!」
キラがそれを追いかける。
「私には……確かめねばならぬことがある!」
カガリの瞳には強い怒りと、悲しみが宿っていた。
「こんなことになって、お父様は……!」
その声に、キラは困惑しながらも叫んだ。
「とにかく、今は逃げないと危ないんだ!」
二人は吹き抜けになった高所の通路に出る。そこから見下ろせるのは、格納庫らしき広間。
その中心には2体の巨大な人型兵器──モビルスーツ。
「これって……」
キラの口から思わず声が漏れた。
だが、それにかぶさるようにカガリが叫ぶ。
「やっぱり……地球軍の新型機動兵器!お父様の裏切り者ーーっ!!」
その声が、1階で交戦していた女性兵士の耳に届いた。
「……子供!?」
振り返るマリュー。その瞬間、周囲に銃声が響く。
「危ないッ!!」
咄嗟にキラはカガリに飛びつき、抱きかかえて通路に伏せさせた。
「うわっ……!」
爆風が駆け抜け、鋼材の破片が飛び交う。
カガリが小さくうめく。
「大丈夫か!?」
「……なんであんたが……」
「ほら、立って!逃げるんだ!」
キラは立ち上がると、カガリの腕を引いた。
施設の通路脇には避難用のシェルターがある。
扉は既に半分閉まりかけていた。
「早く、中に!」
「でも、おまえは!?」
「僕は後から行く!」
キラは強引にカガリの背を押し、扉の中へと押し込んだ。
直後、爆風で扉が閉まり、キラは再び高所の通路へと戻る。
1階では、マリューが部下とともに銃撃戦の最中にいた。が、仲間の兵士が次々と撃たれて倒れる。
「しっかりして!」
血で汚れた床に、マリューの声が響く。
そのとき、通路の上から声が飛んだ。
「危ない!! 後ろーーっ!!」
思わず顔を上げたマリューは、敵の気配を察知して反射的に銃を向けた。
背後から迫っていたザフト兵を射抜く。
「誰……!? あの子……」
その声に、キラが躊躇いながらも返す。
「僕は……ただの学生で……」
マリューは周囲を見回す。避難ルートはすでに封鎖されていた。
「避難所はもうないわ。ここから出るしか……来なさい!」
そう叫んだとき、キラはまだ高所にいた。だが──
「行くしかない……!」
彼は、決意とともに身を乗り出す。
次の瞬間、キラは高所から飛び降りた。
「えっ!?」
その無謀な行動に、マリューの目が見開かれる。
キラは痛みを堪えながら着地し、すぐさまマリューの方へ駆け寄る。
彼はまだ、マリューの名前も、目の前の事態の意味も知らない。
ただ、目の前で人が倒れていく現実に、何かをしなければという一心だけで動いていた──。
キラがマリューに駆け寄った直後、再び銃声が響く。
今度は別方向──敵の放った一撃が、マリューのすぐそばにいた地球軍兵を撃ち倒した。
「やめてくれっ!!」
キラが叫ぶ。だが銃を手にすることはない。
彼はただ、マリューの側に立ち尽くしているだけだった。
そのとき──
「ラ、ラスティ……ッ!」
銃を撃った敵兵が、一瞬、苦悶の声を漏らす。
振り返ったマリューとキラの視線の先に、赤い制服の青年がいた。
彼は、自分の仲間を撃たれた怒りに駆られ、マリューたちに向けて引き金を引こうとしていたが──
機関銃が詰まった。
「クッ……!」
焦燥に満ちたその顔に、キラは見覚えがあった。
──アスラン?
一瞬、目が合ったような気がした
キラはその顔に、見覚えがあった。
だが、まさかと思う。
(そんなはず……いや、でも……)
「アス……ラン?」
その声に、赤服の少年が僅かに動きを止める。
「……キ……ラ……?」
沈黙の数秒の後、銃を構えるマリュー。
アスランは表情を歪め、イージスの方へと走り去る。
「待ってアスラン!!」
キラが叫ぶが、彼の声は届かない。
「あなた、コックピットに乗って!」
「……でも僕は――!」
「いいから!」
マリューはキラを強く押し込み、自らも乗り込む。
炎と破壊の渦の中、ストライクの目が光を灯す。